(8/5-2)36『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―勇気持ちて立て―仏教における「空」の思想

『永遠の仏陀』を読む

35 妖怪とは、要するに、力くらべ、知恵くらべ、化けくらべ、尊敬されくらべをして、負けたら、洞窟や闇に逃れる連中のことである。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

61 ある時、間違った宗教の信者たちが、砂漠の流砂に吸い込まれて、焦熱地獄で「熱い、熱い」と叫んでいるところを見た。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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〇「正思」のための三つのチェックポイント
③「謙虚さ」を妨げるもの―嫉妬心と自己顕示欲

〇「自己顕示欲」は自分の人生を正当化し、他の人の心の安らぎや愛を奪う
そして、自己顕示欲という問題も出てきます。「謙虚さ」ということを考える上でもいちばん大事なのは、「自己顕示欲」の問題です。

この自己顕示欲との闘いも、極めて難しいものです。「スポットライトを浴びたい」という気持ちの裏にあるのは、「自己の人生を正当化したい」という考えです。それゆえに自己顕示欲が出てきます。

自己顕示欲がなぜいけないかといえば、他の人の心の安らぎを奪ってしまうからです。また、本来であれば他の人に流れるべき愛を、自分のほうへ持ってこようとするからです。

そういう人は、他の人にも同じように陽の光が当たっているのが我慢できません。「陽の光は、自分の鉢だけに当たるべきである」というように考えるのが自己顕示欲なのです。

○周りからの「嫉妬心」には、「自己顕示欲」を牽制する効用もある
なお、「正思」の基準としてチェックしなければならないもののなかに、「嫉妬心」という項目がありますが、実は、この自己顕示欲を牽制するものに嫉妬心というものがあるのです。嫉妬心にはマイナスの面もある一方で、”嫉妬心の効用”ともいうべきプラスの面もあると言えます。

すなわち、「自己顕示欲に生きた人」に対しては、「他人の嫉妬心」というものがぶつけられることになっているのです。こうして牽制が利くことによって、それぞれの位置が決まってくるわけです。

あまりの自己拡張が許されなくなるのは、他人の嫉妬心によります。これも一つのバランス感覚と考えてよいかもしれません。

ただ、この嫉妬心というものには愛がありませんので、行きすぎると悪になることは当然のことです。これも、自己愛だけの裏返しということになります。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」130pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 永遠の仏陀 
〇勇気持ちて立て

特に、わが教えを一度ならず学んでいる、わが弟子たちよ。
おまえたちは、これ以上、師に対して甘えてはならない。
師はすでに教えを説いた。
この教え、告げ知らせるは、
弟子の使命である。
この教え、広がらぬは、
弟子としての恥であり、
弟子としての不覚である。
何のために、今世、生命(いのち)をうけたかを、
もう一度、もう一度、思い起こしてみよ。
わが言葉を、正しく受け止めるならば、
おまえたちは、
一刻の猶予もないということを知らねばなるまい。

法とは、仏の光であり、仏の光の本質である。
仏の光であるからこそ、
その法に背く者たちの存在は許さないのだ。
光は、あらゆる闇を砕破し、撃破し、
光の使命を実現する。
願わくば、
おまえたちが、万が一にも、
光によって追い散らされる闇とはならぬことを。

よいか、
この教えを広ぐることを怠るということは、
その怠りの事実そのものでもって、
闇の勢力を支えているということなのだ。
あらゆる羞恥心をなげうち、
あらゆる無気力と闘い、
あらゆる、この世的なる誘惑を粉砕し、
しかして、勇ましく、ただ一人立て。
勇者は、孤独のうちに立つ時に、聖なる光を帯びるのだ。
勇気持ちて立て。
そして、己の弱さと闘い、
また、仏の法の具現を妨げるものと闘え。
最大の値打ちあるものを広げるということに、
躊躇(ちゅうちょ)してはならぬ。

仏弟子たちよ、
仏陀サンガに集いたる誇りを忘れてはならない。
あなたがたは、最高を目指せ。
あなたがたは、最大を目指せ。
あなたがたは、最強を目指せ。
それは、とりもなおさず、
本来の姿を取り戻せということなのだ。
すべては仏の心の下に生かされているという、
根本的なる事実を知った時、
おまえたちは、
最高、最大、最強なるものが、
すなわち仏そのものであるということを、
知るに至るであろう。
その仏そのものを、
教えというかたちを通して知らしめているのが、
仏陀であるのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第五章「永遠の仏陀」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 空の思想
6 仏教における「空」の思想

前節では物質界の再考という話をしましたが、この考え方が、実は仏教における「空」の思想につながっていくのです。

『般若心経』に出てくる「色即是空、空即是色」という言葉は有名であり、多くの方がご存じでしょう。「色は即ち空に異ならず、空は即ち色に異ならない」というこの言葉は、仏教にとって非常に大事なことであると言われており、また、この言葉を知ることは、仏教が分かったような気持ちにさせる面もあります。

この「色即是空」という言葉に代表される「空」の思想は、次のように二段階に分けて理解されるべきでしょう。

まず、「この世」と「あの世」という二分化されたものの見方を意味しています。この場合の「色」とは、三次元世界のことです。

「色即是空」とは、「三次元世界は、ほんとうの世界ではなく、『仮の世界』である。あの世の世界こそが『実の世界』であり、この世のものは、やがて滅び去っていくのだ」ということです。どのような貴婦人も、どのような国王も、やがては肉体が朽ち果て、魂は地上を去り、実在の世界に還っていくのです。

したがって、「色」、すなわち、外見に表われて目に見える姿は仮のものであり、やがて移ろい消えていくもの、実の世界に入っていくものです。そして、この実の世界は、目に見えないため、「空」と呼ばれるのです。

一方、「空即是色」とは、「実在の世界にある魂は、修行という目的を持って、三次元世界に何度も生まれ変わり、肉体をまとって生活する」ということです。目に見えぬ世界から、目に見える世界へと変わることなので、これを「空即是色」というのです。

このように、「空」の思想は、第一段階としては、この世とあの世の違い、この世とあの世との輪廻を説明するためのものなのです。

しかし、これには次なる意味、もっと奥の意味があります。それは、「この世とあの世を貫く世界をかたちづくっているもの、構成しているものの本質は何か」という問いにかかわっています。

「唯神実相哲学(ゆいしんじっそうてつがく)」という言葉がありますが、これは「唯光実相哲学(ゆいこうじっそうてつがく)」と言い換えてもよいものです。

「三次元、四次元、五次元などと言う世界があると言われているが、ほんとうは、そうしたさまざまな世界があるわけではない。ただ光のみがある。その光が実相をつくっている。光のみ実相である。その光が変化した姿が、さまざまな世界のありさまをつくっている。霊の世界における仏の光が、いろいろなかたちで霊体をつくり、また、霊体のなかにある光子体をつくっているのだ。

地上に現れるときには、それが霊子という核をつくり、霊子がもとになって、現代物理学でいう素粒子が誕生する。そして、素粒子がさらに大きな物質を構成していくのである」

【※『「霊子」が四個以上くっついて動きを止めると「素粒子」になる』―『オフェアリス神の教えとは何か』p132参照】

こうした世界観があるのです。これは現代物理学の最先端とも一致しています。最先端の物理学によると、「素粒子というものは、粒子でもあり、波動でもある」と言われています。素粒子は、粒子としての性質を持ちながら、同時に、波としての性質も持っているのです。いま述べた世界観からは、素粒子が粒子の性質と波の性質の両方を持っているのは当然と言えるでしょう。

仏の光という霊的エネルギーが物質をつくり、その物質が分解されると、霊的エネルギーに還元されるのです。このように、「エネルギーと物質が循環している」という思想も、「空」の思想ということができます。

「色即是空、空即是色」は、この観点から説明することもできます。現代の優れた科学観をもってすれば、こうした領域まで「空」の思想は発展していくことになるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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