(8/4-2)35『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―人類の選択―物質界の再考

『永遠の仏陀』を読む

34 妖怪とは、要するに「生産性」のない人間であるのに、人を欺き、世を欺く人のことである。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

62 ある時、間違った宗教の信者が、小さなミミズに姿を変えられ、池に投げ込まれるのを見た。たくさんのミミズが、猛魚に、バクバクと食べられていた。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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〇「正思」のための三つのチェックポイント
③「謙虚さ」を妨げるもの―嫉妬心と自己顕示欲

〇職場などで、他の人の幸福を邪魔したくなる女性の「嫉妬心」の問題
また、気に障ったらお許しいただきたいのですが、例えばかなり長く勤めているOL、結婚していない女性等のなかにも、そうしたことをする人はいるでしょう。もちろん、気立てもよく、仕事もできる人もいますが、なかには、無意識下に若い人たちの邪魔をし始める人もいるのです。若い女性の結婚の邪魔をしたり、若い男性をいびったりすることもあると思います。・・・

こうしたものは、みな、自己正当化をして、プライドを固めていった結果なのです。そして、自分が、神仏から、あるいは多くの人たちから愛を受けて生きているということを見落とした結果なのです。

自分がもっともっと愛を受けたいと思っているのに、他の者が愛を受けている姿を見ると、我慢がならないのです。そして、表となり裏となって、いろいろなことをして引き落としにかかるのです。

こうしたものも、「正しい思い」のところでチェックしなければいけない部分です。これは、「嫉妬心」「やっかみ」「嫉み」「妬み」といった言葉で表される思いと言ってよいでしょう。

「人間は太陽の光を浴びて生きているような存在である」ということを決して忘れてはなりません。太陽の光は、善人にも悪人にも、同じく光を投げかけています。植物に対しても、毒麦であろうが、小麦であろうが、同じく光を投げかけています。

ところが、そのように惜しみなく与えられている光を、スポットライトのように自分一人に集めたいという気持になってくるわけです。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」128pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 永遠の仏陀 
〇人類の選択
この地球ができて、四十六億年以上の歳月が流れた。
それは、わが一千億年の孤独のなかでは、
ほんの、ついきのうのことのようにも思える。
されど、我は、この地球のすべてに関し、
最終の顕現を有するものである。
わが宣べ伝えるところの仏法真理を守り、
広げ、実現することこそ、
人間としての真なる生き方であるのだ。
我は、ふたたび、おまえたちに法を示した。
おまえたちに、人間として生きてゆくための則を示した。
その則を守りて、素晴らしき仏国土を建設するか否かは、
おまえたち人間の所業にかかっている。
わが教え、人々の心にしみわたり、
仏国土がこの地上に湧出すれば、
おまえたちは真実の仏の子と言えよう。
されど、わが教え説かるるも、
その教え、伝わらず、
その教え、人々を救うに至らず、
その教え、歴史の波間に、反故(※ほご)として捨て去られたならば、
もはや、人類は地上に住むことが許されなくなるだろう。
そのことをも、私はおまえたちに厳しく警告しておこう。

この、わが説く教えに従って、仏国土を築くか。
あるいは、このわが教えを一顧だにすることもなく、
人類そのものが滅亡し去るか。
選べ、選ぶのだ。
いずれを取るかを。
繁栄をとるか、滅亡を取るかを。
わが念いには厳しいものがあるということを知らねばなるまい。
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わが教えは、
ある時は、愛となり、
ある時には、厳しい剣ともなるであろう。
親は、子に対して、その真実の成長を願うからこそ、
厳しく、その教えを説き、
その教えの実現を迫ることもあるということを知っておくがよい。

もう一度、くり返して言っておく。
すべては、おまえたちの選択であるのだ。
この地球を創り、地球に人類を住まわせたところより、
「この法を下に、仏国土を創り、幸福な生活を営め」というのが、
わが教えであった。
その事実を、もう一度、私はおまえたちに告げているのだ。
それを、信じて行うか否かは、
おまえたちの選択にかかっている。
しかし、仏国土実現の意欲なく、努力なく、希望なく、
停滞と堕落を選び取るならば、
人類を待ち受けているものは滅亡である。
それだけを、私ははっきと言っておく。

※反故(ほご)=ものを書き損じたりして、不用になった紙。転じて、役にたたない物事。むだ。ほぐ。ほうご。

【大川隆法『永遠の仏陀』第五章「永遠の仏陀」より抜粋】
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※参考
■□■□■新版において削除された箇所■□■□■
かつて地球によく似た美しい星、
金星にも、姿形は違えども人類は住んでいた。
その人類をも、我はかつて指導していた。
しかし、究極において彼らは、
我が教えの本なる仏国土建設という理想を実現することなく、
怠惰に明け暮れ、進歩を止め、
停滞の長きにどっぷりと浸かり、
それより抜け出す意欲なく、
生存を重ねていた。
我はまた、この金星の人類を滅ぼした者でもある。

 【大川隆法『『永遠の仏陀』平成3年7月7日初版より抜粋』
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 空の思想
5 物質界の再考

実在界の姿を知ったうえで、三次元の物質界、つまり地上界を見ると、いかなる世界に見えるでしょうか。

それは海外旅行にもたとえられるかもしれません。初めて海外を旅行し、異国の風土に触れた人が、一ヵ月ぶり、あるいは一年ぶりに日本へ帰ってきたとき、日本の姿が非常に不思議に見えることがよくあります。たとえば、人口密度の高さ、車の多さ、道の狭さなどにあきれてしまったりします。

同じように実在世界を知ってしまうと、地上界、物質界にある人々の姿が、何ともこっけいに見えることがあるのです。その滑稽さの原因の一つは価値観にあります。

高いところから眺めてみると、地上の人びとがせっせと働いている姿が、まるで蟻が砂糖の粒を運ぶ姿のように見えてきます。蟻にとって至上の価値を持つは、巣の中に食糧を運び込むことでしょうが、それを眺める人間からすれば、それがはかなく虚しいものに見えることが多いのと同じく、実在界を知った人間には、物質界は非常にはかなく虚しいものに見えてくるのです。

ただ、それは最初の見方であり、次なる見方として、「はかなく虚しい物質界は、なにゆえに存在しているのか」ということに考えが至るようになります。そして、そのはかなさの奥にあるものを深く見つめていくと、「それは大いなる修行の材料として与えられている」ということに気がつくのです。

さらには、「肉体や物質は霊と対立するものではない。肉体も物質も、霊と同じ素材からできており、その現われ方が違っているだけだ」ということにも気づくようになります。霊をつくっているものは、仏の光、仏のエネルギーですが、物質界を構成しているものも、同じく仏の光、仏のエネルギーであることに気がつくのです。

それはちょうど、水蒸気が冷却されると水になり、さらに冷却されると氷になるのに似ています。水と氷は別ももののように見えます。それは、水は水で、「私は霊だ」「私は実在界だ」と言い、氷は氷で、「私は肉体だ」「私は物質界だ」と言っているようなものです。しかし、両者はもともと同じものからできており、外観が違うだけなのです。

したがって、最初は「水と氷は違うものだ」と感じますが、さらに深く感じ取り、見極めていくと、「それらは本来、同じものであって、現われ方が違っているだけだ」と感じられるようになるのです。

ここに至ると、三次元世界の意味は、消極的なるものから積極的なるものへと、一八〇度の転換を見るようになります。三次元世界のなかにも、仏の創られた偉大な計画があることを、人びとは感じるようになるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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