33 妖怪は、目を離すと、自分流でサボっている。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
63 ある時、守銭奴が猿の姿に変えられていた。縄のついた、くり抜かれたヤシの身に米が入っていた。猿は、片手で米をつかんだまま放さなかった。漁師がやってきて、猿は逃げられずに撃ち殺された。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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〇「正思」のための三つのチェックポイント
➂「謙虚さ」を妨げるもの―嫉妬心と自己顕示欲
・他の人の幸福に対する祝福の思いはあるか
謙虚さがなくなると、どうなるでしょうか。これは、自分が「お山の大将」でないと気に食わなくなってくるということです。
「お山の大将」の特徴はどこにあるでしょうか。まず、「他から学ぼうとしなくなる」という傾向が一つあります。また、「自分の立場を合理化、正当化していく」ということに走るようになります。そして、その結果どうなるかといえば、「進歩への意欲」を放棄するようになります。さらには、「他の者を押し落とし、蹴落としにかかる」というようになっていきます。
ここで、特に注意を促しておきたいことは、「他の者の幸福を祝福する心を失っては終わりである」ということです。私はそのように述べています。
真に謙虚であれば他の人の幸福を祝福することもできますが、自分が傲慢になればなるほど、他の人の幸福を素直に喜べなくなってくるのです。「幸福は自分だけのものであって、他の者には幸福の享受(きょうじゅ)を許したくない」という気持になってきます。
そうなるとどうなるかといえは、他の人の幸福を邪魔するようになるわけです。そのなかには、意識的に邪魔をする場合と、無意識的に邪魔をする場合の両者があります。
意識的に邪魔をする場合には、例えば、仕事をしていて同僚の足を引っ張ったり、仕事上でつまずきをつくらせたり、上司に告げ口をしたり、部下の心を違ったほうに向けさせたりと、いろいろな画策をするようなことがあります。
無意識的に邪魔をする場合には、”自分の信念”として説明することがよくあります。「自分はこういう生き方をしてきた」ということを、信念として他の人に押しつけるようになります。自分の過去の生き方のなかには、実は、幸福も不幸も両方あったはずなのですが、それを一つの”自分の信念”として提示し、他の人に押し付け始めます。これが無意識的な妨害です。
他の人の幸福を害する場合にはこの二種類があります。
・エリートへの妨害をしたくなる、苦労人による「信念の押し付け」
例えば、創業者である社長自身が、叩き上げで非常に苦労した人だった場合、スイスイと
生きてきたような人間には我慢がならないということがあります。創業者が苦労に苦労を重ねて会社をつくっていくなかで、最初は零細であったところから、何千人、何万人単位という大会社になっていくと、世の中ではいわゆるエリートとされるような人も入社するようになるわけです。
そうすると、ここで無意識下の妨害として出てくるのが「信念の押しつけ」です。「人間は、叩き上げでなければ、真実は分からないのだ。仕事はできないのだ」ということで、毛並みのいい者たちを排除していくようになります。スイスイとくるような要領のいいものを許せなくなるのです。
それとは反対のことをしたのは松下幸之助のような方です。
「学歴もなく、体も弱く、苦労を重ねたけれども、自分はそういう人間であるから、自分の分かは、みな自分よりも立派な方だ」として扱いました。「私ができない分を補ってくれ。自分は立派な人たちを使って仕事をしているのだから、企業が伸びるのは当然だ」という考えで松下氏はやっていきました。
これは、叩き上げであっても、信念を押しつけず、その逆に出た例であり、注目すべき成功者の一面でしょう。
しかし、このようにはなかなかいかないのが普通です。零細企業から叩き上げてくるような人の場合、どうしてもいじめを始めてしまいがちです。苦労をせずにスイスイと来ているように見える人間に対しては、いじめをしてしまうのです。本人は意識していませんが、そういうところが無意識下に出るのです。
【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」124pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 永遠の仏陀
〇栄光の瞬間
ああ、この太陽系ができたは、
わずか、ほんの、つい昨日のことのようにも思える。
太陽がうまれ、その周りを回る惑星が生まれた。
惑星のなかに住んでいる小さな存在である、おまえたちには、
その惑星たちの一つひとつを生みだした時の悦びが、
その星を創った時の悦びが、分かるまい。
その星を創り、その星に生命を降ろした時の、
その悦びの気持ちが、分かるまい。
しかし、私はあえて言う。
おまえたちの住む星は、悦びと共に生まれたのだ。
そして、その星に生きている、
動物、植物、鉱物、また人類も、
悦びの経綸(けいりん)を実現すべく、悦びのなかに生まれたのだ。
ああ、その聖なる、高貴なる悦びよ。
おまえたちは、その高貴なる瞬間を、その始まりを、
想像だにすることができないのか。
れそが、そんなに難しいことであろうか。
小さな小さな心を捨て去り、
大きな大きな心と一つになることだ。
おまえたちが人間として生まれ、育ち、生きてきて、
規定しているところの、
人間という名の、思いの枠を取り払い、
宇宙を創りたる仏の心と一つになれ、
心の縛りを取り除き、
肉体の殻を脱ぎ去り、
仏の心と一つとなれ。
さすれば、おまえたちの心のなかにも、
栄光の瞬間がよみがえってくることだろう。
おまえたちにも、
この太陽系を創った時の悦びが、
伝わってゆくに違いない。
【大川隆法『永遠の仏陀』第五章「永遠の仏陀」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 空の思想
4 実在界の発見
仏教における人間観や死生観、転生輪廻観について述べきました。
次に、「釈迦は実在界を、どのように見ていたのか。いかなるものとして認識していたのか」ということについて語ってみましょう。
釈迦教団において、釈迦はどのような仕事をしていたのでしょうか。何千人もの教団になってからは、釈迦は主として一週間に一度、全体説法と言われる大きな説法をしていましたが、それ以外の日は、高弟たちを集めて打ち合わせをする程度に抑え、自分自身の瞑想時間をかなり確保していました。そして、野外での禅定中に魂が肉体を抜け出し、心を実在界に遊ばせることがよくあったのです。
実在界に対する釈迦の認識はかなり進んだものであって、九次元宇宙界の本質まで悟っており、「九次元世界は地球だけで完結するものではなく、地球以外の惑星にも広がっている。他の惑星にも素晴らしい霊人たちが数多くいて、修行をしている」という事実もつかんでいました。
また、「宇宙即我」という自己拡大の経験をしたときには、地球という惑星が非常に小さな点となり、みずからの内臓の細胞の一つになっていくのを実体験していたので、宇宙というものの感覚もつかんでいました。
しかし、それらを当時の弟子たちに説くのは非常に困難だったため、さまざまなたとえ話で語るにとどめていました。当時の人びとは、宇宙の構造を聞くまでには、魂の勉強が進んでいなかったのです。
現在、私は実在界の姿を解明していますが、そうした世界について、今から二千五百年前のインド社会という限界のなかではありますが、釈迦はすでに知っていたのです。
ただ、釈迦に足らざるところがあったとすれば、地上にいるときの世界観が、まだいくぶんインドを中心としたものだったために、幽体離脱をして実在界に行っても、会っている霊人たちが、主としてインドを霊域とした人たちだったということです。違った霊域の人びとと会うには非常に難しい面があったと言えます。
また、実在界には、いろいろなスタイルで生きている人が数多くいて、釈迦が彼らを非常に珍しい眼で見ていたことも事実ですが、「彼らの存在がいかなるところから来ているのか。彼らはどのような生活をしているのか」ということを、深く追求しないままに終わったところがあります。
しかし、釈迦が幽体離脱によって実在界を実体験したことは、生と死の意味、人生の目的、転生輪廻を説く際に、大きな力となったことは事実です。実在世界の発見によって、彼の思想はいっそうの高まりや深み、真実感を得たのです。
これはちょうど、私が初期のころに、さまざまな霊言・霊示集を世に問うたことに似ていると言えるでしょう。
そうした書物を数多く世に問うことによって、世の人びとは、実在の世界、高級霊の世界がほんとうにあるということを、リアリティー(現実感)を持って感じられるようになったと思います。また、のちに仏法真理の理論書を次々と世に問うにあたって、その裏づけにもなりました。
結局、宗教とは実在界を科学することであり、実在界についての裏づけがない場合には、単なる哲学になってしまうのです。「哲学と宗教の違いは、実在世界についてどこまで踏み込んでいるか、実在世界をどこまで現実に科学しているかという点にある」と言っても過言ではないでしょう。
【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。 その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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