(7/3-2)3『永遠の仏陀』を読む―目覚めよ―魂の親を知れ―苦行

『永遠の仏陀』を読む

〇人間とはどういう存在か
かつて、はるかなる昔に、神仏の意識体の一部が散乱し、大いなる「人間を創るという理念」の下に、個性化して現れてきたみなさんです。「そうした生い立ちがあり、いろいろな星において肉体を持ち、魂修行をしてきた」という歴史があるわけです。

なぜ、「地球だけの転生」と言わず、「惑星を超えた転生」がありえるのでしょうか。そうした経験を通して、神仏はみなさんに、いったい何を与えようとしているのでしょうか。これを考えなければなりません。

そこで、この「宇宙創造の秘密」と「人間創造の秘密」があるのであり、「この両者の秘密について深く考える」という視点なくして、みなさんは人間であることを許されなくなってくるわけです。

したがって、「人間である」という事実そのものを、まず、みなさんが受け入れるかどうかを考えていただきたいのです。

「自分が人間として生まれ、かつ生きている、考えている、現に生かされている」ということを発見し、認めるということは、それ自体、いったい何を意味するのでしようか。

それは、みなさんが「創られた存在である」ということを、まず知らなければならないということです。「創られた存在である」と同時に、「目的性を持った存在である」ということを知らなければならないのです。

みなさんは、単に創られたわけではありません。椅子や机というような、その程度の目的のために創られたのではないのです。「創られた存在であっても、その創られたもの自体が、一つの大きな課題をもって永遠の生命を生きている。そのような魂の流れのなかにあるのだ」ということを知らなければならないのです。

そうした事実を考えた時に、もう一つの視点が浮かんできます。

【大川隆法『真説・八正道』第一章p30】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と共にありましょう。

7月7日は主の御生誕日です。7月7日13時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館より中継します。当日の本会場の別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館に全国・海外支部の代表者が参集し、全国・海外の中継会場を結んで、主への御生誕への感謝と「復活の祈り」を捧げる最大の式典とさせていただきます。7/7(日)~7/15(月・祝)まで、「御生誕祭」を開催致します。

この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。

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第一章 目覚めよ
〇魂の親を知れ
そう、当然のことでもあろう。
生まれてきた赤子は、自分の父がだれであり、母がだれであるかを、
知ろうとするではないか。
父母なるものを知ることなくして、
人間として生まれ、育つことは、
この上なく悲しい事実である。
教えられなくとも、
小さな小さな赤子は、
母を求めて泣くではないか。
そうして、父の名を呼び、母の名を呼び、
自分を庇護するものが、いったい誰であるかを、
知るではないか。
それは教えられてではない。
生きているということ自体が、
生きてゆくという行為そのものが、
生かされているということを知ること自体が、
みずからの親がいったい誰であるかを、
知ろうとするのだ。
そうであるならば、
川に流るる流木ならばいざ知らず、
生命(いのち)ある、血のかよった人間であるならば、
自らの生命が、だれによりて与えられたものであるかを、
知りたいと願うのが当然であるのだ。

そして、魂の親である仏を知った時に、
もはや、子供である人間は、
その親の名を呼ばずして、生きてゆくことはできなくなるのだ。
したがって、目覚めたる人間たちは、
「仏よ、仏よ」と、
毎日、その名を呼びて、やむところがない。
まるで、赤子が、毎日、父母の名を呼ぶように、
「仏よ、仏よ」と呼びて、
そして、その言葉を語ることに飽きることはないのだ。

あなたがたも、
この地球という小さな星に生れ落ちたる、
ささやかな生命(せいめい)たちではないか。
そうであるならば、
求めよ、求めよ。
あなたがたの魂の親に、
求めるがよい。
すべてのものを求めるがよい。
すべてのものが与えられるであろう。
いや、与えられているであろう。
あたえられていることに気づくには、
親の存在を知ることだ。
仏の名を呼ぶことだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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3苦行
ゴーダマは師を求めることから離れ、一人静かに林のなかに入りました。そして、「自分の力で、何らかの悟りを得たい」と思ったのですが、その方法論が見つかるまで、「どうしたらよいものか」と、あれこれ考えていたのです。

毒蛇の棲(す)む林のなかで考えていたこともあれば、夜明けにナイランジャナー河(ネランジャラー河)のほとりで考えていたこともあります。眠れぬ夜もあれば、昼に汗を流して坐っていたこともあります。こうして、あるときは密林のなかで木の葉を眺め、あるときは洞窟のなかで坐禅を組み、あるときは川面を眺めながら、静かに静かに、その方法論を模索していたのです。

わずか一年足らずではありましたが、ゴータマが、「無所有処定(むしょうしょじょう)」を教えるアーラーラ・カーマーマ仙人や、「非想非非想処(ひそうひひそうじょう・非想非非想処定)を教えるルドラカ・ラーマプトラ(ウッダカ・ラーマプッタ)仙人の門をたたいて感じ取ったのは、結局、「精神統一が大事である」(目的としての精神統一)ということだったと言えます。

ただ、ゴーダマは精神統一の結果、「心の平安」という「心理的」果実を手に入れる実修方法は身についたものの、本来「論理的」性格を持つ、「真理」そのものを獲得することはできず、禅定を超えた「智慧」を求めて、二人の師のもとを去ったと言ってよいでしょう。

ゴータマは最初、「この世的なる煩いから離れる」というところに苦行の中心を置きました。そのため、なるべく人里離れた所で生活し、この世的なる欲を滅却せんと努力したのです。

いちばん困ったのは食糧でした。食糧がないことは、それを入手して食べたいという欲望を必要以上につのらせたのです。

このときに発見したのは、「人間にはいくつかの欲があるが、そのなかの一つが巨大になれば、他の欲がかすんでいく」ということです。何日間も何も食べていないというひもじさによって食欲がつのってくると、睡眠欲や性欲が薄れていくということがあったのです。しかし、どこまでいっても、欲そのものがなくなることはありませんでした。

ゴータマは森林に入って、木の実や、食用になる派などを食べて生きていましたが、次第に体力が衰え、足も弱り、洞窟のなかでただ座る日々が続いていったのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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