(7/26-2)26『永遠の仏陀』を読む―跳躍の時―魂の根っこ―羼提(せんだい)波羅蜜多

『永遠の仏陀』を読む

25 妖怪は、現代的には、個人主義・多様性・少数者の保護の美名に隠れやすい。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

71 ヒットラーとスターリンが地獄で、ピストルで決闘した。弾丸が発射された後、二人とも、さらに深い井戸の底に落ちた。近所にはサダム・フセイン用の井戸がもう掘られていた。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】

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〇【正思】「正しき思い」の根源にあるエル・カンターレ意識

したがって、私たちが今、この正しき心の探求、あるいは正思の部分を突き詰めていくときに、いちばん関係があるのは、やはりエル・カンターレ意識であるのです。

エル・カンターレは、「大毘盧遮那仏(だいびるしゃなぶつ・法身として仏陀)と「大救世主」の側面を併せ持った存在です。要するに、「仏」と「神」とを合一させた偉大なる霊存在がエル・カンターレなのです。

エル・カンターレの名を地上ではいまだかつて知られたことがありません。これが、いわゆる「地球神」なのです。地球神とは「エル・カンターレ」と呼んでいる存在のことをいうのです。イエス・キリストに「天なる父」と呼ばれ、イスラム教では「アラー」とも呼ばれ、日本神道的には、「天御祖神」と呼ばれ、中国では「天帝」といわれた存在なのです。地球系霊団全体へ霊光線を発している大きな光です。

そして、それがある意味で「大日信仰」と言われたりしていたわけですが、それが、実はエル・カンターレと呼ばれる存在なのです。これまでの歴史の中で明確に説かれてはいませんでしたが、そのような存在が実在するのです。

このことが、これまでに明らかにされることがなかったのは、地球系霊団の歴史のなかで、エル・カンターレの本体としての下生は過去二度だけだからです。だだ、エル・カンターレの魂の分身が何度も地上に下りて人類を指導してきたため、そうした存在があるということは、いろいろなかたちで過去、推定はされていました。

そして、現代、三度目の下生をし、「エル・カンターレ」の名を明らかにしたわけです。

【大川隆法『真説・八正道』第二章「正思」92pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 跳躍の時 
〇魂の根っこ
さて、では、
仏法真理を知った第二の跳躍の時、
第二の誕生の時、
心すべきことは、いったい何であるのか。

まず第一に心がけなければならないことは、
過去の自分を見つめるということなのだ。
過去、どのように生きてきた自分であるのか。
それを再確認せねばなるまい。
過去、己の生きてきた道筋をたどって、
一つひとつ、丹念に反省してみることだ。

この反省の時に、
仏法真理をよく心に描いて、
仏法真理に基づいて反省することができ者は、幸いである。
何が思ってよいことで、
何が思っては悪いことか、
何がしてよいことで、
何がしてはいけないことであるかは、
仏法真理の陽(ひ)の下に、
仏法真理の太陽の下には、
明らかである。
その時に、
過去、自分が間違って心に描いたこと、
間違って他の人々になしたこと、
そのようなことがあるならば、
深く深く、己自身を反省するがよい。

しかし、この反省は
己の思いと行いのみを反省するのみであっては、
まだ、充分とは言いかねる。
そうではない。
もっともっと奥深いところまで反省せねばならぬ。
それは、
己の魂の性質が、いかなるものであるかというところまで、
確かめねばならんということなのだ。
ある思いが出、ある行動が出るということは、
魂の根っこ、心根(しんこん)、心根(こころね)というべきもののなかに、
何らかの原因があるのである。
おまえたちは、
過去、自分が思ったこと、行ったことを振り返って、
そして、自分の魂の性質に、
いかなる根っこがあるかいうことを、
考えねばなるまい。
深く、深く、それを見つめるのだ。
その時に、
今世の己の魂修行が、いったい何であるかということが、
明らかになるであろう。
その努力を怠って、
単に、悪しきことを思ったならば、それを反省し、
悪しきことを行ったならば、
「もう、すまい」と誓うだけであっては、
まだまだ十分ではないのだ。
魂の根っこに、そのような傾向があるとするならば、
時間の経過と共に、
また、おまえたちは、
まったく同じことをなしてしまうのだ。
しかし、考えてみるならば、
魂には傾向性というものがあって、
この傾向性を切り替えることは、
非常に難しいことであるのだ。
ちょうど、まっしぐらに走る、あの新幹線が、
急ブレーキを踏んでも、すぐには止まらないように、
おまえたちの魂の傾向性も、
一種の慣性の法則のなかにあって、
急にブレーキをかけることもできなくば、
急にハンドルを右に切り、左に切ることも、困難であるのだ。

さすれば、私はおまえたちに言おう。
比較的早い時期に、
この己の魂の根っこに気づいた者は、幸いである。
残された時間、充分に努力し、
だんだん、だんだんに、
己の魂の性質を変えてゆくことに努力せよ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第四章「跳躍の時」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 六波羅蜜多の思想
6  羼提(せんだい)波羅蜜多

「羼提(せんだい)波羅蜜多」は、別名「耐え忍びの完成」ともいわれています。布施、持戒ときて、次に「耐え忍びの徳」が説かれているのです。

釈迦の人生を振り返ってみたとき、ここにも一つの特徴があるように感じられます。長い年月をかけて、みずからの心を開拓し、魂を向上させていくためには、どうしても「耐え忍び」ということが必要です。それゆえ、修行者の大切な徳目として、羼提(せんだい)波羅蜜多が与えられているのです。

考えてみれば、地上に生きている人間の焦りは、ほとんどが忍耐力のなさに起因しています。そして、その焦りが結果的にイライラを呼び、心を波立たせ、他人との不調和へと続いていきます。

人生に勝利していくためには、耐え忍ぶことがどれほど大切であるかを知ったとき、人間は一段高いところにいる自分を知るに至るのです。

羼提(せんだい)波羅蜜多は主に四つの内容から成っています。

第一は、焦りに対する警戒です。修行者は「修行者である」という理由によって長い時間、悟れないことに耐えていく必要があるのです。その耐え忍びを失ったときには転落が始まります。

第二は「忍耐」です。忍耐とは単に我慢することではなく、悔しい思いを心にとどめずに流していくことです。

釈迦の時代のみならず、現代でもあることですが、仏法真理を行じている過程で、他の団体から批判や非難が起きることがあります。その教えが本物のであればあるほど、そうした非難が強く巻き起こってきます。なぜなら、世の中には、は違ったもの、邪悪なものが数多く横行しており、真実のものが出ると、それは彼から目の敵にされるからです。

こうしたときには、彼らの攻撃によって毒を食らうのでなく、それに平然として打ち克ち、修行の姿勢を崩さないことです。この考え方も、修行者にとって大事な心がけの一つです。

第三には、身内の者の反対に対する耐え忍びがあります。三次元世界において、修行者は一種の前後際断を実行することになるので、修行に入る以前と以後とでは、自分の人生がまったく異質なものとなります。そのため、身内からさまざまな苦情や惑わしの言葉が出ることがあります。

彼らの言葉は愛から出ているのですが、それは、より高次な真理を知らないがゆえの三次元的愛なのです。彼らの常識論が修行者の前に立ちはだかったとき、いかに心の平静を保つかそして耐えていくかが大事になるのです。

第四には、魔に対する耐え忍びがあります。修行者は悟りに到る過程で、さまざまな悪霊や悪魔の惑わしを受けます。釈迦にしても悪魔・波旬(マーラ・パーピヤス)の惑わしを受けていますし、イエスもベルゼベフという悪魔の惑わしを受けています。

修行者にとって、魔による妨害は避けがたい面があります。悟りたる人が出ると、悪魔たちは地上の人間に憑依することが難しくなって、彼らの生活領域が奪われていきます。そのため、できるだけ早いうちに、そうした光をつぶしておきたいという防御本能が働くのです。

そこで、魔の妨害に耐え、打ち勝っていくことが、どうしても必要になります。心を光らせていく修行は、非常に消極的に見えるかもしれず、彼らを一刀両断にしたい気持ちも出てくるでしょうが、忍耐に忍耐を重ねて、なんとか乗り切っていく努力が大切です。

芯に光に至るためには、真に悟りに至るためには、どうしても魔の試練を受けざるをえません。そのとき、修行者にとって、耐え忍びということがとても大切な徳目となるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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