(7/20-2)20『永遠の仏陀』を読む―仏の本願―正定

『永遠の仏陀』を読む

○【正見】霊的に成長するほど、多様な見方ができるようになる
このように、見方の可能性はいろいろとあり、これを探求していくときに、私たちの魂はほとんど進化していきます。飛躍していくのです。「いろいろな見方ができる」ということ自体、「私たちの霊格、人格が進んできている」ということなのです。一面的にだけしか見えないのは、まだ霊的成長としては不十分です。霊的成長が高まれば高まるほど、いろいろな角度から物事が見ええるようになってくるのです。

おそらく、神仏の目から見ても、そうであろうと思います。いろいろな角度からすべてを見て、それなりの評価をしているのでしょう。「これに近づいていく」ということは、「多面的な見方ができるようになる」「違った見方ができるようになる」ということです。仏法真理を探求する過程において、多様な見方ができるようになるのです。

〇多様な見方をした上で、神仏に近い判断を出す必要がある
「多様な見方ができるようになる」ということは、明らかに霊的な進歩です。しかし、多様な見方ができるようになり、多様な結論が導き出され、多様さを多様さとしてそのまま放置しておくならば、それはアーナーキー(無政府状態)、無秩序の状態にすぎません。それは、混沌に帰っていくことになるのであり、いったん進化しかけた霊的な芽生えが、また逆戻りしていくことになります。

いったん多様な見方をした上で、是が非とも、神仏の心に近い判断をしなければなりません。「こういう見方もできる。ああいう見方もできる」と、さまざま考えた上で、「では、現在ただいまの自分の仏性の許すかぎり、霊性の許すかぎり、全身全霊の判断として見て、どう結論づけるか」ということを出さなければならないのです。これを回避してはならないのです。・・・理解することは大事ですが、理解したあとに意味づけが必要なのです。そして、この意味づけに関して、自己の責任が出てくるということなのです。

【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」74p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 不滅の力 
〇仏の本願
仏が地上に降りているあいだに、
その仏の教えをくまなく伝えうること、
それが僧の使命である。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
おまえたちの使命は、
これ以外にはないのだ。
そして、その、法を伝えるという仕事をしているなかにこそ、
おまえたちの真実の悟りは、また、高まってゆくのだ。
わが弟子であるならば、
おまえたちの目指すところは菩薩である。
菩薩となるということである。
菩薩の仕事で一番大切なことは、
法を布施するということなのだ。
これは、与える愛のなかで最大のものであるのだ。

おまえたちは菩薩を願う者たちであり、
いや、本来、菩薩であるならば、
本願を成就せよ。
仏の念いを成就せよ。
仏の願いを成就せよ。
仏の願いとは、一つだ。
一切の衆生を救いたいと念(おも)う心であり、
縁ありて集いたる一切の衆生に、
仏法真理を学びつくしてほしいという願いなのだ。
この宝の山を、ごちそうの山を、
一人ひとりに届けたいということなのだ。
これが仏の本願である。
この本願を遂行することが、
弟子としての最高の使命である。
これ以外に、弟子としてなすべきことも、さまざまにあろう。
それを別願という。
別願として、たとえば、
政治家になるとか、
よき医者になるとか、
あるいは学者になるとか。
あるいは芸術家になるとか、
そのような己の使命を果たして、
人類に貢献せんとする思いもある。
しかし、これはあくまでも別願である。

本願はただ一つ。
この、仏の説く教えを弘めることだ。
そして、仏法真理の縁ができた人々に、
この教えを学びつくしてもらうことなのだ。
さすれば、彼らは、この地上界を縁として、
仏国土をつくり出すことができるであろう。
そう、仏の願いもまたここにある。

かつて、この地上は、光に満ちた地であった。
そして、この地上を去った世界も、
光に満ちた、調和ある世界であった。
しかし、この地上での魂修行をくり返すうちに、
しだいに本来の魂の在り方を忘れ、
地上のなかで、「己かわいし」とする心が、
他の者を虐(しいた)げ、己の栄華を求める心となり、
そして、この地上界特有の欲望というものを生み出していった。
そのような欲望が生まれた時、人間の堕落が始まった。
ある者は、欲望のままに、
己を拡大し、己の力を広め、
そして、他の多くの人々を不幸に陥れた。
ある者は、その欲望がかなわぬがゆえに、
己の不幸の思いをまき散らし、
そして、暗い淵に沈んでいった。
このようにして、
欲望を限りなく追い求める者と、
欲望が成就できずして、
苦しみのうちに地上生命を終えたる者とが、
この地上界を縁として、地獄世界を創ったのだ。

さすれば、彼らは、その始めに戻り、
この地上世界を縁として、仏国土建設をなさねばならぬ。
地獄を創ったものが人間であるならば、
人間は、みずからの思いと行いを通して、
その地獄を解消する必要があるのだ。
これは尊い義務であるのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
10 正定

最後に、「正しく定に入る」ということを簡単に説明しておきましょう。

結局、これは宗教の根本にかかわるものなのです。すなわち、「どのようにして精神を統一するか。いかにして、異次元世界にある高級諸霊や、その奥にある仏の心を感じ取るか。いかにして、仏の心と自分の心とを同通させるか」ということに関係しているのです。

「正定」の部分を通過させなくては、ほんとうの意味で「精神的に目覚めた」とは言えません。また、ほんとうの意味で、「世界を実感した」とも言いかねるのです。

人間は、自分の過去世や未来世を知ることはなかなかできません。しかし、正しく定に入ることによって、高級霊たちの感応を得て、自らの心の偉大さに気づいたときには、一つの大いなる体験をするようになります。

結局、正定の最終目的は、真実の智慧の獲得と、智慧の力による、この世的束縛からの解脱にあります。

正定のもう一つの目的は、自己の内部を掘り下げていくことです。自己をどこまでも深く掘り下げていくことによって、内なる守護・指導霊たちと交流できるような境地に達するのです。

知識というものは、霊的な裏打ち、仏法真理の裏打ちがなければ、ほんとうのものとは言えません。それゆえ、さまざまなことを霊的に学んできた人であっても、正定をともなわなければ、人格が完成することはありません。また、霊的に偉大な人物となることもありえないのです。

一方、必ずしも宗教に没頭した人でなくても、偉人と言われる人は、みずからの心を見つめるための時間を、どこかでとっていたことが多いのです。ある人は散歩、ある人は思索というように、なんらかのかたちで正定に入っています。それは、大宇宙に遍満するエネルギーと交流していたということなのです。

正定に至って初めて、人間の可能性は無限となるのです。生きている人間の知力には限界がありますが、正定に至るとその限界は突破され、全宇宙の叡智を自分のものとすることができるようになっていきます。

それゆえ、正定に基づく反省の観点は、結局、「宇宙的自己、宇宙の一員としての自己、仏の創られた世界の一部としての自己を、どれほど確認しえたか」というものとなるのです。正定まで至って初めて、みなさんの修行も完成に至ると言えます。

「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」のすべてが完成されたときには、少なくとも阿羅漢の境地に達することができます。そして、次なる高度の段階において、菩薩へと進化していくことが可能となるのです。

そうした修行方法として、また、希望の原理、進化の原則として、八正道があるということを知っていただきたいと思いします。

【大川隆法『釈迦の本心』第二章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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