(7/14-2)14『永遠の仏陀』を読む―真実の人となれ―仏の悦び―正思

『永遠の仏陀』を読む

〇正しく人を見るための判断基準―①映像を客観的に捉える&②自分の感じ方を知る&③相手を相手の立場から見る
他の人を見る際の判断基準を述べると、第一段階においては、「目に映った他人の姿」を情報として客観的に捉えることが大事です。

第一段階においては、主観で交え、それを判定しようとしてはなりません。まず客観的に見ることです。どういう人となりであるか。どういう行為であるか。どういう表現の仕方であるか。どんな表情であるか。これをまず客観的に捉える必要があります。

このときには、できるだけ「無私」であることが大事です。私心を入れないで、まず観察をする。これが観察の第一段階です。

②自分の感じ方を知る&③相手を相手の立場から見る

その次にあるのが、「自分の目に映じたその人の姿を、自分はどう感じるか」ということです。これが第二段階になります。まず、客観的にその姿を見、その次に、「それを自分はどう感じるか」を知るのです。

例えば、第一印象で「いい人」か「よくない人」かの判定もあるでしょうし、「好きな人だ」「あまり好きじゃない人だ」という判定もあるでしょう。「少し賢そうな人だ」と思うこともあれば、「その反対だ」と思うこともあるでしょう。

あるいは、「嫌なところがある人だな」と思うこともあれば、「きつい感じだな」と思うこともあります。「優しいな」と感じることもあれば、「ちょっと甘い人じゃないか」と見る場合もあります。

いろいろありますが、その人のありようを何らかの感想をもって眺めるはずです。
この感じ方、「自分はどう感じたか」ということを知る必要があります。これが第二の段階です。


【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」59p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

7/14(日)は、津支部にて御生誕祭期間の後半における信仰心の結集の機会として、「『地球を包む愛』セミナー」を開催し、全国・海外の主要な精舎・支部にて、導師団を結成し、一同にて御生誕祭版「復活の祈り」を捧げると共に、「主の願われる夢の実現」に向けて救世運動を前進させ、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てる誓いを捧げてまいります。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。

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第二章 真実の人となれ
〇仏の悦び

よいか、
わが言葉をよくよく聴いておくのだ。
おまえたちは、どうしても、どうしても、
ともすれば、この三次元の世界において、自己評価が低くなる。
そして、
他人の言葉を求める。
他人の評価を求める。
他人の助言を求める。
そういうものを得られなければ、
自分の人生は無駄であるとか、虚しいとか考えるようになる。
時には、大勢の者が賞賛していても、
たった一人の批判者の声を聞いて、
自分の人生に絶望する者もいる。

けれども、私は言っておく。
おかまえたちが、誠実に、正直に、生きているかぎり、
仏はおまえたちを見続けているということを。
たとえ、この世の人に評価されることなくとも、
仏の目は、見逃すことはない。
仏の目は、その愛の行為に注がれている。
仏の目は、愛の念いに注がれている。
どれほど多くの果実を実らせて、
どれほど多くの人々の幸せとなしえたか。
それは、仏の目から見れば一目瞭然であり、
それが間違われるということは決してないのだ。
おまえたちは、このことを信じなくてはならない。
たとえ、地上の人間に評価されることなくとも、
大宇宙の根本仏、
そして、その根本仏がこの地上に送り込んだ仏の目を、
ごまかしうるものは何もないということなのだ。

おまえたちは、みずからの悦びを悦びとするな。
自らの悦びは、
仏に味わってもらってこその悦びであると思え。
仏の悦びをもって、みずからの悦びとせよ。
また、どのような思いと、どのような行いが、
仏の悦びを呼び起こすものであるかを考えよ。

そう、仏の心は、
この地上のすべての人を
幸福にせんとする願いでいっぱいである。
さすれば、その思いを忠実に実行してゆくことこそ、
この地上に生まれたる、仏の弟子たちの使命ではないだろうか。
おまえたちの悦びは、それ以外にあるはずもないのだ。

決して、りんごの木や、桃の木や、
ぶどうの木に負けてはならない。
だれにほめられることなくとも、愚痴も言わず、
毎年、その、たわわな実りをつける、
そのような木に負けてはならない。
おまえたちは、それ以上のものであるのだ。
すべての世界の人々の心が、
悦びに満ち満ちるまで、
自分たちの使命が終わると思ってはならない。

【大川隆法『永遠の仏陀』第二章「真実の人となれ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
4正思

次に、「正しい思い」というものを考えてみましょう。

これは、仏法真理に基づいた考え方ができているかどうかの自己分析です。みずからが何を思っているかを、仏の立場で冷静に分析できる人は、そう多くはありません。実際、正思の部分が完成すれば、反省の七割、あるいは八割近い部分がカバーされることになります。

「思い」とは、結局、心のなかに一日じゅう流れている考えのことです。それは、方向性もなく、とりとめのないものであり、行ったり来たりしている波のようなものだと思います。

しかし、その人がどのような人物であるかは、その人の心に去来する思いを見れば分かります。どのような思い持っているかを点検すれば、その人がいかなる人物であるか、だいたい見当がつくのです。したがって、思いを純化し、高度化する以外には、人間として偉大になっていく道はないのです。

行動については、ある程度、他の人が判断することもできるでしょうが、思いの中身は他人には読めません。思いの中身は人によって千差万別であり、非常に大きな差があります。それは、いかんともしがたいほどの差なのです。

もし、心の表面に小さな扉があり、そこに鍵を差し込んで扉を開けると、自分が心のなかで思っていることが、テレビ画面に映るように他人にも見えるとしたならば、自分がいかなる人間であるか、一目で見破られてしまうでしょう。

心のなかがガラクタで満ちているならば、その人はさみしい人生を生きていると言わざるをえません。しかしながら、心のなかに美しい思いが満ちているならば、その人は素晴らしい人生を生きていると言えます。

そして、「思いの中身を、いかに高めていくか」ということが、実は地上の浄化にかかわっているのです。「一人ひとりの想念をよくしていく。美しくしていく」ということが、結局、地上をよくし、地獄界をなくしていく方法ともなっているのです。

したがって、まず、みずからの思いの正体を見極めるところからスタートすべきです。

みずからが何を思い描いているのかを、一日のなかで、ときどき検討してみることです。そして、悪しき思いが出たときには、すぐに修正することです。「間違った心を起こした。すまなかった」と思い、修正をしていく必要があるのです。

また、一日の終わりに、その日、心に去来したことを省みることです。たとえば、他人に悪口を言おうとしたが思いとどまったという場合は、正語の部分は守れたとしてももし心にその人への憎しみが渦巻いていたならば、明らかに間違った姿であり、その思いを正すことが大事なのです。

思いのコントロールは、それを義務づけ、習慣化していくと、しだいに深いところまで入っていくようになります。

さらには、修行に向かって正しい志をもつことや、仏法真理に基づき、日々の出来事に対して正しい判断を重ねることも、伝統的解釈での正思であることに留意(りゅうい)していただきたいと思います。

【大川隆法『釈迦の本心』第二章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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