6 妖怪は、しかられるよりは、粉飾決算を選ぶ。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
94 主なる神を愛し、主なる神に尽くし、主なる神を護るために、生命を捨てた者は、地獄の業火で焼くことも、地獄の刀剣で斬ることも、あらゆる災害で滅ぼすこともできない。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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3反省の出発点とは
〇まず「神仏の創られた世界のなかに生きている自分」を知る
「人間が神仏によって創られ、永遠の目的の下に生きている」という事実は、議論を許さない事実なのです。議論を許さない事実であるからこそ、これは「信じる」以外に手はないのです。信ずるということは、「一躍(いちやく)受け入れる」ということ、「握ってしまう」ということであって、それ以外には許されないわけです。
まず、これを始めることによって一つの契約が生じます。これが西洋的に言えば「神との契約」です。ここから本当に、「学ぶ」ということが始まってくるのです。
私は、幸福の科学において、仏法真理の「探求・学習・伝道」という三段階の方法論を説いていますが、これは決して「自然科学者のような探求」「顕微鏡で細菌を見ているような探求」を言っているのではありません。あるいは、「自分の都合のよいことは信じて、そうでないものは信じない」というようなことを教えているのではないのです。
根本において、まず、確固とした、「神仏の創られた世界のなかに生きているという土台」を認識するところから始まるのであって、そのあと、その神仏の世界のなかにおける、さまざまな仏法真理の探求や学習があるのだということです。「この根本を満たしていない者は、まず、仏法真理探究の世界に入ることは許されない。学ぶことが許されない。学ぶことが許される前提条件は神仏を信じることである」ということを知らなければなりません。
〇「仏法真理の道」に入る人に求められる心構えとは
私は、安っぽい意味において、信仰心を言うつもりはまったくありませんが、今、説いたような意味における信仰心がない人には、「幸福の科学の仏法真理を学んでいる。修行している」などと言っていただきたくないのです。単なる活字の情報として得て、それに目を通しているだけで済むと思ったら大間違いです。「仏法真理の探究」と自認するならば、「そうした確固たる土台の下にそれをなすのである」と、覚悟を決めていただきたいのです。
真実、今、探求者として立とうとしている人は、非常に厳しい立場にあるということを知らなければなりません。それは妥協を許されない立場です。今、私たちは、真に「神仏の姿」を知ろうとしているからです。また、神仏の子である自分自身の本当の姿を知ろうとしているからです。これは、まさしく生死の断崖絶壁の所に立たされているのと同じなのです。
決して”禅宗的なこと”を言うつもりはありませんが、「今、そうした気持ちでなければ、本当の意味で仏法真理を知ることはできない。悟りの道に入ることはできない」ということを言っておきたいのです。
安易な気持ちで、「仏法真理の道」に入ってはなりません。安易な気持ちでこの道に入ろうとする人は、いち早く引き返してください。「本当に仏法真理を学ぶ」という意味において仏弟子になる気がある人は、それだけの覚悟をしていただきたいのです。
そして、「真に神仏を信じる」ということをスタート点として、学習に入っていただきたいと思います。この段階がクリアできない人は、まだ「情報」として仏法真理を学ぶ程度で要でしょう。あるいは、出ている本に目を通すだけでよいでしょう。そうした別な在り方もあると思います。
【大川隆法『真説・八正道』第一章「序章」37p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
本日10/6は幸福の科学の「立宗記念日」です。立宗38周年にあたり、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、すべてを捨てて空手にして「幸福の科学」を立宗されたお心に思いを馳せ、心からの感謝を捧げ、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、立宗記念式典版「復活の祈り」を執り行います。
本日から10/8(火)まで連日、立宗記念式典を執り行います。
立宗へと到る主のお心を表した楽曲「たとえ世界を敵に回しても」を通して、主の愛や信念の強さを学び、私たち信仰者にとっての理想としてまいります。主の夢の実現に向けて、この世の壁を突破すべく、強さ、勇気、潔さ、気概を深め、ご復活された主と共に、地球ユートピアを実現していく誓いを捧げます。
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第一章 目覚めよ
〇仏陀との誓いを成就せよ
あなたがたは知らねばならない。
仏陀の念いを。
仏陀の願いを。
それは、
この地上に生きている衆生一切を救うということであるのだ。
人々を一人残らず救うことであるのだ。
今世のみならず、来世の人々をも、
また、おくれて地上に生まれてくる人々をも、
救わんとすることが、
仏陀の願いであるのだ。
さすれば、仏弟子たちよ。
あなたがたの使命は、おのずと明らかであろう。
この道を共に歩む以外にないではないか。
その道を歩んでゆくために、
あなたがたには、
あなたがたの糧として、教えが説かれるのだ。
その教えは、あなたがたの魂の糧なのだ。
その教えを食べているかぎり、
あなたがたが道に倒れることはないのだ。
その教えを、魂の肥やしとし、糧として生きてゆくかぎり、
無限の力がわいてくるのだ。
無限の情熱がわいてくるのだ。
仏より流れ出すところの、一切の教えを、学ぼうと誓え。
仏より流れ出すところの、一切の真理を、学びつくそうとせよ。
そうであってこそ、
あなたがたは無限の力を得ることができるのだ。
遠き道を歩んでゆかんとするならば、
この力を身につけよ。
魂の糧を、一つ残らず、食べ尽くすのだ。
そして、永き道のりを、共に歩いてゆくのだ。
あなたがたは、
一切の衆生を済度(さいど)せんとして、
地上に降りたのである。
一切の不幸を地上からなくすために、
この地に、この時代に、生れ落ちたのである。
さすれば、仏陀との誓いを成就せよ。
仏と仏の弟子とが誓いしことは、
必ず成就されるのだ。
目覚めよ、目覚めよ。
強くあれ、強くあれ。
信じよ、信じよ。
道は開ける。
その道を、うまずたゆまず歩いてゆくのだ。
私は、あなたがたと共にある。
私があなたがたを背負って歩いているということを、
忘れてはならない。
【第一章「目覚めよ」完 合掌】
【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第一章 菩提樹下の悟り
7 心の調和
こうして、ゴータマは「布施」を受ける決意をしました。そして、毎日、一定の時間、托鉢(たくはつ)に出ることに決めました。居住場所はウルヴェーラの森(といっても、木が涼しい影をつくっているぐらいの林ですが)だったのですが、一日のうち、早朝と夕方の二回、托鉢に出て、人びとの家を回り、心からの布施を遠慮なく受けることにしたのです。
布施を受けることに決めたとたん、ゴータマは心に一つの調和が生じるのを感じました。
それまでは、何ごとも「自分が、自分が」と思い、自分ひとりで解決しようとして、「食べ物の調達であろうが、何であろうが、すべて自分でやるのだ。他人の世話は受けない」と考えていました。
しかし、そうした心は強く締めた琵琶の弦のようなものだと考え、「中ほどでよいのだ。生活能力のない自分であるならば、力まず、見えを張らず、『食欲がない』などと自分をごまかしたりせず、修行者として人びとの布施を乞おう」と決めたのです。
当時のインドでは、「出家者たちに施しをすることは、天の蔵に宝を積むことだ」と言われていたので、信仰深いインドの人びとにとって、布施をすることは一つの習慣であり、功徳を積むための在家修行でもありました。そうした事情もあって、ゴータマは快く布施を受ける決意をし、残りの時間を使って、一生懸命、「悟りを得る」ということに打ち込むことにしたのです。
「自分が、自分が」という気張り、緊張した思いが去ったことによって、自分の顔に一つの余裕が生まれてきたことを、ゴータマは感じました。顔に笑みが戻って来たのです。そして、肋骨が透けて見えるような身体(からだ)にも肉が戻り、次第に力がみなぎってきました。
そして、「いままでの自分が、いかに弱気で消極的であり、否定的な思いに囚(とら)われていたか」ということを知り、また、「生きていくことに余裕が出てくると、いろいろな人のことがよく見えるものだな」ということを感じたのです。
結局、このとき、ゴーダマは次のように思ったのです。
「多くの人びとの生き方を見て、彼らに対して参考になる意見が述べられるような自分となりたい。また、自分自身に対しても的確な判断が下せるようになりたい。
そして、この世界や人生の意味を知り、多くの修行者たちが求めている悟りというものが名何であるかを実感してみたい。悟りたる者としての仏陀とは何か。仏陀の境涯とはいったい何か。それを体得してみたい」
やがてゴータマは旅に出ます。「古い生活と決別し、新たな道を開いていけ」という声が、心のなかから聞こえてきたような気がしたからです。
「布施に頼って生きていく以上、どこにいても困ることはない。いままでは、食するための木の実や草の根があるところで生活していたが、これからは布施を受けて生きていく以上、そうしたことを気にしなくてよいだろう。思うがままに世界を見、思うがままに人の心に触れ、悟りを深めていこう」
こう考えて旅に出たのです。そして何日かたち、ガヤーという町につきました。
【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。
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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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