(5/2-2)31『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―我は救世主以上のもの―空の思想―人間とは何か

『永遠の仏陀』を読む

30 平気で噓が言えたり、平気で記憶をすりかえられる人は、「妖怪」か、さもなくば、地獄の悪魔候補である。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

66 ある時、守銭奴が川に金貨を落とした。彼は、水に潜って、金貨をふところに集めたが、重さのあまり、浮き上がれなかった。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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■『現代の武士道』
第1章 武士道の根本―武士道の源流―
2 『古事記』『日本書紀』に見る武士道精神
〇太陽信仰を立てて戦った神武天皇

さらに、「神武東征」のあたりまで遡(さかのぼ)ると、二千七百年近い昔になりますが、やはり、今の宮崎県あたりから、神武天皇が東征していったころに、すでに剣を持ち、弓矢も使って戦っています。

中国地方を通り、最初は近畿の芦屋のあたりを通って、奈良のほうに攻め込んで成敗しようとするのですが、負けてしまいます。その後、兄たちも死んでしまうのです。確か、神武天皇は四男ぐらいだったと思うのですが、兄たちも負けてしまったために反省し、「これは、太陽に向かって戦いを挑んだだめに、負けたに違いない。太陽を背にして戦わなければいけない」ということで、次は、船でグルッと紀伊半島を回り、三重県の側、伊勢のほうから上陸しました。そして、太陽を背にして戦ったところ、今度は勝ったのです。

これは、「孫氏の兵法」とあまりに似ているのですが、「孫氏の兵法が」はいっていたのか、偶然の一致なのかはよくわかりません。ただ、太陽を背にして戦うとまぶしいので、太陽に向かっている方は勝てないところがあるのでしょう。

そのように、太陽を背にして戦って勝ったために、「太陽のおかげだ」ということで、天照信仰がいっそう盛んになるわけです。これは、そのときすでに、天照大神は神だと思われていたということです。「わが国の神は天照大神であるから、太陽に向かって戦いを挑んだのが間違いであり、太陽を背にして戦ったら勝てた」ということです。このとき、三重県あたりから上陸して奈良を攻めているので、おそらく、これで、伊勢の地に伊勢神宮ができたのだろうと思います。

したがって、日本武尊のころが最初ではなく、すでに多少はあったのだろうと思うのですが、日本武尊のころには、伊勢神宮が大規模に造立され、大きくつくられて、いろいろいな神々が祀られたりもしています。

その後にも、また大きくなりました。

元寇の戦いでは、元と高麗の連合軍が対馬を渡り、北九州に攻めてきたため、武士たちが何か月も戦ってはいたのですが、そのとき、「神風」という台風が吹いて、二度も向こうの船が撃沈されました。伊勢神宮には、この「風の神」も祀っていますし、「その神風は、やはり天照大神様の力だ」ということで、元寇のあと、鎌倉時代にも伊勢神宮は造営されて、さらに大きくなったと思います。

今はそうとう大きくなり、山も幾つも連ねたものになっていますけれども、そういうこともあって、だんだん大きくなっているのです。

【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』
5「正思」に必要な三つの姿勢

では、神仏の心に合致する正しい心を持つためには、どうしたらよいのでしょうか。このことが、次なる課題として探求されなければならないわけです。
この入り口となる姿勢として挙げられることには三つほどあります。

①素直さ
第一の姿勢は「素直さ」ということです。
より高次な教えを受けるに際しては、素直な心を持っていなければ受けることができないのです。そうでなければ、それは素通りしていってしまいます。あるいは、光が屈折していってしまうようなものです。

今、地上に生きている自分にそれなりの肩書があったり、地位があったり、学歴があったり、要望があったりしたとしても、「神仏の創られたこの偉大な空間の中では小さな点でしかない」という事実を知ったときに、自分の思いで世界を測れるはずがないのです。この前提を忘れてはなりません。

したがって、神仏の創られた世界と、その考えを知るためには、心を素直な状態に置かなければ無理です。これが第一です。

②自助努力
第二に必要なことは「自助努力」の姿勢です。

私は「自力」ということの大切さについて、だいぶ強調していますが、この考え方は、人をミスリードしやすい、すなわち誤解に導きやすい面があるとも感じています。それは、言葉の解釈によって間違いが起きやすいということです。この自力ということを、もし「自我力」というように捉えるとするならば、神仏の世界に対するアプローチは全くのゼロとなります。それは、地上に生きている三次元人間が、自分の心から湧いてくるとおりに動けばよいということを意味するので、探求・学習というものがまったくありません。ですから、この「自力」という言葉は、”自助努力”と読み替える必要があります。

また、「他力信仰」に対するものとしての「自力信仰」というものはありません。「自力」とは修行の取り組み方、姿勢のことを言うのであって、信仰ではないのです。この点を間違えないでほしいと思います。

そこで、方法論としては、「自助努力」の姿勢があるか、それとも、そういうものも煩わしいものと無視し去って、大いなるもののなかに溶け込んでいくか、この意味での「自力」と「他力」とのちがいにすぎないわけですが、幸福の科学のアプローチとしては、「自助努力」は重視したいという考え方があります。

③謙虚さ
第三に大事なことは「謙虚さ」というものです。これは、「素直さ」とも多少関係があります。

悟りには階梯(かいてい)が付きものであり、その段階を上がっていくわけですが、上がれば上がるほど謙虚になっていくという気持を持っていないと、これもまた光が通りにくくなってきます。自分が高くなると、特別な意識が出てきて、その意識が光を通さなくなっていくのです。

この「特別な意識」とはいったい何でしょうか。それは、「プライド」や「自尊心」といわれるものと非常に近いものです。あるいは、悪い表現をすれば「慢心」や「小成」という言葉にもなるでしょう。ここが次なる関門として非常に難しいところなのです。

素直な気持ちで始め、自助努力の姿勢を持って階梯を上がっていくわけですが、次第に「我」が出てきたり、「うぬぼれ」が出てきたりする段階があるので、ここでもう一つ、謙虚さというのが探求されなければならないわけです。

仏法真理の世界に身を置くためには、この三つの姿勢がどうしても必要なこととなってきます。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」106pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第五章 永遠の仏陀 
〇我は救世主以上のもの

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
この、わが懐かしき声を、
魂の奥底にまで刻んでおくがよい。
おまえたちは、二千六百年の時空間を経て、
ふたたび、わが声を聴いているのである。

この地上にて生命ある時に、
わが声を聴く者は、幸いである。
すべてのものを打ち捨てでも、
この幸いなる瞬間を選び取るべきなのである。

我は、久遠の仏、永遠の仏陀である。
幾転生、幾十転生、幾百転生を通じて、
我は、
久遠の仏であり続け、
久遠の師であり続け、
久遠の仏陀であり続けた。

永遠の仏陀とは、すなわち、これ、
久遠の法そのものである。
永遠の法とは、すなわち、これ、
宇宙の根本たる仏の心、
それを、則として、教えとして、体現しているものである。
あなたがたは、よくよく、この価値を知らなくてはならない。
わが語る。この言葉の、片言隻語(へきげんせきご)さえ見逃してはならない。
(※へんげんせきご・わずかなことば、ちょっとした短いことば)

一文字、一文字に込められたる光を、
確実に読み取り、わがものとせねばならぬ。

ああ、幾星霜(いくせいそう)を経て、
久しく師と弟子の契りを結んだ者たちよ。
いまの時代が、風雲急を告げ、救世の時代であることは、
おまえたちにも、ひしひしと分かってきたことであろう。

しかし、この、わが言葉をよくよく聴くがよい。
我は、救世主として、この世に来たのではない。
我は、救世主以上のものとして、この世に来たのである。
この地上の人々を救うということは、
わが説く法が、
人々の心にしみわたり、学び尽くされた時に、
おのずと、そうなるのである。
しかし、わが説く教えは、
地上の人々を救うという、
そうした目的そのものに矮小化(わいしょうか)されてしまうものではなく、
それ以上のものであるのだ。
このわが言葉、このわが教え、それに基づいて、
この宇宙は、この世界は、創られたのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第五章「永遠の仏陀」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第四章 空の思想
1人間とは何か

本章では、主として仏教の「空」の思想に迫ってみましょう。
「空」の思想を理解するには、仏教における人間観や死生観、世界観を明らかにする必要があります。それらを抜きにして「空」の思想を語ることは困難です。

まず、「人間とは何か」ということですが、この問いに対して、釈迦は革命的な定義を与えました。

当時のインドの思想においては、「人間は宿業を負った存在であって、生まれながらにして貴賤が決まっており、ある意味では、生まれたとき、すでに運命も決定されている」という考え方が主流でした。

ところが、釈迦は「カルマの法則などによって、人間には避けられない運命の流れがあるけれども、これを乗り越えていく方法もまたある。それが、悟りを得るための修行なのだ」と教えたのです。

当時のインドの民衆にとって、これは一つの福音でした。仏教と聞くと何かいかめしい、この世を否定するような教えを思い浮かべる人も多いでしょうが、仏教は革新的な理論であり、人びとにとっては福音そのものだったのです。

当時、インドは非常に厳しい身分制社会であり、バラモンと呼ばれる僧侶階級、クシャトリアと呼ばれる武士階級、ヴァイシャと呼ばれる商人階級、そしてシュードラと呼ばれる奴隷階級がありました。さらには、シュードラにも入らないもっとひどい階級もありました。

シュードラより下の身分のことをチャンダーラといい、この人たちはもはや人間としては扱われず、家畜同然、あるいは、家畜より汚れているとして、家畜以下の扱いをされていました。インドでは家畜は貴重な動物でしたが、これ不可触賤民たちは、家畜としても扱われないような人たちであって、人間でありながら、人間として認められなかったのです。

こうした人たちは、自力の発揮しようもない状態に置かれていました。そうした階級に生まれること自体が、その人の一生を規定していて、どうしようもなかったのです。一方、バラモンの家に生まれると、たとえ凡庸な人間であっても、祭司(さいし)階級として認められました。

こうした身分制度に対して、釈迦は非常に強い疑問を持ったのです。

「大宇宙をつかさどる叡智としての仏が、こうしたことを放置しておくはずがない。身分制社会を打破するためには、どうすればよいのか」と考えた釈迦は、釈迦教団においては、悟りに至るための努力を通して身分制社会を打ち破り、新たな価値観、新たな価値世界をつくろうとしました。

そのため、釈迦教団では、修行者であることによって、生まれ持っての身分にかかわりなく、新たな地位や生きがい、人生の目標ができることになりました。釈迦はそうしたことを理想としたのです。

これは幸福の科学がいま「真理価値」の創出に向けて努力していることと同じです。幸福の科学は、仏法真理を学び、仏法真理を悟っていることが、社会において価値あることとされるような価値システムの創出のために努力しています。

釈迦の考え方はこれと同じであり、固定化した身分制社会のなかで、新たな真理価値をつくり出し、価値観の転換を行って、それまで幸福のかなたに閉じ込められていた人びとを開放することに、釈迦は意義を見いだしていたのです。

「自助努力によって、修行によって、道が開ける」という大いなる福音を、釈迦はもたらしました。そして、その福音が成就するためには、「まず、発心、すなわち悟りを求める心、菩提心が必要である」そのあと、一定の修行が必要となる」ということを説いたのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶16周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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70 鍛えた脚は、多くの仕事を可能にする。お釈迦様も歩いて伝道の旅を続けた。 
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

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