また、「一日中、いろいろな人を正しく見る」ということと同様に難しいのが、「自分自身を正しく見る」ということです。これも反省においては欠くことのできない作業です。
これは、「他人を正しく見ることができない人は、自分自身をも正しく見ることができない」と言うこともできます。あるいは、「自分自身が見えない人は、他人を見ることもできない」と言い換えることもできます。共に真実です。
真に自分自身を知らぬ人は他人を知ることもできません。それは、「自分のなかに神の子、仏の子を発見できなかった者は、他人のなかに神の子、仏の子を発見することもできない」ということと同じです。
【大川隆法『真説・八正道』第一章57p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、今日の始まりを希望と共に祈りで始めて、一日の終わりを感謝と共に反省にて終えるために、主の御言葉と共にありましょう。
そして、また明日への一歩を主のため、世のため、隣人のために踏み出すために「純粋な信仰」を主へ捧げるべく、共に「復活の祈り」を捧げましょう。
4月21日は主の伊勢支部御巡錫記念日です。2013年4月21日大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】
この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第二章 真実の人となれ
〇最大の実りを得る
さて、さらに私は、次のことを言っておきたい。
おまえたちのなかで、
環境に打ちひしがれ、
失敗を積み重ね、
苦しい生き方をしてきた者があるであろう。
そして、その苦しみのなかで、真理を悟り、
なんとかして、
よき人生を切り開かんとしている者もあるであろう。
しかし、そのような者であっても、
過去、数多くの失敗を重ねてきた者は、
何らかの虚飾でもって、自分を飾ろうとする傾向があるものだ。
その惨(みじ)めな過去を、うそという虚飾で飾ってみたり、
惨めな過去を、取り立てて誇大表示することによって、
他の人の同情を引いてみたりしがちであるのだ。
しかし、私はおまえたちに言っておこう。
過去というものは、
十分に反省に値するものであり、
これからの人生を生きるにあたって、
十分に参考にすべきものではあるが、
過去そのものを、あまりにも長く引きずり、
込んではならない。
おまえたちの人生は、日々mの出発であるのだ。
日々、新しい人生を生きているのだ。
そのことを忘れて、
過去そのものを引きずってはならないのだ。
正直に生きている人であっても、
過去の傷口にふれると、
とたんに口を閉ざし、
あるいは、饒舌となり、
己の傷口を隠すようにふるまう人がいる。
ただ、私は思うのだ。
過去の傷口をいたずらに隠すよりも、
その傷口そのものを癒してしまうことのほうが大事であるのだ。
この、過去の傷口を癒す方法は、
己の人生を十分に愛することなのだ。
己の人生を十分に愛し、
そのなかから、見事な果実を実らせることであるのだ。
これが大事なことなのだ。
いま、目の前に、
見渡すかぎりの、りんご畑が広がっているとしよう。
そのりんご畑には、
何十年もたった。大きな木もあれば、
まだ数年しかたっていない、若い木もある。
若い木は、どちらかといえば、小さいであろう。
古木は、大きいであろう。
そして、それぞれの木の大きさに合わせて、
いくつ実をつけることが可能かということが
決まっているであろう。
けれども、大事なことは、
いくつ、りんごの実をつけるかではない。
「数多く実をつければよいのか」という問いは、
さほど重要ではないということなのだ。
たとえ、その木が小さな木であるとしても、
一生懸命、みずからのりんごの実を
たわわに実らせることが大事なのだ。
そして、単に実らせるだけではいけない。
その味を最高度のものにし、豊潤(ほうじゅん)なものにしてゆくことだ。
香りは美しく、味わいはさわやかで、
多くの人に愛されるものになってゆくことだ。
このような、現時点での努力をし続けることで、
やがて数十年を経た時に、
見事な大木となって、
その数も素晴らしく、その質も縛らしい実を、
たわわに実らせることができるようになってくるのだ。
そのような結果は、
まだ若木のうちにも一生懸命に努力したということが
報われたということなのだ。
おまえたちは、他の木になりかわろうとしてはいけない。
他の木が、
いかに、水分を吸い上げるのに良き土地に生えていようとも、
いかに、畑のなかに養分の濃い薄いがあろうとも、
いま、動くことはできないのだ。
その場において、最大の仕事をするということに、
全力を費やすことだ。
いたずらに、他の木を見て、
その心を刺激されてはならない。
自分として最大の実りを、
その環境において得るということこそ、
おまえたちが真に幸福に至るために、必要な方法であるのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第二章「真実の人となれ」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。 その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。
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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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