(4/3-2)6『永遠の仏陀』を読む―目覚めよ―信仰という命綱

『永遠の仏陀』を読む

信仰というものは、決して、摩訶不思議なものに対して祈ることでもなんでもないわけです。それは、「この宇宙創造の秘密」を知り、「人間創造の秘密」を知って、それを納得いくものとして理解することです。これが信仰というものの前提です。この前提がない人は、このあと、いくら仏法真理の書物を読んだところで、いくら法話を聞いたところで、いくら勉強したところで、何の役にも立たないのです。「まず、その土台を押さえよ」ということを述べておきたいと思います。

【大川隆法『真説・八正道』第一章36p

こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。

皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、今日の始まりを希望と共に祈りで始めて、一日の終わりを感謝と共に反省にて終えるために、主の御言葉と共にありましょう。

そして、また明日への一歩を主のため、世のため、隣人のために踏み出すために「純粋な信仰」を主へ捧げるべく、共に「復活の祈り」を捧げましょう。

421は主の伊勢支部御巡錫記念日です。2013421日大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】

この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

今日の一日を振り返りつつ、19917月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。

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第一章 目覚めよ

〇信仰という命綱

そして、

法を説く仏陀への、

信仰と帰依の姿勢を忘れてはならない。

帰依とは、

教えを受けとるために、

弟子としての道を知ることだ。

弟子としての態度を確立することだ。

師に対する態度を示し、弟子の道を行ずることだ。

これを帰依という。

そして、信仰とは、

師より流れ出してくる仏法真理の大河を敬い、

その法を恭(うやうや)しく受け、

究極なる仏に対して、誓いを立てることを言う。

仏弟子として、仏法真理の縁にふれて、生まれ変わったならば、

必ずや、その報恩のために生きるということを、

必ずや、その教えを人生の指針として生きるということを。

こうした誓い、誓願を立てることをもって、

あなたがたの信仰は本物となるのだ。

たとえ、千貫(せんがん)の重き岩が、

汝らの頭上より転げ落ち、その身を撃ち砕かんとしても、

仏法真理のために、その岩壁をよじ登ろうとする努力を

忘れてはならぬ。

その岩壁に垂らされたるところの一本の命綱を、

決して手放してはならぬ。

この命綱こそ、信仰と呼ばれているものなのだ。

たとえ、岩に、その身、打ち砕かるるとも、

たとえ、千頭の獅子に、その身、食われ、

たとえ、万羽の鷲に、その目、えぐられるるとも、

この信仰という名の命綱を決して手放してはならぬ。

あなたがたは、その肉体を失うとも、

その名声や、地位や、金銭を失うとも、

この信仰という命綱で、仏陀につながっているかぎり、

永遠の生命を失うことはないのだ。

しかし、この命綱を放した時、

ああ、あなたがたが落ちてゆく先は、決して地面ではない。

それは無限に近い深い深い闇なのだ。

その闇にそこなく、

あなたがたは、

どこまでもどこまでも落ちてゆくことになるのだ。

これを地獄という。

信仰を失いて、地獄の底に落ちるぐらいならば、

目の前に、獅子が現れて、

内臓を食い破られるほうが、ましではないか。

鷲が現れて、その目をえぐられる痛みに耐えることのほうが、

まだましといってもよい。

地獄は、魂の死である。

魂は、生かしてこそ、仏への感謝、報恩となるのだ。

尊きダイヤモンドのごとき生命をいただいておきながら、

それを、汚泥のなかに投げ捨てんとするのか。

そのようなことは、決してしてはならない。

あなたがたは、強くならねばならない。

信ずるということを通して、強くならねばならない。

信仰は、あなたがたを強くするものなのだ。

信仰は、あなたがたを弱くするということなど、

過去、あったためしがないのだ。

真に信ずる者は強くなる。

信じても信じても、みずからが弱いというならば、

その信仰はまだ本物ではない。

あなたがたが、つかんでいる、

その命綱は、そのロープは、

私の袈裟衣であるということを知らねばならぬ。

その命綱をつかんでいるかぎり、

仏陀と仏弟子とは一つであるのだ。

仏陀がいまだ地上において、

敗れたることがないように、

あなたがたも、敗れることはないであろう。

仏陀が、いまだ地上において、

その誓願を成就せぬことなかりしがごとく、

あなたがたも、あなたがたの立てたる誓願を、

成就せぬことはない。

【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】

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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。

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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について

2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。

本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  

奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。

この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】

また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。

神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】

「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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100%エル・カンターレ信仰

天御祖神とともに―

伊勢から世界に伝える強い信仰

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| 人を愛し人を生かし人を許す

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TEL0596-31-1777

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FAX0596-31-1778

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文責:蒲原宏史 

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