(4/29-2)32『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―仏は法なり、仏は教えなり

『永遠の仏陀』を読む

〇「正思」のための三つのチェックポイント

①「素直さ」を妨げるもの―自我の殻

では、第一に挙げた「素直さ」を阻害しているものはいったい何でしょうか。素直に取り組もうとする姿勢、教えを受け、学び、向上していこうとする素直な気持ちを阻害するものは何であるか、ということについて考えてみる必要があります。

そこにでてくるものは、自分が過去何十年かの間につくってきた、です。「自我の殻」がこれを妨げるのです。それまでに自分が「よし」と思って生きていた、「これでいい」と思って生きてきた生き方のなかに、自分を枠に入れているが何か付いているのです。このの部分が、自分を素直になることを妨げているのです。

それゆえに、まず、「自分は自分固有の匂い、見方、生き方といったもので、なんらかのをつくってはいないかどうか」ということを点検しなければなりません。これも、反省においては非常に大事な点です。

【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」111pより抜粋】

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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。

皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、今日の始まりを希望と共に祈りで始めて、一日の終わりを感謝と共に反省にて終えるために、主の御言葉と共にありましょう。

そして、また明日への一歩を主のため、世のため、隣人のために踏み出すために「純粋な信仰」を主へ捧げるべく、共に「復活の祈り」を捧げましょう。

56日(月・祝)13:00から「ヘルメス大祭」です。皆様、伊勢支部、熊野拠点にご参集ください。また、514日(火)13時から主の「新復活祭」を執り行います。

この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

今日の一日を振り返りつつ、19917月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。

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第五章 永遠の仏陀 

〇仏は法なり、仏は教えなり

くり返し、おまえたちに告げる。

このわが教えは、

単に、おまえたちの心を救うがためにのみ、

説かれているのではない。

この教えを本として、全宇宙は統べられているのだ。

この教えを実現すべく、

人類の過去・現在・未来があり、

人類なき過去にも、

この教えは厳然としてあり、

人類なき未来にも、

また、あるであろうということを。

私は明言しておく。

このわが説く法は、

人間の出現に先立ち、

人間の消滅におくれて、

なおもあるものである。

教えとは、姿を変えたる仏そのものであるということを、

おまえたちは知らなくてはならない。

わが教えを読むは、仏を見ると同じなのである。

仏を知らんと欲せば、わが教えを見よ。

その教えこそが、姿形なき仏の実体なのである。

おまえたちは、空を見上げて、仏を見んとするか。

おまえたちは、目を閉じて、仏を見んとするか。

おまえたちは、想像のなかで、仏を見んとするか。

それとも、

おまえたちは、霊的なる目を開いて、仏の姿を見んとするか。

いずれの試みも、虚しく終わるであろう。

そう、真実の仏とは、姿形なきものである。

真実の仏とは、

この地上を超えた実在世界にある高級霊の姿をとった、

その霊的実在でもない。

その霊的実在を超えたものが、真実の仏であり、

真実の仏の姿は、教えに表れているのだ。

よくよく聴くがよい。

手で仏をさわらんとして、目で仏の姿を見んとし、

その体の大きさに合わせて仏を測ろうとする者たちよ。

仏とは、

おまえたちの五官によって捉えられるものではない。

おまえたちの想像するようなものではない。

仏とは、法であり、

仏とは、教えであるのだ。

わが説く、この法こそが、

わが説く、この教えこそが、

仏の実体の本質であるのだ。

わが教えを学ぶ時、

おまえたちは仏の姿を見たのである。

わが教えを聴く時、

おまえたちは仏の声を聴いたのである。

わが教えを理解する時、

おまえたちは仏の心を理解したのである。

くり返し、くり返し、言う。

仏とは、姿形なきもの。

仏とは、人間を超えたるもの。

しかして、霊を超えたるものでもある。

仏とは、人間的なる感覚を超越し、

この宇宙を統べるところの、

教えそのものとなっている存在なのだ。

おまえたちは、

その手にしているページの一枚、一枚に、

仏の姿を見ているのである。

仏とは、何であるかを知りたくば、

わが説く教えを、深く深く、理解せんとせよ。

そこに、

仏とは何であるかという、その問いに対する答えが、

明らかに現れてくるであろう。

【大川隆法『永遠の仏陀』第五章「永遠の仏陀」より抜粋】

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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。

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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について

2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。

本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  

奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。

この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】

また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。

神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】

「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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100%エル・カンターレ信仰

天御祖神とともに―

伊勢から世界に伝える強い信仰

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Happy science Ise | 人を愛し人を生かし人を許す

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TEL0596-31-1777

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FAX0596-31-1778

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文責:蒲原宏史 

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