(4/22-2)25『永遠の仏陀』を読む―跳躍の時―真の平等と自由

『永遠の仏陀』を読む

〇正思の基準は神の心

まず、正思の根本はどこにあるのでしょうか。それは神仏の心です。

人間は、「正しき心」というものについて、いくらかんがえても、追いかけても、なかなか分かるものではありません。それが現実であろうかと思います。

なぜならば、「正しき心」の根本というものは、人間に求めるべきではないからです。それは神仏に求めるべきことなのです。この尺度こそ、神仏に求めなければ、求めるところがないのです。ここにあるのです。

【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」90pより抜粋】

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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。

皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、今日の始まりを希望と共に祈りで始めて、一日の終わりを感謝と共に反省にて終えるために、主の御言葉と共にありましょう。

そして、また明日への一歩を主のため、世のため、隣人のために踏み出すために「純粋な信仰」を主へ捧げるべく、共に「復活の祈り」を捧げましょう。

430日は幸福実現党の立党記念日です。2009430日、大川隆法総裁先生がこの国の国難を救うべく、幸福実現党宣言をなされて、「幸福実現党」を立党しました。主に心よりの感謝を捧げます。

427日には、伊勢支部や精舎を衛星中継にてつないで、11:00より幸福実現党立党周年記念大会を開催いたします。皆様、万難を排して伊勢支部にご参集ください。

この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

今日の一日を振り返りつつ、19917月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。

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第四章 跳躍の時 

〇真の平等と自由

人間とは、まことにまことに不思議なものであることよ。

成熟した魂であったものが、母の胎内に宿り、

数か月、暗闇のなかで、魂の修行に耐え、

赤ん坊として、地上に生まれ出る時に、

ああ、過去の記憶は、一切、消し去られ、

どのような魂であっても、

平等に、ゼロからのスタートを切るのだ。

それを不合理だという者もあるであろう。

「それぞれの魂は、進化の速度が違うのであるから、

まったく同じように、ゼロからのスタートを切るということは、

不合理である」という人間がいても、

おかしくはあるまい。

けれども、考えてほしいのだ。

おまえたちがよく耳にする、

平等、そして自由ということの意味を。

真の平等とは何であるか。

いかなる境涯にある魂であっても、

母の胎内に宿り、

そうして、赤ん坊として、いったん生まれたならば、

すべて過去の事実を忘れて、

ゼロからのスタートを切るという点においてのみ、

人間は平等を享受できるということなのだ。

そして、自由とは何であるか。

ゼロからのスタートを切った赤ん坊が、

その個性を発揮し、

その思いによって、行いによって、

みずからの人格を形成し、

仕事をなしてゆく時に、

いかなる評価を受けるような人間になるかは、

各人の責任に委ねられているということを意味するのだ。

これが、平等と自由の本当の意味であるのだ。

さすれば、おまえたちは、

この事実を尊び、

また、この事実を恐れなければならない。

過去、いかなる人生を生きてきたとしても、

今世のスタートにおいては、いったん、

同じスタートラインに並ぶことができるということ、

これは尊いことだ。

「仏は、このような機会を与えられた」と、

おまえたちは悦ぶがよい。

たとえば、ある人間が、如来の境地を持って、

如来の心でもって生まれ来たったとするならば、

その仕事に、さらに拍車がかかることになり、

ある者が、凡夫の悟りを得て生まれ、

そのままに生きてゆくとするならば、

如来と凡夫の魂の境涯は、さらに開くことになるであろう。

ところが、同じくスタートを切ることによって、

お互いに、相手を別のものとは思わず、同じ人間だと思って、

魂の修行をなし、共に切磋琢磨してゆくうちに、

お互いの魂の輝きが違ってくることを見、

なぜであるかを考える。

そこに大いなるチャンスがあるということなのだ。

また、考えてもみよ。

地上に生まれてくる前の魂たちが、

いかに生き生きとしているかということを。

いかに悦びに満ち満ちているかということを。

この魂たちは、まさしく歓喜のなかにある。

もう一度、まったく白紙の状態で、

地上に生まれ変わることができるというのだ。

この悦びは、いかばかりであろうか。

それは、天にも舞いあがらんばかりの気持ちであるのだ。

「よし、いままでの過去と決別し、

そして、もう一度、やり直そう」と思う心の、

どれほどに尊いことであろうか。

しかし、やがて、成長と共に、

それぞれの人間は、

その魂の性質の赴く方向に、その成長をとげる。

ある者は、責任感強く、自分の心を律し、

他の人々を導くことをもって悦びとし、

ある者は、他の人々を害してでも、

何一つ恥と思うことなく生きてゆくようになる。

ここに、魂の大きな分かれ道があると言ってよいであろう。

しかし、私は思うのだ。

本来の平等と自由というものが、

このようなものであるならば、

この事実を知るということによって、

逆に、己の人生を設計することができるのではないかと。

己の人生は、再設計することが可能なのではないかと。

そうであってこそ、

また新たなチャンスが生まれるのではないかと。

この地上に赤ん坊として生まれる時が、

最初のチャンスであるとするならば、

仏法真理に気づき、人生を再設計することが可能になった時が、

第二のチャンスであると言ってよいだろう。

これが、魂の跳躍の時なのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第四章「跳躍の時」より抜粋】

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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。

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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について

2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。

本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  

奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。

この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】

また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。

神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】

「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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100%エル・カンターレ信仰

天御祖神とともに―

伊勢から世界に伝える強い信仰

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| 人を愛し人を生かし人を許す

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TEL0596-31-1777

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FAX0596-31-1778

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文責:蒲原宏史 

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