33 妖怪は、目を離すと、自分流でサボっている。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
63 ある時、守銭奴が猿の姿に変えられていた。縄のついた、くり抜かれたヤシの身に米が入っていた。猿は、片手で米をつかんだまま放さなかった。漁師がやってきて、猿は逃げられずに撃ち殺された。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第1章 武士道の根本―武士道の源流―
3 武士道の源流に存在する「天御祖神」
〇同時に二人の夢に登場した天御祖神
それによると、「天御祖神がいる」ということですが、これに関しては、当会の大川紫央総裁補佐も、以前、夢に見たことがあります。
古代の夢なのですが、ものすごく大きな神社のようなものがあり、板の廊下が段々になっているような所の真ん中を大きな神さまが歩いて下りてくるので、人々は両側にいて、「ははあーっ」と平伏しているのです。「神の道」を歩いてくるのは、この、ただ一人の大きな神さまです。その神様が降りてくるのを見て、人々はみんなで平伏していたわけです。
明治神宮でもそうですし、伊勢神宮など、ほかのところでもそうですが、「鳥居の真ん中の道は神様が歩く道なので、人はここを歩いてはいけない」とよく言われていて、「人はそこを避けて歩くように」と言われています。
この真ん中の道を大きな神さまが歩いてくるのを、総裁補佐が霊視しているのです。
同じ頃に、幸福の科学のメディア分事業局の竹内久顕さんの奥さんの竹内由羽さんも、ものすごく巨大なお風呂を、一生懸命、掃除をしている夢を見たそうです。木の風呂を洗っているのですが、あまりにも大きいので、「どんな体の大きい人がこれに入るんだろう」といようなことを思ったらしいのです。
この二つの夢には共時性があり、片方は、大きい人が上から下りてくるのを見ているのですが、それがお風呂につながるのです。「『このお風呂には、どんな人が入るのだろう』と思うぐらいの大きな木風呂で、それを掃除していた竹内由羽さんが言っていた」というのを聞いて、「ああ、それは天御祖神だ」ということで、二つの夢がつながったのです。
【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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6「正思」のための三つのチェックポイント
➂「謙虚さ」を妨げるもの―嫉妬心と自己顕示欲
〇他の人の幸福に対する祝福の思いはあるか
謙虚さがなくなると、どうなるでしょうか。これは、自分が「お山の大将」でないと気に食わなくなってくるということです。
「お山の大将」の特徴はどこにあるでしょうか。まず、「他から学ぼうとしなくなる」という傾向が一つあります。また、「自分の立場を合理化、正当化していく」ということに走るようになります。そして、その結果どうなるかといえば、「進歩への意欲」を放棄するようになります。さらには、「他の者を押し落とし、蹴落としにかかる」というようになっていきます。
ここで、特に注意を促しておきたいことは、「他の者の幸福を祝福する心を失っては終わりである」ということです。私はそのように述べています。
真に謙虚であれば他の人の幸福を祝福することもできますが、自分が傲慢になればなるほど、他の人の幸福を素直に喜べなくなってくるのです。「幸福は自分だけのものであって、他の者には幸福の享受(きょうじゅ)を許したくない」という気持になってきます。
そうなるとどうなるかといえは、他の人の幸福を邪魔するようになるわけです。そのなかには、意識的に邪魔をする場合と、無意識的に邪魔をする場合の両者があります。
意識的に邪魔をする場合には、例えば、仕事をしていて同僚の足を引っ張ったり、仕事上でつまずきをつくらせたり、上司に告げ口をしたり、部下の心を違ったほうに向けさせたりと、いろいろな画策をするようなことがあります。
無意識的に邪魔をする場合には、”自分の信念”として説明することがよくあります。「自分はこういう生き方をしてきた」ということを、信念として他の人に押しつけるようになります。自分の過去の生き方のなかには、実は、幸福も不幸も両方あったはずなのですが、それを一つの”自分の信念”として提示し、他の人に押し付け始めます。これが無意識的な妨害です。
他の人の幸福を害する場合にはこの二種類があります。
〇エリートへの妨害をしたくなる、苦労人による「信念の押し付け」
例えば、創業者である社長自身が、叩き上げで非常に苦労した人だった場合、スイスイと
生きてきたような人間には我慢がならないということがあります。創業者が苦労に苦労を重ねて会社をつくっていくなかで、最初は零細であったところから、何千人、何万人単位という大会社になっていくと、世の中ではいわゆるエリートとされるような人も入社するようになるわけです。
そうすると、ここで無意識下の妨害として出てくるのが「信念の押しつけ」です。「人間は、叩き上げでなければ、真実は分からないのだ。仕事はできないのだ」ということで、毛並みのいい者たちを排除していくようになります。スイスイとくるような要領のいいものを許せなくなるのです。
それとは反対のことをしたのは松下幸之助のような方です。
「学歴もなく、体も弱く、苦労を重ねたけれども、自分はそういう人間であるから、自分の分かは、みな自分よりも立派な方だ」として扱いました。「私ができない分を補ってくれ。自分は立派な人たちを使って仕事をしているのだから、企業が伸びるのは当然だ」という考えで松下氏はやっていきました。
これは、叩き上げであっても、信念を押しつけず、その逆に出た例であり、注目すべき成功者の一面でしょう。
しかし、このようにはなかなかいかないのが普通です。零細企業から叩き上げてくるような人の場合、どうしてもいじめを始めてしまいがちです。苦労をせずにスイスイと来ているように見える人間に対しては、いじめをしてしまうのです。本人は意識していませんが、そういうところが無意識下に出るのです。
【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」124pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第五章 永遠の仏陀
〇栄光の瞬間
ああ、この太陽系ができたは、
わずか、ほんの、つい昨日のことのようにも思える。
太陽がうまれ、その周りを回る惑星が生まれた。
惑星のなかに住んでいる小さな存在である、おまえたちには、
その惑星たちの一つひとつを生みだした時の悦びが、
その星を創った時の悦びが、分かるまい。
その星を創り、その星に生命を降ろした時の、
その悦びの気持ちが、分かるまい。
しかし、私はあえて言う。
おまえたちの住む星は、悦びと共に生まれたのだ。
そして、その星に生きている、
動物、植物、鉱物、また人類も、
悦びの経綸(けいりん)を実現すべく、悦びのなかに生まれたのだ。
ああ、その聖なる、高貴なる悦びよ。
おまえたちは、その高貴なる瞬間を、その始まりを、
想像だにすることができないのか。
それが、そんなに難しいことであろうか。
小さな小さな心を捨て去り、
大きな大きな心と一つになることだ。
おまえたちが人間として生まれ、育ち、生きてきて、
規定しているところの、
人間という名の、思いの枠を取り払い、
宇宙を創りたる仏の心と一つになれ、
心の縛りを取り除き、
肉体の殻を脱ぎ去り、
仏の心と一つとなれ。
さすれば、おまえたちの心のなかにも、
栄光の瞬間がよみがえってくることだろう。
おまえたちにも、
この太陽系を創った時の悦びが、
伝わってゆくに違いない。
【大川隆法『永遠の仏陀』第五章「永遠の仏陀」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 空の思想
4 実在界の発見
仏教における人間観や死生観、転生輪廻観について述べきました。
次に、「釈迦は実在界を、どのように見ていたのか。いかなるものとして認識していたのか」ということについて語ってみましょう。
釈迦教団において、釈迦はどのような仕事をしていたのでしょうか。何千人もの教団になってからは、釈迦は主として一週間に一度、全体説法と言われる大きな説法をしていましたが、それ以外の日は、高弟たちを集めて打ち合わせをする程度に抑え、自分自身の瞑想時間をかなり確保していました。そして、野外での禅定中に魂が肉体を抜け出し、心を実在界に遊ばせることがよくあったのです。
実在界に対する釈迦の認識はかなり進んだものであって、九次元宇宙界の本質まで悟っており、「九次元世界は地球だけで完結するものではなく、地球以外の惑星にも広がっている。他の惑星にも素晴らしい霊人たちが数多くいて、修行をしている」という事実もつかんでいました。
また、「宇宙即我」という自己拡大の経験をしたときには、地球という惑星が非常に小さな点となり、みずからの内臓の細胞の一つになっていくのを実体験していたので、宇宙というものの感覚もつかんでいました。
しかし、それらを当時の弟子たちに説くのは非常に困難だったため、さまざまなたとえ話で語るにとどめていました。当時の人びとは、宇宙の構造を聞くまでには、魂の勉強が進んでいなかったのです。
現在、私は実在界の姿を解明していますが、そうした世界について、今から二千五百年前のインド社会という限界のなかではありますが、釈迦はすでに知っていたのです。
ただ、釈迦に足らざるところがあったとすれば、地上にいるときの世界観が、まだいくぶんインドを中心としたものだったために、幽体離脱をして実在界に行っても、会っている霊人たちが、主としてインドを霊域とした人たちだったということです。違った霊域の人びとと会うには非常に難しい面があったと言えます。
また、実在界には、いろいろなスタイルで生きている人が数多くいて、釈迦が彼らを非常に珍しい眼で見ていたことも事実ですが、「彼らの存在がいかなるところから来ているのか。彼らはどのような生活をしているのか」ということを、深く追求しないままに終わったところがあります。
しかし、釈迦が幽体離脱によって実在界を実体験したことは、生と死の意味、人生の目的、転生輪廻を説く際に、大きな力となったことは事実です。実在世界の発見によって、彼の思想はいっそうの高まりや深み、真実感を得たのです。
これはちょうど、私が初期のころに、さまざまな霊言・霊示集を世に問うたことに似ていると言えるでしょう。
そうした書物を数多く世に問うことによって、世の人びとは、実在の世界、高級霊の世界がほんとうにあるということを、リアリティー(現実感)を持って感じられるようになったと思います。また、のちに仏法真理の理論書を次々と世に問うにあたって、その裏づけにもなりました。
結局、宗教とは実在界を科学することであり、実在界についての裏づけがない場合には、単なる哲学になってしまうのです。「哲学と宗教の違いは、実在世界についてどこまで踏み込んでいるか、実在世界をどこまで現実に科学しているかという点にある」と言っても過言ではないでしょう。
【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちのの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(2/3-2)34『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―栄光の瞬間―実在界の発見
