44 「天狗」の第二の特徴は、その羽にある。「天使」との違いは、羽の折れ曲がり点で鋭い爪がある点にある。「悪魔」にも爪があるが、「天狗」が「天使」と「悪魔」の中間的性質を持っていることをよく示している。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
56 ある時、嘘の投資話でお金をもうけていた男が、白蟻の群れのような被害者の亡霊たちに、全身を食いつくされるところを見た。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第1章 武士道の根本―武士道の源流―
4 武士道とフォースの関係について
〇ドイツ人哲学者が『弓と禅』に記した「精神的な力」
こういう不思議な力は、今で言えば、ジェダイのフォースのようなものでしょうか。「スター・ウォーズ」の世界がハリウッドで展開されていますけれども、ジェダイの騎士のフォースは、実は日本の武士道的なものではないかと思います。
ですから、剣技だけではなく、やはり、「精神的な力」も加わっていると思います。そういうところはあるでしょう。
そのようなところまで行かないと、やはり、ほんとうの名人にはなれません。剣以外でも、そうした道の人はみなそうでしょう。空手でも瓦を十数枚も割ったり、氷の板を割ったり、岩石をこぶしで割ったりしまずか、「精神的な力」がなければ、あのようなことは不可能な感じはします。
オイゲン・ヘリゲルという、弓を日本で習ったドイツ人の『弓と禅』という著書を、昔から何度か読んだことがあります。
ヘリゲルは、的の中心に当てようと思い、的を見ながら弓を引ているのですが、先生は、「それは違う。的を見るな」と、どうしても言うのです。
それに対して、オイゲン・ヘリゲルは、「それはないでしょう。的を見ないで、どうやって当てるんですか。そんなことはできません」ということで、西洋的プラグマティズムから見て、「的を見ずに的に当てるなど、できるわけがない」というわけです。
すると、先生は、「そうか、では、今晩来なさい。見せてあげるから」と言って、ヘリゲルを夜、自分のところに呼びました。ヘリゲルがいつもどおり、弓を射る場所に行くと、遠くの壁に的があり、その前に、小さな線香が一本だけ立っていました。本当に線香が一本立っているだけで、周りは見えません。そうした状況のなかで、先生は、かなりの距離のある所から、一本目の矢を射ちました。矢はどこに当たったか分かりませんでしたが、刺さった音がしました。
先生は、さらに、二本目の矢をつがえて射ちました。そうすると、また、どこかに刺さりました。
では、「どうなったか見てみようか」ということで、あとで的を見ると、「一本目の矢は的の真ん中、中心に見事に刺さっており、二本目の矢は、その一本目の矢の羽をつらぬいて、その矢の中心部分に刺さっていた」というのです。これはもう、神業でしょう。
先生の「『目で見ないで射てと言っただろう。心の目で観るのだ』というのが、どうしても分からなかったけれども、本当なのだと分かってびっくりした」というようなことをヘリゲルは述べており、日本を紹介する一冊の本になっています。
【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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3プライドを捨て、素直に謝る【正語】
〇反省する姿を見ると、天使は喜び、悪魔は近寄れなくなる
天上界において最も崇高な姿の一つに、反省する姿があります。自分の過去を反省して涙を流している姿を見れば、天使たちも喜びますし、悪魔たちであっても、もうどうにもできません。反省して涙を流している人の姿を見たら、悪魔たちも近寄れないのです。そういう人に対して、そそのかすことはできません。「申し訳なかった」と言っているような人には、もはや何もできないのです。
自分にとって長年の苦しみだと思っていることというのは、実はプライドで引っかかっているだけのことがあります。「上司が自分をいじめ続ける」など思っていても、何のことはない、実際は自分のほうが言うことをきかずに、何だかんだと生意気に反抗したり仕事をしなかったりしているわけです。そのようなことが引っかかっているだけのことであって、態度を改めて「申し訳ございませんでした」と言えば、もうそれで済むようなことを、”永遠の地獄”として自分でつくりだしているのです。このようなことが実に多くあります。
地獄霊たちは特にそうです。「絶対に反省しない」と頑張っています。「絶対に認めない。おれは悪くない!」と言いきっています。こういう者に対しては、「ずっとそこにいなさい」という以外にありません。「申し訳ありませんでした」という反省が、彼らにはできないのです。
これを「自我」と言ってもよいでしょう。あるいは「自己保存欲」「エゴ」と言ってもよいでしょう。美しく言えば「プライド」です。自分のプライドであり、「自分がかわいい」と思う心なのです。
しかし、本当に自分がかわいいのであれば、自分を救うことをこそ考えなければなりません。自分を苦しみから救出しなければならないのです。
そのためには、間違ったと思ったら、素直に「ごめんなさい」という気持ちを出さなければならないのです。これだけのことで、どれほど幸福になるか分かりません。それだけのことで、自分が幸福になり、相手も幸福になるのです。周りの人も幸福になれるのです。
【大川隆法『真説・八正道』第4章「正語」146pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第一章 我、再誕す
○わが悟り
我が聞きたる悟りとは、どのようなものであったか。
人間とは何か。人間の使命とは何であるか。
そして、宇宙とは何ゆえに存在し、仏は何ゆえに存在するのか。
仏と人間との関係は、いかようになっているのか。
人間の使命とは、
人生の目的とは、
そして、人間の幸福とは何であるのか。
幸福の奥にある者は何であり、それは、
一生の目標たるに足るものであるのか。
そうしたことを、我は追求し、追求し、その解答を得た。
それが仏陀としての悟りであった。
その我が悟りを、あなたがたの多くは、
今日、さまざまな仏典にて学ぶこともあるであろう。
しかれども、文字にて書かれた文章には、
その形は残れども、匂いがない。
その姿は残れども、内容がない。
あなたがたは、わが悟りとは何であったかを知ることができるか。
あなたがたは、わが悟りが何であったかを
かつて学んだことを思い出すことができるか。
あなたがたは、我が学び来ったる悟りの内容を、
今も確かに思い出すことができるだろうか。
○心の王国
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私はかつて、あなたがたに、
このように教えたはずである。
たとえ、おまえたちは、どのように穢(けが)れた肉体に宿っていようとも、
どのような、汚れた衣を身にまとっていようとも、
たとえ、その体が骨と皮になるとも、
おまえたちの魂は、永遠の王国を築いているのだと。
そうして、この王国の主人たる魂は、
この魂を、魂の動きを、
魂の躍動を統御してこそ、
はじめて本物の王者となるのは、
あなたがた一人ひとりがその資格を有するのであって、
あなたがた以上にその資格を有するものはないのであるということを。
よくよく思い出しなさい。
心の支配者となれ、私は説いたはずである。
心の王国を統御せよと、我は教えたはずである。
心とは、
あなたがたが統御する力をつければつけるほど自由自在となり、
それは、天馬のごとく、空高く駆けることも、
地の上を駆けることも自由自在となる。
私はそのように説いてきたはずだ。
まず、あなたがたは、その教えを、その法の核心を、思い出しなさい。
自らの心を統御するのは、自ら自身であるということを。
そして、その心があなたがたに与えられているということは、
その心を統御しうるのは、統御しつくせるのは、
あなたがた自身であるということを。
そして、自らの努力によって、
精進によって、
統御しつくすことのできない心は、ないということを、
そういうことを、私はあなたがたに教えてきたはずである。
そうしてまた、私はあなたがたに教えたはずだ。
自らの心を鍛えた時に、
そこに偉大なる精神力というものが芽生えてくるのだと。
自らの心を鍛えることによって得たこの精神力こそ、
あなたがたの地上での魂修行の大いなる成果なのであると。
今世の修行は、
偉大なる精神力を得るための修行でもあるのだということを。
あなたがたの筋肉が鍛えられて力強い筋力を発揮するように、
あなたがたの心が鍛えられ、練られて、
はじめて、力強い精神力というものが発揮されるのだ。
そうして、いったん獲得されたこの精神力は、
もはや、隠すことができない。
もはや衰えることはない。
もはや、その価値を減ずることはない。
その力は、あなたがたの不朽の宝であるのだ。
そう、私は説いてきた。
人間の精神力は、鍛えれば鍛えるほどに力を増すものだとも、
私は説いてきた。
そうして、この精神力を鍛えるための方便として、
いくつかの修行があることも、私はあなたがたに説いてきたはずだ。
そう、私はあなたがたに、いくつかの修行目標を与えた。
そのなかの最大のものは、執着を断てという教えであったはずだ。
【大川隆法『仏陀再誕』第一章「我、再誕す」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 縁起の法
1 縁の思想
本章では、釈迦の教えのなかで特徴的なものの一つである「縁起の法」について、話を進めていきます。これも釈迦の思想を解く鍵の一つです。
「縁起」は「縁が起こる」と書きます。まず、「縁」とは何かについて説明しておきましょう。
「縁」は、仏教の思想として長く人口に膾炙(かいしゃ)してきた言葉であり、いまだに流行から遠ざかっていないと思います。人びとは折に触れて、「ご縁があった」「縁を大切にしたい」「それで振り合うも多生の縁」といった言葉を使います。こうした「縁」の思想が、仏教国である日本には長く伝わってきたのです。
縁とは、「この世に偶然るものはない」という考え方の表れであり、その奥には愛の思想があると言ってよいでしょう。すなわち、「人間は、目に見えないえにし(縁)の糸によって、深いきずなで結びつけられていたのだ」という考え方です。
非常に運命論的な響きがあるかもしれませんが、これは、他人と自分とをまったく切り離してしまうのではなく、そのあいだにつながる仏の糸、仏縁の糸というものを肯定しようとする考えであり、ある意味で正しいことなのです。
霊界には五百億以上の人口がありますが、そのうちの一部が、特定の時代の、特定の地域に生まれてきます。そして、その地方や国の文明、文化をつくり、そして、人間関係をつくってきたのです。その意味では、同時代の同地域に生きる人びとは非常に限定された魂集団であると言えますし、実際、過去世において何らかのえにし(縁)のあった人たちであることが多いのです。
また、この世で出会う人は数多いのに、なぜか気が合って友人になったり、夫婦となったり、師弟となったりすることがありますが、これは単なる偶然ではありません。過去の幾転生の過程で、親子や兄弟、友人などで会った魂が、繰り返し出てきているのです。
もちろん、今生において新たな縁ができることもあります。それもまた一つの仏縁と言うべきものであり、導きによってつくられる縁なのです。そして、その縁がさまざまなかたちで展開していくのです。
人生の成功、不成功も、実はこの縁に関係があります。人間関係はすべて「縁の連鎖」と言うべきものでできており、さまざまな人とのつながり合いのなかで、自疑用の成功、不成功も、組織での出世、不出世も決まってきます。
このように、縁は仏教における人間関係学であり、愛の思想の、別の面からの探求の姿でもあるのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第五章「縁起の法」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(2/10-2)41『仏陀再誕』を読む―我、再誕す―わが悟り―縁起の法―縁の思想
