(10/24-2)25『永遠の仏陀』を読む―跳躍の時―真の平等と自由―持戒波羅蜜多

『永遠の仏陀』を読む

24 妖怪は、時に、超能力や幻術を駆使する。しかし、自分のためであって、人助けのためではない。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

72 日本の神々は、戦争責任を取らなかった。高天原は、妖怪の巣窟と化し、国民と軍人は、何十年と、火炎と飢餓のなかを逃げまどった。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋
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1正思の基準は神の心【正思】
〇「正しき思い」の根源にあるエル・カンターレ意識

では、この「正しき思い」という神の側の規定は、いったいどこに求めていけばよいのでしょうか。そのことについて考えてみたいと思います。

さて、八正道については、通常、人間のほうから出発して述べていますが、ここで、逆のほうから考えてみたいと思います。

地球系霊団には救世主の住む九次元宇宙界があり、その下に、魂の境涯に応じて八次元、七次元、・・・といった階層に分かれています。

九次元には十体の大霊が存在し、その中心にはエル・カンターレ意識があります。地球系霊団ではエル・カンターレが最高の立場におり、エル・カンターレを中心にした意思決定がなされています。

したがって、私たちが今、この正しき心の探求、あるいは正思の部分を突き詰めていくときに、いちばん関係があるのは、やはりエル・カンターレ意識であるのです。

エル・カンターレは、「大毘盧遮那仏(だいびるしゃなぶつ・法身として仏陀)と「大救世主」の側面を併せ持った存在です。要するに、「仏」と「神」とを合一させた偉大なる霊存在がエル・カンターレなのです。

エル・カンターレの名を地上ではいまだかつて知られたことがありません。これが、いわゆる「地球神」なのです。地球神とは「エル・カンターレ」と呼んでいる存在のことをいうのです。イエス・キリストに「天なる父」と呼ばれ、イスラム教では「アラー」とも呼ばれ、日本神道的には、「天御祖神」と呼ばれ、中国では「天帝」といわれた存在なのです。地球系霊団全体へ霊光線を発している大きな光です。

そして、それがある意味で「大日信仰」と言われたりしていたわけですが、それが、実はエル・カンターレと呼ばれる存在なのです。これまでの歴史の中で明確に説かれてはいませんでしたが、そのような存在が実在するのです。

このことが、これまでに明らかにされることがなかったのは、地球系霊団の歴史のなかで、エル・カンターレの本体としての下生は過去二度だけだからです。だだ、エル・カンターレの魂の分身が何度も地上に下りて人類を指導してきたため、そうした存在があるということは、いろいろなかたちで過去、推定はされていました。【※エル・カンターレの本体意は、約三億三千万年前に「アルファ」、約一億五千万年前に「エローヒム」として、過去に二度、地上に降臨している。『信仰の法』等参照。】

そして、現代、三度目の下生をし、「エル・カンターレ」の名を明らかにしたわけです。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」92pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 跳躍の時 
〇真の平等と自由

人間とは、まことにまことに不思議なものであることよ。
成熟した魂であったものが、母の胎内に宿り、
数か月、暗闇のなかで、魂の修行に耐え、
赤ん坊として、地上に生まれ出る時に、
ああ、過去の記憶は、一切、消し去られ、
どのような魂であっても、
平等に、ゼロからのスタートを切るのだ。
それを不合理だという者もあるであろう。
「それぞれの魂は、進化の速度が違うのであるから、
まったく同じように、ゼロからのスタートを切るということは、
不合理である」という人間がいても、
おかしくはあるまい。

けれども、考えてほしいのだ。
おまえたちがよく耳にする、
平等、そして自由ということの意味を。
真の平等とは何であるか。
いかなる境涯にある魂であっても、
母の胎内に宿り、
そうして、赤ん坊として、いったん生まれたならば、
すべて過去の事実を忘れて、
ゼロからのスタートを切るという点においてのみ、
人間は平等を享受できるということなのだ。
そして、自由とは何であるか。
ゼロからのスタートを切った赤ん坊が、
その個性を発揮し、
その思いによって、行いによって、
みずからの人格を形成し、
仕事をなしてゆく時に、
いかなる評価を受けるような人間になるかは、
各人の責任に委ねられているということを意味するのだ。
これが、平等と自由の本当の意味であるのだ。

さすれば、おまえたちは、
この事実を尊び、
また、この事実を恐れなければならない。
過去、いかなる人生を生きてきたとしても、
今世のスタートにおいては、いったん、
同じスタートラインに並ぶことができるということ、
これは尊いことだ。
「仏は、このような機会を与えられた」と、
おまえたちは悦ぶがよい。

たとえば、ある人間が、如来の境地を持って、
如来の心でもって生まれ来たったとするならば、
その仕事に、さらに拍車がかかることになり、
ある者が、凡夫の悟りを得て生まれ、
そのままに生きてゆくとするならば、
如来と凡夫の魂の境涯は、さらに開くことになるであろう。
ところが、同じくスタートを切ることによって、
お互いに、相手を別のものとは思わず、同じ人間だと思って、
魂の修行をなし、共に切磋琢磨してゆくうちに、
お互いの魂の輝きが違ってくることを見、
なぜであるかを考える。
そこに大いなるチャンスがあるということなのだ。

また、考えてもみよ。
地上に生まれてくる前の魂たちが、
いかに生き生きとしているかということを。
いかに悦びに満ち満ちているかということを。
この魂たちは、まさしく歓喜のなかにある。
もう一度、まったく白紙の状態で、
地上に生まれ変わることができるというのだ。
この悦びは、いかばかりであろうか。
それは、天にも舞いあがらんばかりの気持ちであるのだ。
「よし、いままでの過去と決別し、
そして、もう一度、やり直そう」と思う心の、
どれほどに尊いことであろうか。

しかし、やがて、成長と共に、
それぞれの人間は、
その魂の性質の赴く方向に、その成長をとげる。
ある者は、責任感強く、自分の心を律し、
他の人々を導くことをもって悦びとし、
ある者は、他の人々を害してでも、
何一つ恥と思うことなく生きてゆくようになる。
ここに、魂の大きな分かれ道があると言ってよいであろう。

しかし、私は思うのだ。
本来の平等と自由というものが、
このようなものであるならば、
この事実を知るということによって、
逆に、己の人生を設計することができるのではないかと。
己の人生は、再設計することが可能なのではないかと。
そうであってこそ、
また新たなチャンスが生まれるのではないかと。
この地上に赤ん坊として生まれる時が、
最初のチャンスであるとするならば、
仏法真理に気づき、人生を再設計することが可能になった時が、
第二のチャンスであると言ってよいだろう。
これが、魂の跳躍の時なのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第四章「跳躍の時」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 六波羅蜜多の思想
5 持戒波羅蜜多

次なる修行方法、修行目的として、「持戒波羅蜜多」があります。これは「戒めを保つ完成」とも呼ばれています。

修業というものに関して人びとがよく感じるのは、「戒律を必ずともなうのではないか。なんらかのストイックな生き方を意味するのではないか」ということです。こうした考えは、仏教だけでなく他の教えにもあります。

戒律で有名な宗教としては、イスラム教やキリスト教があります。イスラム教は非常に厳しい戒律が与えられています。

こうした戒律は何のために与えられるのかと言えば、修行者には地上的な誘惑が多いので、それから身を守るために一定のガイドラインを設けておくということなのです。

「正しい思い」「正しい行い」と言われても、凡人の頭ではなかなか理解できません。そのため、「少なくとも、こうしたことを守りなさい」この掟は破られないように」といった防波堤として、戒律があったのです。

釈迦は戒律を非常に大切なものと考えましたが、その理由の一つは教育効果という面にあります。ある程度のルールが与えられなければ、修行者たちは毎日の修行において、みずからを律していくことが困難なのです。

持戒波羅蜜多では、主として五つの戒が与えられます。それは「不殺生」「不偸盗」「不邪婬」「不妄語」「不飲酒」の五つです。「殺すなかれ」「盗むなかれ」「姦淫するなかれ」「うそをつくなかれ」「酒におぼれるなかれ。誘惑に溺れるなかれ」と言い換えることもできます。

当時は人びとが殺し合うことが多かったので、まず、「不殺生」「殺すなかれ。殺生は罪である」ということを教えました。

次に、「不偸盗」「盗むなかれ」ということを教えました。盗みというのは、他人のものを略奪すること、あるいは与えられていないものをとることです。これは自分にとっては利益になることですが、その反面、他の人々を害し、その心を不安に陥れ、社会の規律を乱します。したがって、「盗むなかれ」という教えがどうしても必要だったのです。

次は「不邪婬」です。邪淫とは、結婚して祝福された相手以外の異性と交わることをいいます。邪淫がなぜいけないかと言えば、二つの観点があげられます。

一つは、家庭生活の維持という社会の規律を乱すことです。もう一つは、欲望に心がとらわれて修行ができなくなることです。こうした観点から、不邪婬という徳目を掲げたのです。

もちろん、国王やマハーラージャ(大王)が社会的に認められて多妃(たひ)を持つこと自体は、身分上必要とされて、邪淫の対象にはなっていません。

仏教は伝統的に、キリスト教の一夫一婦制をとっておらず、妻妾(さいしょう)というかたちで、歴代の王族を帰依させたこととも関連があります。

さらには「不妄語」です。不妄語には虚言、悪口をふくみます。一つは「うそをつくなかれ」ということです。また、他人の悪口や他人を中傷する言葉も、言ってはいけないとされていました。さらには、他人を陥れるような罠をかけることも禁じられていました。

釈迦教団で修行していた者たちのなかにも、他人の悪口を言うものが絶えませんでした。また、修行が進んだ人に対する嫉妬もありました。そうしたことへの反省もかねて、「悪しき言葉を発してはならない」という不妄語の規律を課したのです。

最後は「不飲酒」です。これは「酒を飲むなかれ」ということですが、酒を飲むこと自体が悪いかどうかは、また別の観点からの判断があります。実在界の高級霊たちも気分的に酒を飲むことがあるので、それ自体が悪いとは言えません。

また、インドの地酒には悪酔いするような悪質のものしかなかったことも、事実として指摘できます。さりには、酒飲みは怠け者というのが当時の通念でした。

ただ、飲酒は少なくとも精神統一を著しく妨げますし、向上心を失わせる面も、あります。そこで集団の規律のために、飲酒を禁止するという措置がとられたのです。すなわち、「己に克て」「誘惑や欲望に負けるな」という趣旨をともなった戒律だったと言えます。

以上が釈迦時代の代表的な戒律ですが、現代では法律に規定されているものも多く、現代的にはもっと違った戒めも必要でしょう。

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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