(10/20-2)21『永遠の仏陀』を読む―仏の本願―魂の処方箋―六波羅蜜多の思想

『永遠の仏陀』を読む

20 妖怪は、他人(ひと)の恩を感じることが少ない。しかし、他人の手柄を横取りすることは大好きである。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

78 地獄は人々の暗い想念の曇りのため、霊太陽の光が射さない。薄墨色の空の浅い地獄から、漆黒の闇、コールタールを流したような暗闇の世界が、最深部を造っている。罪の重さによって、何層にも分かれている。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
9 環境に対する視点【正見】
〇生かされている世界が見えるか

そのほかに、「正しく見る」ということにおいては、他人と自分の見方だけでなく、「周りの世界をどう見るか」ということも非常に大事です。

「生かされている世界が見えるか、見えないか」ということです。これは、「環境を見る」という言葉に言い換えてもよいかもしれません。幸・不幸の原因のほとんどは、「自分を取り巻く環境をいかに見たか」にかかっていることが多いのです。これは、私たちの理論を学んでいる人であれば、十分お分かりのはずです。「幸・不幸の原因は、環境をいかに見るかにかかっている。ここに相当大きな比重がある」ということを学んでいるはずです。

というのも、百パーセント完全な理想的環境というものはないからです。人の置かれている環境はうらやましく思えるかもしれませんが、その環境に自分が置かれたときに、それが百パーセントのものであるかと言えば、そうではないのです。やはり環境において百パーセントということはないのです。

例えば、贅沢をしたい人であれば、王宮に住むことは一つの夢かもしれません。しかし、仏法真理を学ぶ人にとっては、王宮に住むことは、別な意味での苦しさになってくることもあります。環境という客観的なものがあって、それさえ満たされればすべて幸福に転ずるかといえば、そうではないのです。

【大川隆法『真説・八正道』第2章「正見」82p】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第三章 不滅の力 
〇魂の処方箋
さすれば、どうすればよいのか。
その第一が、
仏法真理を弘めるということなのだ。
そして、次に、
仏法倫理を学びつくしてもらうということなのだ。
仏法真理とは、要するに、魂の健康法であるのだ。
魂が病気になっている多くの者たちに、
「この処方箋のとおりに生きたならば、
その魂の病は治る」ということを教えているのだ。
だからこそ、これは尊いのだ。

「なぜ」と、おまえたちは問うかもしれない。
「仏の創られた国に生きる人間たちであるならば、
なぜ、それほどまでに魂が病むのであろうか」と言うであろう。
しかし、私は言っておく。
幾百転生、幾千転生の過程で、
人間は、さまざまに、この地上に生まれてきたが、
その一つひとつ、どれをとっても、
まったく同じ、魂の環境というものはない。
魂修行の環境は、いつの時代も違っている。
違った魂環境のなかで、
どう生きればよいかということは、
新たな修行であり、
新たな修行であるからこそ、
ここに過ちが生じてくるのだ。
この過ちを生じさせないために、
まったく同じ環境に魂を生まれ変わらせるとするならば、
過ちは生じない半面、
一切の進歩はなくなり、
人類は停滞のなかに置かれるであろう。

仏は、停滞を捨て、進歩を選んだ。
進歩があるがゆえに、
新たな環境のなかでの魂修行が始まった。
それゆえに、その環境に適合しない人々が、
次々と失敗もしはじめたということになる。
だから、そうした者たちに、
「初心を忘れるな」
「本来の心を忘れるな」と言って、
その処方箋を出しているのだ。
この処方箋を患者に伝えることこそ、
おまえたちの使命であるのだ。

よいか、
この使命において、充分ということは決してない。
この使命において、やり過ぎたということも決してない。
この使命は、
どこまで、その内容を深め、
どこまで、その外縁(がいえん)を広げてゆくか、
これに終わりはないと言ってもよいであろう。

【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第三章 六波羅蜜多の思想
1内在する叡智

釈迦の思想のなかで最も特徴のあるものは何かと言えば、「内在する叡智があふれ出してくる」という考え方だと思います。

それゆえに、原始釈迦仏教は、現代のさまざまな宗教のような、祈りや祈願の対象を持つ信仰ではなかったと言えます。すなわち、自力が出発点だったということです。(もちろん、仏教が歴史を下るにつれて大乗化していく過程で、実在界の仏陀への信仰が始まり、他力化していくことにも、仏陀の意志が働いていましたが)。

その自力の根拠として、「内在する叡智(パンニャー・パーラミター)というものが湧き上がってくる、浮かび上がってくるという考え方がありました。釈迦自身の考え方によれば、この「内在する叡智」こそが、大宇宙の意志や仏神そのものに通じるものであるということでした。

したがって、他力思想というものは、厳密な自力修行という考え方からすれば、存在の根拠がゆるやかなものとなるのです。

つまり、釈迦の生前の思想は、一人ひとりの人間が仏となるための思想、仏へと進化していくための教えだったため、「みずからの外にある仏神を信仰する」という他力思想は、仏教の出発点においてはなかったと言えるのです。その点が、他の宗教と大きく違っているところだと思います。

もちろん、釈迦はさまざまな高級霊の霊示を受けていたので、高級霊たちの力を十分に知っていましたし、根本仏の存在も知悉(ちしつ)していました。(※知悉・知りつくすこと。細かい点まで知っていること)しかし、自分の修行過程に照らして、弟子を導く際にも、「自己の本質を掘り下げていって、内在する叡智を発見する」という方法をとったのです。

「内在する叡智を、いかにして掘り出し、涌出させるか」ということが仏教の根本であるということを、まず知っていただきたいと思います。

したがって、仏教とキリスト教とは、その出発点において、かなり違った面があると言えます。

キリスト教における「人間罪の子」の思想は、必ずしもイエス自身の考えではないかもしれませんが、内在する叡智を涌出させるという仏教の考え方は、キリスト教と比較すると、数段先を行っていると言えるのです。なぜなら、キリスト教においては、みずからが神になっていくという方法論は構築されていないからです。

キリスト教では、「父と子と精霊」というように、「父なる神、子なるキリスト、そして精霊たちが、厳然として存在している」という事実が述べられるにとどまり、他の多くの人びとは、救われるべき衆生、子羊の群れとしてしか存在を許されていないように受け取られかねない点があります。そうした物悲しい風景として、人びとの姿があるように見えます。

しかし、仏教においては、その根本に、仏性思想を中心とする、もっと力強い人間像があります。釈迦は人間の本質を、うつろいやすい肉体とは別の、よきもの、可能性に富むものと見ていたのです。仏教は「業」(かるま)の思想というネガティブな面だけでなく、「人間の心の奥には無限の叡智がある」という考え方も持っており、それが「六波羅蜜多」という考え方に通じていくのです。

釈迦の考えは「六波羅蜜多の六つの徳目を実践することによって、内在する叡智が涌出してくる。仏のエネルギーそのものが噴水のごとく溢れ出てくる」という大乗仏教の思想として結実し、「人間は、根本において非常に価値のあるもの、本質において、仏と変わらないものである」という積極的な人間観へと展開していきました。

その意味で、仏教には、その出発点から大乗運動への過程を通じて、「みずからの手で、自らを救っていく」、あるいは「人間はすでに救われているのだ」という肯定的な考え方があると言えるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史 

タイトルとURLをコピーしました