(10/18-2)19『永遠の仏陀』を読む―伝道の本質―正念

『永遠の仏陀』を読む

18 妖怪のまわりには、お化け「提灯持ち」と、妖怪「ゴマスリ」が、多発する。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

80 地獄界の責め苦でも反省しなかった者は、一段ずつ下の地獄に堕ちる。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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7 多様なる認識の上に【正見】
〇霊的に成長するほど、多様な見方ができるようになる

このように、見方の可能性はいろいろとあり、これを探求していくときに、私たちの魂はほとんど進化していきます。飛躍していくのです。「いろいろな見方ができる」ということ自体、「私たちの霊格、人格が進んできている」ということなのです。一面的にだけしか見えないのは、まだ霊的成長としては不十分です。霊的成長が高まれば高まるほど、いろいろな角度から物事が見ええるようになってくるのです。

おそらく、神仏の目から見ても、そうであろうと思います。いろいろな角度からすべてを見て、それなりの評価をしているのでしょう。「これに近づいていく」ということは、「多面的な見方ができるようになる」「違った見方ができるようになる」ということです。仏法真理を探求する過程において、多様な見方ができるようになるのです。

〇多様な見方をした上で、神仏に近い判断を出す必要がある
「多様な見方ができるようになる」ということは、明らかに霊的な進歩です。しかし、多様な見方ができるようになり、多様な結論が導き出され、多様さを多様さとしてそのまま放置しておくならば、それはアーナーキー(無政府状態)、無秩序の状態にすぎません。それは、混沌に帰っていくことになるのであり、いったん進化しかけた霊的な芽生えが、また逆戻りしていくことになります。

いったん多様な見方をした上で、是が非とも、神仏の心に近い判断をしなければなりません。「こういう見方もできる。ああいう見方もできる」と、さまざま考えた上で、「では、現在ただいまの自分の仏性の許すかぎり、霊性の許すかぎり、全身全霊の判断として見て、どう結論づけるか」ということを出さなければならないのです。これを回避してはならないのです。

多様な見方ができるようになるために努力した結果、「相手もよいところがある。自分もよいところがある。お互いによいところがあるので、いろいろな姿に見えるが、まあ、それはしょうがない」というようなことでは、済まされないのです。これでは、また無秩序の世界が始まります。理解することは大事ですが、理解したあとに意味づけが必要なのです。そして、この意味づけに関して、自己の責任が出てくるということなのです。

【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」72p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 不滅の力 
〇伝道の本質
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
おまえたちは、己の使命の重大さに気づけ。
おまえたちは、伝道ということを
何か特殊なことのように思っているようだ。
何か、現代の世においては、
摩訶不思議なことであり、
非常に難しいことであるかのような、
錯覚に陥っているようだ。
しかし、私は、おまえたちに言っておこう。
伝道の本質を知ったならば、
これを否定できる人はいないということを、

ダイヤモンドの塊を、
その懐のなかに入れられて、
怒る人がいるだろうか。
真珠のネックレスを首にかけられて、
「これは、あなたのものですよ」と言われて、
怒り出す婦人がいるだろうか。
サファイアの指輪を指し出されて、
「これを、どうぞ指にはめてください」と言われて、
怒る人がいるだろうか。
いるはずもない。
また、大人だけが相手ではない。
子供たちに、
「さあ、これで勉強するのですよ」と言って、
教科書をあげ、参考書をあげた時に、
怒り出す子供たちがいるだろうか。
「これはこれは大切なものをいただいた」と思って、
一生懸命に読むに違いない。
このようなものなのだ。
その教えに真実の値打ちがあるがゆえに、
それを他の人々に分けてあげるということは、
それ自体が、偉大な功徳を伴っているのだ。

教えを布施されても、
法の布施を受けても、
「そのような布施は要らない」と言って拒否する人は、
ちょうど、三度の食事を拒否して、
みすみす死んでゆく人に似ている。
いや、真実のことを語るとするならば、
三度の食事を拒否し、その肉体生命を失うとも、
人間の永遠の生命(せいめい)は滅びることはない。
しかしながら、仏法真理を学ばなかったならば、
その魂は、永遠に死に就くこともありうるのだ。
すなわち、魂が仏法真理を知らずに生きるということは、
本来の仏の子としての存在を否定することであるからだ。

見よ。
この地上のあちこちの町に、村に、
墓場というものがあるであろう。
そこに立っているのは、苔むした石の柱だ。
この苔むした石のなかに、
そこが、わが住みかだと思って、
いまだ、しがみついている者がいるとすれば、
おまえたちは限りなく悲しいと思うであろう。
それが、もし、おまえたちの先祖の姿であり、
いや、後の世の、おまえたちの姿であるとするならば、
これは、耐えがたい悲しみであろう。
生と死の意味を知らぬということは、このようなことなのだ。
生とは何か、
死とは何か、
魂の永遠性とは何か、
また、仏の子とは何か、
このようなことを知らずして生きるならば、
やがてその魂は死を迎えるのだ。
たとえ、生命(いのち)はあっても、
その生命を生かすすべなくば、
また、生命を生かすということの意味を知らないならば、
その意味は、死に至るも同然である。

さすれば、おまえたちが法を布施せんとすることは、
飢えたる人に、
食事を提供すること以上のものであるのだ。
また、衣服を持たぬ人々に、
衣服を提供すること以上のものなのだ。
宿を持たぬ者に、
一夜の宿を提供すること以上のものであるのだ。
それが、
法を布施するということなのだ。
教えを説くということなのだ。
仏法真理を広めるということなのだ。
これは、その行為自体が絶対の善であるのだ。

おまえたちのまわりに、
飢えて死んでゆく人々が、
数かぎりないとするならば、
おまえたちは、
なけなしの食事を差し出してでも、
彼らの生命(いのち)を一日でもつなごうとするであろう。
また、喉が渇いて死んでゆく人々が、
数かぎりなくいるならば、
おまえたちの力がたとえ有限であろうとも、
つるべを落として、そして井戸から水をくみ上げ、
おけの水を持って走るであろう。
たとえ、その力尽きるとも、
彼らに末期(まつご)の水を供養して、
そして死んでもらおうと思うだろう。
それが、人間として当然の行為であるのだ。
しかるに、
魂が死のうとしている人たちが
この地上にあふれているのに、
それを見て見ぬふりをするとは、
何事であるか。
そのような心は、仏の心にかなうものではない。

おまえたちは、
相手と闘っているような気持ちでいるかもしれない。
しかし、ほんとうは、そうではない。
自分自身と闘っているのだ。
自分自身の見栄と闘っているのだ。
自分自身の恥ずかしさと闘っているのだ。
自分自身の羞恥心と闘っているのだ。
己の怠け心と闘っているのだ。
己の見栄や、世間体と闘っているのだ。
つまらぬプライドと闘っているのだ。
このような、自分の弱さを象徴するものと、
徹底的に闘うことだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
9 正念

八正道の七番目の基準は「正しく念ずる」ということです。

仏教のなかにあえて「祈り」を入れるとするならば、この「正念」と次の「正定」にかかわると言えるでしょう。「祈りというものは、仏教では正念と正定という二つの要素に分解されている」といってもよいと思います。

祈りとは、目的性を持った精神波動を発することであり、そのためには心の調和が必要です。つまり、「定に入って念ずる」という行為が祈りにあたるのです。

このように考えると、反省と祈りとをまったく分けてしまうことはできません。祈りは反省の一構造として、反省のなかにふくめることができるのです。また、それを論理的に難しいと考えた場合でも、祈りを反省の発展形態としてとらえることが可能です。

いずれにしても、「八正道には祈りにあたる部分がある」ということに気づいていただきたいと思います。

それでは、「正しく念(おも)う」とは何でしょうか。みずからの想念のコントロールの仕方として、正思を、一日のうちに去来する思いの総量、集大成と考えるならば、正念は、未来の人生計画、将来の自分についてのビジョンといったことになります。

すなわち、正念は、「正しい目標設定ができているか」ということでもあるでしょうし、「正しき自己像として、何を描いているか」ということでもあるでしょう。ある意味において、これは「あなたの人生計画、自己実現計画は、どのへんにあるのか。あなたがいつも心に念じていることは何なのか」ということを問うているのです。

平凡に生きている人ならば、家庭の平安や健康を祈るという正念もありうるでしょう。しかし、より高次な生き方をしている人にとっては、人生はまさしく目標や計画の連続であり、「いかなる目標や計画を立て、いかにしてそれに念いを集中していくか」ということが非常に大切になるのです。

つまり、反省の徳目として、目的性を持った念いのコントロールをあげたものが正念なのです。

その念いが、たとえば、「あの人に害を与えてやりたい」「あの会社をうまくいかないようにしてやりたい」「彼の出世を妨げてやりたい」といったものであれば、それは間違った念いとして記録されることになります。そうではなく、「できるだけすべてのものがよくなっていく方向で念うことが大事なのです。

「念」「念い」というものは、精神統一をすればするほど強くなるので、そのコントロールがますます重要になります。しかし、念について考えたこともない人、心の力の神秘を知らない人にとっては、正念ははるかに遠いところにあるものでしかないでしょう。

その意味では、正念は高度に発展した反省方法であると言えるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第二章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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