17 妖怪は、自分の仕事や生活態度を変えさせようとする人を軽んじ、一刺しし、事実をねじ曲げようとする。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
81 最大級の悪人は、閻魔の法廷で裁かれるまでもなく、真っ逆様に無間地獄に堕ちる。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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6 愛に先立つ智慧【正見】
〇うぬぼれて、増上慢になっている人をどう見るか
人を見る場合には、見方はいろいろとあります。
ここで、ある人が非常にうぬぼれていくとしましょう。みなさんはのなかにも、そういう可能性のある人は多いでしょう。例えば、ある程度、役割を与えられるとします。幸福の科学で言えば、上級セミナーの試験に合格したり、支部長あるいは支部長の役職者に選ばれたりするとします。その時点では、確かに優秀な人として目をかけられたかもしれません。しかし、それはやがて変化していきます。一年後の姿は一年蠅の姿と同じではありません。それ人は、向上しているか、堕落しているか、あるいは現成位置であるかという三つのうちの一つです。
そうした人の姿をみているときに、例えば、その人が増上慢になっていき、転落間際だと見えるとしましょう。そういう時、やはり見方はいろいろあるのです。
一つには、「確かにこのままでは悪になってしまう。間違いなってしまうので、厳しく糾弾しなければならない」という見方があります。
しかし、別の見方もあります。単に「間違ってきているから糾弾しなければならない」という考え以外に、「自分の与えた愛というものを、もう一度振り返ってみなければならない」という点があるのです。
その人が、そうなってきた理由は、甘やかしにあったのではないのか。
愛のなかには優しさがあるが、優しさが甘やかしになっていて、
こういう危険なところまで本人を追い込んでしまったのではないか。
今、考えなければならないことは、
「そうなったから、その人が悪い」ということではない。
そう考えるよりも、「自らの愛の実践において、
愛に先立つ智慧が足りなかったのではないのか」
ということを考えなければならない。
こういえ見方もあるわけです。
〇愛の与え方について、それに先立つ智慧があったかを反省する
その人に愛を与えるに際して、
こういう傾向性のある人で危険性があるならば、
事前によくそのことを見抜いて、
このように接していくべきではなかったのか。
あるいは、順序を追って、その人の成長を図っていくべきではなかったのか。
丸ごとすべてを与えることをもって愛と勘違いしていたのではないか。
「惜しみなく愛を与える」と言うが、
その人にとってまだ時期が来ていないときに、愛を与えた結果、
その人の増上慢の芽をつくったのではないのか。
そうであるならば、
その人が、「ゆくゆくは、
そのような立場に立って当然の素質を持つ人である」と思えたとしても、
その性格をよく見抜いて
本人の自覚が高まるにつれて、少しずつ立場を上げていくなり、
扱いを上げていくなりすることもありえたのではないか。
このように、「愛の与え方において、それに先立つ智慧があったかどうか」という自己反省の仕方もあります。単に「おかしくなってきたから糾弾する」という見方ではなく、こういう見方があるのです。
【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」69p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 不滅の力
〇僧団の仕事
我がこの地に降り、仏陀の悟りを得て、
法を説きはじめてから刊行されたる、
仏法真理の書籍の群れを見よ。
これは宝の山であるのだ。
このように、宝の山が積まれているというのに、
それに気づかぬ人の多きことよ。
目はあって、なきがごとし。
耳はあって、なきがごとし。
手はあって、なきがごとし。
ああ、愚かなる人々よ。
仏法真理の宝の山が、
いま、この時代に、天より降り注いで、
どこででも手に入れることができるというのに、
それを知らないでいるとは。
地に生きたる、幾億、幾十億の人々が、
一行の仏法真理も知ることなくして、
この地上を去るということは、
耐え難い悲しみである。
仏陀として、
この世に生命(せいめい)をうけ、教えを説いておりながら、
その一行の仏法真理をも、
同時代に生くる人々に、
分け与えることができなかったとするならば、
これは海よりも深い悲しみである。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
これこそが僧団の仕事であるのだ。
おまえたちは、すでに学んでいるはずだ。
仏法真理を学ぶには、三宝帰依の姿勢が大事であると。
三宝とは、仏(ぶつ)・法(ほう)・僧(そう)である。
仏(ぶつ)とは、仏(ほとけ)、現成(げんじょう)せる仏陀を指す。
法とは、これ、仏陀の説く教えをいう。
そして、僧とは、
この仏法真理を弘めんとする、
地上につくられたる、弟子たちの集団をいうのだ。
これほどの宝が、天より振り注ぎ、
そして、山と積まれているにもかかわらず、
同時代に生きる人々に、
その一行の仏法真理も気づかせることなくして、
この地上を去らせることになるとするならば、
そこに、僧たちの使命はないと言わざるをえない。
【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
8 正精進
次は、「正しく道に精進する」ということについて考えてみましょう。この場合の「道」とは、仏道の道、仏法真理の道です。
人間はなにげなく日々を送りがちですが、人生というものは実は目的地がはっきりしているのです。その目的地とは、死という関門を通り抜けてたどり着く天上界です。
この天上界に還ることが、大いなる仏が立てた魂の進化計画にかかわっており、ここから「正精進」の意味が明らかになります。すなわち、正精進を考えるためには、この世、三次元世界が存在することの目的を考えざるをえないのです。
三次元世界とは、結局、魂の学習の場、魂修行の場なのです。また、教育の場であると同時に、大いなる光の芸術の場、すなわち、仏の栄光、仏の繁栄を持ちきたらすべき場でもあります。これが大切な考え方であって、正精進を考えていく鍵はここにあるのです。
正精進についての観点を、私は次の二つに要約したいと思います。
一つは、この三次元の人生を魂の学習の場としてとらえ、「はたして自分は、魂の学習というテーマに沿った生き方をしているか。そうした努力を積み重ねているか」と考えることです。
正命が、一日をサイクルとした短期決戦的な考え方だとするならば、正精進は、年単位のような中期計画ということになるでしょう。正精進は「一年、三年、五年、十年といった年数のなかで、どのように自分をつくっていこうとしているのか。そのために、どのような準備をしているのか」ということにかかわるのです。
このように、自分の生き方を魂学習の観点から考えて見ることが第一点です。
第二の検討点は、霊性の進化、霊格の向上を確かめるということです。正精進の目的は、結局、霊性の進化、霊格の向上にあるのです。それゆえ、霊格が向上しないような生き方であっては、正精進をしているとは言えません。
霊格が向上していくとは、悟りのレベルが上がっていくことを意味します。それでは、悟りのレベルが上がるとは、どういうことでしょうか。その答えとして、次の三つの観点があげられると思います。
第一点は、自分自身の真実の姿がよく見えるということです。すなわち、公平無私なる第三者の眼でもって、あるいは仏の眼でもって、自分自身の真実の姿がよく見えるようになったかどうかが、悟りつつあることのチェックポイントの一つなのです。
第二点は、他人の姿を、単に自己とは別個のものと見るのではなく、「大調和のなかにある他人」という見地から眺められるということです。すなわち、同胞、仲間という眼、「共にユートピア建設のための光の戦士」という眼で見られるということです。
第三点は、人生と世界の存在の意味を深く理解しうるということです。則ち、自らが生かされている環境の意味を道破(※どうは・はっきりと言いきること)できるということです。
この三つを確認できたとき、その人の霊格は高まっているということができます。正精進の目的も、ここにあるのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第二章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。
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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史
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