16 妖怪は、自分の失敗を指摘されると、記憶が遠くへ飛んで、自分へのほめ言葉は、過大に、岩に刻む。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
82 無間地獄では、他の人の姿も見えず、声も聞けない。いわゆる「危険犯」として井戸の底に隔離されるのだ。残虐な政治家、間違った思想を流布した者は、生前、悪魔信仰の指導者をしていた者たちである。
83 しかし、何千年、何万年と地獄の最深部で反省もしなかった者は悪魔となって、神仏への反逆を試み、魔王たちを部下に集めている者もいる。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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5正しく人を見るための判断基準【正見】
⑤神仏と心を通わせる気持ちで、自他の思いを見る
四段階目で「仏法真理の基準において正しく見る」ということを挙げましたが、これはまた違ったかたちで見ることも可能です。四段階目の「仏法真理の基準に照らして、あるいは仏法真理の知識に照らして見る」ということもなかなか困難な部分はあるので、そのときには、もう一つ違った方法があります。
それは何であるかというと、「心を空しゅうして、神仏と心を通わせる気持ちで、神仏の心に通じる気持ちで、静かに自分の思いと相手の思いを見てみるということです。空しく、まったく利害というものを放下(ほうげ)し、そして、執着と言うものを去って、自分のあり方、他人のあり方などについて見てみるのです。「自分の見た相手の像が間違っていないか。あるいは、相手の『自分はこうだろう』と思っている自己像のほうが本当に間違っているのか。また、こうした像のズレを知ったときに、いったいどのように埋めていけばよいのか」ということを、心を空しくして見なければならないのです。
こうしたときに、例えば、自分の受ける相手の印象が悪かったとしても、「実はとんでもない考え違いであった」と気づくこともあります。「相手の立場のほうがやはり正しかった。そのように見られたら、相手は『不当だ』と思うだろうけれども、そう思う方が正しい」ということもあるのです。
【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」65p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 不滅の力
〇人生最大の悦び
我の記憶のなかには、
幾代、幾十代、幾百代、昔に、
さまざまな国において法を説いた、
その思いが遺っている。
それぞれの地で、
たとえ、おまえたちの姿形は変わるとも、
おまえたちは、いつもわが弟子として、
わが身辺を固め、
そして、我に従いてきたものであった。
そのような、ある時代の、ある時に、
わが法を学ぶために、
生命(いのち)を捨てることも惜しいと思わなかった者は数知れない。
その身、虎に食わるるとも、
求道の心はやまずと言った人は多かった。
その教えを知るためには、自分の生皮をはいででも、
そこにでも教えを書きとめたいと願った求道者もいた。
そのように、過去の求道者は、すべて、
己の生命をかけて精進してきたのだ。
精進とは、そのようなものなのだ。
生命(いのち)をかけて行うものなのだ。
生命をかけるとは、いかなることか。
それは、
自分の求めているものの値打ちを
知るということなのだ。
その真なる値打ちを
知るということなのだ。
これが、人生最大の悦びとなる。
地上において、この仏法真理のみならず、
さまざまなる学問があるであろう。
それぞれの学問を学んでいる途中でも、
さまざまな悦びはあるであろう。
しかし、仏法真理を学びたる悦びは、
これは何物にもかえがたいものなのだ。
魂は打ち震え、手は踊り、足は宙に舞うであろう。
それだけの悦びを持たねばならぬ。
大宇宙の秘密を教えられ、
人間の秘密を教えられるということの素晴らしさよ。
また、この地上を離れた世界があるということを確信した時の、
あの悦びよ。
それは、王侯貴族の位ともかえがたいものだ。
この事実は、何度繰り返しても、充分すぎるということない。
まさしく、そのとおりなのだ。
頭上に飾る一つの純金の王冠よりも、
一巻の仏法真理の書を選ぶことが、
どれほど素晴らしいことであるかが分かるだろうか。
それは、人間として生まれて味わいうる、
最大の悦びであるのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
7 正命
次に、「正しく命を全うする」「正しく生活する」という観点から反省を考えてみましょう。
だれにとっても、一日は二十四時間、一年は三百六十五日で成り立っています。また、誰もがやがては地上を去ることになっています。大多数の人は百歳まで生きることさえできません。
人間は一日の枠のなかで何時間かを睡眠にとられ、さらに何時間かは食事など生活に必要な時間にとられます。そして残された時間が、仕事の時間だったり、自分のための時間だったりするのです。
だれに対しても一日が同じ枠として与えられているという事実は、恐るべきことです。生まれつきの才能などに関係なく、誰に対しても同じく二十四時間が与えられており、その二十四時間をどう使うかによって、その人の人生が決まっていくというのは、このうえなく、公平なことだと私には思えます。
この二十四時間を使って、ある人は一国の宰相となり、ある人は大学者となり、ある人は思想家となりますが、ある人は単なる無為徒食の輩となることがあります。この差は、時間という観点から見たときには、結局、「時間の中身をどのように充実させていったか」ということに起因するのです。
したがって、正命を現代的に翻訳し直すならば、「どのように一日を生きているか。どのように二十四時間を使っているか」という考え方になります。また、「二十四時間の積み重ねである毎月毎年を、どう生きているか」ということにもなります。
ここで私は大事な事実を指摘しなければなりません。それは、「時間を貴重なものだと考えるならば、一日の枠を一生として考え直し、そのなかで時間をいかに使うべきかに、思いを巡らせなければならない」ということです。
たいていの人は、「きのうがあったように、きょうがあり、きょうがあるように、あすもあるだろう」と楽観していますが、あすの生命があるという保証はないのです。もし、きょう一日で、きょうの夜中の十二時で、みずからの人生が閉じてしまうならば、さお、どうしますか。あなたはどう生きますか。「しまった」と思うことのほうが多いのではないでしょうか。
結局、正命とは、「きょうで生命が終わると考えたならば、おそらく自分はこのように生きただろう」という観点なのです。こうした観点から見たとき、反省すべき点が出てくるはずです。あちらにもこちらにも、さまざまな可能性があったのに、その可能性を捨てて生きていた自分を思い知らせさるのです。
要はこの一点です。「一日を一生と思い、その一日で死んでしまうと思ったとき、はたして悔いのない一日であったか」という観点から、一日の出来事や自分の言動を判断していくことです。これを続けることによって初めて、「正しく生活をしている」と言うことができるようになるのです。
なお、伝統的仏教的解釈としては、違法な手段(犯罪的行為)で生計を立てることや、明確に仏法真理に反することを職業とすること(邪教、唯物論の思想家など)も、正命に反するとされます。
【大川隆法『釈迦の本心』第2章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。
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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史
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