(10/15-2)16『永遠の仏陀』を読む―不滅の力―努力・精進―正業

『永遠の仏陀』を読む

15 妖怪の現代的特徴を指摘すると、「ゴマカシ」にある。うわべを取りつくろうのが、ことのほか上手である。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

84 悪魔や魔王は、地上で大きな力や影響力を持った者が、波長同通する時、その者の心を乗っ取り、この世の地獄を増大させる。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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5正しく人を見るための判断基準
④仏法真理の立場から見る

こうして三つの見方で見た映像を通過した上で、四番目にしなければならないことは、「仏法真理の基準から見たときに、自分が見た相手の像の解析、印象と、相手の立場を想定したときの相手の像と印象と、どちらが正しさに近いか」を考えることです。この両者を仏法真理の立場において考えてみる必要があるわけです。

この「仏法真理の立場において考える」という作業に、みなさんが日ごろ勉強している仏法真理の知識が役に立ちます。仏法真理学習の蓄積が役に立つのです。

例えば、「こうしたタイプの人に対して、高級諸霊はどのように考えていただろうか。また、自分がこういう人から受けた印象、自分が思ったことに対して、どのように理解せよと言っておられるだろうか」と考えてみる必要があります。

『大川隆法霊言大全集 第23巻 イエス・キリストの霊言②』の第一章「愛の復活」を読んだことがあるならば、その観点から見て、「相手のあり方を自分はどう捉えているか。その考え方に何らの反省点がありはしないだろうか」と考えてみることです。

また、『釈迦の本心』という本を学んだことを基準に考えた場合、『自分の自己印象と、『それを相手はどう感じるか』と考えたたこと、これを仏法真理の目で見たらどうなるか』ということなど、点検すべき材料はいろいろあります。

こうしたことを一つひとつ追跡していき、「自分の印象はどこまで当たっているか。『相手はこう思うだろう』ということに関し、相手のほうにズレがあるとしたら、どの程度までズレがあるのか。あるいは相手のほうがどこまで合っているのか」ということを点検してみるのです。

そして、点検の結果、お互いにまったく違うように見えているものについては、それをどこかで一致させる必要があります。この作業の部分が本当の反省です。

【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」62p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 不滅の力 
〇努力・精進

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私は、あまりにも多くのことを、
おまえたちに期待しているのかもしれぬ。
おまえたちは、その期待の重さに、
胸つぶれる思いがしているかもしれぬ。
また、無限の努力・精進を重ねてゆかねばならぬことに、
さて、いったい、どこまでこの意志を貫くことができるかと、
いぶかっているかもしれぬ。
されど、私はおまえたちに言おう。
おまえたちの本来の力は、
かくのごとき弱きものではないということを。
おまえたちは、偉大な偉大な力を持っているのだ。
そのことを忘れてはならない。
たとえ、今世がきりの話をしてみても、
今世、学んだことは、おまえたちの力になるであろうし、
今世、さまざまなスポーツで鍛えた筋肉だとて、
無駄にはなるまい。
そのように、今世かぎり獲得したものでさえ、
おまえたちの力になるというのであるならば、
ましてや、幾転生、幾十転生、幾百転生、
わが下で、共に過ごしてきたならば、
その力が、世人の及ぶところであろうはずもない。
おまえたちは、それだけ永いあいだ、
仏の弟子として、修行を重ねてきたのだ。
不退転の決意の下に、
必ず、きょうよりもあす、
あすよりもあさってということを合い言葉として、
うまずたゆまず、努力を重ねてきたのだ。
そのおまえたちが、
少々のことで心をぐらつかせ、
少々のことで退転してしまうとは、
私には、とうてい思えないのだ。
師と弟子とは、心のなかで、
深い深いきずなによって結ばれている。
このきずなを断ち切ることは、難しいものであるのだ。

我は過去、幾千、幾万の教えを、おまえたちに説いてきた。
その教えの尊きことも当然であるが、
その教えを生み出してゆく、その過程において、
我が努力を積み重ねていたことをもって、
おまえたちに、
「参考にせよ」と、
言い続けてきたはずである。
すなわち、
「わが後ろ姿を見よ」
「わが背に従いてこよ」と、
言い続けてきたはずである。
師である私が、
まったく別格の存在として、
一切の修行を排し、そして尊いのであるならば、
おまえたちは、自分の非力を感じて、
精進をあきらめてしまうかもしれぬ。
しかし、師である私も、
あらゆる転生の機会において、
努力・精進を積み重ねてきたのだ。
師であり続けるためには、
弟子以上の努力・精進を積み重ねることは、
当然であると思う。
その私の後ろ姿を見て、おまえたちも、
「あのように努力をすれば、やがては自分も、
そのような境地に到達できるのではないか」と考えたはずだ。
そのとおり、
我は、何度も何度も、おまえたちに言った。
人間には、すべて等しく仏性の力が宿っている。
仏性とは、仏と同じ性質が宿っているということなのだ。
仏と同じ性質が宿っておりながら、
仏と同じ境地に達していないということは、
過去の修行が、まだ充分ではなかったのであり、
今世の修行も、まだ十分ではなかったということなのだ。
さすれば、過去を語っても、いまさら始まるまい。
今日(こんにち)ただいまより、精進を積み重ねる以外にないではないか。
その精進の姿をこそ、まず我に示せ。
その精進の姿をこそ、わが前に示せ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
6 正業

本節では、「正しい行為」のうち、犯罪的行為を禁じた、仏教的な「殺すなかれ」「盗むなかれ」「姦淫(かんいん)するなかれ」は当然のことなので、現代的解釈として、正しい仕事のあり方を語ってみましょう。

ビジネス社会が非常に拡大し、その周辺も拡大している現代においては、正しい仕事のあり方を考えるのはとても大切なことです。

その際に検討すべき点の一つとして、「利益社会をどう考えるか」ということがあります。現代はどこも利益社会です。民間企業だけではなく、役所であっても、歳入と歳出とが釣り合わなければ、やっていけないようになまっています。役所は税という収入を得て行政サービスを提供していると言えます。つまり、利益に換算できるかたちでの仕事が、現代における仕事なのです。

こうした社会のなかで、人間はどのように生きていけばよいのでしょうか。また、いかなる仕事をし、いかなる発想をしていけばよいのでしょうか。

伝統的な仏教の考え方からいけば、ビジネス社会においては、瞑想的生活もできなければ、八正道の実践も難しいということになるでしょう。ただ、こうした三次元社会も、単に否定しさるべきものとして一蹴することはできません。忙しい社会であるために、瞑想的生活には適さないとしても、そうした社会の存在が、ある意味では、魂を磨き、魂の進化を促している面があるからです。

それゆえ、「正しい仕事」という意味での「正業」において最も大切な観点は、次の二点に集約されると思います。

第一点は、自分の仕事の目的が、みずからの良心、純粋なる心に反するものでないことです。それぞれの人間には、自分の生涯の仕事について、ある程度、生まれてくる前に立てた計画があります。その計画を立てる際には、「自分はこうした生き方をしていきたい」という選択があったわけです。

それと現在の仕事が一致しているかどうか、確認が必要なのです。もし全くの不一致であるならば、生活のため、金銭のためという理由だけで、その仕事を長く続けることは、精神にとって苦痛です。自らの適正にできるだけ合った仕事をしていくことが大事なのです。

これは結局、組織社会においては、適材適所という考え方にもなるでしょう。仕事上の役割というものは、単にすべてが平等であれば良いというものではありません。もちろん、可能性において平等であることは必要ですが、実際の仕事の役割においても平等である必要はなのであり、適材適所という考え方が必要なのです。それが、その人を生かし、その組織をも生かす方法となるからです。

したがって、「正しい仕事」においては、第一に、自分の本当の実力が生かせるような仕事であること、また、それが自分の本来の目的に反しないことが大切なのです。

第二点は、その仕事の遂行において、他の人びととの調和を保つことができ、幸せの輪が広がっていくことです。これが何にもまして大事だと思います。

もちろん、仕事においては、企業と企業のあいだで利害が背反することもあるでしょう。しかしながら、そうした場合であっても、結局、企業間の競争が社会全体のためになるならば、それは是とされるのです。

複数メーカーが新製品を開発し合い、低価格の商品を発売しようとがんばることは、広い眼で見て、社会全体の発展に寄与しています。その意味では、企業同士がしのぎを削ることは必ずしも悪ではありません。ある商品の販売を一社だけが一手に引き受けると、大勢の福利厚生の妨げになることもあるため、よい方向においてしのぎを削ることは、仏法真理的に見ても是認されるのです。

しかし、単に人間関係のあつれきを起こすだけであったり、有害な目的を持った事業であったりしてはなません。できるだけ多くの人の幸せを増進するような仕事であって、しかも人間関係の調和を目指すような仕事の仕方でなくてはならないのです。

現代においては、これが正業に関する大切な観点だと思います。

【大川隆法『釈迦の本心』第二章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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