12 妖怪は、相手の恐怖心を見て悦び、優越感にひたる。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
88 うぬぼれは天狗の心であり、修行者としては転落への道である。知識や情報は、悟りとは違う。だから、「疑い」のジャーナリズムが「仏国土ユートピア」を創ることはない。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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5正しく人を見るための判断基準
では、「他人を見る」「自分を見る」ということの正しさは、いったい、どこに力点を置いて捉えなければいけないのでしょうか。どういうところに注意してみなければならないのでしょうか。
①映像を客観的に捉える
他の人を見る際の判断基準を述べると、第一段階においては、「目に映った他人の姿」を情報として客観的に捉えることが大事です。
第一段階においては、主観で交え、それを判定しようとしてはなりません。まず客観的に見ることです。どういう人となりであるか。どういう行為であるか。どういう表現の仕方であるか。どんな表情であるか。これをまず客観的に捉える必要があります。
このときには、できるだけ「無私」であることが大事です。私心を入れないで、まず観察をする。これが観察の第一段階です。
【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」59p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 真実の人となれ
〇無償のなかの悦び
いま、りんごの実のたとえを示した。
そう、その言葉を、もう一度、
深く、心のなかで味わってもらいたいのだ。
人生は、このリンゴの木が、
他の人々に食べられるために、
味のよいりんごをつくっていることに似ているかもしれない。
りんごをつくった農家の人は、
その対価としての金銭を受け取るかもしれない。
けれども、その実そのものをならせた、肝心のリンゴの木は、
何一つ、金銭を受け取るわけではない。
何一つ、褒美をもらうわけではない。
「よく、こんなに実らせたね」という、
感謝の言葉を受けることもない。
しかし、彼らは、彼らの人生を歩み続けているのだ。
りんごの木として、生命(いのち)のあるかぎり、
毎年、毎年、見事なりんごの実をたわわに実らせてこそ、
悦びがあるということを知っているのだ。
彼らは、他の者からほめられないからといって、
その翌年に実を実らせないということはない。
彼らは、たとえ虫に喰われようとも、
風に吹かれようとも、
嵐に打たれようとも、
自分の力の範囲で、最高度のものをつくろうと、
日々、努力しているではないか。
そうであるならば、おまえたちにも言っておきたい。
「一生懸命に生きているのに、他の人がほめてくれない」と言うな。
りんごの木であっても、称讃など求めていないであろう。
ましてや、おまえたちは、人間として、
りんごの木以上の存在ではないか。
そうであるならば、
他の人の称讃を求めるな。
他の人から褒美をもらうことを求めるな。
たとえ認められなくとも、その使命を果たしてゆくのだ。
りんごが、その時期を過(あやま)たずに、その実をつけるように、
毎年、毎年、人間としての、その使命を果たすために、
一年、一年に、その実りを収穫してゆかねばならないのだ。
あのような木であっても、
一年に一度は、たわわな実りをつけるのだ。
ましてや、優れた存在である人間であるならば、
毎年、毎年、たわわな実りをもたらさねばならない。
そして、それがたとえ、他の人によって、もぎ取られ、
一円の価値を生むこともなく、食べられるとしても、
その人たちの悦びを、わが悦びとしなさい。
他の人々が自分の実を食べて悦んでいる姿を見て、
それを自分の悦びとしなさい。
無償のなかに、真の悦びを感じなさい。
一年のうちに、どれだけ多く、
他の人々を喜ばせるだけの果実を、実らせることができたか。
それが、
あなたがたが優秀な木であるかどうかを示しているのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第二章「真実の人となれ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
3正見
それでは、八正道の最初の項目である「正しく見る」「正しい見解」ということについて、深く考えてみましょう。これは、先入観を排除し、白紙の状態にものごとを置いて、智慧の眼で見るということでもあります。
人間の営みは、結局、「見る」という行為を中心にして起きているように思います。もし目が見えなければ、罪を犯す機会がそれだけ少ないとも言えましょう。欲望というものは、たいていは目によって生じます。異性など他人の姿を見たり、金銀財宝や豪華な食事を見たりすることによって、しだいに欲望がつのってくるのです。
したがって、大切なのは、目を通じて入ってくる情報を、いかにさばいていくか、ふるいに分けていくかということです。人間の感情が波立つ原因の多くは、目を通して得られる情報にあるのです。
そこで、一日が終わるときには、呼吸を整え、心を調律し、自らの内に深く深く入っていく必要があります。そしいて、「みずからが仏と一体になった」「大いなる光のパイプからエネルギーが流れ込んでくる」と感じられるようになった段階で、その日一日を生きてきた自分をまったくの他人だと考え、その他人が見てきたことを、第三者の眼で批判的に検討してみるのです。
この「見る」ということは、結局、「見たことをどう認識するか」ということにかかわってきます。
ある人がある行為をしたとき、それに対する見方は人それぞれです。たとえば、会社のなかで、若手の社員が「こういう方針でやっていきませんか」と新しい提案をしたとします。しかし、この行為に対する認識は、人によって分かれることになります。
その人の上司が、その提案を肯定的にとらえようとすれば、「彼はたいへんやる気があり、進取の気性に富んでいる。非常に将来性がある」と見ることもできるでしょう。
しかし、否定的に見れば、「彼はまだ入社してまもないのに、大言壮語(たいげんそうご)し、自分の分を知らずにいる。日々の事務仕事がきちんとできてこその、大きなプランであり、理想である。彼はまだまだ謙虚にならねばならん。うぬぼれがすぎる。彼にもっと自覚を促す必要がある」と感じる人もいるでしょう。
ここが見方のわかれるところなのです。
この二つの見方のうち、どちらがより真実に近い見方なのかを考えてみる必要があります。そして、前者の見方が正しいならば、自分はなぜ後者の見方をしたのか、この若手社員に対してなぜ不愉快な見方をしたのか、その根本原因をたぐっていく必要があるのです。
その結果、自分が若手社員のとき、いろいろな人に批判された反動だったり、自分自身は積極的な提言ができないタイプであることへの自己嫌悪だったりすることに気づくことがあります。そうした原因を見いだしたならば、それを取り除いていく必要があるのです。
正見には、ここまでの作業プロセスが入っていると考えるべきです。
もちろん、仏教的には、「苦」「集」「滅」「道」の四諦のプロセスで観察するとか、縁起の理法を通して、ものごとを「原因」「結果」の連鎖でとらえるといった専門的な解説も可能です。
【大川隆法『釈迦の本心』第2章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。
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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史
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