(10/1-2)2『永遠の仏陀』を読む―目覚めよ―信ずることの大切さ―師を求む

『永遠の仏陀』を読む

1 くれぐれも、自分が世界の中心にいると思うな。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

99 エル・カンターレの法を広めることが、地獄を解消し、この世に仏国土ユートピアを建設することなのだ。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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1反省とは何か
〇「自分とは何か」を日々問い続けることの大切さ

転生輪廻ということが、もし単なる思想やたとえ話ではなく、真実の話であるとするならば、みなさんの今世における地上界での生活は、いったいいかにあるべきなのでしょうか。また、
なければならないのでしょうか。

それは、「はるかなる無限遠点から現在ただいまを見る」ということです。

この「はるかなる無限遠点」という視点は二つあります。

一つは「過去からみた視点」です。みなさんが、「当初、はじめて人間として生きはじめたころよりの、現在に向かっての視点」です。みなさんが、「当初、初めて人間として生きはじめたころよりの、現在に向かっての視点」です。いま一つは、やがて誰しも、このから数十年すれば地上を去っていくわけですが、「そのように地上を去り、数百年、数千年たった後の立場から現在を観た時の視点」です。

この「過去」と「未来」の二つの無限遠点から、「現在の自分自身のあり方」というものを見つめなければならないのです。
「実は、反省の根本はここにある」ということを知らねばなません。・・・

反省というのは、「みなさんが、神仏から永遠の生命をあたえられた」という事実そのものに付随するものなのです。みなさんが、そうした永遠の生命を生きているということ自体が、「はるかなる過去の彼方から現在を見る視点と」「はるかなる未来にあって現在を振り返る視点」とい両者の視点を与えるからです。
そうしてみると反省とは、結局、何を意味しているのかというと、「あなたはいったい何者であるのか。目覚めてこれを知れ」ということなのです。「自分とは何者であるのか」という問いを、常々忘れてはならないと言っているわけです。

【大川隆法『真説・八正道』第一章「序章」p29】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と共にありましょう。
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第一章 目覚めよ
〇信ずることの大切さ
まず、私があなたがたに語っておきたいことは、
信ずるということの大切さだ。

あなたがたは、さまざまな価値観に、
心乱れ、心揺れることもあるであろう。
しかし、信ずるということが、
あなたがたがこの世ならざる存在であるということを、
雄弁に物語っているのだ。
いかなる人の心にも、
信ずる気持ちがある。
信じたいという気持は、
この世の存在を信じたいということではない。
この世をはるかに超えたる世界を、
その世界のなかにあるところの叡智を、
信じたいということなのだ。

現代人の多くは、傲慢にも、
自分たちの知力によって理解できぬものは
何もないと言わんばかりに、
驕(おご)り、高ぶっているかに見える。
しかし、そのような現代人たちであっても、
深く己の心の内を眺め入るならば、
そこに、理解を超えたものへの熱いまなざしを感じるであろう。
いくらその目を伏せたとて、
仏法真理に寄せる熱い眼(まなこ)は、閉ざすことができまい。

たとえ、この地上で、
どのような博学の人であると言われようとも、
夜空を見上げてみよ。
そこにちりばめられたる星々の神秘を、説明することができるか。
なぜ、地球が丸く、自転しているかを、説明することができるか。
なぜ、太陽が必ず東から昇り、西に沈むかを、説明できるか。
その奥にあるものは、
この世界において魂修行をしてゆく者たちへの、
おおいなる愛であるのだ。
大いなる愛が顕現して
魂修行をしている人間たちが、たとえ気づくことがなくとも、
彼らに、生きてゆくための環境を与えているのだ。
あなたがたは、この大いなる愛を感じとらねばならない。
地上にある人間たちの理解が及ぼうが、及ぶまいが、
そんなことにかかわりなく、
人々を生かし続けている、
大自然の不思議よ。
大宇宙の神秘よ。
ああ、そこに、
一辺の感動を見いだすことができる者であるならば、
信ずるということは、ことのほか、たやすいことであるのだ。
信ずるとは、まず、
みずからが生かされていることを知った時に、
魂の奥深くから溢れ出してやまない気持ちであるのだ。
その真実に気づいた時に、
あなたがたの、仏法真理を求めるそのまなざしは、
さらにさらに、奥にあるものへと向けられてゆくであろう。

【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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2 師を求む

二十九歳でカピラヴァストゥを出て出家したゴータマは、とりあえず師を求めて、あちらこちらをさまよいました。どのような師を求めて、どのような修行をしたかは、現在に伝わる多くの仏伝に記されています。

師を求める旅、死を求めてなした修行は、ゴータマの精神形成上、必ずしも無駄にはなりませんでした。少なくともゴーダマはそのとき、「修行者とは何か、また、修行者は何を求めて修行しているのか」ということを、つぶさに見たのです。そして得た結論は次の二つでした。

当時のインドにおける修行の特徴は、一つには”スーパーマン信仰”であり、この世的な人間とは別の人間になろうとする傾向が強かったということです。なんらかの意味で、この世の苦しみから逃れ、スーパーマンになろうとする人が多かったと言えます。

もう一つは、今風に言うならば、”幸福の原理”が説かれていたということです。「どうすれば人間は真の幸福を得ることができるのか」ということを中心に、数多くの師がそれぞれの法を説いていたのです。

ある人は「肉体を徹底的に痛めつけることが悟りへのよすがであり、近道である。肉体的なるものから心を遠ざければ遠ざけるほど、悟りに近いのだ」と説いていました。そのため、火のなかをくぐったり、水中で作善をしたりする者がいました。なかには、逆立ちをしたり、刃物で体を傷つけたり、針を全身に突き刺したりする者もいました。

また、他の者は「思いを止める」ということに専念していました。彼らは「すべての悩みの根源は、心に去来する思いにある。この思いを止めることさえできれば、悩みはなくなり、心は安らぎ、至福を得ることができるのだ」と考えていました。これは「無念無想」という考え方のはしりだと言えます。

また、何をもって「悟り」とするかを明らかにせず、弁術論のようなものを職業としている人もいました。彼らは「相手の批判をどうかわすか」ということを中心に勉強しており、「議論に勝つことが、すなわち悟りである」と考えていたのです。

こうした経験を積むにつれ、ゴーダマのなかで、「何かが違う」という感覚がしだいに強くなっていきました。何が違うのかというと、「結局、教えの中身がないではないか。いったい何をもって悟りとするのか。人生の目的とは何か。人間の霊性の本質とは何か。それをずばり答えてくれる人は、いくら探してもいないではないか」ということでした。

それゆえに、ゴータマは師を求めることを捨てたのです。出家してから、師を求めることを捨てるまでに、一年とはかかりませんでした。こうして、みずからの心を師とし、みずからのなかに仏を発見する道を模索するようになっていったのです。法理の発見こそ、修行の目的となったのです。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史 

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