(1/7-2)7『永遠の仏陀』を読む―目覚めよ―仏陀との誓いを成就せよ―心の調和

『永遠の仏陀』を読む

6 妖怪は、られるよりは、粉飾決算を選ぶ。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

94 主なる神を愛し、主なる神に尽くし、主なる神を護るために、生命を捨てた者は、地獄の業火で焼くことも、地獄の刀剣で斬ることも、あらゆる災害で滅ぼすこともできない。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、『天御祖神の経済学』の教えを確認します。
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■『天御祖神の経済学』
2 富の源泉と考えられているもの
〇富を生む「有用性」や「真・善・美」について
天御祖神

現代においては、経済学も独自に走っているところがあります。お金そのものを扱うこと自体も、一つの事業あるいは産業として発展しているところもありますし、先ほど言った”頭のいい人たち”も、それにかかわっていることも多いとは言えましょう。

受験勉強で、この世においてより効率の良い、より能率のよい、手際のよい仕事のしかたを学んだ者は、より早くより多額のお金を稼ぐ方法を導いてくれる職業というものを選んでいくようになります。そういうふうな方もいらっしゃいます。

あるいは、プロ野球の選手などになりましても、まあ、子供時代はバッティングセンターで練習している方は数多くいて、だんだん、そのなかからプロになれる人も選ばれてはいくと思いますが、はたして、大リーガーなどが評価されるように、ホームラン一本が一億円にも値するような額にもなるかどうか、打率の、本当に何割あるいは何分が幾らに換算されるかという世界を経験する方は、数多くはないでしょう。

このへんになりますと、ある意味での「希少性」というのが価値を生んでいるということにもなりましょう。「多くの人が同じことはできない」「珍しい」ということにおける価値でもありましょうか。

「富の源泉」として考えられていくものには幾つかありますけれども、オーソドックスには、富については、「一定の生活態度やその活動が、有用性を生む、世の中の役に立つ、自分の役にも立つ」、そういう「有用性」が一定の「富」として還元されるのが一般的なかたちです。

ただ、これは、全国的に数多くいる方々の経済レベルではありましょう。それより高いレベルになりますと、有用性を超えて、もっと他の評価をも含むようになってくると思います。

富のなかにも「真・善・美」を含むものもあります。

その考え方なり、思想なり、教えることなりが「真理」を含んでいるがゆえに、それが富を生むという場合もあります。学問などがお金に変わってくる場合は、たいていそういうことであろうし、研究の多くもそういう所はあるかと思います。

こうした「真」が富につながっている場合があります。

それから「善」、善悪の「善」を推し進め、護るために、富が生まれてくるということもあります。

人を殴ったり、拘束したり、逮捕したりすれば、一般的にはよろしくない行動ではありますけれども、例えば、交番の巡査がひったくり犯を捕らえてそれを逮捕するという行為、あるいは、刃物を振り回して強盗しようとしている者を暴力を加えて逮捕する行為、これ等も一般市民たちの生活の安寧を守る行為でありますので、これは「善を生んでいる」ということで、その「善」の対価として、彼らにも一定の社会的地位と収入が生まれることになります。

【大川隆法 『減量の経済学』第2章「天御祖神の経済学」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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3反省の出発点とは
〇まず「神仏の創られた世界のなかに生きている自分」を知る

「人間が神仏によって創られ、永遠の目的の下に生きている」という事実は、議論を許さない事実なのです。議論を許さない事実であるからこそ、これは「信じる」以外に手はないのです。信ずるということは、「一躍(いちやく)受け入れる」ということ、「握ってしまう」ということであって、それ以外には許されないわけです。

まず、これを始めることによって一つの契約が生じます。これが西洋的に言えば「神との契約」です。ここから本当に、「学ぶ」ということが始まってくるのです。

私は、幸福の科学において、仏法真理の「探求・学習・伝道」という三段階の方法論を説いていますが、これは決して「自然科学者のような探求」「顕微鏡で細菌を見ているような探求」を言っているのではありません。あるいは、「自分の都合のよいことは信じて、そうでないものは信じない」というようなことを教えているのではないのです。

根本において、まず、確固とした、「神仏の創られた世界のなかに生きているという土台」を認識するところから始まるのであって、そのあと、その神仏の世界のなかにおける、さまざまな仏法真理の探求や学習があるのだということです。「この根本を満たしていない者は、まず、仏法真理探究の世界に入ることは許されない。学ぶことが許されない。学ぶことが許される前提条件は神仏を信じることである」ということを知らなければなりません。

〇「仏法真理の道」に入る人に求められる心構えとは
私は、安っぽい意味において、信仰心を言うつもりはまったくありませんが、今、説いたような意味における信仰心がない人には、「幸福の科学の仏法真理を学んでいる。修行している」などと言っていただきたくないのです。単なる活字の情報として得て、それに目を通しているだけで済むと思ったら大間違いです。「仏法真理の探究」と自認するならば、「そうした確固たる土台の下にそれをなすのである」と、覚悟を決めていただきたいのです。

真実、今、探求者として立とうとしている人は、非常に厳しい立場にあるということを知らなければなりません。それは妥協を許されない立場です。今、私たちは、真に「神仏の姿」を知ろうとしているからです。また、神仏の子である自分自身の本当の姿を知ろうとしているからです。これは、まさしく生死の断崖絶壁の所に立たされているのと同じなのです。

決して”禅宗的なこと”を言うつもりはありませんが、「今、そうした気持ちでなければ、本当の意味で仏法真理を知ることはできない。悟りの道に入ることはできない」ということを言っておきたいのです。

安易な気持ちで、「仏法真理の道」に入ってはなりません。安易な気持ちでこの道に入ろうとする人は、いち早く引き返してください。「本当に仏法真理を学ぶ」という意味において仏弟子になる気がある人は、それだけの覚悟をしていただきたいのです。

そして、「真に神仏を信じる」ということをスタート点として、学習に入っていただきたいと思います。この段階がクリアできない人は、まだ「情報」として仏法真理を学ぶ程度で要でしょう。あるいは、出ている本に目を通すだけでよいでしょう。そうした別な在り方もあると思います。

【大川隆法『真説・八正道』第一章「序章」37p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第一章 目覚めよ
〇仏陀との誓いを成就せよ
あなたがたは知らねばならない。
仏陀の念いを。
仏陀の願いを。
それは、
この地上に生きている衆生一切を救うということであるのだ。
人々を一人残らず救うことであるのだ。
今世のみならず、来世の人々をも、
また、おくれて地上に生まれてくる人々をも、
救わんとすることが、
仏陀の願いであるのだ。

さすれば、仏弟子たちよ。
あなたがたの使命は、おのずと明らかであろう。
この道を共に歩む以外にないではないか。
その道を歩んでゆくために、
あなたがたには、
あなたがたの糧として、教えが説かれるのだ。
その教えは、あなたがたの魂の糧なのだ。
その教えを食べているかぎり、
あなたがたが道に倒れることはないのだ。
その教えを、魂の肥やしとし、糧として生きてゆくかぎり、
無限の力がわいてくるのだ。
無限の情熱がわいてくるのだ。
仏より流れ出すところの、一切の教えを、学ぼうと誓え。
仏より流れ出すところの、一切の真理を、学びつくそうとせよ。
そうであってこそ、
あなたがたは無限の力を得ることができるのだ。
遠き道を歩んでゆかんとするならば、
この力を身につけよ。
魂の糧を、一つ残らず、食べ尽くすのだ。
そして、永き道のりを、共に歩いてゆくのだ。

あなたがたは、
一切の衆生を済度(さいど)せんとして、
地上に降りたのである。
一切の不幸を地上からなくすために、
この地に、この時代に、生れ落ちたのである。
さすれば、仏陀との誓いを成就せよ。
仏と仏の弟子とが誓いしことは、
必ず成就されるのだ。

目覚めよ、目覚めよ。
強くあれ、強くあれ。
信じよ、信じよ。
道は開ける。
その道を、うまずたゆまず歩いてゆくのだ。
私は、あなたがたと共にある。
私があなたがたを背負って歩いているということを、
忘れてはならない。
【第一章「目覚めよ」完 合掌】

【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第一章 菩提樹下の悟り
7 心の調和

こうして、ゴータマは「布施」を受ける決意をしました。そして、毎日、一定の時間、托鉢(たくはつ)に出ることに決めました。居住場所はウルヴェーラの森(といっても、木が涼しい影をつくっているぐらいの林ですが)だったのですが、一日のうち、早朝と夕方の二回、托鉢に出て、人びとの家を回り、心からの布施を遠慮なく受けることにしたのです。

布施を受けることに決めたとたん、ゴータマは心に一つの調和が生じるのを感じました。

それまでは、何ごとも「自分が、自分が」と思い、自分ひとりで解決しようとして、「食べ物の調達であろうが、何であろうが、すべて自分でやるのだ。他人の世話は受けない」と考えていました。

しかし、そうした心は強く締めた琵琶の弦のようなものだと考え、「中ほどでよいのだ。生活能力のない自分であるならば、力まず、見えを張らず、『食欲がない』などと自分をごまかしたりせず、修行者として人びとの布施を乞おう」と決めたのです。

当時のインドでは、「出家者たちに施しをすることは、天の蔵に宝を積むことだ」と言われていたので、信仰深いインドの人びとにとって、布施をすることは一つの習慣であり、功徳を積むための在家修行でもありました。そうした事情もあって、ゴータマは快く布施を受ける決意をし、残りの時間を使って、一生懸命、「悟りを得る」ということに打ち込むことにしたのです。

「自分が、自分が」という気張り、緊張した思いが去ったことによって、自分の顔に一つの余裕が生まれてきたことを、ゴータマは感じました。顔に笑みが戻って来たのです。そして、肋骨が透けて見えるような身体(からだ)にも肉が戻り、次第に力がみなぎってきました。

そして、「いままでの自分が、いかに弱気で消極的であり、否定的な思いに囚(とら)われていたか」ということを知り、また、「生きていくことに余裕が出てくると、いろいろな人のことがよく見えるものだな」ということを感じたのです。

結局、このとき、ゴーダマは次のように思ったのです。

「多くの人びとの生き方を見て、彼らに対して参考になる意見が述べられるような自分となりたい。また、自分自身に対しても的確な判断が下せるようになりたい。

そして、この世界や人生の意味を知り、多くの修行者たちが求めている悟りというものが名何であるかを実感してみたい。悟りたる者としての仏陀とは何か。仏陀の境涯とはいったい何か。それを体得してみたい」

やがてゴータマは旅に出ます。「古い生活と決別し、新たな道を開いていけ」という声が、心のなかから聞こえてきたような気がしたからです。

「布施に頼って生きていく以上、どこにいても困ることはない。いままでは、食するための木の実や草の根があるところで生活していたが、これからは布施を受けて生きていく以上、そうしたことを気にしなくてよいだろう。思うがままに世界を見、思うがままに人の心に触れ、悟りを深めていこう」

こう考えて旅に出たのです。そして何日かたち、ガヤーという町につきました。

【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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