(1/30-2)30『永遠の仏陀』を読む―跳躍の時―魂が跳躍する時―六波羅蜜多の現代的意義

『永遠の仏陀』を読む

29 その人が妖怪かどうか知るには、その裏表をよく知ることである。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

67 ある時、キリスト教の軍隊とイスラム教の軍隊が、砂漠地帯で戦うのを見た。十字軍戦争だ。

熱砂の擂(す)り鉢に、両軍吸い込まれた。空に、三十メートルもある翼竜が現われて、口から炎を吹きつけると、両軍の兵士とも黒焦げになった。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第1章 武士道の根本―武士道の源流―
2 『古事記』『日本書紀』に見る武士道精神
〇武士道的なものを感じさせる、熊襲建(くまそたける)の死に際の言葉

また、昔の大和朝廷は九州にあり、その後、奈良に移っていたのだと思うのですが、熊襲建(くまそたける)が抵抗していたために、日本武尊は九州にも征伐に行っています。

『ホツマツタヱ』などによれば、それころの日本武尊は、「小碓尊(おうすのみこと)」と呼ばれていたらしいのですが、熊襲建が宴会をやっているところに、女装して単身乗り込んでいき、熊襲建を斬り殺しています。これは宮本武蔵並みでしょう。一人で女装して敵の真ん中に入っていき、宴会をしているときに斬り殺しているので、宮本武蔵並みの腕がないと、これは無理ではないかと思います。いくら何でも多勢に無勢ですし、女装して入ったとしても見つかる可能性もあり、そうなったら逃げられません。

それで、熊襲建が、「見事である。その胆力はすごい。おまえに、わしのタケルという名前をやるから、これからはヤマトタケルと名乗るがよい」と言って、タケルという名前を譲られ、「ヤマトタケル」になっています。

このあたりの会話でも、自分は切られて負けている熊襲建が、死ぬ間際に、「タケルという名前をお前に譲るから、そう名乗りなさい」と言ったりしているのを見ると、やはり、何か武士道的なものを感じることは感じるのです。敵味方で戦っているだけではなく、相手の「勇猛果敢さ」というか、その「すごさ」というか、「目的を遂行し、達成することの力量」を認めて、「おまえのような勇者に倒されるなら、武士として本望だ」という気持を感じます。

そうしたものを感じるので、やはり、武士道精神は、このころに既にあったのではないかという感じは、どうしてもします。

【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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4天上界における意思統一【正思】
〇五百人の大霊団が幸福の科学を指導

幸福の科学の指導霊団は五百人ものたいへん大きな指導霊団です。地上で事業を起こす際に、かつてこれだけの大霊団がチームを組んだことはありません。あの意味では、天上界の霊にとってもまったく新しい経験であります。それともう一つ、天上界においてもお互いに面識のなかったような高級霊たちが、この幸福の科学の活動を縁として面識を持つことができているという時事もあります。

そのようななかで、最初は意見が違うところもあったものの、指導霊団の主な意見は一致してきました。最初は寄り集まりの観を呈していたところから、次第しだいに意識の統一を図ってきました。それは、幸福の科学という運動が本格化していくに当たって、彼らの意識の確立が必要となってきたからです。一つの方向を出さないと、地上にいる人間が混乱します。それため、エル・カンターレを中心として天上界における意思の統一が行われていったのです。そして、一つの考えを地上で成就するために、多くの者たちが協力し合うという姿勢を敷いてきたわけです。

したがって、私の力は、必ず、もっともっと大きくなっていくはずです。

「正しき心の探究」にはもっと大きな意味もありますが、八正道の領域のなかでの「正思」を取ってみた場合、やはり、「根本は神仏の心である」という視点を忘れてはなりません。自分流の心ではないのだということです。これを間違えてはなりません。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」104pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第四章 跳躍の時 
〇魂が跳躍する時

さあ、数多くの真理は、すでにあなたがたに与えられた。
そのなかで、
「自分をつくってゆくならば、
正思ということが大事だ」と言った。
「正しく思うということは、
正しく考えることだ」と言った。
「正しく考えることの基(もとい)は、
己の心をまず清らかにすることだ」と言った。
「そのためには、日ごろ、
心のなかに降りかかる砂塵を払うことだ」とも言った。

そうして、
偉大な真理を学び続けてゆくなかに、
偉大な真理をつかんで、
これを実社会に生かしてゆくなかに、
そこに、前代未聞の光景が広がってゆくのだ。
あなたがたは、真に力強い自分の姿を見るであろう。
「これが自分か」と思うような、
そのような自分の姿を見ることとなるだろう。
それが素晴らしいのだ。

魂の跳躍の時は、悦びとして明らかに分かる。
自分が向上していると感じる時こそ、
真に魂は悦びを感ずることができるのだ。
魂が飛躍している、その確認は、
あなたがたが見る、周りの景色となって、
はね返ってくるであろう。
魂が跳躍する時、
人々の顔に、明るさが見えるであろう。
人々の顔に、希望が見えるであろう。
人々のなかに、善性が見えるであろう。
人々のなかに、仏の子の光が見えるであろう。
そして、
我がここに生き、彼がそこに生きるということを、
限りなく愛するようになるであろう。
また、
与えられた食物、与えられた環境、大自然、
すべてのものに、感謝の思いが込み上げて、
光に満ちた気持ちになるであろう。

この魂の歓喜を味わえ。
跳躍した後には、このような悦びがあるのだ。
この悦びを自分のものとせよ。
修業は苦しいのみではない。
真なる修業は真なる悦びを伴うのである。
この魂の悦びを携えればこそ、
永き旅も、軽く感じられるのだ。
永き旅も、また、快いものと思われるのだ。
我と共に、この道を歩むのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第四章「跳躍の時」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 六波羅蜜多の思想
10 六波羅蜜多の現代的意義

以上で、六波羅蜜多の六つの徳目についての思想的説明をしました。

最後に、「釈迦の六波羅蜜多の思想を、現代にどのように生かすか」という観点で、まとめをしてみましょう。六波羅蜜多は八正道と重なる部分も多いので、それとは少し違った角度からまとめてみたいと考えます。

「布施波羅蜜多」については、「愛の実践」という言葉で説明したいと思います。これを現代的には「与える愛」という言葉で呼びたい、与える愛の実践としてとらえたいのです。

「持戒波羅蜜多」の精神を現代に生かすとするならば、「ストイシズムの復権」ということになるでしょう。「みずからの生活を単純化し、シンプルで平坦ななかに、知的なものや精神的なものを求めていく」というストイックな生き方、ストイシズムのなかに、「持戒波羅蜜多」の生き方がありうると思います。

高い目標を持ち、道に精進している人にとっては、人生のつまらない飾りは余計なものなのです。したがって、自分のいちばんやりたいこと、自分の本業と思えることに全力を投入し、それ以外のものへの関心は淡泊であるという生き方が、現代的ストイシズムであると解釈できるでしょう。

「闡提(せんだい)波羅蜜多」について述べると、これは「時間を待つ」「時を待つ」という考え方です。みがからの力を蓄えながら、時を待つことが必要なのです。

「悩みのときには、いたずらに右往左往するのではなく、甕(かめ)のなかに水を一滴一滴ためていくように、みずからの内に力を蓄えながら、時節到来を待つ」という考え方として解釈したいと思います。

「精進波羅蜜多」は努力ということですが、現代的には、「仏法真理の探求、学習」ということに置き換えられるでしょう。

「禅定波羅蜜多」については、「八正道の復活」と考えたいと思います。私は今後も、八正道をさまざまな角度から分かりやすく説明していきたいと思いますが、内省的な時間、沈黙の時間を取って、みずからの内を振り返り、反省することが大事なのです。これは、幸福の科学が説く四正道のなかの「反省」として完成することになるでしょう。

最後の「般若波羅蜜多」は智慧の完成ということですが、これは四正道のなかの「知」にあたります。私は霊的な知恵の集大成をしたいと考えており、実在界にある叡智を、仏法真理の書籍として提示していきたいと思います。

また、みなさんの個人レベルでの体験においても、心の窓を開いて、みずからの守護霊の声を聴くという現象が出てくることもあるでしょう。みずからの心の曇りを取り除いた証明として守護霊からインスピレーションが与えられるようになるだろうと思います。

そのように心の窓を開いた人が、その後おかしくならないための方法論として、他の五つの徳目があるのだと考えます。すなわち、「与える愛」「ストイックな生き方」「耐え忍び」「学習の継続」「内省的な時間をとる」ということが、心の窓を開いた人間を守るために、大切な役割を果たすのです。

以上で、「六波羅蜜多」の現代的解釈とします。

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちのの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史 

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