(1/28-2)28『永遠の仏陀』を読む―跳躍の時―正思の道―禅定波羅蜜多

『永遠の仏陀』を読む

27 妖怪は均整のとれた考え方ができない。陰と陽が極端に出るが、ふだんはオブラートに包んでいる。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

69 近未来のヨーロッパが、寒波で凍りついた。地獄の住人の上にも、雪が降り積もった。凍り付いた街の入り口に、「グレタの町」という看板がかかっていた。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第1章 武士道の根本―武士道の源流―
2 『古事記』『日本書紀』に見る武士道精神
〇父から恐れられるほど強かった武勇の人・日本武尊(やまとたけるのみこと)

鎌倉時代よりもっと前の日本を見ても、やはり、そういう人は、いろいろといたのではないかという気はします。

武士は鎌倉で始まったのではなく、例えば、『古事記』『日本書紀』等に出てくる日本武尊を見ても、これは武士ではあったのではないかという気はするのです。「武士(もののふ)」ということです。

彼には双子の兄がいたようですが、その兄が、諸国から集められた税金や貢ぎ物が集まってくるなか、本当は「地方の美人を天皇に差し上げる」ということで、父である当時の十二代景行天皇のもとに来るはずだった美人を横取りして、自分の妻にしてしまうということがありました。

これは、現代で言えば「業務上横領」か「背任」かというあたりでしょう。それを見た日本武尊は、実の兄ではありますが、「許せない。天皇に対する忠義を裏切って、私服を肥やすとは何事であるか」ということで成敗してしまいます。「厠(かわや・トイレ)で刺し殺した」ということになっているのです。

それは、当時の習慣法的な考え方、法治国家的な考え方から見れば正しいことで、”警察長官”として当然やるべきことではあったでしょう。しかし、父親である天皇であっても、そんな息子は怖いわけです。

そのため、日本武尊が九州に「熊襲(くまそ)平定」に行き、成果をあげてきたのにもかかわらず、十分に休みも取らせないまま、「次は東国へ行け」と言って、東(あずま)に行かせています。日本武尊が父である自分のために兄まで殺しているのに、「近くに置いて、寝首をかかれたら困るから」ということで、できるだけ遠くに離そうとしたのです。やはり、日本武尊がそうとう武勇の者であったことは間違いないでしょう。

ところが、日本武尊の妻であった弟橘媛(おとたちばなのひめ)は、実は東国出身、関東出身だったようです。つまり、「税金を払おうとしないので東国を攻めろ」ということは、「奥さんの実家を攻めろ」ということと同じだったのです。(ホツマツタヱ伝)。そのため、日本武尊が東国に兵士を率いていったときには、東国の兵士たちは、「身内が来たものだ」と思って、歓迎するつもりで出迎えに来ていたぐらいなのです。

しかし、父である天皇の命には従わなくてはいけないので、その身内を、「天皇の命、”行政命令”であり、討たなければいけない」ということで、妻の実家を皆殺しにすることまでしなければいけなくなります。そのような戦いまでやっている人です。

【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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3多様性の意味【正思】
〇神仏の光の「多様性」の意味と注意点

次に大事になってくるものは何でしょうか。

頂点から出てきた光がプリズムを通して七色に分かれ、霊的世界および地上に流れています。その光のもとに、いろいろな理念が体現されているわけです。そして、それは、人間に理解されやすいように、あるときには「愛の教え」といわれ、あるときには「慈悲の教え」といわれ、また別のときには「勇気の教え」ともいわれ、またある時には「智慧の教え」ともいわれています。こうしていろいろな教えが説かれているのです。

これは、人間が学んでいく過程において必要であるために、そうしたプリズム化が行われているのです。そして、それぞれの人の魂にとっていちばん学びやすいところから入っているのです。

この意味において、それぞれの魂は、黄色の光線、あるいは青色の光線、紫色の光線など、さまざまな光線下にあって修行をしているわけですが、それは「自分の魂が進化していくための一つの過程である」という観点を決して忘れてはなりません。
例えば、「自分が紫の光線にいるから、それのみが真理だ」と言ってはいけないように、赤色や黄色など、他の光線下にいる人たちのことも善として認めなければいけないのです。

こうしてみると、多様な教えが出ていることの根底には、修行のなかにある者同士が、ある程度の距離を持ってお互いを認め合うような寛容さを出していくための方法であることが分かります。多様さというのは、それぞれ一つの道を通して修行する者同士がお互いに反目し合うのではなく、「より大きな神の芸術をつくっていくために生きている間柄なのだ」ということを証明する意味合いがあるわけです。

それは、決して、「神の教えは、AでもBでもCでもDでもよい」ということを意味しているのではありません。この点をしっかりとつかまないと、「正しい思い」ということは絶対に分からないのです。

この多様性の解釈を間違って、「Aの考えでもBの考えでもCの考えでもよい」ということで、何でもよいことにしてしまったら、八正道のなかの「正思」は存在の意味がありません。「それぞれの人が、それぞれの都合ですればよい」というのであれば、「正思」が探求の目標にはならないはずです。また、幸福の科学の「正しき心の探求」は意味をなさないことになるのではないでしょうか。

したがって、あくまでも、「究極において一点に集まるものがある」ということを忘れてはならないのです。一点から分かれてきたものは、それぞれの魂の道筋において、過程において、学ぶべきものとして提示されているのです。

この一つの道筋のなかにあるものにとって気をつけなければならないことは、「自分の考え方が絶対だと思ってはならない」ということです。寛容の心を持ってそれぞれの道静を認めながら学ばなければならないのです。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」100pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第四章 跳躍の時 
〇正思の道
そして、その魂向上の道の一つに、
反省的瞑想という方法がある。
我はかつて、おまえたちに八正道を説いた。
八つの正しい道を説いた。
正しく見よ。
正しく思え。
正しく語れ。
正しく行為をなせ。
正しく生活をせよ。
正しく道に精進し、
正しく念じ、
正しく定に入れ―と。
この八つの正しき道こそ、
おまえたちが、人生の途中で仏法真理に目覚め、
その人格を向上させ、
珠玉の宝へと変えてゆくための秘法であるのだ。

この八正道のなかで、
特に大事なことを、ただ一つ取り出すとするならば、
すべては、「正しく思う」という、この一点に集約される。

あたりを見渡してみよ。
おまえたちを取り囲んでいる人たちの、
心の様相を見よ。
心のありかたを見よ。
なんとも見下げ果てたことを、
一日中、考えているではないか。
いや、ほとんど考えなきに等しい人が、
どれほどの数、いることであろうか。
考えなき人生を生きるとは、
昆虫の人生にも劣ると言わざるをえまい。
昆虫でさえ、みずからのえさを探して、
考え考え、道を歩み、
みずからを害するものを避け、
そうして生業を立てているではないか。
考えることもなく生きているということは、
昆虫以下の人生であるとさえ、言うことができよう。
人間として生まれ、そして生きてゆくことの、
いちばんの意味は、
人間が考えというものを持つことができるという点に、
帰着するのだ。
すなわち、「正しく思う」とは、
「正しく考える」と言いかえてもよいだろう。
おまえたちの人間性を決定しているものは、
すべて、おまえたちの考える中身にある。
もし、他人の心がガラス張りだとして、
誰もがその中身を見ることができるとしたならば、
おまえたちは、いったい、どのように感じるだろうか。
まさしく、それは驚愕(きょうがく)でしかあるまい。
もし、おまえたちの首から黒板がぶら下がっていて、
その黒板に、おまえたちの考えていることが、
チョークの文字となって現れているとしたら、どうするか。
街を歩くことさえできまい。
人と視線を合わせることさえできまい。
何しろ、おまえたちの考えていることが、
すべて外に書かれ、
そして、他の人の目にさらされるというのだから。

この際に、どうすればよいのか。
そう、基本的には二つのことが重要となろう。
一つは、見られても恥ずかしくないような、
仏法真理に則ったことを考えるということである。
そして、いま一つは、
もし仏法真理に反したことを考えたとしても、
即座に修正を入れるということなのだ。
「ああ、自分は間違ったことを考えていた。
これは、自分の良心に照らして、
まことに恥ずべきことであった」と、
即座に修正することなのだ。
それによって、魂は洗われ、
その汚れは取り去られるのだ。

このようにして、
自分の正しい思いというものを探求してゆく過程において、
その魂は、次第しだいに力を帯びてくることになるのだ。
偉大なる人物とは、
偉大なることを考えた人間のことであるのだ。
これが大事なポイントとなる。

【大川隆法『永遠の仏陀』第四章「跳躍の時」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 六波羅蜜多の思想
8 禅定波羅蜜多

「禅定波羅蜜多」は、別名「精神統一の完成」とも呼ばれています。

これは八正道の「正定」と重なるところもありますが、正定とどう違うかと言えば、正定は、正しく定に入ったかという、定に入るときの精神状態、思いのあり方を、作法として反省するところに力点があるのに対し、禅定波羅蜜多は精神統一を日々重ねていくという実践の徳目を指しているのです。

たとえば、日曜日などの閑暇(かんか)が訪れたときに過去を振り返るのは、そう難しいことではないかもしれません。しかし、毎日を忙しく過ごしていながら、日々、自らの心の内や行動をふり返るのは、容易なことではありません。こうした日々を積み重ねていくのは大変なことなのです。

したがって、日々、みずからの内を見つめる時間を確保しつづけることができた人は、それだけですでに非凡の高みに上っていると言えます。

私はみなさんに、自分自身のことに思いを巡らせていただきたいのです。生まれてから現在までのことを思い出すのは、それほど難しいことではないかもしれません。しかし、日々に自らの心を発見し、探求し、確認するという作業を積み重ねることが、どれほど困難なことか分かるでしょうか。それは大変な努力を要するものなのです。

そして、禅定波羅蜜多の究極の姿は、特定の作法に則った禅定をするだけではなく、作法にかかわらず禅定の状態に入るということにあるのです。すなわち、人間として当然なすべき仕事や生活をしていながら、歩くなかにも、語るなかにも、仕事をするなかにも禅定がある姿―これが実は禅定波羅蜜多の完成した姿なのです。

これは、一日二十四時間のどの部分をとってみても禅定の状態にあるということです。つまり、心は常に天上界に向いており、いつでも高級諸霊と話ができるような状態、禅定とまったく同じ状態にあるということです。実はこれが、人間として目標とすべき、修行の最高段階なのです。

現代でも、禅宗においては、人里離れた庵や寺のなかで、人びとが坐禅を実践していますが、日常性から脱却して心の世界を探求するのは、そう難しいことではありません。しかし、日々の仕事をしながら、そのなかで禅定の状態を続けるというのは、非常に困難なことなのです。

この最高の状態の禅定に至ったときには、心は平静です。また、他人からのどのような言葉を受けたとしても、その波動を自らの内に受けことなく、心は常に、澄んだ湖面のような姿をしています。

このような理想の状態、天上界にいるのとまったく同じような状態で三次元に生きている人、「三次元即実在界」「三次元即菩薩界」の生活を実践できる人のことを、禅定波羅蜜多の完成者というのです。

ここまで至ることが修行者の目標であり、釈迦教団のなかでも最大の目的の一つとされていたのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2025年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ 大好き!

文責:蒲原宏史

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