(1/24-2)24『永遠の仏陀』を読む―跳躍の時―奇蹟の時―布施波羅蜜多

『永遠の仏陀』を読む

23 妖怪は、容姿、学歴、身のこなし、セクシーさ、金満家であることで、貴族性を誇示する。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

73 ウクライナの狐とロシアの熊が戦っている。地獄に堕ちている先住民が、狐料理と熊料理の準備をして、堕ちてくるのを待っていた。

74 北朝鮮の地獄の底では、「大将軍」と称される毒蜘蛛が、洞窟に大きな巣を張っていた。地上の指導者たちにも、毒蜘蛛の糸がからみついていた。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第1章 武士道の根本―武士道の源流―
1 歴史上の偉人たちに見る「武士道精神」
〇古代中国の項羽の生き方に見る「恥や名誉、潔さ」

そのように、武士道は日本だけのものかというと、そうではなく、精神的には、中国にだってなかったわけではないような気がするのです。

例えば、秦の始皇帝の時代が終わりを迎え、秦が数十年で滅びたとき、天下の英雄が現われて戦いましたが、最後には項羽と劉邦が並び立って、劉邦が勝ちました。劉邦のほうが参謀が多く、強かったのです。

項羽自体は「猪武者」のようにいわれるところもあるのですが、ある種の武士道のようなものがあったような気がします。

彼は、最後には「四面楚歌」になり、周りから、項羽の出身地である楚の国の歌が聞こえてくるようになりました。

ただ、これは劉邦の参謀がつくった作戦でした。「その国の歌が聞こえる。楚兵までが裏切って、自分の敵に回ったのか」と相手をがっかりさせ、ディプレッション(depression・意気消沈)に追い込むための作戦だったのですが、これで項羽は、「武運尽きたり」ということを感じ取り、「負ける」ということを知るわけです。

項羽には、虞(ぐ)美人という妻がいました。項羽は、当時にしては珍しく妻を一人しか持たず、戦場にも連れて歩いていたのですが、「虞美人を残しておいたら、敵軍に捕られて辱めを受けるだろう」と思ったのでしょう。「敵の辱めを受けるのは忍びないけれども、連れて戦いながら逃げるのも難しい」ということで、虞美人が喉元を突いて自害するのを見届け、そのあと自分たちだけで血路を開いて脱出していきました。

それに対して、劉邦軍の韓信は「十面埋伏(じゅめんまいふく)」の陣を敷き、「いろいろな所に兵を伏せて、少しずつ項羽の戦力を削いでいく」という作戦を取っていました。

項羽のほうが強く、正面攻撃をして決戦をしたら負けるため、「項羽の群を少しずつ削いでいく」というかたちの作戦を行ったのです。

そのため、だんだんに兵が減り、闘いを始めたときには数万騎あった項羽軍が、数十騎になっていました。ここから何度も突撃をくり返すのです。

そして、烏口(うこう)という土地に着いたとき、項羽は、揚子江(長江)の渡し場で渡し守をしていた亭長(ていちょう)から、「船があります。これで向こうまで渡れば、そこは楚の国です。命あっての物種です。これでのがれてその国に帰れば、兵を蓄えて、もう一回、捲土重来(※けんどちょうらい・まえに敗れた者が、いったん引きさがって勢いを盛り返し、意気込んで来ること)で戦うことができるでしょう。今は一人でもいいから落ち延びなさい」というようなことを勧められます。

しかし、項羽はそれをよしとはせず、「なせ、負け戦で一人だけおめおめと故郷に帰れるか」と、錦を飾って帰るならいいけれどもそういうことはできないということで、最期は敵陣に一人、自分で首を刎ねて果てるのです。

このあたりにも、やはり、武士道のようなものを私は感じるのです。「恥」や「名誉」、それから「潔さ」を感じるので、影響していないわけはないと思います。これは紀元前のことで、イエス・キリスト以前のことです。

【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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1正思の基準は神の心
〇幸福の科学の「正しき心の探求」は「正思」のあたりに照準がある

「正思」の部分は、そう簡単には卒業できません。何回転生しても、それほど簡単には卒業できない部分です。幸福の科学の「正しき心の探求」というものも、このあたりに照準があることもお分かりになると思いますが、修行としては容易には終わらないところであります。

まず、正思の根本はどこにあるのでしょうか。それは神仏の心です。
人間は、「正しき心」というものについて、いくら考えても、追いかけても、なかなか分かるものではありません。それが現実であろうかと思います。
なぜならば、「正しき心」の根本というものは、人間に求めるべきではないからです。それは神仏に求めるべきことなのです。この尺度こそ、神仏に求めなければ、求めるところがないのです。ここにあるのです。

もし、神のお心は違ったところに基準があるとしたら、人間の考え方、行動のパターンも違ったものになるはずなのです。ただ、北極星に向かうがごとく一定の方向へと向か数ことを義務づけられている理由は、この「正しい思い」というものが神の側から規定されているいためです。そう考えてよいでしょう。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」90pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第四章 跳躍の時 
〇奇蹟の時
さて、
おまえたちにとって、とても大切な話をすることとしよう。
おまえたちの魂が飛躍するために、
どうしても必要な事柄を述べたいと思うのだ。

おまえたちは、常に、平凡な毎日のなかに生きることを、
飽き飽きと感じることだろう。
私は、そういうおまえたちに対して、
「いや、人生とは、
そのような飽き飽きするもののみではない」と語りたいのだ。
「その様に平々凡々とした毎日ばかりではない」と告げたいのだ。

そう、おまえたちも、若いころに、
「世の中には、さまざまな体験をする人がいる」という話を聞き、
「いつかは、自分にも、
そのような体験のときが来るのではないか」と思ったことだろう。
そのとおり、
平凡に生きていたと思われる人間が、
ある日を境にして、まったく変わった人間となることは、
充分にありうることなのだ。
「そんなばかな。自分に限って、
そんなことがあるはずはない」と思う人もいるだろう。
けれども、よくよく心を落ち着けて、
私の話を聞いてほしいのだ。
少なくとも、おまえたちは、
この、私の書いた書物を、
いま、手に取って読んでいるはずなのだ。
私が書いた、この書物を、
手に取って読むということ自体が、
大変なことであるのだ。
それは、まさしく、おまえたちにとって、
過去と未来を分ける、
一つの事件であると言ってもよいであろう。

人類の長い歴史のなかでも、
今という時ほど重要な時はない。
私は、それを、くり返しくり返し、
おまえたちに告げているのだが、
おまえたちの多くは、なかなか、そのことに気がつかない。
というのも、自分自身が、
平凡性のなかから抜け出すことができないからであろう。
しかし、私は言っておく、
仏の再誕する時に生まれ合わせ、
その教えにふれるということは、
大きなことであるのだ。
しかも、仏の教えにふれて、
みずからの人生がまったく違ったものになるということは、
それはまさしく、奇跡の時であるということなのだ。

人類の歴史をひもといてみるならば、
過去、偉大な如来が数多く地上に肉体を持ち、
そして、尊い仕事を成し遂げてゆく過程において、
数多くの人々の魂が、
今までにない輝きに包まれたということは、
おまえたちの想像に難くないことであろう。
人間は、何度も何度も、くり返し地上に生まれ変わり、
新たな魂修行をしているのであるが、
こうした偉大な如来が地上に降りる時に、
その教えを学ぶということは、
おまえたちにとって、魂が跳躍するときでもあるのだ。
そう、ちょうど、
わずか一回のその転生が、十回分にも相当する、
そのような魂修行に値すると言っても、過言ではない。
いや、それ以上の価値ある時を魂に刻む者も、
なかにはいるのだ。

それは、そのとおりだ。
あの太陽のような光が、
おまえたちの胸を、
その、閉じられた胸の扉を開けて、
差し込んでくるというのだから、
いままで暗闇に閉ざされていた、その心の内が、
くまなく、明るく照らされるのだ。
その時に、
はるか昔に忘れ去った、あの懐かしい感動が、
呼び起こされるに違いない。

おまえたちは、
目の見えぬ者を見て、気の毒に思い、
においをかぐことができぬ者を見て、気の毒に思い、
足の動かぬ者を見て、気の毒に思い、
手を使うことができぬ者を見て、気の毒に思う。
しかし、魂の目が開かず、
魂の耳が閉じており、
魂の鼻がにおいをかげず、
魂の口が物を食べることができず、
魂の手が縛られ、
魂の足が、歩くことを許されないときにも、
おまえたちはその不自由を感じないでいる。
それは、永い永い年月のあいだ、
忘却のなかにいたからなのだ。
しかし、真実を知った時に、
おまえたちは変わってゆかざるをえないのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第四章「跳躍の時」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 六波羅蜜多の思想
4 布施波羅蜜多

六波羅蜜多の最初には「布施波羅蜜多」があります。これは、別名「施しの完成」とも呼ばれています。

釈迦の思想では、「施し」が非常に重要視されています。「施し」という言葉は、いかにも仏教的な響きを有していますが、その根本は愛の思想であると言ってよいでしょう。キリスト教における愛の思想が、仏教では、布施の考え方、「施す」という考え方のなかに流れているのです。

六波羅蜜多の筆頭に布施波羅蜜多があるということは、釈迦が慈悲的な意味合いでの愛をいかに重要視していたかを示す証左と言えるでしょう。

ここで、「波羅蜜多」という言葉について、説明を加えておきましょう。

漢訳の「波羅蜜多」というのは、インドの言葉パーラミター(paramita)の音写で、到彼岸、つまり「理想状態に達すること」という意味ですが、「波羅蜜多」は意訳もよくできています。「波羅」を「内在する」、あるいは「心の奥底の」という意味にとり、「蜜」は「非常に価値のあるもの、値打ちのあるもの」、「多」は「こんこんと湧いてくるさま」に意訳すると、筋が通ります。
すなわち、「心の井戸を深く掘ると、こんこんと叡智が湧いてくる」という意味で、「波羅蜜多」という漢語訳を使っているのです。

したがって、「布施波羅蜜多」というのは、布施という行を通じて、こんこんと湧いてくる叡智を味わい、それを見につけるための修行方法なのです。

布施にもさまざまなものがあります。

最も一般的なものとして、出家修行者、仏教教団、貧窮者などに、衣食、田宅、財物などの物質的な財を施す「財施」があります。他の人に物をあたえることも愛の行為です。(たとえ、貧しくて物を与えることができない場合でも、笑顔を与える「顔施」があります。笑顔を与えることも立派な布施です。顔施によって、世の中が素晴らしくなっていきます)。

また、「法施」というものがあります。これは精神的でさらに高度な施しだと言えます。心が飢えていて道を求めている者、砂地が水を求めるがごとくに法を求めている者に対して、
法を施してあげること、教えを説いてあげること、その悩みに答えてあげることは、最大の布施なのです。

釈迦の時代には、人々が修行僧に対して物品を布施していたのですが、そうした物施よりもさらに多くのものを、修行僧たちは人びとに与えていたのです。すなわち、法施という愛行によって、感謝、報恩を成していたのです。もちろん、在家信者が、まだ信仰の開けていない人に対して教えを説明することも、法施でした。これも布施です。

さらに、「無畏施・むいせ」があります。悩み、苦しみ、恐怖している人に対して、恐れを取り除いてあげることです。心を安らかにし、人を厄難から救うことです。

以上の、財施、法施、無畏施のことを、「三施」と言います。

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2025年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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