21 妖怪も同情を示すことがある。もちろん、相手を格下と見下してからである。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
77 地獄に堕ちないためには、神仏への正しい信仰が必要である。唯物論、無神論、科学万能主義では、天上界には還れない。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第1章 武士道の根本―武士道の源流―
1 歴史上の偉人たちに見る「武士道精神」
〇乃木将軍の最期に感じる「武士道の名残り」
これは、乃木希典将軍にも似ているように感じるところがあります。
乃木将軍は日露戦争で旅順攻略を指揮していましたが、日清戦争のときには簡単に陥落した二〇三高地が、日露戦争では非常に強くなっていました。ロシアが要塞を築いていたので、簡単には落とせず、何度も何度も攻撃をして、何万人もの若い人たちを死なせてしまったのです。
実は、乃木将軍の二人の息子も、旅順での突撃で戦死していました。「息子さんが亡くなられました」と、二人とも亡くなったという報告を受けたとき、乃木将軍は「そうか」と言って、テントのなかのランプを一瞬暗くして見えないようにしました。おそらく涙を拭ったのだと思うのですが、少しの間、明かりを暗くし、また元に戻したのです。
そのとき、外国からは、観戦武官とジャーナリストも来ていて、その乃木の様子を見て、海外の新聞等に書いたりしています。大勢の人が死んだけれども、自分の息子を犠牲にすることも厭わず、死なせたということです。それは、自分の至らざるところでもあるでしょうし、兵法家として足りざるところもあったということでしょう。
「乃木」というと、旅順を落としたということで、ロシアの側からは泣く子も黙るほど怖がられたものですが、実際、ロシアの要塞は強くなっていました。コンクリート製の熱い要塞になっていて、砲塔をつくられていたので、銃剣で突撃するのでは、坂を上がっていく前に全員撃ち殺されてしまうわけです。
また、味方が突っ込んでくるときに、後ろから砲撃するわけにはいかないので、乃木のほうは砲撃しませんでした。味方に当たるといけないので砲撃しなかったのですが、これが、かえって敵の狙い撃ちを誘うことになってしまいました。向こうは撃たれないので、丘の上から日本軍を撃って撃ってしたため、死者が増えたわけです。
これを、児玉源太郎という政治家と参謀総長を兼ねたような人が見て、「要塞を砕かなければだめだ」ということで、船をも沈めるような大砲を持っていきました。今、お台場に大きな大砲の砲台の後がありますけれども、「山に持ち上げることできない」と言われていたその大砲を、みんなで「エンヤ、エンヤ」と上げて、山の上から二〇三高地の敵の要塞にかなり打ち込みながら、同時に突撃するということをしました。
要するに、砲弾を撃ち込まれたら、向こうの要塞のなかも家事になって大騒動になるので、日本軍を集中して撃つことができないわけです。
そのときに、「味方にも当たるかもしれないけれども、死者数はこちらが減る」と計算し、児玉が指揮権をいったん預かり、砲撃しながら突撃させるということをしたところ、二〇三高地が落ちたのです。
二〇三高地は、湾内にあるロシア艦隊を見おろせる一にあるので、その後は、大砲をガンガン撃ち、そのまま全部沈めることができたということです。
兵法的には児玉の眼力が勝っていたのだろうとは思いますが、乃木将軍にも、「自分の拙さで、大勢の人を死なせた」ということについて、ずっと悔いが残っていたようで、明治天皇が崩御されると同時に、自分も夫人(自害)と一緒に割腹自殺をして、果てています。責任をつよく感じていたのだろうと思いますが、武士道の名残を、やはり感じるものではあります。桜の散り時を心得ていたかのようです。
【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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9 環境に対する視点【正見】
〇「心が変われば環境も変わって見える」「心に応じた環境が現れてくる」
ここに、環境に関する二通りの見方があります。第一の見方は、「心が変われば環境も変わって見える」という考え方です。これは、「三界は唯心の所現(しょげん)※」という考え方に近く、ある範囲まではこの通りに見ることができます。
いま一つの見方は、「心に応じた環境が現れてくる」という考え方です。第一の考え方と似ていますが、少し違います。前者は「与えられた環境をどう見るかに工夫をする」ということで、後者は「与えられた環境そのものが変わってくる」ということです。そういう違いです。この二通りが、環境に関してはあります。
そうして、見方を変えていくときに、どちらかの現象が起きます。環境を見る目を変えたとき、見方を変えていくときに、どちらかの現象が起きます。環境を見る目を変えたとき、まず、現に与えられた環境自体が違ったように見える場合と、環境に対する見方を変えたために新たな環境が与えられてくる場合と、この両者があります。どちらも真理です。時間的ズレはありますが、第一の場合から第二の場合へと移行していくことがほとんどです。
【※「三界は唯心の所現」 三界とは「欲界」「色界」「無色界」のことで、この三界に表れるすべてのものは、心から現れたものであり、心を離れては存在しないもので、個々のみが実在であるという意味】
【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」83p】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 不滅の力
〇報恩の道
しかし、僧団の最大の願いは、
仏の生命(いのち)、この地にあるうちに、
仏の、その本願を成就するということなのだ。
仏、生命(いのち)あるうちに、
その仏の願いに応えて、
それを成就することこそ、
弟子の道としての最大のものであるのだ。
弟子は報恩の道を歩まねばならない。
その報恩の道とは、
仏法真理を与えられたことへの感謝なのだ。
仏法真理を説いてもらい、
生きてゆく道を示された事への感謝が、
報恩となってゆくのだ。
そして、その報恩は
仏の教えをくまなく宣べ伝えるということにおいて、
成就されてゆくのだ。
そのことを忘れてはならぬ。
見よ。
目を上げて、
まわりの姿を、世界を、人々の生業(なりわい)を。
ああ、そこにも、ここにも、
仏法真理に無縁に生きている人々がいる。
これらの人々が、
その生活の基礎を仏法真理に置いたとするならば、
どれほど素晴らしい世の中になるであろうか。
まず、各人が、己自身の心の問題を、
己自身で解決してゆけるようになるばかりか、
修業を進めて、教師としての役割を得たならば、
まだこれから学びを始めてゆく者たちに対して、
数限りない人生の指針を、宣べ伝えることができるのだ。
このように、己(おのれ)も素晴らしく生き、
己がすばらしく生きることによって、
他の多くの人々を教化し、そして教導してゆくことこそ、
真実、法が広がっていることの証でもあるのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 六波羅蜜多の思想
2思いと行動
第2章における八正道の説明では、人間の内側にある「思い」を中心に考察しました。しかし、釈迦の思想は、単に「内なる人」「内面の人」という観点だけで人間をとらえていたのではありません。「思い」と「行動」の関係や、その連続性、一体性を非常に重視していたのです。
ほんとうに心のなかで思ったことならば、それは外側にかたちとして現われてくるはずです。ほんとうに心に深く刻んだことならば、それは行為となって表われざるをえないのです。
すなわち、「悟り」を自らの内に求めたならば、悟りを得た結果は、必ず行動として現われてくるはずであり、その行動は、悟りの性質や種類そのものを表すことになるはずです。
したがって、思いと行動は断ち切れてるいものではなく、一つのものの両面なのです。つまり、仏法真理に即した人生を生きているか否かは、思いと行動の両面から規定され、計られるということです。仏教では、そうしたことが説かれているのです。
それでは、思いはどのような行動として出てくるのでしょうか。「八正道」における思いがどのような行動として現われるかを説明したものが、実は「六波羅蜜多」なのです。
六波羅蜜多と八正道とは、重なり合っているように見えるところもありますが、八正道は「思いをどのように規定するか」というテーマでとらえたものであり、六波羅蜜多は「その思いが行動の面に現われたとき、どのような現れ方をするのか。悟りたる人であるならば、どのような行動の型が現われてくるか」ということを示しているのです。
結局、真の修行者であるか否かは、内面である「思い」と、外面である「行動」の両方の検討を待って初めて確認できるのです。
修業というものを、どのようにしてとらえ、どのように評価するかは、釈迦仏教にとって非常に大切なことでした。これは古代インドの時代だけでなく、現代においても同様です。正しい宗教かどうか、本物であるかどうかの認定は、思いと行動の両者を確認しなければ、結論を得ることはできないのです。
口でどれほどよいことを言っても、人となりや行動が非常に疑わしいものならば、その宗教を信ずることはできません。信者には、よいことを説いていたとしても、中心にいる者たちの生活が乱れに乱れているようでは、どうしてそれが修行者の手本となりえましょうか。
修行者は、内面を整えているということを、外面において、すなわち行動における実績として、証明する義務を負っているのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2025年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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(1/22-2)22『永遠の仏陀』を読む―仏の本願―報恩の道―思いと行動
