(1/21-2)21『永遠の仏陀』を読む―仏の本願―魂の処方箋―六波羅蜜多の思想

『永遠の仏陀』を読む

20 妖怪は、他人(ひと)の恩を感じることが少ない。しかし、他人の手柄を横取りすることは大好きである。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

78 地獄は人々の暗い想念の曇りのため、霊太陽の光が射さない。薄墨色の空の浅い地獄から、漆黒の闇、コールタールを流したような暗闇の世界が、最深部を造っている。罪の重さによって、何層にも分かれている。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第1章 武士道の根本―武士道の源流―
1 歴史上の偉人たちに見る「武士道精神」
〇暗殺を予知していたが、あえて出向いたケネディとリンカン

ケネディは、最後は南部に行って、ジャックリーン夫人とオープンカーでパレードしているときに暗殺されましたが、それについては、夫人が親しくしていたジーン・ディクソンという予言者が、「南部に行ったら暗殺されるから、行くな」と繰り返し言っていたのです。それでも、ケネディはあえて南部に行き、暗殺されました。

リンカンも、最後は劇場で暗殺されているのですが、その何日か前から、「自分が暗殺される夢」を何度も見ていました。しかし、「死期を悟った」と言うべきかもしれませんが、「どうしても、劇場に行く」と言って、暗殺されています。

そのときも、奥さんは反対していましたし、警備隊長が断固許さなかったため、警備隊長に休みを与え、その日に劇場へ行き、二階の特別席のブースに入ったときに撃たれました。南部出身の俳優がピストルを持っていて、俳優に撃たれたのです。

リンカンは、その夢を、もう何日も前から見ていたと言います。夢のなかでは、気がつくと、自分の葬式をしていました。「みなが黒い服を着て葬儀をしている。誰かと思ったら、横たわっているのは自分だった」という夢を見ていたのですが、それを知っていながら、わざわざ撃たれに行ったようなところがあるのです。

南北戦争で六十一万人ぐらいのアメリカ人が死んでいるので、「これだけの人を死なせた」ということに対する自責の念を、おそらく持っていたのではないかと思います。武士として考えれば、切腹に値するような気持ちはあり、”チャンスを狙っていた”ようなところも、多少はあったかとは思うのです。やはり、こうしたところはあります。

アメリカの内戦としては、死者数が最大のものだったので、リンカンは、それに対して責任を感じていたし、神に祈りながらやっていたけれども、南部の人たちも神を信じていたでしょうから、そのあたりの「潔(いさぎよ)さ」はあったと思うのです。

【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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9 環境に対する視点【正見】
〇生かされている世界が見えるか

そのほかに、「正しく見る」ということにおいては、他人と自分の見方だけでなく、「周りの世界をどう見るか」ということも非常に大事です。

「生かされている世界が見えるか、見えないか」ということです。これは、「環境を見る」という言葉に言い換えてもよいかもしれません。幸・不幸の原因のほとんどは、「自分を取り巻く環境をいかに見たか」にかかっていることが多いのです。これは、私たちの理論を学んでいる人であれば、十分お分かりのはずです。「幸・不幸の原因は、環境をいかに見るかにかかっている。ここに相当大きな比重がある」ということを学んでいるはずです。

というのも、百パーセント完全な理想的環境というものはないからです。人の置かれている環境はうらやましく思えるかもしれませんが、その環境に自分が置かれたときに、それが百パーセントのものであるかと言えば、そうではないのです。やはり環境において百パーセントということはないのです。

例えば、贅沢をしたい人であれば、王宮に住むことは一つの夢かもしれません。しかし、仏法真理を学ぶ人にとっては、王宮に住むことは、別な意味での苦しさになってくることもあります。環境という客観的なものがあって、それさえ満たされればすべて幸福に転ずるかといえば、そうではないのです。

【大川隆法『真説・八正道』第2章「正見」82p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第三章 不滅の力 
〇魂の処方箋
さすれば、どうすればよいのか。
その第一が、
仏法真理を弘めるということなのだ。
そして、次に、
仏法倫理を学びつくしてもらうということなのだ。
仏法真理とは、要するに、魂の健康法であるのだ。
魂が病気になっている多くの者たちに、
「この処方箋のとおりに生きたならば、
その魂の病は治る」ということを教えているのだ。
だからこそ、これは尊いのだ。

「なぜ」と、おまえたちは問うかもしれない。
「仏の創られた国に生きる人間たちであるならば、
なぜ、それほどまでに魂が病むのであろうか」と言うであろう。
しかし、私は言っておく。
幾百転生、幾千転生の過程で、
人間は、さまざまに、この地上に生まれてきたが、
その一つひとつ、どれをとっても、
まったく同じ、魂の環境というものはない。
魂修行の環境は、いつの時代も違っている。
違った魂環境のなかで、
どう生きればよいかということは、
新たな修行であり、
新たな修行であるからこそ、
ここに過ちが生じてくるのだ。
この過ちを生じさせないために、
まったく同じ環境に魂を生まれ変わらせるとするならば、
過ちは生じない半面、
一切の進歩はなくなり、
人類は停滞のなかに置かれるであろう。

仏は、停滞を捨て、進歩を選んだ。
進歩があるがゆえに、
新たな環境のなかでの魂修行が始まった。
それゆえに、その環境に適合しない人々が、
次々と失敗もしはじめたということになる。
だから、そうした者たちに、
「初心を忘れるな」
「本来の心を忘れるな」と言って、
その処方箋を出しているのだ。
この処方箋を患者に伝えることこそ、
おまえたちの使命であるのだ。

よいか、
この使命において、充分ということは決してない。
この使命において、やり過ぎたということも決してない。
この使命は、
どこまで、その内容を深め、
どこまで、その外縁(がいえん)を広げてゆくか、
これに終わりはないと言ってもよいであろう。

【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 六波羅蜜多の思想
1内在する叡智

釈迦の思想のなかで最も特徴のあるものは何かと言えば、「内在する叡智があふれ出してくる」という考え方だと思います。

それゆえに、原始釈迦仏教は、現代のさまざまな宗教のような、祈りや祈願の対象を持つ信仰ではなかったと言えます。すなわち、自力が出発点だったということです。(もちろん、仏教が歴史を下るにつれて大乗化していく過程で、実在界の仏陀への信仰が始まり、他力化していくことにも、仏陀の意志が働いていましたが)。

その自力の根拠として、「内在する叡智(パンニャー・パーラミター)というものが湧き上がってくる、浮かび上がってくるという考え方がありました。釈迦自身の考え方によれば、この「内在する叡智」こそが、大宇宙の意志や仏神そのものに通じるものであるということでした。

したがって、他力思想というものは、厳密な自力修行という考え方からすれば、存在の根拠がゆるやかなものとなるのです。

つまり、釈迦の生前の思想は、一人ひとりの人間が仏となるための思想、仏へと進化していくための教えだったため、「みずからの外にある仏神を信仰する」という他力思想は、仏教の出発点においてはなかったと言えるのです。その点が、他の宗教と大きく違っているところだと思います。

もちろん、釈迦はさまざまな高級霊の霊示を受けていたので、高級霊たちの力を十分に知っていましたし、根本仏の存在も知悉(ちしつ)していました。(※知悉・知りつくすこと。細かい点まで知っていること)しかし、自分の修行過程に照らして、弟子を導く際にも、「自己の本質を掘り下げていって、内在する叡智を発見する」という方法をとったのです。

「内在する叡智を、いかにして掘り出し、涌出させるか」ということが仏教の根本であるということを、まず知っていただきたいと思います。

したがって、仏教とキリスト教とは、その出発点において、かなり違った面があると言えます。

キリスト教における「人間罪の子」の思想は、必ずしもイエス自身の考えではないかもしれませんが、内在する叡智を涌出させるという仏教の考え方は、キリスト教と比較すると、数段先を行っていると言えるのです。なぜなら、キリスト教においては、みずからが神になっていくという方法論は構築されていないからです。

キリスト教では、「父と子と精霊」というように、「父なる神、子なるキリスト、そして精霊たちが、厳然として存在している」という事実が述べられるにとどまり、他の多くの人びとは、救われるべき衆生、子羊の群れとしてしか存在を許されていないように受け取られかねない点があります。そうした物悲しい風景として、人びとの姿があるように見えます。

しかし、仏教においては、その根本に、仏性思想を中心とする、もっと力強い人間像があります。釈迦は人間の本質を、うつろいやすい肉体とは別の、よきもの、可能性に富むものと見ていたのです。仏教は「業」(かるま)の思想というネガティブな面だけでなく、「人間の心の奥には無限の叡智がある」という考え方も持っており、それが「六波羅蜜多」という考え方に通じていくのです。

釈迦の考えは「六波羅蜜多の六つの徳目を実践することによって、内在する叡智が涌出してくる。仏のエネルギーそのものが噴水のごとく溢れ出てくる」という大乗仏教の思想として結実し、「人間は、根本において非常に価値のあるもの、本質において、仏と変わらないものである」という積極的な人間観へと展開していきました。

その意味で、仏教には、その出発点から大乗運動への過程を通じて、「みずからの手で、自らを救っていく」、あるいは「人間はすでに救われているのだ」という肯定的な考え方があると言えるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2025年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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