(1/2-2)2『永遠の仏陀』を読む―目覚めよ―信ずることの大切さ―師を求む

『永遠の仏陀』を読む

1 くれぐれも、自分が世界の中心にいると思うな。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

99 エル・カンターレの法を広めることが、地獄を解消し、この世に仏国土ユートピアを建設することなのだ。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、『天御祖神の経済学』の教えを確認します。
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■『天御祖神の経済学』
1お金が存在しない実在界における経済学とは
〇何らかのエキスパートで、役に立つ仕事をしている人がいる「六次元」

天御祖神
この上にある六次元という世界になりますと、人間的生活からもう一段離れたものとなってきます。

五次元世界には唯物論的な「物」というものは存在しませんが、生活形態としては、この世に似た生活形態をとっている人も数多くいます。ただ、この世とは違った面も一部にありますが、考え方においては、人間的生活を模倣しているような生活をして生きている者が数多くおります。

しかし、六次元という、もう一つ上の世界に入ったときには、精神的なる要素がさらに高いものになっています。

すなわち、人間としての姿で毎日の生活をしなければならない、そうした暮らしの組み立て方というものは、きわめて希薄なものになってきます。何らかのかたちでの仕事というものは残ってはおりますが、人々の役に立つという意味における仕事の形態はあり、それぞれの専門というものはありますが、あくまでも、この世的な意味における生活と仕事というようなものが存在するわけではありません。

人々は、何か自分の長所にあたるもの、特長にあたるもの、最も関心のあるものについての研究や修行、あるいはその実践を行っています。ですから、六次元といわれる世界から上では何らかの意味での専門的なエキスパートであることが多く、それぞれ得意なものを何か持っています。

そのなかでも、神仏の心の本流のなかで修行している者と、そうではなく、まだ地上にいたときの名残としての自我や自己陶酔感が幾分残っている者たちには、「裏側」というわれる世界において、すでにこの世的なものではないけれども、「霊能力」、「超能力」といわれるもので、人ができないようなことを研究したり実践したりしている人もいます。

この表側も裏側も共に、地上に生きている人間に対しては、時折、影響を与えています。地上にいる人たちが何らかの専門的な仕事をやっており、それを究めようと努力しているような関係においては、六次元世界からの指導霊・支援霊となって、彼らを背後から応援していることになります。

そこまで行っていないレベルの霊たちは、いわゆる先祖霊とか、あるいは友人、知人、家族の霊として、四次元、五次元あたりにいて、地上に生きている人間に影響を与えることもありますが、プロフェッショナルな何らかの能力を持っている、そして、この世でそれを役立てようとしている人に対しては、だいたい、六次元の存在が何らかの意味でティーチャーの役割を果たしているといえると思います。

この六次元にも「下段階、中段階・上段階」ぐらいの差はあって、その「下段階・中段階・上段階」の差のなかでも、またしても「下段階・中段階・上段階」ぐらいのわかれ方があって、大まかにいえば三段階、もうちょっと細かく言えば九段階、さらに分ければもっと細かく分かれていくことになります。

その六次元世界に住んでいて、同じ世界であるから自由自在に行き来しているかと言えば、必ずしもそうとは言えません。それは、例えば、建物のなかにおいてそれぞれのフロアが違えば、そのフロアを移動するのに階段とかエレベーターとかを使わなければ、別のフロアに移動し、そこで自分の行動をすることができないのと同じように、何らかのきっかけがなければ、別の階層に移動することはできず、同じ階層のなかで同じレベルの人たちと技を磨きつつ勉強している、あるいは修行しているということになります。

もちろん、上の次元に上がっていくほど、神の心に近づいていくのはそのとおりでありますけれども、残念ながら、日本の霊界においては、この六次元あたりの存在が「神」を名乗っていることは数多くあります。それは、八百万(やおよろず)の神々という言葉で表されるように、八百万もの神が存在するわけはないけれども、八百万もの専門家ということであれば、存在することができるはずです。

そういうふうなことで、この世の職業に合わせたような、あるいは職業にかかわらず、何らかの才能的な面において必要な能力を持っている者たちが、その道を究めんとしてやっている世界が、この六次元という世界であります。

【大川隆法 『減量の経済学』第2章「天御祖神の経済学」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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1反省とは何か
〇なぜ「反省」というものがあるのか

本書においては、「八正道」に関する私自身の現代的解釈、および、現代における反省法の考え方について、「真説・八正道」という題で論じていきたいと思います。

今の時点で、なぜ、こうした「反省法」というものが必要とされるのでしょうか。それを多くの皆さんは深く考えたことがあるでしょうか。また、考える必要に迫られたことがあるでしょうか。そのように自分の胸に自問自答するときに、「深く考えることなく数十年の人生を生きてきた」ということに後悔せざるをえないのが、いわゆる凡夫の姿ではないでしょうか。

そこで、「なぜ、こうした反省というものがあるのか、ありうるのか」、あるいは、「なければならないのか」ということを、まず初めに考えてみたいと思うのです。

みなさんは、今、さまざまな仏法真理や霊言・霊示によって、永遠の転生輪廻をしていることを既に教えられています。「はるかなる昔から、数百年、あるいは、数千年の単位で転生輪廻をくり返しているのがみなさんである」と言われているわけです。

みなさんは、「そうした内容を書物で読んでいながら、それを目に映した知識としてのみ理解しているのか、それとも、本当に魂の底から理解できる内容として、了知(りょうち)できる内容として、納得できる内容として受け止めているのか」ということが、まず問題とされるのです。

【大川隆法『真説・八正道』第一章「序章」p26】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第一章 目覚めよ
〇信ずることの大切さ
まず、私があなたがたに語っておきたいことは、
信ずるということの大切さだ。

あなたがたは、さまざまな価値観に、
心乱れ、心揺れることもあるであろう。
しかし、信ずるということが、
あなたがたがこの世ならざる存在であるということを、
雄弁に物語っているのだ。
いかなる人の心にも、
信ずる気持ちがある。
信じたいという気持は、
この世の存在を信じたいということではない。
この世をはるかに超えたる世界を、
その世界のなかにあるところの叡智を、
信じたいということなのだ。

現代人の多くは、傲慢にも、
自分たちの知力によって理解できぬものは
何もないと言わんばかりに、
驕(おご)り、高ぶっているかに見える。
しかし、そのような現代人たちであっても、
深く己の心の内を眺め入るならば、
そこに、理解を超えたものへの熱いまなざしを感じるであろう。
いくらその目を伏せたとて、
仏法真理に寄せる熱い眼(まなこ)は、閉ざすことができまい。

たとえ、この地上で、
どのような博学の人であると言われようとも、
夜空を見上げてみよ。
そこにちりばめられたる星々の神秘を、説明することができるか。
なぜ、地球が丸く、自転しているかを、説明することができるか。
なぜ、太陽が必ず東から昇り、西に沈むかを、説明できるか。
その奥にあるものは、
この世界において魂修行をしてゆく者たちへの、
おおいなる愛であるのだ。
大いなる愛が顕現して
魂修行をしている人間たちが、たとえ気づくことがなくとも、
彼らに、生きてゆくための環境を与えているのだ。
あなたがたは、この大いなる愛を感じとらねばならない。
地上にある人間たちの理解が及ぼうが、及ぶまいが、
そんなことにかかわりなく、
人々を生かし続けている、
大自然の不思議よ。
大宇宙の神秘よ。
ああ、そこに、
一辺の感動を見いだすことができる者であるならば、
信ずるということは、ことのほか、たやすいことであるのだ。
信ずるとは、まず、
みずからが生かされていることを知った時に、
魂の奥深くから溢れ出してやまない気持ちであるのだ。
その真実に気づいた時に、
あなたがたの、仏法真理を求めるそのまなざしは、
さらにさらに、奥にあるものへと向けられてゆくであろう。

【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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2 師を求む

二十九歳でカピラヴァストゥを出て出家したゴータマは、とりあえず師を求めて、あちらこちらをさまよいました。どのような師を求めて、どのような修行をしたかは、現在に伝わる多くの仏伝に記されています。

師を求める旅、死を求めてなした修行は、ゴータマの精神形成上、必ずしも無駄にはなりませんでした。少なくともゴーダマはそのとき、「修行者とは何か、また、修行者は何を求めて修行しているのか」ということを、つぶさに見たのです。そして得た結論は次の二つでした。

当時のインドにおける修行の特徴は、一つには”スーパーマン信仰”であり、この世的な人間とは別の人間になろうとする傾向が強かったということです。なんらかの意味で、この世の苦しみから逃れ、スーパーマンになろうとする人が多かったと言えます。

もう一つは、今風に言うならば、”幸福の原理”が説かれていたということです。「どうすれば人間は真の幸福を得ることができるのか」ということを中心に、数多くの師がそれぞれの法を説いていたのです。

ある人は「肉体を徹底的に痛めつけることが悟りへのよすがであり、近道である。肉体的なるものから心を遠ざければ遠ざけるほど、悟りに近いのだ」と説いていました。そのため、火のなかをくぐったり、水中で作善をしたりする者がいました。なかには、逆立ちをしたり、刃物で体を傷つけたり、針を全身に突き刺したりする者もいました。

また、他の者は「思いを止める」ということに専念していました。彼らは「すべての悩みの根源は、心に去来する思いにある。この思いを止めることさえできれば、悩みはなくなり、心は安らぎ、至福を得ることができるのだ」と考えていました。これは「無念無想」という考え方のはしりだと言えます。

また、何をもって「悟り」とするかを明らかにせず、弁術論のようなものを職業としている人もいました。彼らは「相手の批判をどうかわすか」ということを中心に勉強しており、「議論に勝つことが、すなわち悟りである」と考えていたのです。

こうした経験を積むにつれ、ゴーダマのなかで、「何かが違う」という感覚がしだいに強くなっていきました。何が違うのかというと、「結局、教えの中身がないではないか。いったい何をもって悟りとするのか。人生の目的とは何か。人間の霊性の本質とは何か。それをずばり答えてくれる人は、いくら探してもいないではないか」ということでした。

それゆえに、ゴータマは師を求めることを捨てたのです。出家してから、師を求めることを捨てるまでに、一年とはかかりませんでした。こうして、みずからの心を師とし、みずからのなかに仏を発見する道を模索するようになっていったのです。法理の発見こそ、修行の目的となったのです。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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