(1/17-2)17『永遠の仏陀』を読む―人生最大の悦び―正命

『永遠の仏陀』を読む

16 妖怪は、自分の失敗を指摘されると、記憶が遠くへ飛んで、自分へのほめ言葉は、過大に、岩に刻む。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

82 無間地獄では、他の人の姿も見えず、声も聞けない。いわゆる「危険犯」として井戸の底に隔離されるのだ。残虐な政治家、間違った思想を流布した者は、生前、悪魔信仰の指導者をしていた者たちである。

83 しかし、何千年、何万年と地獄の最深部で反省もしなかった者は悪魔となって、神仏への反逆を試み、魔王たちを部下に集めている者もいる。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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明日18日に出版局の平田部長代理をお招きして、経典「経営者マインドの秘密」セミナーを開催いたします。
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経典「経営者マインドの秘密」
講師 平田景近 部長代理
場所 伊勢支部 礼拝堂
【時間】13:40〜【午後の復活の祈り終了後】
ご奉納目安 感謝奉納

こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、『天御祖神の経済学』の教えを確認します。
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■『天御祖神の経済学』
5 上に立つ者、豊かな者は「徳」を持て
天御祖神

そして、貧富の差が合理化できて、説明できる範囲というのは、やはり、「上に立つ者、あるいは豊かな者が徳を持っているかどうか」ということが結論になると思うのです。

「徳とは何か」ということは、説明は長くなりますから簡単にしか申せませんけれども、徳とは何かというと、やはり自分を修練していく知恵です。自分をよく鍛え、よく磨き、よくひとのためにつくりあげていくための智慧を持っていることが、「徳がある」ということだと思うのです。

この徳のある人間が社会を発展させていく主導力になっていくことこそ、社会で大事なことであると思います。

だから、未来をどうすればよいかというと、「資本主義の精神を死なせないで、未来をよりよくしていく」ということであるならば、それは、「富をつくっていける人が道徳的にも人々を導いていけるような存在になるよう、そういう教育や道徳や習慣のなかに社会が運営されていく」ということです。

それが、虚偽の報道や洗脳によって、例えば、北朝鮮や中国のように、虚偽の報道によって一方的につくられた偶像がそうなっているのであってはいけないのであって、「真実でもって、真実語でもって人々を導くべく、導いている人たちが、人の上に立っている。そして、ある程度のその豊かさを人々に教えることができるし、その方向を指し示すことができる」、そういうことが大事なのではないかと思います。

私は、富んでいる人たちが人々を道徳的にも引っ張っていけるような社会が大事だと思うし、「この世における金銭が幾ら貯まろうとも、結局、百歳内外で死んでいくときには、すべてを置いてこの世を去っていかねばならないのだ」ということ常に意識しながら、仕事に邁進していくことが大事であると思います。

さらに、「自分で責任が取れることは自分でする」、あるいは、「自分が自分の家族に責任を取れる範囲内で、やはり働く義務はある」ということが大前提です。

例外に関しては国家や地方が面倒をみなくてはいけないこともあるし、もし「外国が戦争を仕掛けてくる」というようなレベルになりましたら、もう個人ではいかんともしがたいことがありますので、それについては、やはり、「国全体で、共通善としての文化を保護する。守り抜く」ということも大事ではあるのではないかと思います。

「先の大戦において日本が侵略した」という自虐史観もけっこう長く流れましたが、今、中国、北朝鮮、ロシア、それから、もちろんアメリカもそうですけれども、「極超音速核ミサイル」を撃てるようになってきております。

こんな、もう防衛して撃ち落とすこともできないようなものをガンガン実験し、宇宙ステーションも打ち上げたりしている時代において、すごく時代遅れのことを議論し、選挙をやっても、表向きだけいいことを言って本当のことは言えないような世の中が、日本にできております。

これは、ぜひとも、「国民と国家とを、よい方向に導きながら守るということは大事なことであり、侵略を旨とする行動原理を持っている国家には、一定の反省を求めなくてはならない」ということをやはり打ち立てるべきではないかと思うし、「そういう行動は、究極において富を生み出さない」ということを、彼らに知らしめる必要はあると考えおります。

軍事力を富に変えていこうとするような考えは、もう野蛮な海賊たちの考えとやはり変わらないことであるので、「人間として平均以下である」ということを知らしめる必要はあると思います。

そうした、先軍政治が勝利するようなことを考えているところに対しては、私は今世紀中に必ず鉄槌(てっつい)を下すつもりでおります。

ただ、彼らに鉄槌は下しますが、(鉄槌を)下して利益を得る側の人たちも、また同じような道を歩まないように、自分たちを常に鍛錬しつつ、徳への道を歩むことが大事であると思います。

これが今日の話です。ありがとうございました。(完)

【大川隆法 『減量の経済学』第2章「天御祖神の経済学」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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5正しく人を見るための判断基準【正見】
⑤神仏と心を通わせる気持ちで、自他の思いを見る

四段階目で「仏法真理の基準において正しく見る」ということを挙げましたが、これはまた違ったかたちで見ることも可能です。四段階目の「仏法真理の基準に照らして、あるいは仏法真理の知識に照らして見る」ということもなかなか困難な部分はあるので、そのときには、もう一つ違った方法があります。

それは何であるかというと、「心を空しゅうして、神仏と心を通わせる気持ちで、神仏の心に通じる気持ちで、静かに自分の思いと相手の思いを見てみるということです。空しく、まったく利害というものを放下(ほうげ)し、そして、執着と言うものを去って、自分のあり方、他人のあり方などについて見てみるのです。「自分の見た相手の像が間違っていないか。あるいは、相手の『自分はこうだろう』と思っている自己像のほうが本当に間違っているのか。また、こうした像のズレを知ったときに、いったいどのように埋めていけばよいのか」ということを、心を空しくして見なければならないのです。

こうしたときに、例えば、自分の受ける相手の印象が悪かったとしても、「実はとんでもない考え違いであった」と気づくこともあります。「相手の立場のほうがやはり正しかった。そのように見られたら、相手は『不当だ』と思うだろうけれども、そう思う方が正しい」ということもあるのです。

【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」65p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第三章 不滅の力 
〇人生最大の悦び
我の記憶のなかには、
幾代、幾十代、幾百代、昔に、
さまざまな国において法を説いた、
その思いが遺っている。
それぞれの地で、
たとえ、おまえたちの姿形は変わるとも、
おまえたちは、いつもわが弟子として、
わが身辺を固め、
そして、我に従いてきたものであった。

そのような、ある時代の、ある時に、
わが法を学ぶために、
生命(いのち)を捨てることも惜しいと思わなかった者は数知れない。
その身、虎に食わるるとも、
求道の心はやまずと言った人は多かった。
その教えを知るためには、自分の生皮をはいででも、
そこにでも教えを書きとめたいと願った求道者もいた。
そのように、過去の求道者は、すべて、
己の生命をかけて精進してきたのだ。
精進とは、そのようなものなのだ。
生命(いのち)をかけて行うものなのだ。
生命をかけるとは、いかなることか。
それは、
自分の求めているものの値打ちを
知るということなのだ。
その真なる値打ちを
知るということなのだ。
これが、人生最大の悦びとなる。
地上において、この仏法真理のみならず、
さまざまなる学問があるであろう。
それぞれの学問を学んでいる途中でも、
さまざまな悦びはあるであろう。
しかし、仏法真理を学びたる悦びは、
これは何物にもかえがたいものなのだ。
魂は打ち震え、手は踊り、足は宙に舞うであろう。
それだけの悦びを持たねばならぬ。
大宇宙の秘密を教えられ、
人間の秘密を教えられるということの素晴らしさよ。
また、この地上を離れた世界があるということを確信した時の、
あの悦びよ。
それは、王侯貴族の位ともかえがたいものだ。
この事実は、何度繰り返しても、充分すぎるということない。
まさしく、そのとおりなのだ。
頭上に飾る一つの純金の王冠よりも、
一巻の仏法真理の書を選ぶことが、
どれほど素晴らしいことであるかが分かるだろうか。
それは、人間として生まれて味わいうる、
最大の悦びであるのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
7 正命

次に、「正しく命を全うする」「正しく生活する」という観点から反省を考えてみましょう。

だれにとっても、一日は二十四時間、一年は三百六十五日で成り立っています。また、誰もがやがては地上を去ることになっています。大多数の人は百歳まで生きることさえできません。

人間は一日の枠のなかで何時間かを睡眠にとられ、さらに何時間かは食事など生活に必要な時間にとられます。そして残された時間が、仕事の時間だったり、自分のための時間だったりするのです。

だれに対しても一日が同じ枠として与えられているという事実は、恐るべきことです。生まれつきの才能などに関係なく、誰に対しても同じく二十四時間が与えられており、その二十四時間をどう使うかによって、その人の人生が決まっていくというのは、このうえなく、公平なことだと私には思えます。

この二十四時間を使って、ある人は一国の宰相となり、ある人は大学者となり、ある人は思想家となりますが、ある人は単なる無為徒食の輩となることがあります。この差は、時間という観点から見たときには、結局、「時間の中身をどのように充実させていったか」ということに起因するのです。

したがって、正命を現代的に翻訳し直すならば、「どのように一日を生きているか。どのように二十四時間を使っているか」という考え方になります。また、「二十四時間の積み重ねである毎月毎年を、どう生きているか」ということにもなります。

ここで私は大事な事実を指摘しなければなりません。それは、「時間を貴重なものだと考えるならば、一日の枠を一生として考え直し、そのなかで時間をいかに使うべきかに、思いを巡らせなければならない」ということです。

たいていの人は、「きのうがあったように、きょうがあり、きょうがあるように、あすもあるだろう」と楽観していますが、あすの生命があるという保証はないのです。もし、きょう一日で、きょうの夜中の十二時で、みずからの人生が閉じてしまうならば、さお、どうしますか。あなたはどう生きますか。「しまった」と思うことのほうが多いのではないでしょうか。

結局、正命とは、「きょうで生命が終わると考えたならば、おそらく自分はこのように生きただろう」という観点なのです。こうした観点から見たとき、反省すべき点が出てくるはずです。あちらにもこちらにも、さまざまな可能性があったのに、その可能性を捨てて生きていた自分を思い知らせさるのです。

要はこの一点です。「一日を一生と思い、その一日で死んでしまうと思ったとき、はたして悔いのない一日であったか」という観点から、一日の出来事や自分の言動を判断していくことです。これを続けることによって初めて、「正しく生活をしている」と言うことができるようになるのです。

なお、伝統的仏教的解釈としては、違法な手段(犯罪的行為)で生計を立てることや、明確に仏法真理に反することを職業とすること(邪教、唯物論の思想家など)も、正命に反するとされます。

【大川隆法『釈迦の本心』第2章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2025年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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