92 外見の美ではなく、美しい人生を望みなさい。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
3月7日は「宗教法人設立記念日」です。「幸福の科学が永遠に続くことになった始まりの日」です。
1991年のこの日に、「幸福の科学」は宗教法人として、世に誕生したことを記念する日です。この日をはじまりとして、幸福の科学は永遠の法灯がともされることになりました。
「宗教法人設立記念日」には、大宇宙の根本仏であられる主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生に、永遠の法灯を灯して下さったことへの感謝を捧げます。
そして、発祥の時において、いかに盤石なエル・カンターレ信仰を打ち立て、
揺るぎない形で主の法を後世に伝えることができるかが重要な使命であることを心に刻み、
真理の法灯を子々孫々に継承していく決意を固めてまいりましょう。
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本日から、2017年3月7日に説かれました「魔境からの脱出」を引用して振り返ります。
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■「魔境からの脱出」
3 組織が大きくなると攻撃してくる「マスコミの法則性」
〇「攻撃開始」のサインとなった「宗教法人格の取得」
そのように、夏に東京ドームで初めて講演を行った一九九一年は、宗教法人格を取得した年でもありました。当時は東京都が申請先だったのですが、宗教法人課の職員は、『太陽の法』(幸福の科学出版刊)を読んで、「私たちも感じるものがあります」と言っていました。「宗教は平等ということで、いちおう教義のよし悪しや高低などについては考えずに、形式だけで見ることにはしています。ただ、『太陽の法』を読んで、これは、ほかのところとは違うと感じます」というようなことを言ってくれたのは覚えています。
その後、「オウム事件」が起きてからは、宗教法人の認証もかなり難しくなったようです。
あれからすでに二十数年がたち、宗教法人格を取得したところに生まれた世代の人が、今では二十代ながらも幹部要員で入ってくる時代になっているので、当時の時代感覚が分からなくなりつつあるところもあるかもしれません。
例えば、私の娘は、高校時代にチアダンス部に入っていて、東京体育館のような一万人規模の会場で演じたこともありましたが、父親が東京ドームで”変な格好”をして説法をしている昔の映像を観て、「こんな大きなところで何をしているの!?」というようなことを言っていました。「うーん、昔は普通にあそこでやっていたんだけどなあ。今よりもっと大きな会場で講演をしていたのを知らなかったの?」という感じの話をしたのを覚えています。
また、当時、長男はスタンド席あたりから私の説法を双眼鏡で見ていて、「あれがパパなの?」と言っていたようです(笑)。
そのように、チャレンジングな宗教法人取得の年ではありました。
ただ、その前日までは、マスコミ等は幸福の科学のことをほとんど話題にしてくれなかったのですが、宗教法人格を取るや否や、各雑誌や、さまざまなメディア、媒体にたくさん出るようになり、ガンガンにいろいろなことを報道され始めたのには驚きました。
当会としては、”それ以前と同じ”だと思っていたわけですが、宗教法人格を取ると優遇税制があるというところが関係あるのでしょう。つまり、宗教行為そのものに関しては非課税になったということです。また、不動産関係については、保有税や相続税系統のものも非課税になります。
なぜかというと、そういう税金をかけられると、お寺はなくなってしまうわけです。「散財相続したらお寺がなくなる」ということであれば、お寺は存続できないでしょう。代を引き継ぐごとに、墓地を半分ずつ売っていくことはできませんから、いちおう軽減措置ということで、税金がかからないようになっているのです。
もちろん、営利事業を行っている部分については、一般の会社よりは税率がやや低いものの、きちんと課税されています。ただ、それ以外の、宗教の本業のところについては、税金がかからないようになっているわけです。
これが、外部にとっては、うらやましいと言えばうらやましく、疎ましいと言えば疎ましいわけで、宗教法人化を「攻撃開始してもかまわない」というサインと捉えたのでしょう。いろいろなところに当会のことが出るようになって、結構集中的に批判を受けました。
やはり、このあたりは初めての経験に近かったので、自分では分からないのです。自分としては、「昨日もやった。一昨日もやった。今日も明日もやり続けるだけだ」という感じで、同じく一生懸命に走っているだけなのですが、どこかで扱いが変わることもあるわけです。
〇「どこから公人になるか」は、他の人を見て勉強しておくべき
そういう意味で、マスコミ等の報道で難しいのは、「公人」か「私人」かの分かれ目のところでしょう。それはとても難しいものがあり、自分で客観的に評価できる人はあまりいないだろうと思うのですが、いちおうラインはあるのです。
たた、これについては誰も教えてはくれません。「ここから先は公人です」というような一覧表があって、「ここからは週刊誌に載り、ここからはスポーツ紙に載り、ここからは五大紙に載って、ここからはテレビの七時から九時のニュースに出ます」などというように書いてはくれていないので分からないのです。そのため、ある日突然、報道されるようなことになります。
そのように、「自分の変化が、周りからどう見えているか」を知るのは、とても難しいことでもあるし、誰も教えてくれないのです。
したがって、あのあたりのことを知るためには、「自分より年上の人や、違う業種でも似たような扱いをされている人など、ほかのいろいろな人たちが、どのようなときに、どのような扱いをされていくか」ということを見て、勉強していかなければなりません。新聞の社会面や文化面、あるいは、週刊誌等、いろいろなものを見て、「報道してくれないと思っていたのに、報道したら、このようになるのだ」ということを、よく勉強しているとよいわけです。
【大川隆法『悪魔からの防衛術』第二章「魔境からの脱出」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。
七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。
それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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生命に よりて 歴史あり
生命は 永遠に 普遍なり
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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。
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And Buddha’s Energy has made Human History.
It will be supplied eternally.
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光は、仏の生命であり、
仏の生命によって人は生きています。
そして、仏の生命によって、歴史があるということです。
歴史というものは、人と人との間に生まれる営みの記録であり、「愛の星 地球」の記憶でもあります。
ところで、
仏教では、原因と結果の法則が説かれています。「縁起の理法」とも呼ばれています。縁起に時間縁起と空間縁起いうものがあります。
日本人であれば、例えば、私という存在(結果)があるのは、父と母がいて、祖父や祖母がいて・・・突き詰めると日本の神話にある八百万の神や、天照大神様の時代に遡り、さらにさかのぼると3万年前の天御祖神様の時代に生きた祖先(原因)にまでさかのぼることができる存在です。このように時間の中の原因と結果を時間縁起と言います。
「普遍」という言葉は、難しい言葉ではありますが、 全体に広く行き渡ることや例外なくすべてのものにあてはまることです。
本日の引用部分は英語版の正心法語では、
People can live by this Energy.
And Buddah’s Energy has made Human History.
It will be supplied eternally.
となっています。
「生命」が「Energy」【力・エネルギー】Buddah’s Energy【仏の力】となっているところが注目すべきところです。
仏の力が人類の歴史を創り、仏の力が永遠にあらゆる場所へと供給され続けていることが記されています。
そういう意味では、歴史とは、人の時間縁起と空間縁起が、織物の経糸と横糸を組み合わせて一つの大きな布をつくようにして出来上がるものです。そういう意味において、人は、主の慈悲の光の中で、悠久の時間を越えて、多くのものに生かされている存在ということに思い至ります。
私たち人間の歴史は、主が創造された時間と空間と光によって紡ぎ出されたものです。
根本仏は、もしかしたら大宇宙という織物を光という仏の生命によって織り上げているのかもしれません。
この世は諸行無常の世界であり、変転極まりない世界でありますが、無常の中にあって変わらないもの、それが「生命」であると教えていただいています。
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最後に、経典から抜粋いたします。
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仏神は光です。
光は、あるときは粒子として顕われ、あるときは波として顕われます。
光が粒子として顕われたとき、そこに物質が出現します。
光が波として顕われたとき、それは想念、念いの作用としてのみ存在します。
仏神の心というものは、
凝集されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心というものは、
凝縮されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心が、
凝集された粒子というかたちではなく、波として顕われたときには、
想念の波動として、念いとして、宇宙を飛び交う電波としてのみ存在します。
これが大宇宙の秘密なのです。
【大川隆法 『不滅の法』序章「心のなかの宇宙」より抜粋】
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仏に三身ありと言われており、仏のお姿には「応身」「報身」「法身」の三種類あります。そのなかの最も尊いのが「法身です。これは、肉体存在や目に見えるものではなく、宇宙を統治する法則としての存在です。たとえば、「原因・結果の法則」「波長同通の法則」「生々流転の法則」など、仏教で言えば「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の「三法印」も仏の法身です。また幸福の科学の基本教義である「愛」「知」「反省」「発展」の四正道もエル・カンターレの法身仏にあたります。
そして、何よりも「光とは何か」を教える『仏説・正心法語』こそが、私たちの主、エル・カンターレの法身そのものなのです。
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■「読むことで、宇宙の叡智、人類の叡智とつながることができます!」
『仏説・正心法語』という経典は、釈迦の生命体から発された言魂で書かれているものです。これは宇宙の叡智、人類の叡智です。この光がみなさんの黄金のパイプを通じて伝わってくるのです。こういう経典が現にある以上、これを通じて無限の叡智へとつながっていくことです。
【大川隆法『幸福の原点』p.155より抜粋】
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When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第5章 智慧とは何か
3 識(しき)と般若(はんにゃ)
④ 識は般若を支える足腰の部分
別のたとえを使うならば、必ずしも宗教的な知性とは関係がないのですが、たとえば理想的な官僚というのがいるとすれば、その官僚の立場は識の立場に近いでしょう。そうした人たちは、非常に分析能力があり、書類をつくったり判断をしたりする能力を持っています。
また一方に、理想的な政治家がいるとすれば、この政治家は、非常に直観力や洞察力に富んでいて、どうすれば人々をまとめることができるか。全体の力を合わせていくことができるかということに、いつも心を配っています。このような理想的な政治家の立場は、般若の立場に近いわけです。
ですから、この世的なIQのほう政治家の平均IQのほうが政治家の平均IQより高いかもしれないし、官僚には頭のいい方が非常に多いのに、官僚が政治家につかわれているというのは、こうした洞察力のところが違うからなのです。ものごとの道筋を見ていく力、全体をつかむ力、「どういう判断をしたほうが全体的な利益になるか」という大局的な判断をいつもしているのが、理想的な政治家のあり方です。官僚は、一生懸命、事務仕事をしていますが、最期の判断はもっと高い境地からの判断に委ねるという、こういう感じに少し似ているかもしれません。
これは、宗教的な面で言うならば、たとえば、宗教研究家という学者の立場と、実践している宗教家の立場との違いが、この識と般若の違いに当たるかもしれません。
宗教学者というのは、宗教の本を読んで研究しても、論理性を一生懸命追究していきます。論理的かどうか、教義に整合性があるか、言葉が厳密か、ということをいつも研究していますが、宗教家というのはそうではありません。分析が必ずしも厳密ではないかもしれません。また、必ずしも論理的ではないかもしれせん。その人にとって必要なことを言うので、相手によって違うことを言ったりします。宗教家の言葉は、昨日言ったことと、今日言ったことが矛盾することもあるのです。しかし、学者の立場では、そのようなことはあまりないのです。
なぜ、宗教家はそうした矛盾することでも言うかというと、それは相手を救う、相手を助ける、あるいは何とかして解脱させるという観点から、相手に必要なものを出しているからです。その意味では、自己という自我意識が明確であれば矛盾することなのですが、自他一体ですべてが幸福になることを考えているので、一見この世的には矛盾するような行動や意見を言うことがあっても、全体で見れば確かに一つの目的に向かって進んでいるのです。そうした違いがあります。
ですから、宗教学者が宗教を研究するとき論理的にだけ分析していこうとする傾向がよくあるのですが、それで宗教を理解しえたとは言えません。宗教家の立場はそうではありません。やはり「人をどうやって導くか」ということをいつも考えているので、結果が素晴らしければそれでいいわけです。結果として人々が救われたらそれでいいわけで、そのために情熱を持ち、本質的なものを選び出して、そうでないものを切り捨てるという作業をいつもしています。
たとえば、官僚などが、「過去の事例や法律に基づけばこうなる」というように、杓子定規に判断していくのに対して、「法律が悪ければ、法律を変えるしかない」というような判断をするのが政治家です。過去こうしていたから今もしなければいけないかと言えば、必ずしもそうではありません。わかりやすく言えば、それが「識」と「般若」の違いです。
ただ、般若のほうが立場が上だからといって、識のほうを無視してよいかといえば、必ずしもそうでないことは、念を押しておきたいと思います。お寺のお坊さんなどは、そうした般若の智慧修行をずいぶんしているわけですが、この世的に疎(うと)いところがあって、疎さが結局、救済力を空しくしていくこともあるのです。ですから、識というのは、知性全体を肉体にたとえるならば、足腰の部分に相当するものなのです。足腰が弱いと頭の働きも悪くなるわけで、般若の働きといっても、足腰の強さも関係があるということを知っていただきたいのです。
また、宗教的人格、瞑想的なことを好む方というのは、よく失敗をしたり、悩みをつくることが多いのですが、それはこの世的なことでつまづいていることが割合に多いのです。普通の人なら「こうしたらこうなる」ということがわかるのに、それを知らないがために失敗をするのです。そして葛藤をつくって悶々(もんもん)とし、本能から脱せられないということで苦しむのです。
しかし、この世的な智慧があれば、スパッと切れることはいくらでもあります。「ああ、それはここが悪いのだ」「悪いことを考えている人はここにいるのだ」といえるところを、あまりにも宗教的な立場にこだわりすぎてしまうがゆえに、わからなくなって、悩みを大きくすることもあるのです。
ですから、識の立場を完全に捨て去るべきものではなく、「般若を支える足腰の部分である」というふうに思っておかなければいけないと思います。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第5章「智慧とは何か」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(3/4-1)63『真理の言葉・正心法語』をよむ ④生命は歴史であり永遠に普遍―組織が大きくなると攻撃してくる「マスコミの法則性」
