33 家族や友達に信用のない人は、会社でも出世しない。
35 演技も言い訳も通用しない。仕事は、公も私も貫く、「誠実さ」が大事である。
【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
本日3月26日は、津支部精舎の落慶記念日です。皆様誠におめでとうございます。われらが愛する三重の地に、大いなる光の灯台をお許しくださった主に心より感謝を捧げます。主よ、まことにありがとうございました。
そして、4月21日は主の伊勢支部御巡錫記念日です。2013年4月21日大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】
この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
さて、ここからは2002年7月7日に説かれました御生誕祭御法話『大悟の瞬間―大いなる悟りが明かす多次元空間の神秘』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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〇偉大なる大我
これを無我の思想に当てはめてみると、どうなるでしょうか。
人間は、この世で生きていると、「この体が自分だ」というように認識してしまいますが、体だけが自分ではないのです。
もちろん、体とぴったり合った形をした霊魂というものもあり、これもまた、形は有限のように見えます。しかし、これは実は、有限なものであって有限ではないのです。それは大宇宙とつながっていて、共有意識、あるいは共通意識というような、全人類に共通している霊的想念の世界とも、つながっているのです。
それはちょうど電話やテレビの世界と同じで、あらゆる霊的存在と、一瞬にして、つながるような世界です。
各人は、ばらばらに住んでいるように見えても、ちょうど、電話の配線工事がなされていて、それぞれの電話機にコードがつながっているようなものなのです。各人の存在は、そういうものであるのです。各人は各個の”ナンバー”を持っていながら、実は、すべてがつながっている存在なのです。
そして、それをつなげているものは、いったい何かといえば、それこそが、心の法則にほかなりません。
心の法則は普遍のものであり、その法則には、人種や性別、年齢、あるいは時代を超えて、共通のものがあります。
「このような心であれば、こういう世界に通じる。こういう人たちと通じる」「このような思いを出せば、こういう未来が展開する」という、共通の、心の法則があるのです。
釈尊は、内なる自分を見つめると共に、「この霊的存在が、実は個別の自我ではなくて、永遠の魂ともつながっている。永遠の大我(たいが)ともつながっている。そして、個々別の人たちの心が、みな、つながっている」ということを悟るに至ったわけです。
現代的な言葉で言えば、「表面意識だけが自分なのではない。潜在意識のなかにも、自分と通じるものがある。自分は潜在意識とも同通している」ということです。
その潜在意識とは、自己の潜在意識であると同時に、霊界世界にある、他のさまざまな霊的存在とも一瞬でつながるものなのです。
これは私も経験していることです。テレビの画面を観ていても、そこに出てくる人の意識と一瞬にして通じます。写真を見てもそうです。いろいろな人の意識と通じます。また、その人の守護霊や、その人に取り憑いている不成仏霊と通じることもあります。写真の人物が故人であれば、その人自身の霊が出てくることもあります。
このように、あの世というは、瞬間的にすべてがつながるような世界です。そういう強力なネットワークができている世界なのです。
要するに、釈尊は、物質的に視える自分とは異なった、「霊的世界につながる我」という自我観を持ったのであり、それを「無我」という言葉で表したのです。
無我とは、「我がない」ということではなく、「偉大なる大我(たいが)とつながっている我」ということであったのです。「大我(たいが)とつながっており、相互に影響し合っている存在、お互いに、別なもののようでありながら別なものではなく、同じようでありながら同じではない存在」ということです。
そういう世界であったということ、「根本仏(根本神)の大きな念い、自己実現の念いが、個別の生命として表れて、花を咲かせているのだ」ということを、釈尊は知ったのです。
これが空間領域での無我の思想です。
〇利他、愛他の思想へ
この無我の思想は、言葉を換えて言うならば、当然ながら、利他、愛他の思想とつながっていくものであったのです。
「自分は、孤立して独りで生きているものではない」ということを悟ったとき、利他、愛他の行為とは、元なる自分自身を知ること、元なる自分自身を生かすことであり、利他、愛他の思いとは、同時代の同級生として生きている魂たちを、共に愛し、慈しむ心なのです(拙著『愛の原点』〔幸福の科学出版刊〕第1章、第2章参照)。
したがって、愛他、利他の思いそのものもまた、一つの無我なのです。「この世的なる自我のみならず、孤立した我のみならず」ということを知ったがゆえに、愛他、利他の思いが開け、そういう行動観が生まれてくるわけです。
釈尊の無我の思想には、「自分の心の内なる広大無辺な領域を知り、その法則に精通する」ということと同時に、人間の生きていく意味として、「他の者、同じく魂修行をしている多くの人々を、慈しみの目でもって見、そして、はぐくみ、導いていき、共に幸福になっていこう」という悟りがあったのです。この点を忘れてはいけないと思います。
宗教の世界、あるいは超能力の世界において、霊的な感覚を持っている人は数多くいますが、愛他、利他の思いにまで届かずに、霊的なもののみに関心を示しているうちは、まだ、霊的には、仙人界や天狗界と呼ばれる裏側の世界に属していると言わざるをえないのです。
菩薩や如来といわれる人たちのいる、本来の表側の魂系団に入るためには、「真実の自己を知る」ということと共に、「その真実の自己を知る行為が、利他、愛他へとつながっていく」ということが必要です。そういう悟りが必要なのです。
これは、共に、社会を発展させていく力とつながる宗教であることを意味します。
【大川隆法『大悟の法』第4章「大悟の瞬間―大いなる悟りが明かす多次元空間の神秘」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。
七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。
経文にも、「ああ 七色が 相集い 仏の御国を 照らし出す」とあるように、「仏説・正心法語」は本来、七つの経文が合わさって一つの法身を表現しています
正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。
それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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しからば 共に 愛し合い
しからば 共に 生かし合い
しからば 共に 許し合え
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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。
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Now then, Love each other.
Let us bring up each other.
And, it’s time to forgive each other.
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本日の解説も、経典『信仰論』から引用させていただきます。
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この「愛し合い、生かし合い、許し合え」の部分は、『太陽の法』のなかに「愛の発展段階説」として書いてあります。
愛を与えることは非常に大切です。「与える愛」こそが天国的なる愛なのです。これに対して、「奪う愛」は地獄的なものであり、これを中心に考えるのは間違っています。・・・
魂修行のためにこの世に生きている以上、人間は多くの人の幸福を目指すべきです。そのためには、愛を与える方向で生きなければなりません。
「与える愛」のことを、仏教的には「慈悲」ともいいます。・・・(中略)
「愛する愛」は、感情的に「かわいそう」と思って手を差し伸べる愛ですが、「生かす愛」の段階になると、そこに智慧が働いてこなければいけません。「本当の意味で、この人を最高に生かす方法は何か」と考えたときには、知恵が必要になるのです。・・・
「許す愛」の段階に至るためには、ある程度、我執、自分に捕らわれる心を解き放たなければなりません。許す愛の段階では、ほんとうに、「与えるのみ」の世界になってくるので、地上的な人生観よりも一段高い心境が必要です。それによって初めて許すことが可能になるのです。・・・
人間は、行為としては、罪や間違いを犯すことがあります。それに対しては、やはり悔い改めをすべきであり、そのためには説得も必要です。ただ、根本的には、すべての人が仏の子であることは間違いないので、仏性を信じる心を忘れてはなりません。
【大川隆法 『信仰論』 より抜粋】
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私たちが、お互いに憎しみ合い、嫉妬し合い、傷つけ合い、許さないことが間違えているのは、すべての人に宿っている仏性を、結果的に否定することになるからです。肉体的な視点でなく、霊的な視点では、私たちは人間はすべて仏の子であり、人類はすべて兄弟あり、大きな家族です。私たちは本来、仏性をとおして一体です。もともと、主なる根本仏とも一体であるがゆえに、仏は、私たちに愛し合い、生かし合い、許し合うことの大切さを教えてくださっています。この教えこそが慈悲であることをしみじみと感じます。このように「正心法語」自体が仏の慈悲であることがよくわかります。
仏が転生輪廻のシステムをつくったのは、すべての人間が仏になる可能性を与えるためでした。それは地上や天上界における魂修行によって人間が等しく仏になるチャンスを平等に与えられています。
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互いに「愛し合い、生かし合い、許し合う」という世界(仏国土ユートピア)を創造するために、主におかれましては、「太陽の法」をはじめ莫大な教えを説かれています。
本日は、経典「人を愛し、人と生かし、人を許せ」より箴言集のようなかたちで、抜粋をお届けいたします。
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〇人を愛すること
「『人を愛し、人を生かし、人を許せ』という、一行の言葉が、私の今世の仕事の内容でもあり、今後、私がいろいろな思想を出していくときの一つの核になるものである」ということを悟ったのです―p16
「人を愛せ」といことも、「人を生かせ」ということも、「人を許せ」ということも、自分から他の人に対する積極的な働きかけ、アプローチを意味しています。そして、自分自身に対する見返りについては一切ふれていません。つまり、「利他の教え」しか語っていないのです。―p18
本当の意味での自己拡大とは、自分自身の魂の一部を、精神、心の一部を、他の人びとのなかに種まきしていくことです。自分の生き方や考え方によって、他の人びとに影響を与えていくことが大事なのです。普通は「与えれば損をし、もらえれば得をする」と思うものですが、心の世界においては、与えれば与えるほど、自己が拡大していくのです。―p30
「愛を与えることは一つの修行目標であり、愛の思いを発することで、人生は変わりはじめる」ということを知るのが出発点なのです。―p36
「与える愛とは無償の愛の別名である。ただ与えることに意味がある。見返りを求めたときに愛は死ぬ」―p38
「人を愛する」とは「与える愛」ということであり、すべてはこの一点に集中してきます。幸福の科学では、幸福の原理として「愛・知・反省・発展」の四正道を掲げていますが、 すべては「愛」に集まってくるのです。何のために「知」があるのかといえば、より多くの人を愛するためなのです。より多くのことを知ると、より多くの人のために役立つ生き方ができるのです。―p47
愛を与えるという行為は、仏の思っておられることそのものである。仏の代わり、仏の一部、その手足となって愛を与えるという仕事は、非常に貴重ですぐれた仕事であり、すべてのものに勝る仕事なのだ。―p50
〇人を生かすこと
幸福の科学で説いている「知」は、実は「原因・結果のプロセスを見抜く力」と言ってもよいでしょう。「こうした種をまけば、こうした実ができる」という関係を知ることが大事なのです。―p53
人間の考えることや行なうことには、ある程度のパターンがあり、その数は限られているため、いろいろなことを経験することによって、「こうした状況に置かれると、人間はこのようなことをする」ということがわかるようになります。経験を積むことで、他の人を導けるようになるのです。―p54
知を高めること、経験を深めること、この両者が「生かす愛」の両輪です。―p55
〇人を許すこと
人を許せるようになるためには、実は、ある程度の試練を魂が受けなければなりません。人を導き、生かすことは、優秀であれば、ある程度できるようになりまずか、人を許せる器というも、一朝一夕にはできないのです。
みなさんは、苦難や困難、悲しみや苦しみを、できれば避けたいと思っているでしょう。そう思うのは人情であり、当然のことなのですが、こうした一見マイナスと見える事柄が、「人を許す」という段階においては、プラスに転じることがあるのでする。―p57
結局、人を許すことができるためには、人びとの悲しみを知らなければならないのです。なぜその人が苦しむのかが分からなければ、なかなか許すことはできません。―p58
人を許す境地は、人を生かす境地より大きなものであることを知らなければなりません。それは仏の境地に近いものです。人を生かしていく過程では、善悪、正邪をしっかりと知る必要がありますが、それを超えたとき、おおいなる包み込むものを知るにいたるのです。
そこにいたるまでのあいだ、魂は、幾転生、幾百転生、幾千転生を経て、数多くの挫折を経験することでしょう。多くの人の苦しみや悲しみを見て、そうしたことに共鳴するものを自分の心の中に数多く持つことでしょう。様々な苦境を通り越してはじめて、慈悲の心が湧いてくるようになるのです。―p61
慈悲とは、人を愛し続けてやまない心であり、決して尽きることのない泉のような心です。そこに達するまでには、多くの試練を経ることでしょう。しかし、試練を経ていることを喜ぶ気持ち、「自分の魂はいま磨かれているのだ」という気持ちを持つことが大事です。―p63
人を許すためには、成功と失敗の両方をくぐり抜ける必要があります。その両方を学んだとき、人間は大きな愛の器となり、すべての人を許していける気持ちになるのです。そして、仏の心もまたここにあるのです。このことを忘れてはいけません。―p64
【大川隆法 「人を愛し、人を生かし、人を許せ」第一章より抜粋】
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仏性を通して私たちは一体です。だから私たちは互いに「愛し合い、生かし合い、許し合う」ユートピア世界をこの地上につくり上げる使命を根本仏からになっているのです。「正心法語」の世界観を全世界に広げてまいりましょう。
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■「日々の『戒め』として、読んでみましょう!」
・幸福の科学の三帰誓願者であるならば、戒めとして、一日に一回は「真理の言葉『正心法語』」を読むことや、一日に一回は自分を振り返る反省の時間を持つことを考えてもよいでしょう。
【大川隆法『信仰論』p.122より抜粋】
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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第1章 縁起とは何か
6 仏教の本質―縁起の思想
このように、釈迦の考えた縁起というのは、空間的にも適用できますし、時間的にも適応できます。
この「縁起」ということが、神人隔絶型の宗教において「絶対神」と言われるようなものに相当する思想であるわけです。
ですから、これは、決して無神論や唯物論につながっていくわけではありませんが、宇宙を統べている法則を喝破したということにおいて、非常に優れた教えである、ということができるのです。そして、その縁起の法則を見抜いて、自らがそのなかで生きながら、最善の生き方をした釈迦が、天上界に還っても仏陀として存在し、「仏陀の上には神がいない」と言われているのは、そうした理由によるわけです。
もともと魂のなかには、神的なものがあるけれども、宇宙の理法を見抜いて、その理法に沿って最高の生き方をしたならば、自らが最高の霊格を持った存在となることができる―これが仏教の思想なのです。
このように、人間の最高の理想としての存在である仏陀である仏陀が登場したときには、もはや伝統的な神々というものは、仏陀の上にいる存在ではなくなってしまうのです。伝統的な神々というものも、ほんとうは、いずれかの時代に地上に肉体を持った高級霊であるわけですけれども、それ以上の存在としての仏陀が現れることがありえるわけです。
もちろん仏陀にしても、宇宙の理法そのものをねじ曲げるわけにはいきません。けれども、宇宙の理法を体現して最高のかたちで現わしたのが仏陀なのです。そして、その仏陀には、年数はかかるとしても、自らの修行によって、誰しもなれる可能性を持っている―これが仏教の持っているすごいところなのです。すべての人に法門が開かれているのです。
しかし、結果に対しては、また厳しい処遇もされるのです。「○○を信じたら救われる」という、そんな単純なものは、実際は仏教ではないのです。仏教の本質ではありません。たとえば、「南無阿弥陀仏を唱えたら救われる」「この仏像を拝んだら救われる」「この掛け軸を拝んだら救われる」「ただ坐ったら救われる」「板曼荼羅は幸福製造機だ」など、今、仏教の名のもとにいろいろな宗派がありますけれども、仏陀の教えとはまったくかけ離れたものなのです。
仏陀の教えは、いまのべたように、「縁起の思想があって、すべては原因・結果の連鎖のなかにある。その連鎖を見抜いて、その連鎖を善き連鎖とするために努力をしなさい。さすれば、あなたがたは、自らが自らを救うことができる。自らが自らを救うことができるものは、いったい何であるか。それが神というのだ」ということを終えているわけです。
要するに、「救う立場との神、救われる立場としての人間というのがあるのではなくて、自らで自らを救うことができる」というのは、「人間が、もはや神になったのと同じである」ということです。
いわゆる神格を持った存在になることができる。その理法を体得することによって、自らを救うことができる、救う側になれる、ということです。要するに高級霊になれる、これが、神人隔絶型宗教との大きな違いであるわけです。
これで、縁起についての基本的な骨格をお話ししました。専門的な考え方は、まだまだありますけれども、とりあえず、本章の内容を理解していただければ幸いです。
【大川隆法『心の挑戦』第1章「縁起とは何か」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(3/26-1)【3月26日津支部落慶記念日】85『仏説・正心法語』を読む ㉖共に 愛し合い 生かし合い 許し合え―偉大なる大我
