89 この世に最終の安楽をもとめるな。死して後、本物の自分が遺る。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より】
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本日3月2日、主が天上界に一時、戻られた日を迎えました。
2023年2月に、妖怪 生霊たちの呪いと戦ってくださっていた
主に向けて「エル・カンターレ大好き!」「主の御力(みちから)とならせてください」という念いを、信者一同でお届けしましょう。そして、主のご復活を確信して、ともに主の「復活の祈り」を捧げてまいります。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
3月7日は「宗教法人設立記念日」です。「幸福の科学が永遠に続くことになった始まりの日」です。
1991年のこの日に、「幸福の科学」は宗教法人として、世に誕生したことを記念する日です。この日をはじまりとして、幸福の科学は永遠の法灯がともされることになりました。
「宗教法人設立記念日」には、大宇宙の根本仏であられる主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生に、永遠の法灯を灯して下さったことへの感謝を捧げます。
そして、発祥の時において、いかに盤石なエル・カンターレ信仰を打ち立て、
揺るぎない形で主の法を後世に伝えることができるかが重要な使命であることを心に刻み、
真理の法灯を子々孫々に継承していく決意を固めてまいりましょう。
おすすめの精舎限定経典&御法話CDは『真理の法灯は永遠に』が一万円目安と『信仰を守る勇気を』経典とCD各5000円目安です。是非お求めください。
本日も、2017年3月7日に説かれました「魔境からの脱出」を引用して振り返ります。
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★魔境からの脱出
1幸福の科学グループ創業時の「戦い方」
〇弟子たちの「できません」に「考え、考え、考え、考えなさい」
そこで、一九九〇年の冬の寒いころに、当時の事務局長などと何人かで東京ドームに野球を観に行きましたが、外野席から見たら、ホームベースが遠く感じられました。百メートル以上もあって、外野席から見たら本当に遠いのです。「あそこに立っても、外野席からだと非常に小さくしか見えないじゃないか」と感じました。
私は、「ドームのなかがガランと空いているけれども、こんな所で講演会ができるのかなあ。外側(内外野のスタンド席)だけで、こんなに人が大勢いるのにグラウンドも人で埋めたらすごいことになるねえ」と言って、「ここでできるだろうか」と職員たちに相談したら、答えは簡単で、誰もが、「できません。不可能です」と言いました。
しかし、「不可能」と言われたら、私は妙に、”燃えてくる”のです。弟子が「できまない」と言っても、私は、なかなか許しません。「できる」と言われたら、「勝手にやりなさい」という感じなのですが、「できない」と言われたら、「できないことはないのではないか」と思うのです。
「幕張メッセまで行けて東京ドームに行けないことはない。それは考え方次第なのではないか」と思うのです。
「幕張メッセまで行けて東京ドームに行けないことはない。それは考え方次第なのではないか。ほんの三倍か四倍の違いではないか。できないことはないだろう」とわたしは言いました。
そうすると、職員のほうは、「いやあ、大勢を収容するための作業がとてもできません。野球の試合は連日あるので、空いている日が取れても一日だけです。一日だけでは、どうしても設営できません」と言うのです。
確かにそうです。あそこは、何もないガランとしたところであり、球を打って取るだけの所なので、講演会用の設備ができていません。幕張メッセなどのように、講演会をするのに都合の良い設備にはなっていないのです。
そのため、「声がうまく届きません。音は一秒間に三百四十メートルぐらい進みますが、スタンド席までいった声が跳ね返って戻ってくるので、講演をしても、カンガン、ガンガン、エコーが響き、何を言っているのか分からない状態になります。だから、やはりできません」と言われました。
ただ、それについては、何か月かあとに、エコーによって音が殺し合わないようにする”新兵器”をアメリカから取り入れました。長いパイプのようなもので、音を出せば同時に伝えられるようなものを職員が手に入れてきたと思います。
私は実物をしらないので、よくは分からないのですが、音の問題に関しては、「それで、なんとかいけるようになった」ということだったのです。
また、「一日しか借りられないのでは、時間内に作業を完了できない」という問題もありました。「夜中の十二時から翌日夜十二時までの二十四時間しか借りられないので、作業は夜中の十二時に開始しなくてはいけないのですが、開演時間までに、演台をつくり、いろいろな舞台装置をつくって、グラウンドにいすを並べられるかというと、できません」と言われたのです。
確かにその後、「宇都宮の総本山・正心館の大礼拝堂にいすを八百席ぐらい並べる際、職員は夜中の二時から並べ始めたりした」という話を聞いたことがあります。八百席でそれほど大変なのであれば、東京ドームの内野と外野のグラウンドに席を並べるのは大変なことでしょう。
しかも、その作業と同時に、演台をつくり、さらには、後ろのほうに控え室や、演出関係の装置などをつくらなくてはなりません。
それらを開演時間までに完成させ、行事まであるとなったら大変なことですし、終演後には撤収までやらなくてはいけないわけです。
そのため、職員は、「やはり、できません」と言い、ほかにも、「作業のためのトラックが中に入れません。ということなど、いろいろな理由を言ってきました。
しかし、私は、「トラックが入れないといっても、どうにかしたら入るだろう」というような感じで、無茶なことをけっこう言い、「考え、考え、考え、考えなさい」と言ったのです。
また、東京ドームの屋根は外の光が入ってきます。そのため、「講演は、日中だと光が透けて見えて、効果がありません。夕方でなくては駄目です。ただ、夕方までに設営を間に合わせて、講演が終わったあとに撤収しなければいけないとなると、それは不可能です」ということでした。
確か、下見に行ったときは寒い冬で、全員凍えながら、「やっぱり無理かなあ」などと言っていたのですが、結局、もう、ここまで来たらやってしまえ!」ということで開催しました。
〇「無理」と聞いたら「絶対にやりたくなる」
実は、それより前に幕張メッセで講演をしたときも、弟子は「無理だ」と言っていたのです。「両国国技館までが限界で、幕張メッセではもう無理です。幕張メッセのイベントホールであれば、七千人ぐらいは入り、設備もあるので、何とかできます。しかし、国際展示場のほうはそういうものが何もないので、設営をしなければいけなくなります」ということでした。
さらには、「トイレが足りない」と言っていました。「万の数の人が入れるだけのトイレはありませんし、仮設トイレを集めてつくったとしても足りません」と言われて、「なるほど。確かに、仮設トイレで万の単位の人数に対応するのは、そう簡単ではないな」とは思ったのです。
ただ、そのあとに、「トイレに行く人は講演の直前と直後に集中するので、ちょっと無理です」と聞き、気持ちが変わりました。「無理」と聞いたら、絶対にやりたくなるものです。
「『最寄りの駅で用をたしてから来て下さい』と言えば、それで済む。簡易トイレもつくるけれども、どうせ数が足りないのは分かっているから、駅で用をたしてもらえばいい」ということで、強行して開催したわけです。「どうしてもというのであれば、おむつをつけてもらいなさい。一時間や二時間ぐらいなら我慢できる」と、そこまで行っていたような気もしますが(笑)。
東京ドームのときも、「できない」と言うものを、クレーン車まで入れて、いろいろと努力してやったりしました。突貫工事をして一日で終える技術を身につけたわけです。
ちなみに、週刊誌などは、「幸福の科学が六十億を使って東京ドームでバースデーパーティーをやった」というような記事を掲載していたと思います。
今から考えてみれば、向こうも商売なので、大きく書かないと売れないでしょうから、まあ、そのくらいは大目に見てあげてもよかったのかなという気がしなくもありません。ただ、当時は、けっこう数字にうるさかった面もあって、六十億はないだろう。そんな金は持っていない。デマにしては大きすぎる」と怒りました。実際の経費は、すべて合わせても二億円程度だったと思います。借りた賃だけでなく、いろいろな仮設費用もありました。
ただ、それでも、収入は八億円ぐらいあがっています。その東京ドームの収入は、当時の短日行事としては、過去最高でした。そのあたりは、しっかりした団体ではあったのかなと思います。
【大川隆法『悪魔からの防衛術』第二章「魔境からの脱出」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。
七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。
正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。
それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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光は 仏の 生命なり
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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。
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The Light is the energy of Buddha.
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「光は仏の生命」であることを、具体的に説いた教えを私は見たことがありません。驚きの真実を教えていただいています。
光は、400億年まえから大宇宙に現れましたが、今に至るまで、光は創造され続けています。光の創造、その供給が止まる時、宇宙は一瞬にしてその姿を消すことになるはずです。光があるということは、それ自体が根本仏の慈悲と言えます。仏の生命である光を供給しているのが、「根本仏」と呼ばれる存在です。
「光」とは、単に、物理的、三次元的な「太陽の光」という意味にとどまらず、霊的な「智慧」「意志」「創造のエネルギー」等、「明るく」「建設的」で「積極的」な概念が含まれていることは、前回確認させていただきました。
ところで、「光」の反対は「闇」となります。光の実態は、闇を観察することでも明らかにすることができます。三次元世界で、積極的に「光」が生まれたとき、それに付随して陰にあたる「闇」が副産物として現れることになりました。光が創造されて、多次元宇宙が構成されて、三次元世界において、その光が凝集して物質や形あるものが現れました。そ光に照らされたモノには、必ず影ができます。また、光を遮るものがあれば、そこにも影ができます。このように闇は光が創造された時に、消極的ではありますが、必然的に予定された副産物です。
このように闇は決して主体的な存在ではないということがわかります。このことは、闇を代表する悪について考えるときの重要な材料となります。闇の特徴は、光の反対である「暗く」「破壊的」で「消極的」を特徴とします。
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仏に三身ありと言われており、仏のお姿には「応身」「報身」「法身」の三種類あります。そのなかの最も尊いのが「法身です。これは、肉体存在や目に見えるものではなく、宇宙を統治する法則としての存在です。たとえば、「原因・結果の法則」「波長同通の法則」「生々流転の法則」など、仏教で言えば「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の「三法印」も仏の法身です。また幸福の科学の基本教義である「愛」「知」「反省」「発展」の四正道もエル・カンターレの法身仏にあたります。
そして、何よりも「光とは何か」を教える『仏説・正心法語』こそが、私たちの主、エル・カンターレの法身そのものなのです。
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■「幸福の科学の根本経典です!」
『仏説・正心法語』は幸福の科学の根本経典であり、三帰誓願者にのみ授与されるものです。(『信仰論』p.114
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仏に三身ありと言われており、仏のお姿には「応身」「報身」「法身」の三種類あります。そのなかの最も尊いのが「法身です。これは、肉体存在や目に見えるものではなく、宇宙を統治する法則としての存在です。たとえば、「原因・結果の法則」「波長同通の法則」「生々流転の法則」など、仏教で言えば「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の「三法印」も仏の法身です。また幸福の科学の基本教義である「愛」「知」「反省」「発展」の四正道もエル・カンターレの法身仏にあたります。
そして、何よりも「光とは何か」を教える『仏説・正心法語』こそが、私たちの主、エル・カンターレの法身そのものなのです。
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最後に、経典から抜粋いたします。
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仏神は光です。
光は、あるときは粒子として顕われ、あるときは波として顕われます。
光が粒子として顕われたとき、そこに物質が出現します。
光が波として顕われたとき、それは想念、念いの作用としてのみ存在します。
仏神の心というものは、
凝集されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心というものは、
凝縮されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心が、
凝集された粒子というかたちではなく、波として顕われたときには、
想念の波動として、念いとして、宇宙を飛び交う電波としてのみ存在します。
これが大宇宙の秘密なのです。
【大川隆法 『不滅の法』序章「心のなかの宇宙」より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第5章 智慧とは何か
3 識(しき)と般若(はんにゃ)
②無我の認識と善悪不二の立場
要するに、識が自我意識に裏付けられているとするならば、般若というのは、無我の認識、あるいは無執着の境地に裏付けられているのです。無我の境地、無我の認識があるからこそ、自己という視点以外の視点で見ることができるのです。
この反対に、自我というものが強固であると、自分の見方以外の見方ができません。「自分はこういう人間である。こういう家に生まれて、こういう環境に育って、こういう教育を受けて、いま社会的にこういう立場にあるから・・・」と、この見方以外にはできないのです。
たとえば会社の社長なら、社長という目以外では人が見えないということがあります。普通はこうなのです。その人の置かれた立場以外の見方では見えないものなのです。そのように、だんだん膠(にかわ)みたいに固まってくるのです。
ところが無我の境地になると、自己を離れた立場で、他人を見、自分も見ることができるようになります。ですから、無執着の境地になると、自も他も同じく、等しく観察することができるようになるのです。これが般若の智慧の現れ方なのです。
また、識は、善悪を区別する力が非常に強いのです。「これはよいこと、これは悪いこと」と、パッパッと分けていく―これ自体は大事な力であり、無視できる力ではありません。これがわかることは、とても大事なことなのですが、般若の智慧を得てくると、善悪を分けるだけではなくて、「善悪不二」といって、「善悪というのは、ほんとうは別々のものではなくて一つのものなのだ」ということが、わかってくるようになるのです。
たとえば、識の立場でいけば、「この人は善人、この人は悪人」というのが、はっきり分かれてきます。ですから、みなさんも、「あなたは善人です」「あなたは悪人です」と、パッパッと分けられてしまいます。これは識の立場です。
ところが、般若の立場でいけば、そうならなくなってくるのです。「人間には善人や悪人があると言うけれども、その悪人と言われる人のなかにも善なるものはあるし、かつて悪人と言われた人でも、今は善人になっている人もいる。また、将来は善人になる人もいる。一方、今は善人と言われている人でも、そのなかに偽善や悪の部分もやはり含んでいるものなのだ。そういう悪の部分は、人間はみんな持っていて、また悪人になっていくことだってありうるのだ」。このように、般若の立場になると、善悪不二の立場で見ることができるようになってくるのです。
これを聞くと、愛の発展段階説の「許す愛」というのが、少し見えてくるでしょう。六次元の「生かす愛」は、やはり識の立場に近いのです。分析していく、区別していくという、要するに上下観、差別観が強いのです。ところが、般若の立場になると、「平等観が強くなってきます。逆に、すべてのもの、生きとし生けるものが平等に見えてくる、すべてが仏の命に見えてくる、そうした平等観が強くなるのが般若なのです。
つまり、この般若の智慧を得ないと、「許す愛」という境地はなかなか出てこないということです。善悪不二の立場―すべてのもののなかに、生きとし生けるものの生命の躍動を見ていく、この世の善悪を越えて、すべてのなかに素晴らしいものを見ていく目というのが、般若の目なのです。
したがって、この般若の智慧を得ていくと、「許す愛」というのが当たり前になってきます。どのような人も、実は神仏の子として使命を持って、いま苦労して修行をして、頑張っているという姿が見えてくるのです。そのような平等観が非常に強くなってきます。それも、機械的な平等観ではなくて、智慧に裏付けられた平等観です。人間はみんな素晴らしく生きているように、輝いているように、見えてくるのです。これが般若の立場です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第5章「智慧とは何か」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(3/2-1)61『真理の言葉・正心法語』を読む ②光は仏の生命なり―「不可能」を可能にした東京ドーム講演会
