3 仕事が遊びのように楽しければ、会社は入場料をもらえるだろう。
4 従って、仕事は、ディズニーランドで遊ぶような愉快なものではありえない。
【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
3月23日は「大悟祭」です。大悟祭とは、1981年3月23日に、大川隆法総裁先生が、霊的覚醒を経て、自らが、根本仏にして地球神であるエル・カンターレであるという大いなる悟りを得られたことをお祝いする日です。
3/23(日)~25
(火)を大悟祭期間とし、大宇宙の根本仏であり、宇宙のマスターでもあられる主エル・カンターレ大川隆法総裁先生の「大悟の瞬間」(1981 年 3 月
23 日)に思いを馳せ、人類救済の原点である主の大悟への心からの感謝を捧げます。
信仰は、悟りの高まりと共に深みを増していくものであると教えていただいています。『永遠の仏陀』ならびに、大悟祭に合わせて発刊予定の精舎経典『「永遠の仏陀」講義』からの学びを通して、大宇宙を創られた主の偉大さへの理解を深めるとともに、主に向かって悟りを高めていく精進を誓い、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てていく決意を固めさせていただきます。
そして、主が「エル・カンターレの法」をお説きくださる未来を心から願い、主の心と一体となる念いを込めて、「復活の祈り」を捧げさせていただきます。
さて、ここからは1991年3月24日に説かれました大悟祭御法話『発展思考』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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■『発展思考』
2神の側から見た、この世とあの世の真実とは
〇本来、神が分けられた「男女の使命の違い」を認めない人々の迷い
今、頭脳明晰なる多くの人々が、優秀な方々が医学を志し、日夜研究に励んでおりますが、しかし、ああ、なんと悲しいことよ、地上の学問とは。
いくら学べども学べども学べども、「母の胎内に宿るものが、それが生まれてくる前より、立派な、れっきとした人間の魂である」ということが、なぜ分からないのだろうか。「死して後、行くべき所あり、死して後、赴くべき魂あり」ということすら、なぜ分からないのだろうか。
まことに、まことに、まことに、まことに、「愚か」という言葉さえ使いたくないほどの”低い霊界に生きている”ということを知らなくてはなりません。
母の胎内に宿る前に、魂はすでにあり、男性には男性の魂があり、女性には女性の魂があり、そして、己の人生の設計というものをして生まれてくるのです。
あの世の世界に、男性と女性の違いはあります。優れた魂たちの多くは、男性霊・女性霊に明確に区別されております。高級霊界に行きますと、男性霊は男性霊、女性霊は女性霊で、はっきりとした魂の確立を持っております。
(※その後の霊言や霊査によって、現代では、過去世で男性だった魂が女性に生まれたり、女性だった魂が、男性に生まれたりするケースも多いことが分かってきた。それがLGBT等の原因の一つともみられており、転生輪廻にもさまざまな形態があるとこが判明している。また、八次元以上の世界では、本来、男女の別はない。ただ、創造主の意に反して、この地上での男女差を完全になくしてしまうと、社会的混乱も生まれており、各宗教が対応しかねているのが現状である)
そして、人間の魂は、ありがたいことに、単なる小さな一つの霊体ではなく、グループによって出来上がっております。「本体」という霊格の高い魂がおり、それと五人の「分身」ともいわれる魂が一組になっており、この六人が、何百年かおきに順番に地上に生まれ変わってきて、そして地上時代に経験したその経験を共有することになっております。この六人のうちの誰が地上で経験したことであっても、全員の共通経験となり、智慧となります。そういう、ありがたい仕組みが出来上がっております。
【大川隆法 初期重要講演集ベストセレクション⑦『許す愛』第2章「発展思考」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。
七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。
経文にも、「ああ 七色が 相集い 仏の御国を 照らし出す」とあるように、「仏説・正心法語」は本来、七つの経文が合わさって一つの法身を表現しています。私が全編読誦を強くお勧めするのには理由があります。
正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。
それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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しかして 御国は 霊の国
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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。
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Especially, this is the Land of Souls rest in peace.
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続いて仏の御国の特徴は何かというと、とりわけこの愛の星地球が「霊の国」であるということです。霊の世界は、あの世の世界だけではなく、地上世界も霊が中心の国であることを教えていただいています。
主の願いはこの世での幸福の科学だけでなく、あの世での幸福の科学を同時に願われています。それを実現するか鍵が、自らの本質が霊であるという悟りです。そして、この地球に仏国土ユートピアを建設するためにも、私たちの住む地球が霊の国であるという悟りが必要です。
この地上世界は、一見、目に見える物だけの世界に見えてしまいます。しかし、心をもたない物質であっても、それが創られた過程において、様々な人の意志が働いていることは事実です。
たとえば、私たちが手にするコーヒーカップも、世界の誰かが設計して、誰かによって製造されて、誰かが運搬して、販売して、今手元にあります。中身のコーヒーも海外の誰かによって育てられ、収穫されて、船で海を渡って、日本で焙煎されて、熱々のお湯に注がれて今、よい香りがしています。お湯も、誰かが、きれいな宮川の水をさらに浄水して、安全な飲み水になって、カップの中でコーヒーになっています。
こうしてみると、私たちの身の回りにある物は、すべてたくさんの方々の思いや行いの集積の上に存在しています。形あるものは、必ず、その具現化させる過程において、目に見えないアイデアが現象化したものです。私たちの心に浮かぶ目に見えないアイデアは、突き詰めれば、心の力によるものです。この心の力の源泉が霊です。目に見える物の縁起をたどると全部そうなります。
縁起をたどることで、物質も、霊的であることが見えてきます。すべては始まりにおいて目に見えない力から始まっているのです。心の力は偉大です。霊の存在は偉大ですね。その心と霊を生かしめている主に心からの感謝を捧げましょう。
「人間は霊であり、愛の星―地球は霊の国です」
とても大切な教えです。
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人間が霊であることについて、御法話から抜粋して学びます。
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〇物が溢れて、人間が霊的存在であることが忘れ去られている
特に、この世がちょっと地獄に近づいてきている感じは、強く、ひしひしと来ます。
やはり、物が溢れ、便利になってきたら、「あの世のことなんか考えているより、この世で充実して幸福なら、それでいい」という価値観が強くなってきます。「地獄なんかはアニメの世界のなかにでもあればいい」というところでしょうか。そのくらいになっていると思うけれども、「そうじゃないよ」ということを言っています。
要するに、この世では物のほうがずいぶん発展しているし、この世で生きているうちは、それに必要なものがあるから、「いろいろなものをつくったり、育てたり、売ったり買ったりして、やらなくてはいけない」という仕事をしながら生きていかなくてはいけないことにはなっているのだけれども、「そのなかにいて、『人間の本質は魂である』『自分は霊的存在である』ということを忘れてはならない」ということを言う人がとても少なくなってきているので、困っているのです。・・・・霊的なものを忘れてはいけないのです。
【大川隆法『地獄の法』講義より抜粋】
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人間が霊であることについて、心の指針から学びます。
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〇霊的でないことの哀しさ
この世を「全て」だと思って生きている人は、
哀しい。
いな、哀し過ぎる。
豊か過ぎる物質の世の、
型にはめ込み過ぎた科学が、
人の心を曇らせる。
そもそも、
「人間は機械ではない。」
というところから出発せねばならぬ。
人間を機械だと思ったら、
それが人の世を惑わせる。
人間を部品の寄せ集めだと思わせないのが、
「情緒」の力である。
「情緒」とは、
夕焼けを見ては、
美しいと思い、
壊れたおもちゃを見ては、
今は亡き父を思い出しては、
涙する
心である。
母の白髪を抜いてあげていたころの自分を、
取り戻すことである。
子として反抗する心の中に、
近代的自我がある。
自分が霊的でなく生きたことの哀しさは、
後になるほど、
冷酒の如く効いてくる。
【大川隆法 心の指針141「霊的でないことの哀しさ」】
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私たち人間は、ただの機械ではなく、「心」が宿った尊い存在です。それに気づくことが、「霊的に生きる」ための第一歩なのではないでしょうか。人間はもともと、美しい景色を見て感動したり、肉親の情を感じて涙したりする心、「情緒」を持っています。それは、私たち一人ひとりの心に神仏と同じ性質、「仏性」が宿っているからです。
そして、人間が地上に生まれてくるのは、この仏性、つまり心を磨くため。心を磨くためには、神仏への信仰心をもち、神仏の教え「仏法真理」にもとづいて生きることが大切です。霊的な人生の価値を忘れず、真実の人生を共に生きてまいりましょう。
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■「読むと光が降りてきて、後光が出ます!」
・「正心法語」などを読んでいても、上からバーッと光が入って光の柱のようなものが立ってくるのです。
・それは、霊能者でも何でもない普通の会員の方でもそうです。「正心法語」を読んでいますと、光がパーッと降りてきて後光が出てきます。そういうふうになってきて、自分を救うことができるようになります。
【大川隆法『信仰と愛』p.163より抜粋】
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仏に三身ありと言われており、仏のお姿には「応身」「報身」「法身」の三種類あります。そのなかの最も尊いのが「法身です。これは、肉体存在や目に見えるものではなく、宇宙を統治する法則としての存在です。たとえば、「原因・結果の法則」「波長同通の法則」「生々流転の法則」など、仏教で言えば「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の「三法印」も仏の法身です。また幸福の科学の基本教義である「愛」「知」「反省」「発展」の四正道もエル・カンターレの法身仏にあたります。
そして、何よりも「光とは何か」を教える『仏説・正心法語』こそが、私たちの主、エル・カンターレの法身そのものなのです。
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最後に、経典から抜粋いたします。
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仏神は光です。
光は、あるときは粒子として顕われ、あるときは波として顕われます。
光が粒子として顕われたとき、そこに物質が出現します。
光が波として顕われたとき、それは想念、念いの作用としてのみ存在します。
仏神の心というものは、
凝集されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心というものは、
凝縮されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心が、
凝集された粒子というかたちではなく、波として顕われたときには、
想念の波動として、念いとして、宇宙を飛び交う電波としてのみ存在します。
これが大宇宙の秘密なのです。
【大川隆法 『不滅の法』序章「心のなかの宇宙」より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第5章 智慧とは何か
7 五分法身(戒・定・慧・解脱・解脱知見)
以上、少々難しい点をも含みながら、信解脱、定解脱、慧解脱、さらに、心の解脱としての心解脱、特殊な考え方としての倶解脱ということについてもお話をしました。
解脱と言われるものは、結局、「悟りを得る方法」ということです。いかにして悟りを得るか。その悟りの定義に高低があり多様性があるように、それに応じて、解脱の対応もいろいろとあるということなのです。
もう一度、復習しますと、結局、何のための解脱であるかといえば、こういうことなのです。魂が肉体に宿ってこの世で生活していくと、だんだん本来の世界のことを忘れて、この世的なものの考え方、価値観、それから肉体による煩悩の拘束を受けて、いわば心が狂った状態になってしまうわけです。それを本来の姿に立ち返らせるために、こうした宗教的な知識や修行方法があるのです。そして、本来の心のあり方を取り戻すこと、その自由のことを「解脱」というのです。
ですから、三次元的に「自由」と言っていることは、実際はその反対であることが多いわけです。そういう物質の自由、肉体の自由、煩悩の自由というのは、真実の自由とは全く逆のことであり、真実の自由とは、実在世界における価値観を体現した自由、あの世から見て納得されるような自由、そのように生きて、まっすぐにあの世の天国に還っていける自由、その自由を得ることを解脱というわけです。
もちろん、人の機根はそれぞれ違いますから、それぞれの人に求められる、あるいは許される解脱のレベルがあることは事実です。
初心者にとっては、信解脱という、正しい信仰にたどり着くことがまず大事です。信仰心を持っていない人間というのは、言ってみれば、「まだ人間にはなっていない。動物たちとかわらない」と言われることさえあるのです。
さらに、信仰心を持っていても、間違った信仰にどっぷりと浸かって、熱心に活動をしている人たちは、みすみす地獄行きの切符を手に入れたのと同じです。そして、自分が地獄行きの切符を手に入れただけではなく、その切符を他の人にも配って歩いているという間違ったことをしているわけですから、この信解脱の法門というのは非常に広く、かつまた大事なものなのです。
もちろん、初歩的な部分から始まるものではありますが、そうとう置く深いところまで行く道もないわけではありません。この信ずるということは、どこまで行くかといえば、神を信ずる、仏を信ずるという気持が強くなれば、その距離がどんどん縮まっていきますから、信解脱の道もけっこう尊いものです。
さらに、禅定の実修によって心の波動を調えて、自由を満喫する。そのなかで神の光を感じることもあるでしょう。
それから、智慧を学んで、慧解脱をする。その慧を得ることによって、いろいろな諸問題を解決して、迷わない心を得ることができるでしょう。
さらには、すべてを含めた心解脱、心の解脱というもの、心全体、魂の中心部分全体が解脱していくという境地もありえましょう。
さりに、最高度の禅定と、智慧とが混ざりあった倶解脱というものもありましょう。もっとも、この倶解脱のことを、心解脱と同義に使う場合もあります。
以上、いろいろな解脱の方法について語ってみましたが、「五分法身」という考え方があります。五つに分けた法の身、すなわち、如来を構成している五つの要素があり、「戒」「定」「慧」「解脱」「解脱知見」と言われています。
「戒」とは、戒めを守るというストイックな生き方です。「定」とは精神統一です。「慧」とは、そうしたものを経た結果として得られる、知識と経験に裏付けられた深い洞察力です。その戒・定・慧を用いて、さまざまな煩悩から自分を脱出させて、「解脱」というものを体験し、その自由を得ます。そして、自分が解脱したということを知ることを、「解脱知見」といいます。正しく自分を見ることです。第三者の目で、自分がすでに解脱した状態にあるということを見ることです。
ただ、この解脱知見もなかなか難しいことです。他の宗教でも解脱を説くところはたくさんありますし、「自分は”最終解脱”した」ということを宣伝しているような方もいますが、そう言いながら実際は解脱していないという事実があります。解脱したと称している人が、山で行をして動物霊に憑依したり、魔王に憑依されたり、行者の亡霊に憑依されたりということが数多くあります。また、霊の声が聞こえたら、もう解脱したと思ってしまったりするようなこともあります。あるいは、禅定だけして、脈拍数が落ちたり、基礎代謝が落ちたり、水に潜って呼吸停止が何分間かできたら、すぐ解脱したような気持ちになっている方もいます。
しかし、解脱とは、心の平和をもたらすための、この世的な束縛にとらわれない自由の境地のことであり、あくまでも心の問題であることを悟らねばなりません。釈迦自身が、「ガンジス川の水で沐浴すれば罪や穢(けが)れが落とせるならば、蛙はすべて天界に生まれ変わることだろう。また、水中の魚はすべて成仏することができるだろう」と、肉体行者を痛烈に批判する言葉を『阿含経』に遺しています。このように、邪教において「解脱」を間違って教えられた人たちは、もう一度、最初からキッチリと押え直していく必要があります。
みずからを高めていくためにストイックに生き、心の平静を常に保ち、正しい智慧を得、そしてどのような問題が現われてこようとも、常に天国的なる心を忘れずに、自由自在に解決していく。そういうことができてこそ解脱したと言えますし、それを見る自分というのが大事なわけです。ここで慢心や驕(おご)りがあると、自分が解脱したかどうかが見えなくなってくるのです。また、「すでに解脱した」と思えば、「もう大丈夫」と思い、「自分は何をしても大丈夫な、許される人間なのだ。特殊な人間なのだ」と誤解するようなことさえあります。
ですから、常に謙虚な心を持ちながら、まず戒・定・慧の順番を守り、そして心の自由としての解脱の気持ちを味わう。そして、いま自分は解脱した状態にあるということを知る。そうした目を養うことが大事なのではないかと思います。
真に解脱した状態が続くと、心は自由自在で霊天上界と同通し、いつも守護霊や指導霊からの光を浴びた状態が続くと、心は自由自在で霊天上界と同通し、いつも守護霊や指導霊からの光を浴びた状態になります。それは、みずからの心が浮き浮きして軽くなってくる、いい気分として味わうことができます。あまり被害妄想が強かったり、人に対する攻撃心が強かったりするようなことがあっては、解脱した状態にあると言えません。真なる幸福というものを手に入れて満喫している状態、それが解脱の状態であるわけです。これは、「悟り」という言葉と置き換えることもできる言葉なので、内容的にはかなり難しいものがあるでしょう。
本章の話を一つのきっかけとして、悟りを深めていただければ幸いです。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第6章「解脱の意味」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(3/14-1)73 真理の言葉『正心法語』を読む ⑭しかして 御国は 霊の国―神の側から見た、この世とあの世の真実とは
