(5/1-1)121『智慧の言葉「仏陀の悟り」』について考える ⑧無我の心を持つならば―【愛は風の如く―Love Blows Like the Wind】

『智慧の言葉「仏陀の悟り』」

7 欲望の強すぎることを恥とせよ。

【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

風薫る五月となりました。五月研修がただいま支部で開催されています。

オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。

514日は新復活祭です。2004  5 14 

日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。

 当日は13 

時より、教祖殿に最も側近き礼拝殿である東京正心館から、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催します。そして、5/14(火)~5/19(日)まで、新復活祭を開催致します。皆様この機会にご来館ください。

この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そこで、本日から経典『信仰のすすめ』の第四章に所収されています「愛は風の如く―Love Blows Like the 

Wind」より、ヘルメスの愛について学びます。本御法話は主の新復活の直前となる2004年の429日に説かれています。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*

愛は風の如く―Love Blows Like the Wind

1ギリシャ神話の神ヘルメスの真実

幸福の科学だけが伝えている真のヘルメス像

幸福の科学が制作し、二〇〇三年十月に公開された、映画「黄金の法」(製作総指揮・大川隆法)は、海外でも上映され、それを観た海外の人から、「映画のなかに登場してくるヘルメス神について、もう少し詳しく知りたい」という意見が寄せられました。

そこで、本章では、ヘルメスについて述べることにします。

映画「黄金の法」にはモーセやイエス・キリストも登場しますが、彼らについては、よく知っている人も多いでしょう。

一方ヘルメスについては、おそらく、ほとんどの人が、「ギリシャ神話に出てくるオリンポス十二神のなかの一人である」という程度の知識しか持っていないのではないでしょうか。確かに、ヘルメスについて、現代には、そのようなかたちでしか伝わっていません。

しかし、幸福の科学が伝えているヘルメス像は、ギリシャ神話のものとは違っています。もちろん、当会の人以外で、そのようなヘルメス像を語った人はいないので、当会が伝えているヘルメス像は、まったくオリジナルものであると言ってもよいでしょう。

その意味で、「映画で観たヘルメス像がよく分からない。あのようなヘルメス像は初めてだ」という感想には納得できます。そのとおりであろうと思います。

私は、以前、自分自身のなかにある、はるか昔の過去世の記憶をよみがえらせて、ヘルメスの物語を書き下ろしました。それは、本章の章題と同じ『愛は風の如く』(全四巻、幸福の科学出版刊)という題名の本です。

この本は、まだ外国語に翻訳されていないので、海外の人々の多くは、その内容を知らないかもしれません。しかし、この本を原作とする映画「ヘルメス―愛は風の如く」が、すでに、一九九七年に制作され、日本国内や海外で公開されています。

それは、新しいギリシャ神話であり、また、現代によみがえった、新たな英雄伝説でもあります。

ゼウスより数百年も前に活躍した指導者

それでは、当会で説かれているヘルメス像とは、どのようなものでしょうか。

時は、いまから四千三百年前に遡ります。

ヘルメスは、ギリシャ神話の内容とは違って、実際には、ゼウスよりかなり古い時代の人です。「ヘルメスはゼウスより数百年も前の人である。ヘルメスは、いまから四千三百年ほど前に生まれて活躍をし、その後、数百年たって、ゼウスが生まれた」と私は述べています。

現代に伝わっているギリシャ神話では、ほとんどの神々がゼウスの子供であるかのようになっていますが、それは、現代人の感覚から考えても、ありえないことです。そこに描かれているゼウス像は、あまりにも人間的なゼウス像です。神話を編むにあたって、「ゼウスが、さまざまな女性たちを妻にして、たくさんの神を生んだ。そのなかの一人がヘルメスである」ということにしているわけです。

これについて、私は、「ヘルメスという指導者がいて、ヘルメス教団があった。それから数百年たって、ゼウス教団ができ、そのゼウス教団が自分たちを中心に神話を作り直した」と考えています。

【大川隆法『信仰のすすめ』第4章「愛は風の如く―Love Blows Like the Wind」より抜粋】

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*

本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、

『正心法語』のなかで、「菩提心の言葉『修行の誓い』」を読んで、三宝帰依の精神を確認して、仏道修行の誓いを主に捧げたのち、読む経文が『智慧の言葉「仏陀の悟り」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、2600年前の仏陀の悟りか何であったかを学ぶことができます。

私は、個人的に『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を、伝道の中心に据えています。主エル・カンターレの名を知らず、無明の闇に苦しむ人に仏法真理を伝道するときに伝えるべき内容がここに集約されているからです。また生きている方のみならず、お亡くなりになった方への伝道という意味においても、葬儀での法話で、お亡くなりになった方への引導を渡すときに、この経文を題材に法話をしています。

さて、本日は、『仏説・正心法語』第三の経文である『智慧の言葉「仏陀の悟り」』について共に考えを深めてまいります。

私たちは、この経文を毎日読むことによって、私たちが日々つかむべき『霊的人生観』を知り、自分が肉体存在ではなく、「霊」であるという原点に立ち返ることができます。

『智慧の言葉「仏陀の悟り」の最後の部分は重要につき、繰り返し抜粋します。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜

仏陀は語る

『人間よ 

生・老・病・死は真理なり

されど 悟りの 力こそ

悩みを 断ち切る 刃なり

無我の 心を 持つならば

肉体は これ 我ならず

煩悩は これ 我ならず

空の 心を 持つならば

霊こそ 全ての 根源(もと)にして

この世は 仮の 世界なり

仏陀(われ)を 信ずる 心こそ

救いの 道の 王道なり』

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜

ここで、また無我の教えが出ています。

悩みを断ち切る悟りの力のもとは智慧です。智慧の一つである「無我」を受け入れて、無我という真実をまず知ることが大事です。

「肉体は我ならず」です。肉体というのは自分自身ではなくて乗り物なのだ、ということをまず知りなさい、ということです。『仏説・正心法語』の最初の経文である「真理の言葉『正心法語』」にあるように、肉体は魂の乗り舟なのです。これを知らなくてはなりません。

肉体が自分自身ではなくて乗り舟であるならば、煩悩というものも、肉体を中心に出てくるものです。「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六根煩悩から、いろいろな苦しみが現れてきます。その煩悩は、ほんとうに自分自身の魂が要求しているものなのか、それとも肉体が要求しているものなのか、考えてみることが必要です。・・・いろいろ苦しみがありますが、それに翻弄されているときには、「これが本来の自己の求めているものなのかどうか」を、よく知ってください。

「肉体はこれ我ならず」「煩悩はこれ我ならず」と思ったとき、そこに智慧が現れてきます。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜

人生の迷いや、苦しみは、形ある世界の中にあって、形ある物がすべてであるという心の囚われから生まれます。

「目に見えるものは、本当は実在しない。本当に実在するのは心のみである」

目に見えるものは、私たちが死んだ後、何もかも無くなってしまいます。それは実在とは決して言いません。私たちが自分だと思っている肉体や、脳も、心臓もいずれ無くなるものです。形あるものに実在はありません。形あるものに宿りたる、「形なきもの」こそが実在なのです。

「肉体」の反対は「霊」です。宗教的信条を持たない人は、自分が霊的存在であることを理解することができないで苦しみを自ら生みます。

肉体は自分ではありません。

そして肉体についてまわる煩悩(ぼんのう)や欲も自分ではありません。

無我であり、無執着であることが、本来私たちのあるべき心の姿です。

これを理解するのが「霊的人生観」の始まりであり、悟りの第一歩なのです。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜

仏教の教えの旗印として四法印というものがあります。「三法印」がとくに有名ですが、一切皆苦を加えて四法印という言葉が大乗仏教のなかにあります。

①一切皆苦 肉体存在としての人生はすべて苦しみである

②諸行無常 全て事象は留まることなく、常に変転していく。

諸法無我 全ての存在に「我」はなく、我がものというものは存在しない。

④涅槃寂静 全ての執着や煩悩の炎を吹き消して何にもとらわれない平和で自由な境地を目指すこと。

仏教では、まず、人生での苦しみは自分が肉体であると勘違いすることから発生すること教えています。人間の本質は、「霊」なのです。人間はその本質である霊が魂となって幾転生、あの世とこの世を繰り返し生まれ変わりながら、自らの魂の親である仏へと帰還する心の修業を重ねています。

ですから、人間の本質は肉体だと考えることそのものが苦しみであると人生の本質をお釈迦さまは喝破されました。苦しみの象徴としてこの経文でも取り上げられています。生・老・病・死」の四苦が苦しみの代表として登場しています。

その次には、「空」と「無我」の教えがとても重要であり、「空」は「諸行無常」に関係があり、「無我」は「諸法無我」に関係があります。それでは、ここで、経典から無我と空についての主の教えをおさらいいたします。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜

〇真に「無我」となる方法

釈尊が無我を説かなければならなかった理由の一つは、「結局、人生の苦しみのほとんどは執着にある」というところです。執着とは、何かに執(とら)われることです。この執着のもとにあるものが「我(が)」なのです。我欲。あるいは「我あり」と思う心。あるいは我見(がけん)―我でもって見る、自我でもって見る、自分が非常に都合のよい偏りのある目で見る。こうした我に基づく見方や欲望によって人生の苦しみはすべてできているのです。ほとんどそうです。・・・

「我なし」ならば「我がもの」もないのです。「我あり」と思うから、「我がもの」があるのです。・・・まず「我」があって、「私のもの」というものが出てきます。これが執着の原因です。この「私のもの」があって、そこに執着が生まれてきます。

ですから、この執着を断つためには、まず「私のもの」というのを切る必要があります。「私の私の」「我の我の」というのを、やめることです。

本来のあなたの存在というのは、いったい何でしょう。それは、大宇宙の根本の神仏が、光として人間を存在らしめようとして出したのです。それが本来の姿でしょう。それを忘れてはいけません。その本来の姿を想い起こしたときに、人間は神仏と一体になれるのです。

この無我の教えは、二つの面から、もう一度点検されなければなりません。無我とは、物理的物体としての「我」が無いということを言っているわけではありません。無我なるものの本質の一つには、「あなたは神仏と一体にならなくてはいけません」という部分があります。己を空しゅうしなければ、神仏と一体にはなれません。「自分が自分が」と思う心が強ければ、神の光も射してきません。

神仏と一体になるためには、仏教的に言えば、もちろん反省、瞑想がありますし、キリスト教的に言えば、神への祈りもあるでしょう。ひとりで神に一生懸命祈るのもそうでしょう。「神仏と一体となる」、これが一つです。

無我なる方法として、もう一つは、「利他、愛他」があります。

他人のために生きる。

他人の苦しみを自分の苦しみとして、

他人の悲しみを自分の悲しみとして、

他人のよろこびを自分のよろこびとして生きる。

愛他の心を持って生きる。

これも無我になっていくための道です。

要するに、神仏と一体になるのも、他人と一体になるのも、両方、無我の教えなのです。

「これが結局あなたがたを生かしていく道なのだ」ということを教えているわけです。

この教えに間違いはありません。

【大川隆法『悟りの挑戦』(上巻)より】

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜

59)自己中心的な人ほど「我」が強い。

【大川隆法 『人生への言葉』より】

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜

本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜

「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について

2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。

本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  

奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。

この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】

また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。

神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】

「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

■□■□■□■

。゜+. With Savior 。゜+.

100%エル・カンターレ信仰

天御祖神とともに―

伊勢から世界に伝える強い信仰

■□■□■□

□■□■□

| 人を愛し人を生かし人を許す

□■□■

TEL0596-31-1777

■□■

FAX0596-31-1778

□■

文責:蒲原宏史 

タイトルとURLをコピーしました