(4/29-1)119『智慧の言葉「仏陀の悟り」』について考える ⑥人は仏陀に巡り逢う―『幸福実現党宣言②』

『智慧の言葉「仏陀の悟り』」

○「自由」「民主」「信仰」を各地に広げよ
私たちが発信すべき、この世的なルールとしては、「自由」「民主」「信仰」という言葉です。これらを世界各地に広げることです。
大きな国であっても「自由」「民主」「信仰」の三つが入っていない国家があるはずです。そういうところは、独裁主義の専制国家になっており、たいていの場合、覇権主義を求めているでしょう。
ですから、この世の政治・経済的な意味においては「自由」「民主」「信仰」の三つを浸透させるべく、地上的な活動を続けていくことが大事です。

【大川隆法『青銅の法』第四章「宇宙時代の幕開け」より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

4月30日は幸福実現党の立党記念日です。2009年4月30日、大川隆法総裁先生がこの国の国難を救うべく、幸福実現党宣言をなされて、「幸福実現党」を立党しました。主に心よりの感謝を捧げます。

この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そこで、本日は、幸福実現党立党の精神を振り返るべく、皆さまとともに主の経典『幸福実現党宣言』についてともに考える機会を持ちたいと考えています。ます、経典の「まえがき」に続いて、第一章「幸福実現党宣言」の要約を以下ご紹介いたします。そののち、「正心法語」の「智慧の言葉『仏陀の悟り』」を解説します。
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4天皇制の問題点
〇天皇制自体は、文化と歴史の象徴として残してよい
次に、天皇制に関して述べましょう。

天皇制自体は百二十五代続いていて、二千数百年の流れを持っているものであり、外国には数少ないものであるので、制度そのものは何らかのかたちで残しておいた方が、日本の国にとってはよいだろうと思っています。

ただ、今の天皇が、政治的に、ある意味では元首にも見え、ある意味では元首ではないようにも見えること、つまり、鳥でも地上の動物でもないコウモリのような立場に置かれていることに関しては、一定の疑問を持っています。

明治以前の場合は、どうであったかというと、天皇は一種の文化的象徴だったと思うのです。京都に住んでいて、文化的象徴だったわけですが、「薩長連合軍が幕府を倒しただけでは国が安定せず、何か重しが必要だ」ということで、「錦の御旗」を繰り出してきて、天皇を政治的存在に祭り上げ、新政府をつくったわけです。

その兵法を使った人は天才的ですが、天皇は、歴史の舞台において、必ずしも、いつも政治的なトップであったわけではなりません。これは、日本の歴史を見れば、そのとおりです。天皇は、文化的には存在していましたが、政治的には、表出でたり引っ込んだりしている存在であり、たいていの場合は幕府等が実験を持っていました。

幕府が変わるようなこと機に、天皇の存在によって、よくなることもあったり、政治的混乱に陥ったりしたこともありましたが、天皇制が長らく続いてきた背景には、日本神道系の神意がそれなりに働いていたのは確かでしょう。

したがって、「天皇は、日本国の文化と歴史の象徴であるから、その存続は尊重されるべきである」という考えはあってもよいと思います。

しかし、第一条には「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」と書いてあるのは明らかに嘘です。国民投票をし、国民の総意を得て天皇に就いたわけではありません。憲法には第一条からあきらかに嘘を書いてあります。

こういう部分には修正の必要があると思います。

また、先の大戦においては、ある意味で、日本の軍隊は「天皇の軍隊」であったのは間違いありません。国民は天皇陛下のために戦って死んでいきました。そのため、天皇にも戦争責任は明らかにあるのです。

ヨーロッパ等では、戦争で負けたところは、どこも王室はなくなっています。そうしたなかで、日本では皇室がなくならなかったのですが、昭和天皇に徳力があった面は確かにあると思いますが、要するに、日本が交渉相手のいない国になってしまい、泥沼化するのを恐れたのです。近年のイラクのような状態(※湾岸戦争・1990年8月2日にイラクが隣国クウェートに侵攻した事件を発端とし、侵攻後もクウェートから撤退しないイラクに対する強制措置としてアメリカ合衆国主導の多国籍軍が結成され、その多国籍軍とイラクの間で勃発した戦争)になったら困るので、象徴として天皇を残したのでしょう。それは政治的な配慮だったと思います。

天皇制はあってもよいと思いまずか、憲法の第一章から堂々と記すようなものではないと考えます。

〇外国から見ると、誰が元首なのかよくわからない
第七条を見ると、次のような規定があります。
「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、下の告示に関する行為を行う。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を交付すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免お呼びに全権委任状及び対し及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大師及び公使を接受すること。
十 儀式を行うこと。

非常に煩雑です。これはとても出来の悪い条文であり、天皇にここまでさせたら、忙しくて倒れ、病気になってしまいます。ここまでする必要はありません。

現実には、宮内庁の役人が手伝っているでしょうが、私は、こんな繁雑な業務は天皇のやるべきことではないと思います。

「天皇は、形式的な仕事はしてもよいが、実質的なことはしてはいけない」というのが憲法の趣旨です。国政に関することと、国事に関することとを分けています。「国事に関することは、形式的なこととして、天皇の仕事に入れ、国政に関することは内閣の仕事である」というように分けて、日本語の便利な使い分けをしています。

しかし、外国の要人と会うときには、現実には元首のように振舞っているのですが、実際には何らの機能も責任も持たないことになっています。これは非常に分かりにくい体制です。

雅子妃が、今、ああいう状態(※雅子妃が「適応障害」と診断されたのが2003年、2009年時点で長期療養に入って丸6年になっています)になっている原因は、まさしく、この国政と国事の分け方にあるのです。こういう、「白馬は馬にあらず」という論法で言われると、正常な頭の人はおかしくなるのです。「『馬』なら馬だが、『白馬』は馬ではない。当然、『黒馬』も馬ではない。『茶色い馬』も馬ではない。では、馬は、いったいどこにいるのだろう」というような論法です。

そのように、国政と国事とを分けて、いろいろやっていますが、天皇は法律にサインをしたりしているので、これとを見ると、ある意味で元首のようにも見えます。

「元首なのだけれども、責任は内閣にある。なぜなら、内閣は助言と承認をするからだ」というかたちです。

これは、先の戦争で天皇制が生き延びたのと同じ原理を使おうとしているのですが、あまりすっきりしません。

実は、日本という国が外国から信用されていない理由は、ここにあるのです。「誰が意思決定をするのか分からない」と言われているのです。「意志決定者をはっきりさせなさい」ということです。

もし、内閣総理大臣が元首であるのであれば、それちらと交渉すれば全部決まるわけですから、そうであれば、天皇陛下は文化的存在としてお祀りすればよいのです。天皇を政治のほうに入れるべきではないと思います。

逆に、天皇のほうが、政治的にトップだというのであれば、何らかの判断権がなければならないでしょう。判断と責任が生じるのは当然です。そうすると、先の戦争のようなときには、当然、死後は死刑になっているはずです。

玉虫色にして、いったんは逃げたのかもしれませんが、これは、いつまでも通じる論理ではないと思います。

私としては、「内閣総理大臣のほうに元首としての責任がある」ということを明確にしてもかまわないし、あるいは、できれば大統領制を敷いたほうがよいのではないかと考えています。

そうしないと、日本という国は信用されないのです。外国から、「交渉の相手として、誰が判断権を持っているのか、よく分からない。いったいだれが判断しているのか分からない。実際は役人がやっているのではないのか。課長補佐クラスが国政を決めているのではないか」というように見られているので、ここは、できればすっきりさせたいと思います。

【大川隆法『幸福実現党宣言』第一章より抜粋】
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さて『正心法語』のなかで、「菩提心の言葉『修行の誓い』」を読んで、三宝帰依の精神を確認して、仏道修行の誓いを主に捧げたのち、読む経文が『智慧の言葉「仏陀の悟り」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、2600年前の仏陀の悟りか何であったかを学ぶことができます。

私は、個人的に『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を、伝道の中心に据えています。主エル・カンターレの名を知らず、無明の闇に苦しむ人に仏法真理を伝道するときに伝えるべき内容がここに集約されているからです。また生きている方のみならず、お亡くなりになった方への伝道という意味においても、葬儀での法話で、お亡くなりになった方への引導を渡すときに、この経文を題材に法話をしています。

さて、本日は、『仏説・正心法語』第三の経文である『智慧の言葉「仏陀の悟り」』について共に考えを深めてまいります。

私たちは、この経文を毎日読むことによって、私たちが日々つかむべき『霊的人生観』を知り、自分が肉体存在ではなく、「霊」であるという原点に立ち返ることができます。

『智慧の言葉「仏陀の悟り」はこのように続きます。

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四苦の 苦しみ 断ち難く
人は 仏陀に 巡り逢う
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The Four Pains are hard to overcome
But when you turn towards Buddha
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人は、苦しみに直面して初めて、その苦しみを乗り越えるための方法なり、教えなり、何か自分の人生の縁(よすが)となるものがあるのではないか、ということに考えが到ります。そして、人は仏陀に巡り逢うのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より引用】
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「支部発展のための祈り」のなかで、

『主なる仏陀よ
仏陀の転生に出会うは
三千年に一度咲く 
優曇華の華を
見るが如く
大海を泳ぐ盲亀が
浮木にたどりつくが如く 
困難なことでございます』

とあります。混とんとした苦海がひろがる世界の中で、
苦しみの人生の中で、
仏陀に出会うことができたこと自体が奇跡です。
主なる仏陀に出会うことができた幸福をしみじみと感じます。
今、一時期、地上からお隠れになっていますので、毎日、主の復活の祈りを共に捧げさせていただいています。

ここで、私たち仏弟子が考えなければならないことは、仏陀とは法(教え)であるということです。
法とは、仏陀の教えです。現代に下生した仏陀は大川隆法総裁先生であり、私たちの主でもあります。その主が直接語り下した言葉が、今3200書という本という形で経典となって、全国の支部や精舎、そして書店で頒布(販売)されています。主の教えは世界170か国に広がっています。

人が仏陀に出会うとは、多くの場合、仏を知らず、神を知らないで、明かりのない世界(無明)で生・老・病・死の四苦に苦しむ人が、一つの明かりである灯を見つけるように。大川隆法総裁先生の経典に出会って、自らの人生を180度変えることです。それが霊的な人生観を得ることの意味です。仏陀との出会いはその意味で、かけがえのないものです。

少し視点を変えて観ると、四苦の苦しみがあるからこそ私たちは仏陀に出会うことができるということになるかと思います。人生の奇妙な秘密があるとするならば、幸福というものは、私たち人生に何の障害もなく、すべてが満たされていることでは決してないということです。人生にさまざまな苦しみがあるからこそ、「人間とは何なのか」「自分がどこから来て、どこへ還るのか」「自分が生まれた理由は何なのか」「愛とは何なのか」こうした疑問に答えが与えられることになります。「四苦」の苦しみは、この地上が仮の世界であることを理解するために用意された舞台装置です。そして、「四苦」の苦しみは自らの人生を信仰へと導く試練や、試してとして存在が許されています。

その意味において「仏陀との出逢い」は地上で経験することができる最大の奇跡であると断言できます。そして現在は、主と共に生きることが許されている奇跡の時代です。私たちは主に直接会って、感謝を捧げることができます。
私たちの使命は、現代の霊鷲山ともいえる主の説法壇を純粋な信仰心で御守りすることです。今こそわたしたちは純粋な信仰のもと、本物のエル・カンターレ信仰をつかむことで、あらゆる苦しみを乗り越える光の一条となって参りましょう。そして、主の復活に向けて真剣なお祈りを共に続けてまいりましょう。

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ここで、主の楽曲「仏陀のようには死ねないよ」の歌詞をご紹介いたします。
この楽曲は2020年NHK 
の紅白歌合戦で、「ブッダのように私は死んだ」という曲を、桑田佳祐作曲で石川さゆりが歌唱しましたが、その歌は残念ながら、釈尊の心の教えとは真逆の内容でした。コロナ禍で多くの方が生死について考えている今、大川隆法総裁先生は、正しい仏教観を伝えるために、本楽曲を創られました。本楽曲は、四苦八苦の教えやこの 
世を生き抜く指針、仏陀のように死んでゆくことの難しさと尊さがわかりやすく説かれ、無明に生きる現代人への警鐘が鳴らされた楽曲となっております。芦川よしみさんの歌唱がとても美しい歌となっています。
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●仏陀のようには死ねないよ

馬鹿なことを言う人がいるが、
世の中に、
仏陀のように死ねると思う人がいる。
それはとても悲しい誤解なんだ。
死んで、白骨になって、
風に吹かれて、
散るだけが死ぬことではない。

「生・老・病・死」を知らなくて、
仏陀のようには死ねないよ。
これを「四苦」と言うんだよ。
「生」とは生まれる苦しみ。
「老」とは老いてゆく苦しみ。
「病」とは病で苦しむこと
そして歳を取ると、
「死」を恐れて苦しむ。
だけど、それは悟ってないだけだ。
土葬にされて、
棺桶の中で、
何十年も何百年も、
寝ているわけじゃない。
火葬にされて煙になって、
人生が終わるわけじゃない。
この肉体はボロ車のように、
やがてガタガタになって、
壊れてしまうけど、
死んでも魂は永遠さ。
天上界で生きてこそ本来の人生さ。
そこから苦しみつつ、この世に生まれて、
泣きながら生まれてきて、
そして「四苦八苦」味わうのさ。

愛欲の苦しみ、
それを経験する。
憎しみ合うような人出会い。
愛しい人とは別れる。
五官煩悩は燃え続けて、
苦しい肉体が自分を振り回す。
だけど「求不得苦」。
求めても得られない苦しみこそ、
この世の本当の意味なんだ。
だから全てを求めちゃいけない。
全ての苦しみを人生の砥石として、
生き抜き死んでゆけ。
それが仏陀のように死ぬということだ。
だから煩悩多き者よ。
仏陀のようには死ねないよ。死ねないよ。

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「苦しみの世界を、この地上から完全に消すこともできなければ、完全に逃れることもできません。ただ、永遠の生命として、いかに自分は生くべきかということに、真正面から向き合うようになったときに、自分自身の人生を、自分で切り開いていかねばならないということに、気づくことになると思うのです。
 それが、すなわち、苦しみの世界からの解脱、抜け出すことになるのではないかと思います」
【大川隆法 御法話『苦しみの世界』より】
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30 今日も命があるとは、何とすばらしいことか。
【大川隆法 箴言集『病の時に読む言葉』より】
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ここでさらに、幸福実現党立党の精神に原点回帰すべく、教典『宗教立国の精神』より第5章『宗教立国の精神』を振り返ります。経典をお持ちでない方は、全国の書店、支部や精舎にて拝受ください。【2000円(税抜)】
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■『宗教立国の精神』
4 「基本的人権」の根拠とは
〇「憲法試案」前文で、従来の基本的人権が高度に昇華された

「新・日本国憲法 試案」に出てくる「仏の子」という言葉は、仏教では最初からあるものです。仏教では「仏子」や「仏性」という言葉が出てきます。仏教は、「人間は、みな、本来、仏と同じような素質、性質を持っていて、それを修行によって磨き出せば、仏になることができる」という考え方を持っているのです。

また、日本神道にも、やはり、「人間の魂のなかに、神としての存在の部分がある」という思想が連綿としてあります。

宗教思想においては、宗教のあり方を説明する言葉として、「神人合一型」「神人隔絶型」という言い方があります。

神人合一型とは、「神と人間が一つになれる」という考え方です。「人間は、修行すれば、仏に近づいていける。菩薩になり、如来になれる」という考えは神人合一型でしょう。

神人隔絶型とは、「神は、遠い世界の偉い存在であり、人間は、はるか下の方にいて、神とは全く離れている」という考え方です。そういう考え方の宗教もありますが、私は、「神と人間とは、まったく別なものではない」と思っています。

例えば、神を、「わが父」と呼んだのは、歴史上、イエスが最初です。父親あるいは母親でもよいのですが、親というものは、優しい面と厳しい面の両方を持っています。

その両面を持っている神が、言葉を使い分け、「神と人間には、似たところがある」と言ったり、「神と人間とは違う」ということを強調して言ったりしているにすぎないのです。

基本的に私はそう考えています。

したがって、「キリスト教は『憲法試案』前文の考え方に包括されない」という批判は間違いです。

表現の違いはありますが、前文の「神」という言葉には、キリスト教的な神も、日本神道的な神も、それ以外の宗教の神も入っていますし、「仏」という言葉には、仏教的なものの考え方も入っています。そして、私は、「そうした、神の子、仏の子としての本質があるからこそ、人間は尊く、それが基本的人権のものである」ということを主張しているわけです。

そうでなければ、人間は単なる機械、あるいは虫や動物と同じであり、それほど尊いはずがいないのです。やはり、「人間は、神仏の一部分を宿しているために尊い」ということが、基本的人権の根拠なのです。

憲法試案には、「基本的人権」という言葉を特に書きませんでしたが、「従来の憲法に載っている基本的人権は、この前文の内容によって、実は、もっと高度なものに昇華されたのだ」と考えてよいのです。

すなわち、「人間は、魂があるかないか分からず、ロボットのようなものなのか、精神性がある生きものなのか、分からないけれども、とにかく、この世に生まれた以上、その生存を保護する」というレベルの基本的人権ではなく、「人間は、もっと大事なものを持っている。要するに、基本的人権には、本質的に、神の権利そのものではないけれども、”基本的神権”に近いものがある」というところまで、もう一段、人権のレベルを引き上げたのです。

「人間は、神の子、仏の子だからこそ、尊い義務を背負っており、向上・努力する必要がある」と考えるわけです。

〇「憲法試案」の第二条で、すべての宗教が包含される
もし、前文における、「神の子、仏の子」という考えか方から漏れる宗教があるとしても、それは、第二条で挙げた、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」という言葉のなかに入れることが可能だと思います。

いろいろな宗教がありますが、この「宗教の自由を何人に対しても保証する」と言っているところで、すべての宗教が包含されると思います。

あえて、「信教の自由」を挙げたのは、「宗教法人幸福の科学の活動と、幸福実現党の動きとは、いちおう、一定の線を引いて分ける」ということを意味しているのです。

宗教法人の立場から言えば、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」という条文ではなくて、「エル・カンターレ信仰を国教とする」という条文を、本当はいれたいところですが、それを踏みとどまって、仏教やキリスト教、儒教、日本神道、イスラム教など、いろいろな宗教に対して、新しい宗教も含めて、「信教の自由は保障する」と言っているのであり、これは、「政治の原理と宗教の原理を、きちんと分けている」ということなのです。

これによって、この憲法から独裁的なものや全体主義的なものが出てくることは、基本的にはないと言えます。最初から、多様な考え方を受け入れ、人間の尊さや、いろいろな宗教のあり方を認めているわけです。

【大川隆法『宗教立国の精神』第5章『宗教立国の精神』より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に霊的真実と
主エル・カンターレの御存在を弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き

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