5 自己愛は、ほどほどにせよ。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
おはようございます。
本日4月27日七の日です。皆様誠におめでとうございます。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします
そして 主への報恩として
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります
私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
4月30日は幸福実現党の立党記念日です。2009年4月30日、大川隆法総裁先生がこの国の国難を救うべく、幸福実現党宣言をなされて、「幸福実現党」を立党しました。主に心よりの感謝を捧げます。
そこで、本日からは、幸福実現党立党の精神を振り返るべく、教典『宗教立国の精神』より第一章『天命を信じよ』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。経典をお持ちでない方は、全国の書店、支部や精舎にて拝受ください。【2000円(税抜)】
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■『天命を信じよ』
3真理のために戦い、この世の「常識」を打ち破れ
幸福実現党の使命は日本人の救済です。さらに、日本を超えて、世界の人々をも正しい方向に導いていく使命を持っていると信ずるものです。
ゆえに、今のような支持率は十分ではありません。七十パーセント、八十パーセント、という高い支持率を持つような政党に育て上げていかねばならないし、日本での成功を世界各国に広げ、「日本の幸福実現党に続け!」という運動を起こしていかなければならないと思います。
幸福の科学の、過去二十数年の成功の積み上げから見て、それは実現可能であると、私は信じています。
なぜなら、正しい価値観に戻そうとしているだけのことであるからです。当たり前のことを当たり前に言っているだけのことだからです。
聖徳太子の時代に人々が信じられたことを、今の時代の人は信じられないというのでしょうか。昔の人は、みな劣っていたのでしょうか。
そんなことはありません。物が溢れている世界のなかで物に執着している人間が、真理の世界を知って徳を持つ人たちを批判する資格などないのです。
ぜひとも、精神的高みを持った政治を実現していきたいと思います。それは、宗教の運動とも決して矛盾するものではないと考えます。
「正しい政治運動は、幸福の科学の使命そのものである」と、私は言いたいのです。
あえて違いを言えば、「教えの流布」を中心とするのが宗教としての幸福の科学であり、「この世における具体的なユートピア実現の運動」が幸福の科学の政治部門としての幸福実現党の役割であると考えています。
両者は決して別のものではありません。それらを別のものだと解釈する者に対しては、「悪魔の力」がそこに加わっていると断言するものです。
私は、「是が非でも、この国の背骨たらん」と思っています。「幸福実現党よ、どうか強くあってほしい」と思いますし、また、「幸福の科学に集う人々、賛同する人々、縁のある人々に愛され、育てられるような、そういう政党にしていきたい」と思います。
半年や、一年であきらめるような、軟弱なものであってはなりません。宗教は、二千年、三千年と続けていくものです。この政治運動に宗教的真理が含まれているとするならば、幸福実現党の戦いは、まだ緒(ちょ)に就いたばかり、始まったばかりです。
単なる世論調査や世間の批評に負けてはなりません。真理のために、断固としてただ買い続けることが肝要です。この世の「常識」を打ち破ることを強く願います。
【大川隆法『宗教立国の精神』第一章『天命を信じよ』より抜粋】
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さて、『正心法語』のなかで、「菩提心の言葉『修行の誓い』」を読んで、三宝帰依の精神を確認して、仏道修行の誓いを主に捧げたのち、読む経文が『智慧の言葉「仏陀の悟り」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、2600年前の仏陀の悟りか何であったかを学ぶことができます。
私は、個人的に『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を、伝道の中心に据えています。主エル・カンターレの名を知らず、無明の闇に苦しむ人に仏法真理を伝道するときに伝えるべき内容がここに集約されているからです。また生きている方のみならず、お亡くなりになった方への伝道という意味においても、葬儀での法話で、お亡くなりになった方への引導を渡すときに、この経文を題材に法話をしています。
さて、本日は、『仏説・正心法語』第三の経文である『智慧の言葉「仏陀の悟り」』について共に考えを深めてまいります。
私たちは、この経文を毎日読むことによって、私たちが日々つかむべき『霊的人生観』を知り、自分が肉体存在ではなく、「霊」であるという原点に立ち返ることができます。
『智慧の言葉「仏陀の悟り」はこのように続きます。
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『病』とは 汝の 肉体が
痛み 苦しむ その時の
病める 姿を 表すなり
人生に しばし 病の時ありて
人の 情けを 悟るなり
奪うばかりの 愛ゆえに
不平不満の 種つきず
己れ なにゆえに 生まれしか
疑問の 日々は つづくなり
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Illness is the state of your body
When you suffer from aches and pains
At the times in life when you are ill
You encounter the kindness of others
But because you do nothing
But take their love
Your dissatisfaction
Leads to endless complaint
Day after day you keep asking yourself
Why you were born
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次は「病」です。全国にこれだけ大病院が発達し、医者や看護婦があふれ、彼らが毎日、仕事を持っているところをみれば、「生長の家」的に「本来、病はない」「医者や看護婦の仕事は、本来の仕事ではない」と言われても、やはり、あるものはあります。ですから、肉体を持って生活している以上、肉体の疾患は当然出てきます。
それでもあえて、「病がない」という考えをするならば、自動車をつくって、「本来、事故はない」「本来、故障はない」と言っているのと同じです。きちんと運転マナーを守って運転し、よく車の手入れをすれば、故障も事故もないかもしれませんが、現実には、車は故障しますし、事故も起きます。そうなると修理も必要です。肉体という「機械」を使っての生存においては、それと同じような現象が起きてきますから、それを「ない」と言ったところで、本来的な解決にはなりません。やはり、病気をすることはあるのです。
その原因は、現在では精神的なものもかなり大きいようです。仕事のストレスから、精神的にまいってくる。あるいは、その憂さ晴らしのために、酒を飲みすぎたり、いろいろな遊びにのめり込んだりして、体調を崩して、病気になることもあります。仕事そのものの重圧から潰れていくこともあります。
このように、心と肉体の調和を失ったときに病が現れてきます。誰しも、それほど優れた「運転士手」ではありませんから、やはり、そうした失敗が起きてくるのです。・・・
しかし、もとをたどれば、その病気をした原因は自分自身にあるのです。その兆候はあったのです。「無理をしたら身体にくる」というのは、わかっていたのです。しかし、それを見抜く智慧がなかったのです。肉体の病気も、やはり智慧の不足から来ます。智慧が足りないと、「自分だけは大丈夫だ」という、勝手な「肉体信仰」をしていたり、人の意見を聴かなかったり、あらかじめ鍛えておかなければいけないことを怠ったりします。そうした智慧の不足から病気になったわけであって、原因は自分にあるものです。
そして、結果が出てからびっくりして慌てるのですが、その時には、悲しいことに、「奪う愛」の塊となってしまうことがあります。せめて、よく反省をし、他の人々に感謝の心を起こすことが大事です。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より引用】
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〇人間は、病気を「消すことも」「つくること」もできる
それから、病気等をつくり出すこともできます。人間は生命エネルギーそのものなので、その生命エネルギーの一部を病巣に変えて病垣をつくることさえ、できることはできます。病気を「消すこと」もできますが、「つくること」もできるのです。
たとえば、ある人に対して、呪いの念波のようなものがたくさん集まっていると、すなわち、生霊が取り憑いたら呪いの念波がよく来ている状態が恒常化して、いつも来ているようになったりすると、それに同通するものがやって来て、力を貸すことがあります。そうすると体のなかに病変ができてくることもあるのです。そんなに時間はかかりません。一日もかからずにそういう病巣をつくり出すことはできます。
ただ、それは、正しい信仰をもち、正しい指導霊等につながることによって、逆に消すこともできます。
【大川隆法『秘密の法』幸福の科学出版 第一章より抜粋】
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○自己イメージで肉体は変わる
あなたがたが、どのような人生観を持ち、
どのような自己イメージを持つかによって、
あなたがた自身の肉体の設計は変わります。
ガンは、各人が、心の悩みによって、
つくることができるものであるならば、
自分で消すこともまた可能です。
ガンをつくった否定的な感情、
自分を追い込みすぎる心と、
正反対の心を持ち続けることによって、
設計図が変化していきます。
信仰によって、明るい強いか思いを出してください。
あなたがたは健康になるしかないのです。
天上界の大いなる光と一体となりなさい。
そうすることによって、
あなたがたの未来は変わっていきます。
【大川隆法 『未来の法』より抜粋】
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病の苦しみから逃れる方法は信仰を持つことです。そして神仏への祈りの力を使うことです。この点に関して、主の楽曲の歌詞から祈りの力について学びます。
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【映画『奇跡との出会い。―心に寄り添う。3―』主題歌】
●奇跡との出会い。
人生は、祈への道。
この世に肉体を持って生きるのは、 悲しい、辛い、厳しいことが多い。
心の悩みが、いつしかわだかまりとなって、
さまざまな 病気を呼び起こす。
されど、あなたには神がいる。
だから、奇跡との出会いを決して、諦めてはならない。
それは、ただ祈への道。
心を清らかに、透明にして、ただひたすらに信仰を選び取とれ。
信仰の白い道を、一筋に、一筋に、
ただ求めて歩み続けるがよい。
神は必ず、あなたを救われる。
その衣の裾を決して手放してはならない。
ああ、奇跡への道は、出会いは、必ず開ける。
祈り、それがすべて。
祈り、それが答え。
祈り、それがあなたと神とを結びつける、 一本の白い絆 きずな 。
Ah…
【『奇跡との出会い』作詞・作曲 大川隆法 歌 篠原紗英】
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人が病の苦しむとき、その方にとっては不幸の最中にあるように見えますが、信仰をもたない人にとっては、病の時は、仏様や神様の教えを素直になって聴くことができるチャンスです。苦しみの時を通してしか信仰の道に入ることができない方もいらっしゃるからです。人が苦しみの最中にある時は、逆に伝道のチャンスです。この時に魂の救済の手が仏から伸びています。
そして、信仰をもつ者にとっても、病のなかにある時は、日頃の考え方のなかに、中道を外した思い【意】、言葉【口】、行い【身】がなかったかを反省する機会ともなります。中道とは「八正道」のことです。このように人は、自分が霊であることを忘れると、思い・言葉・行い【身・口・意】の三業(さんごう)が乱れてしまいます。肉体は、霊体のどこに異常が出ているかを表すリトマス試験紙のような働きをします。肉体に病んでいるところが出ているということは、霊体の同じ場所が、想像をはるかに超えて痛んでいることを意味します。その原因をつくったのは、自らの心なのだということを知ることが、霊的人生観にとって大切なことです。
「肉体」の反対は「霊」です。宗教的信条を持たない人は、自分が霊的存在であることを理解することができないで苦しみを自ら生みます。私たちの身の回りにもたくさんいらっしゃいますね。その苦しみの元凶となるのが「生・老・病・死」の四つの苦しみ【四苦】といわれるものです。私たちの悟りは、四苦を乗り越えるところから始まります。『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を繰り返し読んで、正しき霊的人生観をつかみましょう。
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私たちにとって、大切なことは、主の経典をただ単に読むだけではなく、主の御教えを、自分の実人生に応用することで、真理知識と経験を組み合わせることで智慧に変化させることです。仏の教えを常に、自らの反省の材料として永遠の自己変革を目指すことが、来世に地獄に行くことなく、そして裏側の行くことのない正しい生き方となります。
「肉体」の反対は「霊」です。宗教的信条を持たない人は、自分が霊的存在であることを理解することができないで苦しみを自ら生みます。私たちの身の回りにもたくさんいらっしゃいますね。その苦しみの元凶となるのが「生・老・病・死」の四つの苦しみ【四苦】といわれるものです。私たちの悟りは、四苦を乗り越えるところから始まります。そして、それは、正しき霊的人生観を理解する始まりでもあるのです。
もし、今、病のなかにある方がいらっしゃいましたら、主の箴言集『病のときに読むことは』を読んでみてください。日頃忘れていた感謝の気持ちが呼び覚まされるはずです。【税抜き1400円で書店・支部にて頒布しています】
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(5)心と体の調和について考えよう。
【大川隆法 箴言集『病の時に読む言葉』より】
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ここでさらに、幸福実現党立党の精神に原点回帰すべく、教典『宗教立国の精神』より第5章『宗教立国の精神』を振り返ります。経典をお持ちでない方は、全国の書店、支部や精舎にて拝受ください。【2000円(税抜)】
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■『宗教立国の精神』
4 「基本的人権」の根拠とは
〇キリスト教会の都合でつくられた、「人間、罪の子」の思想
『新・日本国憲法 試案』では、「神仏の心を心とし」「神の子、仏の子としての本質を人間の尊厳の根源と定め」と書いてありますが、「これが、どの程度、宗教をカバーするか」という論点はあるでしょう。
「神仏」という言葉や、「神の子、仏の子としての性質が人間に宿っている」という考え方は、日本神道においても仏教においても十分に理解できるので、日本的宗教観においては、おそらく、九十数パーセントぐらいの理解、共感を得られるものであると思います。
この考え方であれば、日本人の九十パーセント以上の人に受け入れてもらえるでしょう。
ただ、「日本に一パーセントぐらいいるキリスト教徒に受け入れられるか」という問題があります。
キリスト教徒のなかには、これとは違う考え方をし、「人間は罪の子である」という人もいます。「人間は神の子ではない。神の子はイエス・キリスト一人だけであり、人間は罪の子だから、その考え方は間違っている」という考えもあるのです。
しかし、『聖書』を読めばわかるように、イエスは自分のことを「神の子」ではなく、「人の子」と言っています。ほかの人も人の子なので、要するに、「自分はほかの人と同じである」ということを言っているわけです。
また、キリスト教が一神教かといえば、必ずしもそうとは言えない面があります。イエスを祀っているのか、イエスが父と呼んだ人を祀っているのか、はっきりしない面がありますし、イエスの母親を信仰する「マリア信仰」もあります。ゆえに、キリスト教を一神教ということには疑問があります。
さらに、キリスト教では、「主なる神が、アダムとイブを、リンゴ(智慧の木の実)を黙って食べた罪により、エデンの園から追い出した」という神話を信じていますが、それが本当であれば、この神は、ずいぶん心の狭い農家のような神であると私は思います。
その神を想像してみるに、「うちのリンゴをとって食べただろう。町から追い出してやる」と言っている、農家のおやじが思い浮かんでくるのです。
そういう神話を持ってきて、「人間は、リンゴを盗って食べたので、罪の子である」という性悪説を説いているわけです。
しかし、「そのために、未来永劫、永遠に罰される」というのは、信じがたい話です。
また、『旧約聖書』の「創世記」にも、「神は、アブラハムに、『あなたの一人子であるイサクを燔祭(はんさい)として捧げなさい』と言い、アブラハムが本当にイサクを子羊のように縛って薪(たきぎ)の上に載せ、屠(ほふ)ろうとしたときに、『子供を殺してはならない』と言って止めた」という話があります。
こういう、罰する神から、人間を罪の子とする思想が流れており、その思想から見て、一部の人からは、「『人間は神の子、仏の子』という考え方は、宗教全体を包括する考えではない」という言い方をされることもあります。
ただ、私は、それに対して異議を唱えます。それは違うのです。
その考え方の中心にあるのは、キリスト教の歴史のなかで、弟子あるいは教会筋がつくってきた神学なのです。基本的に私はそう見ています。
教会にとっては、人間が罪の子である方が都合がよいのです。そのほうが、教会は安定的に職業を維持することができるからです。
つまり、「病人がいれば、病院は安定的に経営を続けられる」ということと同じです。「人間が罪の子であれば、その人たちを回心させる仕事を続けることができる」ということが、この考え方の背後にあるように思います。
【大川隆法『宗教立国の精神』第5章『宗教立国の精神』より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に霊的真実と
主エル・カンターレの御存在を弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(4/27-1)117『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読む ④「病」―病の苦しみ―真理のために戦い、この世の「常識」を打ち破れ
