(12/6-1)340経典『太陽の法』を読む 太陽の時代の到来を信じて―愛に生きる・悟りを高める―釈迦の働き

『太陽の法』を読む

75 全てにおいて優秀な人でなく、一部だけでも優秀な人を、適正に尊敬しよう。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

12月8日は降魔成道記念日です。主エル・カンターレ 
大川隆法総裁先生が、1985年12月8日に名古屋の地(降魔成道館)にて、救世主として法を世に説くことを決意しようとしたとき、これを何としても阻止せんと、悪魔が総攻撃をかけてきました。降魔成道記念日とは、この悪魔を打ち倒して、仏法真理の流布に立ち上がったことを記念する聖なる日です。

12/8(日)~10(火)まで、「降魔成道記念日」感謝式典を開催致します。主は、ただ一人往くという不退転の決意によって魔を下し、降魔成道をなされ、救世主として立たれたことに心からの感謝を捧げると共に、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、「降魔成道記念日」感謝式典版「復活の祈り」を執り行います。

主のご復活を妨害する悪霊・悪魔・妖怪・妖魔・闇宇宙・唯物論の勢力といった悪しき者たちの呪いを打ち祓い、主がこの地にて「エル・カンターレの法」を再びお説きいただけるための、結界を皆様と共につくってまいります。皆様ぜひご参加ください。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

今日からは『幸福の法』の第5章「太陽の時代の到来を信じて―『太陽の法』が導く未来社会へ」を引用しながら、幸福の科学の基本書である『太陽の法』の大切さを共に学びます。お持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み1980円】

また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
『幸福の法』第五章「太陽の時代の到来を信じて」
3愛に生きる
〇幸福になるための「観の転回」

太陽の時代における、あるべき姿とは、まず「信仰」を持つことであり、さらに、「愛」に生きることです。愛のある世界をつくらなければなりません。これは、二千年前のイエスの時代にだけ言われたことではないのです。

根本的に、仏や神といわれる偉大なる存在が持っているものは、愛あるいは慈悲の心です。その心が人々を生かし、導いています。したがって、仏の子である人間もまた、愛、慈悲に生きなくてはいけないのです。

ただ、ここで間違いやすいことは、愛というものを、多くの小説などにあるような、奪うもの、「奪う愛」として考えることです。愛というものを、「人から貰えば、奪えば、幸福になるが、貰うことができなければ、不幸になる」というように理解し、「いかに自分が愛されるか。いかに自分が貰えるか。いかに自分が人からしてもらえるか」ということばかりを考えている人が数多くいます。

そして、欲しい人ばかりで、自分から差し出す人がいません。そういう世の中です。お互いに助け合うことさえできれは、幸福に生きることができるのに、奪い合うばかりで、幸福になれないのです。残念な世の中です。観の転回、念いの転回さえなせば、幸福になれるのです。

〇愛に生きることが、仏の子であることの証明

愛とは、人から奪うことでなく、人に与えることです。それは、人間がそもそも仏の子であり神の子であることに根本があります。仏や神は愛と慈悲に生きています。したがって、「愛に生きる」ということが、仏の子であり、神の子であることの証明なのです。それは与えきりの世界です。ちょうど、あの太陽のように、一円も取らずに与えきりなのです。

常に、人のためによかれと思う生き方をしなさい。常に、人々に与えなさい。「自分が何をしてもらえるか」ということではなく、「自分が何をしてあげられるか」ということを、心に思い描くことです。そこに地上天国が現れてきます。

愛のなかには、難しい理論がたくさんあります。しかし、いちばん簡単なことが、いちばん大事なことなのです。

「奪う愛」は、仏教で言う「執着」、とらわれにしかすぎません。

「奪う愛」ではなく、「与える愛」なのです。「人をいかに愛したか」ということです。「自分がいかに愛されなかったか」ということを考えるのではなく、「自分がいかに人を愛して生きてきたか。あるいは、これから生きていこうとするのか」ということを考えることです。

それが、来るべきユートピアの原動力になるのです。

4悟りを高める―心こそ魂の本質

「愛」という基本原理について語りましたが、もう一つ、どうしても知っていただきたいことは、「悟り」ということです。

悟りというと、その仏教的な響きにとらわれて、「宗教のなかの一つの考え方だ」と思う人もいるかもしれません。しかし、悟りは、やはり大事です。

悟りというものを簡単に言えば、「人間は単なる肉体ではない。肉体に宿り、肉体を支配している、魂、心というものがあるのだ」ということです。

仏教を、無神論や唯物論、あるいは無霊魂説のようにとらえる人もいますが、そういう人も、「仏教は人間に心がないと説いている」と考えているわけではないでしょう。「仏教は無我説である。無我だから魂はない」などと言っている人も、「心はない」とは言えないでしょう。その心なるものこそが、実は魂の本質の部分なのです。

あの世に持って還れるものは、その心だけです。魂というものを、三次元的に固形化したもの、固定化したものと考えるから間違うのです。「あなたは自由にいろいろなことを考えるでしょう。その考えだけが、あなたの姿になって、来世に存続するのです。その考える姿、考える機能だけが、あの世へ行くのです」ということです。

魂は、あの世でも、まだ人間的記憶を持っているあいだは、人間のような姿をとりますが、人間的記憶が薄れていくと、そういう姿を取らなくなります。考えとしてのみ、念いとしてのみ存在するようになるのです。

人間は、ぜんまい仕掛けのおもちゃのような存在であるならば、何も考えず、もともと予定されたとおりにしか動かないでしょう。しかし、実際はそうではありません。人間は、さまざまに考えることができます。どのように選ぶこともできます。自分が考え方を決めることができます。思いにおいて自由自在です。自由自在に思いを変え、決める力、それが人間の本質なのです。

その本質が、肉体が滅びたあとも、あの世に存続しているのです。「考えや思いは遺るのだ」ということです。

「魂」という言い方をすると、現代では、受け入れない人もいます。しかし、過去、何百年前、何千年前に亡くなった人であっても、その人が行った偉大な行為にともなう思いは、偉大なる大霊界において存続しています。崇高な行為をした人の、その魂の輝きと思いは、いまだに遺っていて、多くの人に影響を与え続けているのです。

たとえば、イエス・キリストという人が三十三年の人生を生きました。彼の活動は、肉体を失ったときに終わったのかといえば、そうではなく、その思いは、いまも活動し続けているのです。

釈尊は二千五百年前に亡くなりました。現代の日本人から見れば、釈尊は縄文時代の人であり、「縄文時代の人に、どれほどのことが言えるのだろうか」と思う人もいるでしょう。しかし、その慈悲と悟りの心は、いまも遺っています。

それが霊界の神秘です。

そのように、人間は霊的存在であり、心が自分であると思うこと、それも、迷いの心ではなく、本質的な心を自分だと思うことが大事なのです。そうした自己観の転換が必要です。自分についての見方を転換し、自分というものを違った観点から見なければいけないのです。

〇悟りを高めることは、、よりよき未来設計でもある

さまざまな教えに説かれているように、その心は、「いかにして仏に近づいていくか」ということにおいて努力し、修行することによって、高度化し、純化され、輝きを増すようになります。

そして、その心の到達度は、この世に生きている人間でありながら、死後に行くあの世の世界とまったく同じなのです。この世において菩薩の心を持って生きた人が、死後に行く世界は、菩薩の世界です。それ以外の世界ではありません。

天国に行くか地獄に行くかということは、死んでからわかるのではなく、生きているうちに分かることなのです。

みなさんが、毎日毎日、考えていること、あるいは、この一年、この十年、考え続けていることは、どのようなことでしょうか。その思いの程度を見れば、みなさんは、どの世界の住人となるのか、あるいは、もともと、どの世界の住人であったのかということが分かります。

したがって、「悟りを高める」ということは、よりよき未来設計そのものでもあります。来るべき自分の人生を決めることであるし、自分の本来の使命を悟ることでもあるのです。それは非常に大事なことです。

「愛を与える」という実践の原理と、「自分自身を知る。自分自身の本質を知り、それを高める」という向上の原理を、大事にしなくてはなりません。

【大川隆法『幸福の法』の第5章「太陽の時代の到来を信じて―『太陽の法』が導く未来社会へ より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
第六章 九次元の世界
6 釈迦の働き

九次元霊たちのなかで最も中心的な存在なのは、ゴーダマ・シッダールタ、釈迦牟尼仏としてインドに出たことのある生命体です。ただ、釈迦(釈尊)として出たときは、本来の大いなる仏陀意識(エル・カンターレ意識)のわずか五分の一ぐらいの力しか持っていませんでした。このように、釈迦の意識は巨大な生命体として九次元世界にあるのです。

この生命体の起源は古く、地球におけるもっとも古い霊です。釈迦が人類に対して非常に大きな影響を与えた理由の一つは、この生命体が非常に長い歴史を持っていて、地球の草創期から関係していたということがあります。

最も古い霊であるにもかかわらず、この霊は積極的な働きをしていて、何度も何度も自分の一部を地上に出して、人類を指導してきました。そうした事実があります。

また、地球系霊団に関して最高の責任を持っている霊であることも事実です。したがって、「この霊の性格が、文明の性格をつくってきた」と言っても、決して過言ではないでしょう。

釈迦の生命体が、過去、ラ・ムーとしてムー帝国に出たり、トスという名前でアトランティス帝国に出たり、リエント・アール・クラウドという名前でインカの国に出たり、ヘルメスという名前でギリシャの地に出たりしたことは、すでに『太陽の法』で述べたとおりです。

釈迦の働きの中心は法をつくるということですから、地上に現れたさまざまな宗教や哲学、思想などの根源をたどっていくと、結局、この釈迦のところに行き着くのです。つまり、のこの霊が天上界において考えていることが、地上にさまざまなかたちで、現れているということです。

釈迦の意識の本体を、九次元では「エル・カンターレ意識」といいます。法というものをたぐっていくと、結局、エル・カンターレ意識につながっていきます。大いなる法意識、人類を統べる法の意識として、釈迦の意識があるのです。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第6章「九次元の世界」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
幸福の科学は「愛と悟りとユートピア建設」を「正しき心の探究」とおして日々実践しています。その意味で、本日の学びは極めて重要な教えでした。

本日の教えで大変感動した言葉は、
『太陽の時代における、あるべき姿とは、まず「信仰」を持つことであり、さらに、「愛」に生きることです。愛のある世界をつくらなければなりません』
この部分でした。

太陽の時代を生きるに当たり私たち人間に必要なことは、「信仰」を持つことと、「愛」に生きることであると教えていただきました。

人生において、愛を人に与える側に立つか、愛を人から奪う側に立つのか。私たちは大きな選択をせまられています。幸福の科学では、与える愛の大切さを主から常に教えていただいていますが、愛を人に与えるものは幸福となり、逆に愛を人から奪うものは、自らを不幸にすることも学んでいます。

愛を奪う側から、愛を与える側に一大転換することを「観の転回」といって、私たちの人生のなかで、自分が天使や菩薩になると決意したときに、大きな変化が生まれます。

また、「観の転回」という言葉は、「マインドセットを変えよ」という言葉と一脈通じるところがあると思います。いま、自分にとって当たり前だと思うこと。それが当たり前のことではなく、仏からいただいた慈悲であると考えることができるならば、私たちは今こそ、観の転回をはかり、他から与えられっぱなしの人生から、他に与えきって見返りを求めない愛の実践が必要なのではないかと思います。

いまこそ、「観の転回」をはかり、主を信じ、主を愛し、主と一体となるために、「信仰」を持ち、「愛」に生きることの決意を新たにしてまいりたいと思います。

また、与える愛の実践こそが、見返りを求めない与えきりの愛の実践こそが、私たちがこの世に今いる意味であり、仏国土ユートピアの原動力であることを学びました。

本日の引用にはこのようにありました。

『愛とは、人から奪うことでなく、人に与えることです。それは、人間がそもそも仏の子であり神の子であることに根本があります。仏や神は愛と慈悲に生きています。したがって、「愛に生きる」ということが、仏の子であり、神の子であることの証明なのです。それは与えきりの世界です。ちょうど、あの太陽のように、一円も取らずに与えきりなのです』

仏や神は太陽のような存在であり、巨大なエネルギーを放出して見返りを一切求めていません。私たちも、その太陽を満々とあびて輝く満月のような心境をつねに整えたいものです。主の教えそのものが太陽の法です。

愛こそがすべてのはじまりであり、すべての終わりである。これは、経典『メシアの法』の英語の副題に『From Love to 
Love』とあるように、主の教えは愛に始まり愛に終わります。愛がすべてであるという悟りをともにつかんでまいりましょう。

また、悟りを高めることについても重要な学びが本日ありました。

『悟りというものを簡単に言えば、「人間は単なる肉体ではない。肉体に宿り、肉体を支配している、魂、心というものがあるのだ」ということです』

悟りという言葉をこれほどまで分かりやすく説明した教えを私は知りません。自分とは心であるということが、霊的人生観の第一歩となります。

『あの世に持って還れるものは、その心だけです。魂というものを、三次元的に固形化したもの、固定化したものと考えるから間違うのです。「あなたは自由にいろいろなことを考えるでしょう。その考えだけが、あなたの姿になって、来世に存続するのです。その考える姿、考える機能だけが、あの世へ行くのです」ということです。

魂は、あの世でも、まだ人間的記憶を持っているあいだは、人間のような姿をとりますが、人間的記憶が薄れていくと、そういう姿を取らなくなります。考えとしてのみ、念いとしてのみ存在するようになるのです。

人間は、ぜんまい仕掛けのおもちゃのような存在であるならば、何も考えず、もともと予定されたとおりにしか動かないでしょう。しかし、実際はそうではありません。人間は、さまざまに考えることができます。どのよう選ぶこともできます。自分が考え方を決めることができます。思いにおいて自由自在です。自由自在に思いを変え、決める力、それが人間の本質なのです。

その本質が、肉体が滅びたあとも、あの世に存続しているのです。「考えや思いは遺るのだ」ということです』

この教えは、経典『地獄の法』を理解する上でも、重要な手掛かりになる教えではないかと思います。

「死後、すべてがなくなる」と思うことが、地獄のはじまりであるとつくづく思います。
この思いが、今の心のなかに、地獄をつくり、死後の来世において地獄に堕ちる縁をつくってしまうからです。

『そのように、人間は霊的存在であり、心が自分であると思うこと、それも、迷いの心ではなく、本質的な心を自分だと思うことが大事なのです。そうした自己観の転換が必要です。自分についての見方を転換し、自分というものを違った観点から見なければいけないのです。』

私たちの本質が魂であり、心であり、霊であることを知ることがとても大切です

「私たちが、生まれる前にも、霊界という世界があり、私たちが死んだあとにも霊界という世界があり、その世界が本当の世界なのだ」ということを知ることから、宗教的な生活は始まるのだと思います。

また、『悟りを高めることは、よりよき未来設計でもある』
この仏言自体がそのまま一転語ではなかったかと思います。

「悟り」は、八正道の八つの修行項目のうち、第二の「正思」と第七の「正念」と第八の「正定」に大変かかわりがあると改めて感じました。

とりわけ重要な教えは、以下の言葉ではないかと思います。

『みなさんが、毎日毎日、考えていること、あるいは、この一年、この十年、考え続けていることは、どのようなことでしょうか。その思いの程度を見れば、みなさんは、どの世界の住人となるのか、あるいは、もともと、どの世界の住人であったのかということが分かります。
したがって、「悟りを高める」ということは、よりよき未来設計そのものでもあります。来るべき自分の人生を決めることであるし、自分の本来の使命を悟ることでもあるのです。それは非常に大事なことです』

私たちの考えていることは、やがて時間をかけて必ず実現します。善き思いも、悪しき思いも等しく実現するのです。であるならば、やはり、日ごろから愛を他に与え続けて、心を磨き続けて、美しい思いを実現できるようすることが、心の修行であると思います。

私たちの使命は、主の御手足となってこの地上に仏国土ユートピアを建設することです。それを成し遂げるのが「菩薩」です。私たち一人ひとりが光の天使・菩薩となって主の救済の助力者としてともに活躍してまいりましょう。

本日、愛と悟りについて、重要な教えを振り返りました。繰り返し読み、少しでも実践に移してまいりましょう。「愛と悟りとユートピア建設」が幸福の科学の旗印です。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史 

タイトルとURLをコピーしました