(12/4-1)338経典『太陽の法』を読む 太陽の時代の到来を信じて―太陽の時代とは―宗教の本質

『太陽の法』を読む

73 自分が好きなら、自分の嫌いな人は、同じくらい嫌いなはずだと勝手に思い込む人がいる。公平無私を忘れたら指導者ではない。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

12月8日は降魔成道記念日です。主エル・カンターレ 
大川隆法総裁先生が、1985年12月8日に名古屋の地(降魔成道館)にて、救世主として法を世に説くことを決意しようとしたとき、これを何としても阻止せんと、悪魔が総攻撃をかけてきました。降魔成道記念日とは、この悪魔を打ち倒して、仏法真理の流布に立ち上がったことを記念する聖なる日です。

12/8(日)~10(火)まで、「降魔成道記念日」感謝式典を開催致します。主は、ただ一人往くという不退転の決意によって魔を下し、降魔成道をなされ、救世主として立たれたことに心からの感謝を捧げると共に、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、「降魔成道記念日」感謝式典版「復活の祈り」を執り行います。

主のご復活を妨害する悪霊・悪魔・妖怪・妖魔・闇宇宙・唯物論の勢力といった悪しき者たちの呪いを打ち祓い、主がこの地にて「エル・カンターレの法」を再びお説きいただけるための、結界を皆様と共につくってまいります。皆様ぜひご参加ください。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

今日からは『幸福の法』の第5章「太陽の時代の到来を信じて―『太陽の法』が導く未来社会へ」を引用しながら、幸福の科学の基本書である『太陽の法』の大切さを共に学びます。お持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み1980円】

また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】

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『幸福の法』第五章「太陽の時代の到来を信じて」
1 太陽の時代とは

私の著書『太陽の法』は、幸福の科学の発足以来の主導的原理を明らかにした本です。草創期に書き下ろした、この一冊の書物が、幸福の科学の輪郭と高みと方向を、すべて指し示しているのではないかと思います。

私は、当会の基本書中の基本である『太陽の法』を、できるだけ多くの人に知っていただき、その内容を味わっていただきたいと願っています。そして、これからくる時代の聖典として、今生きている人々、および、のちに来る人々に、読み続けていただきたいと思っています。

この『太陽の法』の語る仏法真理、『太陽の法』の価値観が、世に広がり、そして主導的に
なる未来社会のことを、私は「太陽の時代」と呼びたいと思います。

それは、はなかなる昔、南太平洋に栄えたムーの国にも、かたちはちがえども説かれた法でした。

2信仰を背骨とする世界を
〇宇宙を創った「根本仏」の眼差し

それでは、偉大なる太陽を象徴として見立てた法とは、いったい、どういうものでしょうか。太陽のごとく人類を照らそうとしている、その法の価値基準とは、いったい何でしょうか。それは幾つかに要約することができます。

まず、何よりも大事なことは、「信仰というものを一本の背骨とする国および世界をつくりたい」ということです。

現代の世界は、非常に物質文明の進化した時代であり、非常に便利な時代です。その便利さを否定し、「原始時代に返れ」と言うつもりは、毛頭ありません。ただ、その便利な物質文明のなかにおいて、決して忘れてはならないものがあるのです。それは「信仰」です。

この宇宙の根本原理を見失って、枝葉末節のなかに生きているときに、人は方向を見失い、間違いを犯します。一人や二人の間違いなら許されることであっても、多くの人々が間違った方向にそれていったときには、やがて、大きな反作用がやってきます。何億、何十億の人々が、大きな流れにおいて間違いを犯さないようにするために必要な、根本的なるもの、それが信仰なのです。

この宇宙は、どこまで見渡しても、真空のなかに、小さな点にしか見えない星のきらめく世界です。しかし、まったく無生物の世界ではありません。この宇宙のなかにあって生きているものたちがおり、それを慈愛の眼でもって眺めている大きな存在があります。

それは、『太陽の法』のなかの宇宙創成の歴史に語られているとおりです。

まず、念い(おもい)があったのです。「かくあれ」という念いがあったのです。その念いなくして、物質的にのみビッグバンが起きたわけではありません。結果としての化学反応は、いろいろと説明することは可能です。しかし、まず念いがあったのです。念いによって、この現象世界ができたのです。念いが一点に凝集したときに、それが物質となり、物体となり、この三次元世界に顕(あらわ)れてきたのです。

親なくして子がないように、念いなくして宇宙もないのです。宇宙が創られたのは、そこに、進化する生命たちをはぐくもうとする念いがあったからです。この親なる念いを、「根本仏の念い」と言ってもよいでしょう。

それは、はるかにはるかに遠い世界から投げかけられた眼差しです。その眼には、地上の人間には広大無辺に見える三次元世界でさえ、小さな小さな水滴の塊のようにしか見えません。そういう眼差しで見ている眼があるのです。

そのことを信じなさい。そして、「根本仏が、自分の思いを伝えるために、数多くの光の指導霊、天使たちを創り、人類をはじめとする多くのものたちを導きつづけてきた」ということを信じなさい。それが、あなたがたが間違った方向に行かないために、どうしても必要なことなのです。

【大川隆法『幸福の法』の第5章「太陽の時代の到来を信じて―『太陽の法』が導く未来社会へ より抜粋】

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続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
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第六章 九次元の世界
4 宗教の本質

ここで、宗教の本質について考えてみましょう。

すでに、八次元の説明において、「仏の光がプリズムにかかったように分かれてきて、それぞれ特色を持った教えが説かれているのだ。それぞれの如来が『仏(神)とはこういうものだと思う』と説いてきたのが、それぞれの宗教になったのだ」という話をしました。

では、なぜそうした区別をする必要があるのでしょうか。「これこそ仏の教えだというものが、一つだけあればいいではないか。それをもとに、すべての宗教家が同じことを説けばいいではないか。そうすれば混乱も宗教戦争もないだろうし、人びとも迷わなくてすむだろう」―このように考えている人もいると思います。

しかしながら、ここに私は一つの危険性と考え方の誤りを発見するのです。それは、「お仕着せのような一律の教えでもって、本当に人間は満足するのであろうか」ということです。

たとえば、車で道路を走るときでさえ、さまざまな車に乗っているではありませんか。異なるメーカーの車が走っていますし、色にしても、白、赤、黄色、青など、いろいろな色の車が走っています。また、大型車、中型車、小型車といった違いもあれば、燃費がいいか悪いか、値段が高いか安いかといった区別もあります。しかも、新車もあれば中古車もあるのです。

そして、それぞれの人が、自分の家や自分の運転に都合のいい車を選んで買っているのです。

車を例にとりましたが、なぜこのようないろいろな車があるのでしょうか。それは、車というものが単に人間や物を運ぶだけの道具ではないからです。車がA地点からB地点へ移動するためだけの道具ならば、車はみな同じ形をしていてもいいのですが、車にはそれ以外の役割が付随しているのです。

では、それ以外の役割とは何でしょうか。結局、車というものは、いろいろなものを象徴しているのです。たとえば、その車を所有している人の資産状態、財産状態を象徴しています。また、趣味の問題もあります。その車を持っている人は実用的な人なのか、それとも、いわば装飾として、ステータス・シンボルとして車を持っているのかということなど、さまざまな点について考えることができます。

さらには、男性が好んで運転する車、女性が好んで運転する車といった違いがあります。それから、「車は速ければいいというものではない。レーサーが乗るような車ばかりではなく、遅い車もあっていい」という人もいます。また、「ツードアがいい」という人もいれば、「フォードアがいい」「ファイブドアがいい」という人もいて、いろいろです。

したがって、「どの車がいちばんいいか」と問われても、一概には答えが出てこないでしょう。

現在、「さまざまな宗教が乱立している」と言われています。しかし、「どの宗教がいちばん正しいのか」ということは、「どの車がいちばんいい車か」ということと同じことなのです。

もちろん、「値段がより高い車がいい車だ」ということは一般的に言えますし、「この車よりもあの車のほうが高級車だ」ということはあります。

だからといって、「全ての人が絶対にこの車でなければならない」というところまでいくかといえば、そうではありません。人によって好みの違いがあっていいのです。

仏教には、小乗、大乗という言葉があります。「乗」とは、乗り物の意味です。つまり、小乗、大乗は、小さな乗り物、大きな乗り物ということです。

小乗はいわば小型車であり、自分一人しか乗せません。ところが、大乗は言ってみれば大型車ですから、大勢の人が乗れます。

このように、宗教のなかには小型車と大型車が存在しているのです。その違いは、どれだけの数の人たちを運ぶことができるかという、その運び方によるわけです。

たとえば、バスを自家用車として使用したいと思う人はいないでしょう。バスは何十人もの人を乗せることが可能であり、人を大量に運べますが、個人の趣味には合わないからです。

結局、車には小型車、中型車、大型車があって、いわば小乗と大乗があるように、宗教の教えにも、それぞれの好みや風土、土地柄に合ったものがあるということなのです。

すなわち、砂漠地帯のように、闘争と破壊が中心である地においては、「裁きの神」というかたちで神が現れて、正義を教える必要がありましたが、東洋のように温和な地帯においては、調和を教える必要があったということです。また、西洋文明のような近代的で合理的な文明をつくるために、哲学のようなかたちをとって現れたこともあります。

どのような形をとっていても、目的は同じです。つまり、A地点からB地点に動くということです。ただ、その間を動く乗り物として、さまざまなものが用意されており、そこに人間は喜びと生きがいを見いだすことができます。こうしたことを人間は予定されているのです。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第6章「九次元の世界」より抜粋】
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2023年に日本や全世界に向けた人類の方針書として発刊されたのが、『地獄の法』です。私自身は、地獄の世界を解消し、無くしていくのは太陽の光であると考えています。そのうえで、『地獄の法』を正しく理解するのに必要なのが、当会の基本書である、『太陽の法』であると考えています。

経典『幸福の法』は、主が心臓停止から奇跡の復活をなされた年、2004年に発刊された経典です。益々混とんとする世界のなかで、主を信じ、太陽の時代を信じてつつ、信仰・伝道・植福活動にともに邁進してまいりましょう。

主がどのような気持ちで、心で、この世界を創造されたのかを垣間見ることのできる教えでした。特に冒頭の言葉に大変感動しました。

『それでは、偉大なる太陽を象徴として見立てた法とは、いったい、どういうものでしょうか。太陽のごとく人類を照らそうとしている、その法の価値基準とは、いったい何でしょうか。それは幾つかに要約することができます。

まず、何よりも大事なことは、「信仰というものを一本の背骨とする国および世界をつくりたい」ということです。

現代の世界は、非常に物質文明の進化した時代であり、非常に便利な時代です。その便利さを否定し、「原始時代に返れ」と言うつもりは、毛頭ありません。ただ、その便利な物質文明のなかにおいて、決して忘れてはならないものがあるのです。それは「信仰」です。』

この御言葉に、主がなぜ「幸福の科学」を創り、「幸福の科学学園」を創り、「幸福実現党」をつくり、世界宗教をめざして活動を続けているのかが分かります。

また、何かを創造するときに大事なのが、まず「念い」であることも教えていただきました。次の言葉も大変重要な言葉だと思います。

『まず、念い(おもい)があったのです。「かくあれ」という念いがあったのです。その念いなくして、物質的にのみビッグバンが起きたわけではありません。結果としての化学反応は、いろいろと説明することは可能です。しかし、まず念いがあったのです。念いによって、この現象世界ができたのです。念いが一点に凝集したときに、それが物質となり、物体となり、この三次元世界に顕(あらわ)れてきたのです。

親なくして子がないように、念いなくして宇宙もないのです。宇宙が創られたのは、そこに、進化する生命たちをはぐくもうとする念いがあったからです。この親なる念いを、「根本仏の念い」と言ってもよいでしょう。』

私たちは、根本仏の慈悲の眼差しに見守られながら、魂の修行のために生きています。主の念いに答えるために、今日も一歩を。信仰に伝道に、植福に、社会啓蒙に、世界を照らす一灯の灯となってまいりまょう。

後半の『永遠の法』では、宗教の本質が、根本仏の視点から語られた貴重、かつ重要な教えでした。仏教の小乗と大乗の説明で宗教の本質を次のように、教えていただきました。

『仏教には、小乗、大乗という言葉があります。「乗」とは、乗り物の意味です。つまり、小乗、大乗は、小さな乗り物、大きな乗り物ということです。

小乗はいわば小型車であり、自分一人しか乗せません。ところが、大乗は言ってみれば大型車ですから、大勢の人が乗れます。

このように、宗教のなかには小型車と大型車が存在しているのです。その違いは、どれだけの数の人たちを運ぶことができるかという、その運び方によるわけです。・・・

結局、車には小型車、中型車、大型車があって、いわば小乗と大乗があるように、宗教の教えにも、それぞれの好みや風土、土地柄に合ったものがあるということなのです。

すなわち、砂漠地帯のように、闘争と破壊が中心である地においては、「裁きの神」というかたちで神が現れて、正義を教える必要がありましたが、東洋のように温和な地帯においては、調和を教える必要があったということです。また、西洋文明のような近代的で合理的な文明をつくるために、哲学のようなかたちをとって現れたこともあります。

どのような形をとっていても、目的は同じです。つまり、A地点からB地点に動くということです。ただ、その間を動く乗り物として、さまざまなものが用意されており、そこに人間は喜びと生きがいを見いだすことができます。こうしたことを人間は予定されているのです』

世界中で宗教が説かれているのは、救いに導きたいスケールとしての器の問題や、土地柄や地域の特色に違いがあることを認めながらも、救いの方向へ導く乗り物の違いを、根本仏は認めているといことを学びました。これは、さまざまな文明においても共通していることも学ぶことができます。さらに学びを深めてまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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