(11/29-1)333経典『太陽の法』を読む 58エル・カンターレへの道―黄金の勇気をもて―仏を語る

『太陽の法』を読む

68 「嫉妬」は、出世のために超えるための関門である。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

12月8日は降魔成道記念日です。主エル・カンターレ 
大川隆法総裁先生が、1985年12月8日に名古屋の地(降魔成道館)にて、救世主として法を世に説くことを決意しようとしたとき、これを何としても阻止せんと、悪魔が総攻撃をかけてきました。降魔成道記念日とは、この悪魔を打ち倒して、仏法真理の流布に立ち上がったことを記念する聖なる日です。

12/8(日)~10(火)まで、「降魔成道記念日」感謝式典を開催致します。主は、ただ一人往くという不退転の決意によって魔を下し、降魔成道をなされ、救世主として立たれたことに心からの感謝を捧げると共に、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、「降魔成道記念日」感謝式典版「復活の祈り」を執り行います。

主のご復活を妨害する悪霊・悪魔・妖怪・妖魔・闇宇宙・唯物論の勢力といった悪しき者たちの呪いを打ち祓い、主がこの地にて「エル・カンターレの法」を再びお説きいただけるための、結界を皆様と共につくってまいります。皆様ぜひご参加ください。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】

本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】
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第6章 エル・カンターレへの道
8 黄金の勇気をもて

勇気―この言葉を聞くと、胸が高鳴るのは、私ひとりだけでしょうか。勇気という言葉を聞くと、私は、大木のなかに打ち込まれてゆく鉞(まさかり)を思い出します。カーン、カーンと、早朝の森林にこだまするあの勇ましい生命の鼓動を聞いているような気持ちにさせられます。この勇気という名の鉞があるからこそ、人間は、人生の苦難という名の大木を切り倒してゆけるのだ、と私は思うのです。

ですから、人生にくじけそうになったときには、自分には、勇気という鉞があるのだということを、どうか思い出していただきたいのです。自分がとてもみじめにうちしおれてしまったときには、仏は、あなたがたに、勇気という名の鉞を下さっているのだということを、思い出してほしいのです。

人間は、肉体をもって生れ落ちると、盲目です。つまり、自らの五官だけを頼りとして、手さぐりで生きてゆかねばならなくなるからです。だからこそ、仏は、「運命の森を切り拓いてゆけ」と、あなたがたが生まれるときに、勇気という鉞をお与えくださったのです。ですから、あなたがたのだれもが、この鉞を腰にぶらさげているのです。なぜそのことに気がつかないのでしょうか。「苦しい」といって、他人にその解決を頼んでまわる前に、「悲しい、悲しい」といって、他人に同情を求めてまわる前に、なぜ勇気の鉞で、自分をしばっている運命の糸をたちきってしまわないのですか。

禅の公案のなかに、「大力量人」(だいりきりょうにん)という話があります。これは、中国の無門慧開(むもんえかい)和尚の(一一八三年~一二六〇年)の編著の『無門関』という書物におさめられた、全四十八則の公案中第二十則にある話です。

「松源和尚云わく、大力量人の人、甚に因ってか脚を擡げ起さざる。又云わく、口を開くこ舌頭上に在らざる」

「無門曰く、松源謂つべし、腸を傾け腹を倒すと、只是れ人の承當するを缺く。たとい、直下に承當するも正に好し、無門が処に来たらば痛棒を喫せしめん。何が故ぞ、にい。真金を識らんと要せば火裏に看よ」

頌に曰く、脚を擡げて踏翻す香水海、頭を低れて俯して視る四禅天。一箇の渾身著くるに処無し。請う一句を續げ」

この公案の意味は、結局、つぎのようなことです。人間というのは、自らが大力量人であることを忘れ、この世的な、常識、世間の目、医者の言葉などに、催眠術にかかったようになって、自らを、いつ故障するかわからない唯物的な肉体人間だと思っている。しかし、ほんとうの自分というのは、仏の子であり、無限の力をもっているのだ。見よ、禅定により、解脱をしたならば、自らのほんとうの姿、霊体は、地球をも眼下に見下ろすような巨人となり、高次元大宇宙の水溜まりである、この三次元宇宙の銀河星雲(香水界)など、足を持ち上げて踏みおろせば、水しぶきになって、飛び散ってしまい、如来界や菩薩界と対比される六次元以降の人間的悟りの世界(四禅天)など、頭をたれて見おろさなければならないほどの、はるか・
・のほうの世界なのだ。

どうやら、この無門和尚といわれる方は、如来界の悟りを得ていた人のようです。如来界の悟りを得ると、人間は、自らの真の姿は、五尺の肉体に宿っているような、そんなちっぽけな霊魂ではなくて、宇宙大にひろがるエネルギー体だということがわかります。そして、禅定をしているときに、自分の体がみるみる大きくなって、地球をはるかに眼下に見おろすような体験をします。

本来、人間というものは、そういう大力量人、すなわち、自由自在、融通無碍(ゆうずうむげ)な存在なのです。その人間が、三次元的感覚にしばられ、あるいは、学校教育や世間常識にしばられ、「霊などない」「あの世の世界などないのだ」と思い込んで、自らの手足をしばっているのです。そして、病気になればなったで、「死にたくない、死にたくない」といいつづけているような、あわれむべき、小さな存在となっているのです。

黄金の勇気をふるい起こし、黄金の鉞をふりあげ、迷妄という名の大木を切り倒すことです。力強く、鉞を打ち込んでゆくことです。自らの悩み、苦しみ、あるいは、運命のしがらみに、勇気をもって、うちかってゆくことです。そして、黄金の勇気をふるって、自らをしばる運命の糸を断ち切ることです。

勇気とは、大切なものです。そして、勇気をふるい起こした時、人間は自らが大力量人であることに気づくのです。しかし、ひとたび自らが大力量人であることを悟り、病床から立ちあがり、力強い人生を生きはじめた人であっても、あるいは、唯物思想の迷妄を断ち切って、真理に目覚めた人であっても、この三次元の物質界の波動を受けつづけ、三次元人間の誘惑にひっかかりはじめると、だんだんに気力がうすれてゆくときがきます。

しかし、そのときこそが、歯をくいしばって、頑張るべきときなのです。マラソンでも、同じです。その途中で放棄したくなるような、苦しいときが必ずきます。そういうときに、そこで、投げてしまったら、だれもが勝利のチャンスを失ってしまいます。つまり、その競技で、完走ということはありえなくなるのです。

しかし、その苦しい期間を通り過ぎると、なぜか、足が軽くなり、最後まで走りつづけることができます。そういう不思議を経験した人は、たくさんいるはずです。水泳でも、同じです。息が苦しくなって、泳ぐのをやめたくなったとき、まけるものかと、歯をくいしばって泳ぎ続けていると、やがて自分の体が水と一体となり、波のごとく、泳ぎ続けることができるのです。

もちろん人生は、マラソンや水泳とはちがいます。しかし、同じように、苦しくても、耐え忍ぶ時期というものがあるのです。そして、そういう時期をねばりぬいたとき、ひとつの自信を得るとともに、仏の光明を密接に感じることができるようになるのです。

【大川隆法『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」より抜粋】
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続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
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第五章 八次元の世界
9 仏は語る

如来の役割とは、つきつめていうと、仏とは何かを語ることです。仏とは何かを語ることが許されている代理人、答弁者としての存在が如来だと言えるわけです。

仏とは何かについて権威を持って語ることは、普通の人たちにはもちろんできません。しかし、如来は普通の人以上に仏に近い存在であるがゆえに、仏とは何かについて人びとに語ることが許されています。八次元という如来界にいる方がたは、大いなる光の指導霊として、仏とは何かを語ることが許されているのです。

ただ、八次元如来であっても、仏のすべてを語ることはまだ許されていません。というのは、仏の性質や存在があまりにも広大無辺であるために、一人の人間の魂をもってしては、それを語りきることができないからです。

それゆえに、八次元如来界においては、仏の光がさまざまに分光された霊光線の長としての諸如来が活躍をしているのです。

ゴーダマ・シッダールタを頂点とする黄色い光、黄金光のなかにある諸如来は、悟りと何か、法とは何か、慈悲とは何かということを中心として、仏とは何かということを語っています。

イエスが司る愛の光、白色光線のなかにある諸如来たちは、愛ということを通して仏を語っています。

あるいは、モーセが司る赤色光線のなかにある諸如来は、結局、仏が起こしうる奇蹟というものを通して、人びとに仏とは何かということを知らそうとしているのです。

他の光についても、もちろん、同じようなことが言えます。

老荘思想に代表される緑色の光線は、自然の調和の姿について教えています。つまり、緑色の光線を受けている如来たちは、大自然の姿、その大調和を見て、「あるがままのなかに仏は存在するなり。その調和の姿のなかに仏はおられるなり」ということを教えるためにいるのです。

また、ゼウスという人がいて芸術関係を司っていますが、芸術の光線を通じて、芸術家の諸如来も仏というものを語っているのです。

孔子が司る紫色の光線の流れにおいては、礼節や秩序、忠節を教えています。それを通じて、仏への道には、さまざまな畏敬の念、あるいは崇拝の念といったものが必要とされることを教え、仏とは何かということを感じさせているのです。

結局、諸如来は自分が所属している霊光線によって、仏というものを語っているのです。これが正しい理解です。

ところが、「性質の違うさまざまな色の光があり、その流れのなかで諸如来が法を説いているのだ」ということを知らなかった人類は、長年、宗教戦争をしてきました。お互いの役割や、それぞれが語る仏神の姿が違うことをもって異教徒とし、邪宗とし、間違いであるといて戦ってきたのです。

しかし、人類はいま、さまざまな霊光線を受けた如来の働きを見て、仏というものを知っていかねばならないのです。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第5章「八次元の世界」より抜粋】
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本日の学び、迷いや無知による暗闇を打ち破る勇気の大切さと、努力精進を継続するのに必要な忍耐の力でした。

人間は本来、偉大な使命を果たすために―つまり神仏の御手足として仏国土を建設するために―偉大な力を既に授けられていることを教えていただきました。

『本来、人間というものは、そういう大力量人、すなわち、自由自在、融通無碍(ゆうずうむげ)な存在なのです』

『その人間が、三次元的感覚にしばられ、あるいは、学校教育や世間常識にしばられ、「霊などない」「あの世の世界などないのだ」と思い込んで、自らの手足をしばっているのです』

『黄金の勇気をふるい起こし、黄金の鉞をふりあげ、迷妄という名の大木を切り倒すことです。力強く、鉞を打ち込んでゆくことです。自らの悩み、苦しみ、あるいは、運命のしがらみに、勇気をもって、うちかってゆくことです。そして、黄金の勇気をふるって、自らをしばる運命の糸を断ち切ることです』

『勇気とは、大切なものです。そして、勇気をふるい起こした時、人間は自らが大力量人であることに気づくのです』

『しかし、ひとたび自らが大力量人であることを悟り、・・・唯物思想の迷妄を断ち切って、真理に目覚めた人であっても、この三次元の物質界の波動を受けつづけ、三次元人間の誘惑にひっかかりはじめると、だんだんに気力がうすれてゆくときがきます。

『しかし、そのときこそが、歯をくいしばって、頑張るべきときなのです。・・・
苦しくても、耐え忍ぶ時期というものがあるのです。そして、そういう時期をねばりぬいたとき、ひとつの自信を得るとともに、仏の光明を密接に感じることができるようになるのです』

勇気をふりしぼり、心のなかにある黄金の鉞(まさかり)を降りおろし、自らの悩み苦しみを打ち破ってまいりましょう。そして、目の前に道がない山林を進むように、その勇気の鉞を振り続けて、自らの運命の道を、神仏につながる信仰の道を共に切り拓いてまいりましょう。私たちにはその力があります。自らの仏性を発見し、それを信じることで。私たちのなかに眠る大力量人の力に、私たちが本来持つ異次元のパワーにめざめてまいりましょう。私たちは仏の子であり、本来、大力量人なのです。異次元パワーに目覚めて主の御手足となる働きをなしてまいりましょう。

また、後半の『永遠の法』では、冒頭の
『如来の役割とは、つきつめていうと、仏とは何かを語ることです。仏とは何かを語ることが許されている代理人、答弁者としての存在が如来だと言えるわけです。

仏とは何かについて権威を持って語ることは、普通の人たちにはもちろんできません。しかし、如来は普通の人以上に仏に近い存在であるがゆえに、仏とは何かについて人びとに語ることが許されています。八次元という如来界にいる方がたは、大いなる光の指導霊として、仏とは何かを語ることが許されているのです。

ただ、八次元如来であっても、仏のすべてを語ることはまだ許されていません。というのは、仏の性質や存在があまりにも広大無辺であるために、一人の人間の魂をもってしては、それを語りきることができないからです。

それゆえに、八次元如来化においては、仏の光がさまざまに分光された霊光線の長としての諸如来が活躍をしているのです。』

そして、最後ではこのように結ばれています。

『ところが、「性質の違うさまざまな色の光があり、その流れのなかで諸如来が法を説いているのだ」ということを知らなかった人類は、長年、宗教戦争をしてきました。お互いの役割や、それぞれが語る仏神の姿が違うことをもって異教徒とし、邪宗とし、間違いであるといて戦ってきたのです。

しかし、人類はいま、さまざまな霊光線を受けた如来の働きを見て、仏というものを知っていかねばならないのです。』

このように、八次元世界の理解を深めることが、現在混沌としている宗教戦争を平和裏に集結する鍵であることが分かりました。

やはり、『永遠の法』をこの地上世界に広げることが現代において大切であるといことを改めて確信しました。

そして、私が今日の学びで感動したのは、最後のみ言葉です。

『結局、諸如来は自分が所属している霊光線によって、仏というものを語っているのです。これが正しい理解です。

ところが、「性質の違うさまざまな色の光があり、その流れのなかで諸如来が法を説いているのだ」ということを知らなかった人類は、長年、宗教戦争をしてきました。お互いの役割や、それぞれが語る仏神の姿が違うことをもって異教徒とし、邪宗とし、間違いであるといて戦ってきたのです。

しかし、人類はいま、さまざまな霊光線を受けた如来の働きを見て、仏というものを知っていかねばならないのです』

如来は仏の名代としてそれぞれの専門分野における仏の側面を私たちに垣間見せてくれるありがたい存在です。だから色の違いは、教えの違いであり、違いがあることをもって、争うことは間違いであることが分かります。違いを悪だと思わず、それだけ仏の御心が広く深淵であることに感謝しなければなりません。エル・カンターレの光がすべての宗教や、人種、肌の色の違い、性別を超えて国境を越えて包み込む愛のかたまりであることを改めて知ることができました。

沢山の教えや学びがありますが、
とにもかくにも、私たちが目指すべきは、まず「阿羅漢」の境地です。
今世私たち伊勢支部の信者全員が「阿羅漢」になることをめざし、主の御手足として救世運動に参加してまいりましょう。

悟りの力がこの世とあの世の『地獄』を解消する大きな切り札です。『地獄の法』を深く学ぶためにも、悟りへの理解を共に深めてまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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