(11/28-1)332経典『太陽の法』を読む 57エル・カンターレへの道―夢をいだけ―如来の機能

『太陽の法』を読む

67 数字をごまかした報告書を出す人は、要注意人物である。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

12月8日は降魔成道記念日です。主エル・カンターレ 
大川隆法総裁先生が、1985年12月8日に名古屋の地(降魔成道館)にて、救世主として法を世に説くことを決意しようとしたとき、これを何としても阻止せんと、悪魔が総攻撃をかけてきました。降魔成道記念日とは、この悪魔を打ち倒して、仏法真理の流布に立ち上がったことを記念する聖なる日です。

12/8(日)~10(火)まで、「降魔成道記念日」感謝式典を開催致します。主は、ただ一人往くという不退転の決意によって魔を下し、降魔成道をなされ、救世主として立たれたことに心からの感謝を捧げると共に、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、「降魔成道記念日」感謝式典版「復活の祈り」を執り行います。

主のご復活を妨害する悪霊・悪魔・妖怪・妖魔・闇宇宙・唯物論の勢力といった悪しき者たちの呪いを打ち祓い、主がこの地にて「エル・カンターレの法」を再びお説きいただけるための、結界を皆様と共につくってまいります。皆様ぜひご参加ください。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】

本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】
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第6章 エル・カンターレへの道
7  夢をいだけ

人生には、夢が必要です。夢のない人生には、希望がありません。自らのつくった悪を反省し、善念を取り戻すことは、もちろん重要です。しかし、あなたがたの人生とは、マイナスをゼロにするだけの、プラス・マイナス・ゼロ人生だけではものたりないのではないでしょうか。

夢をいだくとは、できるだけすばらしい人生設計をするということです。たとえば、建物を建てるときには、設計士が図面をつくり、それを見て、大工さんがすばらしい家屋を建ててくれます。しかし、あなたがたの人生の設計とは、ほかならぬあなたがた自身なのです。ですから、あなたがた自身が立派な設計をしなければ、できあがった建物はでたらめなものになってしまいます。家を建てるときにには、あんなにも設計図を気にするのに、自分の人生となると、なぜ設計図をつくらないのでしょうか。それだけ無鉄砲に人生を生きているということです。ゆきあたりばったりに人生を生きている人が、あまりにも多いということです。

ところで、設計図といっても、そうむずかしく考える必要はありません。要は、いかに夢をいだくか、夢を描くかということなのです。夢を抱いている人と、そうでない人とでは、人生を生きる自信がまったくちがいます。他人に対する説得力がちがいます。

夢をいだいている人に出会った日は、一日中、とてもしあわせな気分になるでしょう。よし、自分も、ひとつ、やってやろうという気持ちと同時に、よし、この男を助けてやろうという気持ちになってくるはずです。

「夢をいだく」ということのなかには、人を酔わせる何かがあるのです。いままで、世に立って、後世に残るような偉業をなしとげた人で、夢をいだかなかった人は、おそらく一人もいないと思います。人間として生まれて、この世に生きる以上、大きく生きてみようとする気概は、非常に大切です。ミノ虫のように小っちゃくなっているからといって、それが謙虚だということではなのです。

謙虚さとは、自らが大きくなっていこうとする過程にこそ、必要だといえます。自らが自信満々に生きているからこそ、謙虚さということが必要なのです。謙虚さとは、すなわち、ブレーキです。しかし、ブレーキだけでは、自動車は前に進みません。自動車が前に進むために、いちばん大切なのは、アクセルです。アクセルがなければ、自動車は、その機能を果たせません。そして、ブレーキは、用心のためにあるのです。暴走しないように、事故防止のために、ブレーキはあるのです。

私は、地獄に堕ちることについての警告をずいぶんとしてきました。しかし、地獄に堕ちることをおそれて、毎日毎日、念仏ばかり唱え、アーメンばかり唱えていても、その人は、いっこうに立派にはならないはずです。アクセルを踏み込まなくてはだめなのです。スピードが出すぎたと思ったら、ブレーキを踏む。そのために、ブレーキがあるのです。しかし、いつも、前向きに、向上をめざしている人生ならば、ブレーキが故障してないことだけを確認しておけばいいでしょう。まちがっていたら、すぐ反省して、軌道修正ができる自分であることを、日々、点検できたなら、いさましくアクセルを踏み込んでゆくことです。それが、夢をいだき、その夢を実現してゆくということなのです。

夢をいだく効用は、単に設計図をつくるだけではありません。それには、ひとつの神秘的な作用があります。夢とは、持続する心のビジョンです。それは必ず、あの世、すなわち、実在界の守護・指導霊たちに通じます。実在界の守護・指導霊たちも、つねづね、どうやって地上界の人々を守護・指導しようかと頭をいためているのです。ところが、地上生活をしている人たちは、どの人も、この人も、うたかたのごとき想いばかりが心に去来して、なんらしっかりとした人生の指針をもっておりません。どのように自分は生きたいのかについてさえ、確固としたものをもっていないのです。

こういう人に対しては、一体どのように守護・指導ができるのでしょうか。生きている人間の根本から教え込むということは、この世の人間の主体性を失わせます。あの世の守護・指導霊がやってよいことといったら、生きている人間に、インスピレーションを与えることぐらいです。通常は、それがすべてなのです。

しかし、しっかりとした夢をいだいている人ならば、その人の夢がどうやったら実現できるかを、守護・指導霊は考えていればよいし、それにそったインスピレーションを与えればよいのです。ですから、しっかりとした夢をいだき、夢を描いていさえすれば、あの世の守護・指導霊たちの援助を受けて、実現できる可能性が高いといえます。

実をいうと、これが、ほんとうの意味での自己実現なのです。つまり、自己実現のためには、まず、夢をいだく。そして、それをビジョン化し、祈りによって、守護・指導霊にお願いし、やがて具体化するというプロセスをとるわけです。自分のいだく夢が、自分の人格の向上と、人々のしあわせにつながる必要があるのは、当然です。

【大川隆法『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」より抜粋】
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続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
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第五章 八次元の世界
8如来の機能

本節では、如来の機能、如来としての役割や働きについて考えてみましょう。

私は『太陽の法』(幸福の科学出版刊)において、「仏は人間の魂を平等に創ったが、平等だけではなく、その働き相応に評価する公平という観点からも人間を見ている」ということを語りました。

その公平とは、多くの人を指導する人には、それなりの立場と役割、力を与えるということです。如来という一段高い境地は、この公平の原理から成り立っているのです。

仏の子として平等に分かれてきたもののなかで、幾転生をくり返すうちに、大いなる叡智を獲得した者に対しては、それなりの立場につかせて、さらに大いなる自己実現を任せる。これが仏の考えだと言えます。

そこで、如来の機能とは何かを考えると、結局、如来とは仏の代理人としての機能を持っている人と言うことができます。

仏というものは、人間のように手足があって、そこここに現れて動くものではありません。仏は、この大宇宙、この広大なる多次元宇宙をも創出している存在ですから、それを人間が手に取って見るようなわけにはいきません。

そのかわり、仏を感じさせるような偉大なる存在として、如来があるのではないでしょうか。すなわち、人びとに仏そのものを感じさせるために、如来は存在しているのです。これが如来は「存在の愛」の体現者であるということの根本の理由です。

如来は「真実から来た」存在ですけれども、絶対的真理がそこにあるような存在とは、その存在自体が人間に対する愛である存在ということになりましょう。つまり、人間を大いに啓発し、啓蒙し、幸福な境地に誘いてやまない存在―それが如来なのです。ということは、如来とは光そのものでもあり、また、仏の化身でもあると言えます。

人間には、仏そのものを見、仏そのものを理解し、仏そのものをつかみきることはできません。しかし、如来というものを通して、仏を類推することはできるのではないでしょうか。佛を類推し、仏の慈悲を推し量るための手本として、如来がいるのです。

仏を直接見ることはできないが、如来を通して、仏の偉大な慈悲、仏の偉大なる存在というものを、人間はやがて感じ取っていくのです。

したがって、如来の存在の意味とは、結局のところ、教育にあるわけです。如来は、その存在自体が、衆人(しゅうじん)、万人に対する教育機能を持っているのだと言えます。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第5章「八次元の世界」より抜粋】
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本日の学びは、自己実現という意味においては極めて重要な教えでした。

心に描き続けたビジョン―絵―は必ず時間を経て現実化します。
心に描き続けたビジョン―絵―を夢と言います。

『夢をいだくとは、できるだけすばらしい人生設計をするということです。たとえば、建物を建てるときには、設計士が図面をつくり、それを見て、大工さんがすばらしい家屋を建ててくれます。しかし、あなたがたの人生の設計とは、ほかならぬあなたがた自身なのです。ですから、あなたがた自身が立派な設計をしなければ、できあがった建物はでたらめなものになってしまいます。家を建てるときにには、あんなにも設計図を気にするのに、自分の人生となると、なぜ設計図をつくらないのでしょうか。それだけ無鉄砲に人生を生きているということです。ゆきあたりばったりに人生を生きている人が、あまりにも多いということです。

ところで、設計図といっても、そうむずかしく考える必要はありません。要は、いかに夢をいだくか、夢を描くかということなのです。・・・しっかりとした夢をいだいている人ならば、その人の夢がどうやったら実現できるかを、守護・指導霊は考えていればよいし、それにそったインスピレーションを与えればよいのです。ですから、しっかりとした夢をいだき、夢を描いていさえすれば、あの世の守護・指導霊たちの援助を受けて、実現できる可能性が高いといえます。

実をいうと、これが、ほんとうの意味での自己実現なのです。つまり、自己実現のためには、まず、夢をいだく。そして、それをビジョン化し、祈りによって、守護・指導霊にお願いし、やがて具体化するというプロセスをとるわけです』

これは、仏が教える真なる自己実現のプロセスであり、心の力の秘密に迫る極めて重要な教えです。考える力―光―が万物を創造する心の錬金術に関する教えでした。繰り返し、繰り返し読み込み、魂に落とし込み、主の御手足となるためにこの教えを私たちの人生の応用してまいりしましょう。

そして、後半の『永遠の法』では、如来の機能という根本仏でしか説かれない教えに触れることができました。

まず如来についてこのように定義されてます。
『如来の機能とは何かを考えると、結局、如来とは仏の代理人としての機能を持っている人と言うことができます。』

そして、如来は存在の意味は以下のように、魂の教育・育成にあると喝破されています。

『如来は「真実から来た」存在ですけれども、絶対的真理がそこにあるような存在とは、その存在自体が人間に対する愛である存在ということになりましょう。つまり、人間を大いに啓発し、啓蒙し、、幸福な境地に誘いてやまない存在―それが如来なのです。ということは、如来とは光そのものでもあり、また、仏の化身でもあると言えます。

人間には、仏そのものを見、仏そのものを理解し、仏そのものをつかみきることはできません。しかし、如来というものを通して、仏を類推することはできるのではないでしょうか。佛を類推し、仏の慈悲を推し量るための手本として、如来がいるのです。

仏を直接見ることはできないが、如来を通して、仏の偉大な慈悲、仏の偉大なる存在というものを、人間はやがて感じ取っていくのです。

したがって、如来の存在の意味とは、結局のところ、教育にあるわけです。如来は、その存在自体が、衆人(しゅうじん)、万人に対する教育機能を持っているのだと言えます』

根本仏は、魂の成長を促し、育成するために、この愛の星地球という光が活動する場をつくり、転生輪廻という時間による循環システムを創造されました。そして、具体的な魂の教育を如来に任せることによって、この地球を天使・菩薩の学校にしていることがよく分かりました。

根本仏は、直接手を加えることはありませんが、私たち仏子の成長を慈悲の眼差しでご覧になっていることがよく分かりました。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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