66 何事も、才能だけに頼るな。人知れず努力する人を心の中で「師」と思え。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
おはようございます。
本日11月27日七の日です。皆様誠におめでとうございます。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
また、本日14時より菊川新司様の初七日法要を14:00より執り行います。
故人の冥福と、天上界での安らかな生活をお祈りさせていただきます。
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします
そして 主への報恩として
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります
私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。
基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】
本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】
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第6章 エル・カンターレへの道
6 ダイヤモンドの時間
人生を力強く生きるためには、有限な時間を正しく使うことが必要となります。人間の魂が地上に生まれ変わってくるのは、何百年に一回、あるいは、何千年に一回です。つまり、それほど貴重な体験なのです。それにもかかわらず、大多数の人々は、人生の意味を深く追求することもなく、無為の時間を過ごしてゆく。もったいないことです。
晩年になってから、仏の存在に気づき、信仰心に目覚めて、やりなおしをしたい思っても、過ぎ去った人生の時間は、矢のごとく、ゆく川の流れのごとくであり、もはや取り返しがききません。
ですから、人生の早い時期に、仏法真理に目覚めた人はしあわせです。そして一生を仏法真理にしたがって生きることができれば、最高だといえます。もちろん、おそく仏法真理に出会ったからといって、それで、何もかもがだめになるわけではありません。おそく目覚めた人は、それなりの覚悟をもって濃度濃く生きれば、それはそれで、すばらしい人生となっていくでしょう。
人生には、ひとつの秘訣があります。それは、自分が死ぬときのことを瞑想してみるということです。自分が死ぬとき、何を考え、何を感じるだろうかということを、つねづね瞑想してみることです。自分が死ぬとき、何を考え、何を感じるだろうかということを、つねづね瞑想してみることです。そのときに、「ああ、生きていてよかった」「人生って本当にすばらしいな」と思える人は、幸福な人生を生きた人だといえます。
その反対に、自分が死ぬときのことを考えると、後悔ばかりが、つぎからつぎへとわいてくる人たちもおります。気の毒な人です。こういう人たちは、死んであの世に還れば、高級霊の面前で、自分の一生を反省させられるのです。テレビでもみているようにそれはあざやかに、自分の人生がそこに映し出されて、大勢の人々の前で、それを見せられます。
死んであの世に還ったばかりの人は、仏の目から見たら、自分が、一体どういう人間であるのかということを、はっきりと知らされるのです。このときは、何ひとつ、うそも、いいわけもききません。そして、たくさんの人々の視線を感じて、自分の行くべきところを悟るのです。地獄へ行く人は、自らが選んで地獄へ堕ちてゆきます。というのは、自分がどういう人間かがわかってしまったら、恥ずかしくて、天国には住めないからです。物理学的にいうならば、霊的な波長が粗雑で、ほかの人々の精妙な波長にあわないということです。あるいはまた、意識体が、三次元的な、物質的なものになってしまい、その比重が重くて、下へ沈んでしまうということでもあります。
しかし、死去したあと、実在界で、自分の人生模様を見せられて、ほかの人たちから拍手を送られる方もいます。すなわち、その人が、人生の間違いに気づき、仏の両手をあわせて許しを乞い、その両目から涙が流れている映像が映るとき、あの世の人々は、拍手喝采し、新米の霊人の肩をたたき、握手を求めるのです。また、その人が、仏法真理の伝道のために一命をなげ出し、立ち上がった姿が映ると、光の菩薩たちは、涙を流してよろこびます。
これは、何年、あるいは、何十年先かはわかりませんが、あなたがたを待ち受けている光景なのです。そのときが、確実にやってくるのです。だからこそ、あなたがたは、つねづね自分たちが死ぬときのことを、いや、むしろ、たとえ明日生命が亡くなってもいいような人生を生きているかどうかを自問しながら生きるということが大切なのです。
死ぬときに、今のような生き方であなたは、恥ずかしくはありませんか。悔いは残りませんか。自分の良心に照らしてみて、どうでしょうか。
人生の時間をダイヤモンドのように輝かすためには、こういった意識と発想の転換が必要だといえます。すなわち、自分の死の瞬間を想定して、現在までの自分の生き方を反省してみることです。これは、善意なる第三者の立場に立って反省するということと、同じだといえます、そして、これが、ダイヤモンドの時間を生きる秘訣なのです。密度の高い、煌めきのある人生を生きる秘訣ないのです。
【大川隆法『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」より抜粋】
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続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
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第五章 八次元の世界
7 慈悲とは何か
次に、法と慈悲について話をしましょう。
幸福の科学では、個人の進歩の原理と社会全体の調和の原理を踏まえて、「人間には幸福を探求する性質がある。人間が追求し、探求する幸福とは、私的幸福と公的幸福である」と説いています。
私的幸福の追求とは、個人の幸福の追求です。公的幸福の追求とは、個人の幸福追求の結果、個人の周りにできた私的ユートピアを、社会全体に、世界全体に、人類全体に広げていくことによって、公的ユートピアを建設していくことです。そして、現に、幸福の科学ではそれを活動の原理としています。
ここで問題なのは、「なぜ私的幸福と公的幸福という二つの幸福を追求、探求していく必要があるのか」ということです。それを指導すべき何らかの原理があるのかどうかを考えねばならないでしょう。
人間には幸福を求める性質があると述べました。なぜ幸福を求める性質があるのかというと、これは仏が人間に与えた一つの慈悲だからです。
仏は人間が生きていく上において目的を与えました。その目的が人間を不幸にしていくものならば、世界は悲惨なものとなっていくでしょう。しかし、仏がそれぞれの人間の魂のなかに幸福を求める性質を埋め込んだがために、人間はできるだけ幸せになっていこうとするようになったのです。
要するに、「人間が人間であるところのもの、すなわち、人間の本質である魂自体のなかに、幸福を追い求める性格が埋め込まれている」と考えるべきなのです。
なぜ人間はもともは幸福を求めるようにできているのかといえば、結局、人間は根本仏から別れてきた「光の子」だからです。人間が光の子、仏の子である以上、人間のなかには仏と同じ性質があるのです。
仏の性質とは何でしょうか。「仏は進歩と調和によって生み出される大きな幸福感を良しとしている」と言えます。
すなわち、「仏がこの大宇宙のを統括し、支配し、貫いているエネルギーである理由は、そうした幸福のエネルギーを仏自体が内在しているからである」と考えていいのです。
したがって、仏が仏として存在している、その存在の目的自体が、幸福に立脚点を置いていると言えるのです。
では、仏の幸福とは何なのでしょうか。仏は何に対して幸福を感じているのでしょうか。生成、化育(かいく)、発展、繁栄―すべてのものが大調和のなかに大いなる発展をし、繁栄する、その途中の経験のなかに、仏は喜びを感じているのです。
仏は仏として存在を停止しているときには、なんらの喜びもありません。しかし、仏が仏として活動し、その活動内容が、「すべてのものを調和させつつ、発展、繁栄させていく」という目的を体現していくことであるならば、その途中において、仏は大いなる経験、美しい経験、喜びを伴う経験を得るのです。
そうすることによって、仏自体もまた、いちだんと大いなる存在への転化、拡大、発展を得ているのです。
「人間は幸福を求める存在である」「人間は幸せに生きられるように創られた」ということ自体が、すなわち、仏の本性(ほんせい)、仏の慈悲なのです。
【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第5章「八次元の世界」より抜粋】
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本日の学びも、経典『地獄の法』の内容を補完するようなみ教えでした。幸福の科学の瞑想に「帰天瞑想」というものがありますが、これは、今自分が仮に死んでしまったとして、天上界に還るときのことを瞑想する内容です。『太陽の法』では、人生の秘訣として、自分がこの世での使命を終えて帰天するときのことを瞑想してみることを教えていただきました。
『地獄の法』においても、死後の私たちの行き先は、生きているあいだに、生前の思いと行いと心の声を振り返り、反省することによって、ある程度分かると教えていただいています。
また、帰天後は、あの世で自分の人生がどのようなものであったかを「照魔の鏡」によって見せられることなども説かれていますが、これも既に『太陽の法』にて説かれていたことも改めて驚きでした。
本日のポイントであるダイヤモンドの時間を生きる秘訣をもう一度振り返ります。
〇人生には、ひとつの秘訣があります。それは、自分が死ぬときのことを瞑想してみるということです。自分が死ぬとき、何を考え、何を感じるだろうかということを、つねづね瞑想してみることです。
〇自分が死ぬとき、何を考え、何を感じるだろうかということを、つねづね瞑想してみることです。そのときに、「ああ、生きていてよかった」「人生って本当にすばらしいな」と思える人は、幸福な人生を生きた人だといえます。
〇その反対に、自分が死ぬときのことを考えると、後悔ばかりが、つぎからつぎへとわいてくる人たちもおります。気の毒な人です。こういう人たちは、死んであの世に還れば、高級霊の面前で、自分の一生を反省させられるのです。テレビでもみているようにそれはあざやかに、自分の人生がそこに映し出されて、大勢の人々の前で、それを見せられます。
〇死んであの世に還ったばかりの人は、仏の目から見たら、自分が、一体どういう人間であるのかということを、はっきりと知らされるのです。このときは、何ひとつ、うそも、いいわけもききません。そして、たくさんの人々の視線を感じて、自分の行くべきところを悟るのです。地獄へ行く人は、自らが選んで地獄へ堕ちてゆきます。というのは、自分がどういう人間かがわかってしまったら、恥ずかしくて、天国には住めないからです。物理学的にいうならば、霊的な波長が粗雑で、ほかの人々の精妙な波長にあわないということです。あるいはまた、意識体が、三次元的な、物質的なものになってしまい、その比重が重くて、下へ沈んでしまうということでもあります。
〇死去したあと、実在界で、自分の人生模様を見せられて、ほかの人たちから拍手を送られる方もいます。すなわち、その人が、人生の間違いに気づき、仏の両手をあわせて許しを乞い、その両目から涙が流れている映像が映るとき、あの世の人々は、拍手喝采し、新米の霊人の肩をたたき、握手を求めるのです。また、その人が、仏法真理の伝道のために一命をなげ出し、立ち上がった姿が映ると、光の菩薩たちは、涙を流してよろこびます。
〇これは、何年、あるいは、何十年先かはわかりませんが、あなたがたを待ち受けている光景なのです。そのときが、確実にやってくるのです。
〇だからこそ、あなたがたは、つねづね自分たちが死ぬときのことを、いや、むしろ、たとえ明日生命が亡くなってもいいような人生を生きているかどうかを自問しながら生きるということが大切なのです。死ぬときに、今のような生き方であなたは、恥ずかしくはありませんか。悔いは残りませんか。自分の良心に照らしてみて、どうでしょうか。
〇人生の時間をダイヤモンドのように輝かすためには、こういった意識と発想の転換が必要だといえます。すなわち、自分の死の瞬間を想定して、現在までの自分の生き方を反省してみることです。これは、善意なる第三者の立場に立って反省するということと、同じだといえます、そして、これが、ダイヤモンドの時間を生きる秘訣なのです。密度の高い、煌めきのある人生を生きる秘訣ないのです。
本日も、主とともに、仏法真理とともに、法友とともに、ダイヤモンドのように自らの時間を光り輝かせたいと思いました。
また、後半の『永遠の法』では、慈悲についてこのような教えをもう一度ポイントを振り返ります。本日の学びは仏法真理学上、正しき心の探究にとっては最重要な教えです。
〇幸福の科学では、個人の進歩の原理と社会全体の調和の原理を踏まえて、「人間には幸福を探求する性質がある。人間が追求し、探求する幸福とは、私的幸福と公的幸福である」と説いる。
〇私的幸福の追求とは、個人の幸福の追求です。公的幸福の追求とは、個人の幸福追求の結果、個人の周りにできた私的ユートピアを、社会全体に、世界全体に、人類全体に広げていくことによって、公的ユートピアを建設していくことです。そして、現に、幸福の科学ではそれを活動の原理としています。
〇人間には幸福を求める性質があると述べました。なぜ幸福を求める性質があるのかというと、これは仏が人間に与えた一つの慈悲。
〇仏は人間が生きていく上において目的を与えました。仏がそれぞれの人間の魂のなかに幸福を求める性質を埋め込んだがために、人間はできるだけ幸せになっていこうとするようになった。要するに、「人間が人間であるところのもの、すなわち、人間の本質である魂自体のなかに、幸福を追い求める性格が埋め込まれている」と考えるべき。
〇なぜ人間はもともは幸福を求めるようにできているのかといえば、結局、人間は根本仏から別れてきた「光の子」だからです。人間が光の子、仏の子である以上、人間のなかには仏と同じ性質がある。
仏の性質とは「仏は進歩と調和によって生み出される大きな幸福感を良しとしている」と言える。すなわち、「仏がこの大宇宙のを統括し、支配し、貫いているエネルギーである理由は、そうした幸福のエネルギーを仏自体が内在しているからである」と考えていい。
〇したがって、仏が仏として存在している、その存在の目的自体が、幸福に立脚点を置いていると言えるのです。
〇仏の幸福とは何か。仏は何に対して幸福を感じているのか。生成、化育(かいく)、発展、繁栄―すべてのものが大調和のなかに大いなる発展をし、繁栄する、その途中の経験のなかに、仏は喜びを感じている。
〇仏は仏として存在を停止しているときには、なんらの喜びもない。しかし、仏が仏として活動し、その活動内容が、「すべてのものを調和させつつ、発展、繁栄させていく」という目的を体現していく、その途中において、仏は大いなる経験、美しい経験、喜びを伴う経験を得る。そうすることによって、仏自体もまた、いちだんと大いなる存在への転化、拡大、発展を得ている。
〇「人間は幸福を求める存在である」「人間は幸せに生きられるように創られた」ということ自体が、すなわち、仏の本性(ほんせい)、仏の慈悲。
このように、本日の引用はすべてがとても重要です。慈悲とは仏の代名詞であるからです。
繰り返しですが重要なポイントは、
『人間には幸福を求める性質があると述べました。なぜ幸福を求める性質があるのかというと、これは仏が人間に与えた一つの慈悲だからです。
仏は人間が生きていく上において目的を与えました。その目的が人間を不幸にしていくものならば、世界は悲惨なものとなっていくでしょう。しかし、仏がそれぞれの人間の魂のなかに幸福を求める性質を埋め込んだがために、人間はできるだけ幸せになっていこうとするようになったのです。
要するに、「人間が人間であるところのもの、すなわち、人間の本質である魂自体のなかに、幸福を追い求める性格が埋め込まれている」と考えるべきなのです。
なぜ人間はもともは幸福を求めるようにできているのかといえば、結局、人間は根本仏から別れてきた「光の子」だからです。人間が光の子、仏の子である以上、人間のなかには仏と同じ性質があるのです。
仏の性質とは何でしょうか。「仏は進歩と調和によって生み出される大きな幸福感を良しとしている」と言えます。
すなわち、「仏がこの大宇宙のを統括し、支配し、貫いているエネルギーである理由は、そうした幸福のエネルギーを仏自体が内在しているからである」と考えていいのです。』
『ユートピアの原理』のなかで、神の三大発明として、1念いによる創造、2時間の創造、3発展に伴う幸福感の創造、を根本仏であるエル・カンターレはなされ、これを私たちの仏と同じ性質である仏性に埋め込まれました。
ですから、この神の三つの創造自体が私たち人類に対する慈悲であるとも言えます。仏は念い―すなわち光によって全てを創造されまた。そして時間を生み出すことによって結果空間も生まれました。そして、光が活動する目的として進歩と調和の原理における幸福感を私たちに与えられました。これそこが造物主から無限に与えられ続けている被造物への慈悲です。
私たちには、仏性として根本仏の光の欠片が仏性として宿されており、その力は慈悲の力です。この慈悲の力に目覚め、根本仏を愛し、その証明としての隣人愛を共に最大限に発揮してまいりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史
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