56 親子で経営的資質がつながらない理由は、親の苦労した時代を、子供は知らないからである。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
本日11月17日七の日です。本日の七の日は、海外初転法輪記念式典を開催いたします。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
〇Be positive
You must be angels from today. You, yourselves,save other people. Save
other people. Don’t think to save yourself. Save other people. It’s the
mission of Happy Science and the mission of angels-to-be.
If you want to be an angel-do,act and save in reality, in practice.
That’s very important.From now on, I believe you will all become strong
and have light in you.
【November 18,2007 Hawaii Local Branch,Honolulu,USA】
〇積極的であれ
今日より後、あなたがたは天使にならなければなりません。あなたがた自身の力で、他の人々を救ってください。自分を救おうと思わないでください。他の人々を救ってください。それか、幸福の科学の使命であり、天使の予備軍の使命です。
天使になろうと思うのであれば、現実に、実際に、実践し、行動し、人々を救ってください。これより後、あなたがた一人ひとりが強くなり、あなたがたの内に光りが灯ることを信じています。
【2007年11月18日 ハワイ精舎にて】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
明日、11月18日は、海外初転法輪記念日です。2007年11月18日に主は、ハワイ精舎において海外における初めての説法である『Be
Positive』を説かれました。全世界伝道の第一歩を生まれ、主の教えは全世界に広がっています。主の御慈悲に心からの感謝と、全世界伝道の誓いを共にさせていただきます。
さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。
基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】
本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第5章 黄金の時代
6 ラ・ムーの時代
ムー大陸が、その最盛期を迎えるのは、ラ・ムーの時代でした。すなわち、いまからおよそ一万七千年近く前のことです。そのころ、ムーは、太陽信仰と太陽科学万能の時代を迎えておりました。この時期に、ラ・ムーが、肉体をもって生まれたのです。ラ・ムーとは、何代か前の釈迦の過去世です。また、ラ・ムーとは、「ムーの光大王」という意味を持っています。ラ・ムーの時代に、ムー大陸は、巨大な大帝国となったのです。もともとは、モア大陸と呼ばれていたのですが、ラ・ムーの時代に、その名をとって、ムー大陸、ムー文明としました。
ラ・ムーは、ムー大陸の科学文明が非常に発達してきたことをよろこび、この機会を逃したら、地上に神の国をうちたてるときはないと考えました。ラ・ムー自身は、巨大な霊能力の持ち主でしたから、天上界の霊たちとは、もちろん、自由自在に交信できました。このころ、ラ・ムーを天上界から守護していたのは主としてアモール、のちのイエス・キリストでした。
ラ・ムーの教えの中心は、三点ありました。第一点は、すべてのムー人は、神を太陽のごとき存在だと悟らねばならない。神は太陽のごとく、光に満ち満ちており、地上のわれわれに光を与えてくださっているのだということです。第二点は、すべてのムー人は、太陽のごとき愛と慈悲に生きねばならない。ほかの人間の心をいかに光明に満たしたかということが、愛と慈悲の本質であるとしました。第三点は、すべてのムー人は、向上を人生の目標としなければならない。向上とは、学芸、武芸にだけ適用されるのではなく、いかにして霊性を高めたかという点がポイントとなります。この三点が、ラ・ムーの教えのもととなったのです。
ラ・ムーがそれから一万四千年のあまりのち、インドで仏教を広めた釈尊であることを知れば、仏教の教えは、すでに、ラ・ムーの時代にめばえていたことに気づきます。
いまから一万七千年前のラ・ムーの教えは、まさしく本格的な宗教の始まりを告げるものでした。ラ・ムーの時代には、宗教と政治が分離されることはありませんでした。最高の宗教は、すなわち、最高の政治であり、最高の宗教家は、すなわち、最高の政治家だったのです。これも、よく考えてみれば、確かにわかることであり、人間が神からわかれてきたものであるならば、その地上に人間を統治するのは、もっとも神近き人、すなわち、大宗教家が担当するは、当然のことだといえます。
ラ・ムーは、毎夜、宮殿でひざまずいては、高級霊たちと心のなかで対話し、国政の基本的方針についての判断をあおいでおりました。これは、まさしく政治の原点だといえます。なぜならば、政治とは、人間を治める技術であり、為政者のあやまちは、ただその人ひとりの問題ではなく、国民すべての生死を左右し、国民すべての魂を下落させることを意味したからです。人間心で、そうした重大事を判断することは、見方によっては、たいへん傲慢であり、非常に増上慢なのです。政治の原点は、ここにこそあったのです。すなわち、神のまえに謙虚になり、心静かにに、心むなしゅうして、神の声を聴くということです。神の言葉に耳を傾けるということです。
しかし、やがてラ・ムーが没し、その偉大なる教えが形骸化してくると、ムーの全盛にもかげりが出てきました。しかも、悟りの力を否定し、怪しげな動物霊信仰の邪教団がはびこり始めました。悪しき霊能力信仰が、「愛と慈悲」の教えを嘲笑し、大陸全体に大きな想念の曇りがかかってきたのです。
こうして、このムー大陸は、いまからおよそ一万五千百年前、三段階にわたる大陸の沈下によって、海中に没しました。ラ・ムーの名前からとった巨大な近代都市ラ・ムーも、この大陸の沈下によって、当然のことながら、大西洋中に沈没してしまいます。
しかし、ムー人たちの一部は、なんとか逃げることができました。そのなかのある人々は、船で北上して、ベトナム人、日本人、中国人の源流になりました。また、ある人々は東へと進み、太平洋をわたって、南米アンデスの山に住みつきました。さらには、大西洋へと逃れ、大西洋上のアトランティス大陸へと、新天地を求めていった人々もおります。
【大川隆法『太陽の法』第5章「黄金の時代」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
第7章 七次元の世界
7偉人の生涯
ここで、私は偉人の生涯に関して触れざるをえません。人類の歴史を見ると、さまざまな偉人がいます。もちろん、それは単に宗教家だけではありません。他の領域にも立派な方がいます。世の人びとを導く愛に生きた、愛そのもののような方々の生涯を、深く考えてみなければならないのです。
彼らは単に男女の愛や夫婦の愛に生きたわけではありません。また、単に親子の愛に生きたわけでもありません。むしろ、その逆のなかにも愛があるということを、教えてきたのではないでしょうか。
イエスにしてもそうです。親子の愛ということを考えてみれば、彼は親不孝と思われるような行動をずいぶんとり、決して良い息子ではありませんでした。大工の息子として生まれたのですから、よい大工、よい跡継ぎとなり、結婚をし、子供を育てて、何十年ものあいだに一家を支えていけば、彼はよい息子だったでしょうが、彼の生涯はそうしたものではありませんでした。
のちの世で聖母マリアとして慕われるようになる母親に対しても、イエスはずいぶん失礼なことを言ったことがあります。「人間の魂は天から来るのであって、人から来るのではない。したがって、ご婦人よ、あなたは肉体的には私の母であるが、魂としては私の母ではない。そのことを知りなさい」とイエスは言いました。この世的に見れば、ずいぶん親不孝な言い方です。
また、イエスは兄弟との中についてもいまひとつでした。イエスには、四人の兄弟がいたのですが、彼らはいわば凡人でした。イエスの家族のなかで、イエスだけが傑出した人物として出たわけです。
彼の父であったヨセフも、ほんとうはの意味ではイエスを理解しませんでしたし、イエスの兄弟たちも彼を理解しませんでした。「大工の手伝いをしないで、新興宗教のようなことをやり始め、訳の分からないことを言っている、つまらない兄だ」と、イエスは言われていたのです。
しかし、彼はもっと高次な愛のために生きていました。全人類を救うために、彼は生きていたのです。このように、家庭愛、兄弟愛、親子の愛を越えた愛もあるのだということを知らねばなりません。
これと同じことは、ゴータマ・シッダールタ、すなわち釈尊においても言うことができす。釈迦牟尼仏の生涯を見てみると、彼は二十九歳で、居城であるカピラヴァスツを飛び出しています。妻と子を捨て、父の願いを振り切っての出家でした。そして、彼は山中で六年間の修業をしました。
釈尊は王子であり、王家の跡を継ぐ予定になっていたのに、それを袖にして家を飛び出しのですから、この世的には大変な親不孝者です。
また、ラーフラという子供とヤショーダラーという妻がありながら、彼らを捨てて家を出て、成道するまではカピラヴァスツに帰ってこなかったのですから、男女愛、夫婦愛のこのうえない破壊者であり、親子愛の放棄者でもありました。
ただ、釈尊の真意は、親子の愛や男女の愛を否定することではなかったことは事実です。そうしたものは、より高次なものへの奉仕のために、やむをえず切らねばならなかった絆だと言えます。
王家のなかで生きていては、仏陀としての悟りを得ることもできないし、仏陀の教えを人に説くこともできない。王子でいては法を説くことができない。当時はそうした時代環境があったことを見逃してはなりません。
また、教団が確立してからは、妻子を呼び寄せ、弟子の一員に加えて面倒を見ている点や、釈迦族の青年たちや女性たちの多くを教団に受け入れていることも、指摘しておかねばなりません。責任感のある人だったのです。
現代や後代の人びとの努力目標としては、妻の愛や親子の愛を否定してまで道を求めねばならないというのは、もちろん酷でしょう。できるならば、家庭環境、親子のあり方、仕事、職業を十分に考え、家庭を調和しながら夜を救っていくのが、普遍的な形としての愛でしょう。
しかし、偉人たちのなかには、そうした例外的な愛の体現者もいるということを忘れてはなりません。そして、彼らの生涯が、「存在の愛」として、あの太陽や星のように人類の行く手を照らしていることもまた事実なのです。こうした偉人たちの生涯に対して、人類は大いなる敬意を払う必要があります。
【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第3章「六次元の世界」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
『太陽の法』においては、およそ一万七千年近く前、太陽信仰と太陽科学万能の時代を迎えラ・ムーについて学びました。ラ・ムーはお釈迦様の遠い過去世です。
また、今学びを深めている主が説かる『太陽の法』はかつてラ・ムーが説いた『太陽の法』であるとも言われていました。
また、経典『日本建国の原点』の質疑応答では、「日本の源流は「ムー帝国」にある」として、日本に神々が集われている理由としては、「この国の源流に、直前のムー帝国の文化があるからだ」と説かれています。日本はムー文明の正当な継承者であるのです。
また、そのムー文明の源流をたどると、三万年前の天御祖神の日本降臨に端を発している点も見逃してはなりません。日本の神々の源流はアンドロメダであるという驚きの真実が経典『天御祖神の降臨』にて明らかにされています。私たちの文明は元々宇宙起源であるのです。
話をラ・ムーの時代に戻しましょう。
このころ、ラ・ムーを天上界から守護していたのは主としてアモール、のちのイエス・キリストでした。
ラ・ムーの教えは以下の三点で、2600前にお釈迦様が説いた仏教の教えの基礎となるものでした。ここでもう一度、ラ・ムーの教えを整理します。
『ラ・ムーの教えの中心は、三点ありました。
第一点は、すべてのムー人は、神を太陽のごとき存在だと悟らねばならない。神は太陽のごとく、光に満ち満ちており、地上のわれわれに光を与えてくださっているのだということです。
第二点は、すべてのムー人は、太陽のごとき愛と慈悲に生きねばならない。ほかの人間の心をいかに光明に満たしたかということが、愛と慈悲の本質であるとしました。
第三点は、すべてのムー人は、向上を人生の目標としなければならない。向上とは、学芸、武芸にだけ適用されるのではなく、いかにして霊性を高めたかという点がポイントとなります。
この三点が、ラ・ムーの教えのもととなったのです。
いまから一万七千年前のラ・ムーの教えは、まさしく本格的な宗教の始まりを告げるものでした。ラ・ムーの時代には、宗教と政治が分離されることはありませんでした。最高の宗教は、すなわち、最高の政治であり、最高の宗教家は、すなわち、最高の政治家だったのです。これも、よく考えてみれば、確かにわかることであり、人間が神からわかれてきたものであるならば、その地上に人間を統治するのは、もっとも神近き人、すなわち、大宗教家が担当するは、当然のことだといえます。』
これは、一万七千年に説かれた『太陽の法』の一部とも言われていますので、とても重要です。繰り返し学んで、覚えてしまいましょう。また、仏教との関連でいえば、ラ・ムーの教えは反省の原理としても重要な教えです。詳しくは経典『幸福の科学の十大原理(下巻)・反省の原理のなかで、ラ・ムーの三正道が重要です。
〇ラ・ムーの三正道①―愛の反省
人間は人を愛して生きるべき存在である。愛を人に与えたかどうか、これを毎日必ず振り返れ。
〇ラ・ムーの三正道②―天上界と心を通わせる反省
今日一日、神あるいは神近き高級霊といわれる守護・指導霊と心を通わすことができたかどうか。これを反省せよ
〇ラ・ムーの三正道➂―学びの反省
汝、今日いったい何を学びしか。これを反省せよ。一日を無駄にしていないか。学ばずして一日を終わるな。一時間を終えるな。一分を終えるな。一秒を終えるな。
後半の『永遠の法』では、偉人の生涯から、いと高き理想実現のために、大いなる悟りを得たものとして義務と責任において、時には男女の愛や、親子の愛、兄弟愛をかなぐり捨ててでも人類全体への愛に生きた偉人の生涯について深く学びました。常人にはりたいできない与える愛の実践が高級霊の方にはあることを知りました。神は仏は愛は偉大であるとあらためて感じます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史
■