(11/16-1)320経典『太陽の法』を読む 45黄金の時代―ムー文明―救いの本質

『太陽の法』を読む

55 経営的素質は、親・子・孫と必ずしもつながらない。高慢で、かつ、謙虚な人は見当たらない。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
本日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】

本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】
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第5章 黄金の時代
5 ムー文明

ラムディア文明の最期は、とてもあっけない結末でした。芸術をきわめた彼らは、毎日午後になると、二時間ほど、音楽を楽しむ時間を持っておりました。突然グラグラッときたのは、まさに、人々が音楽にうち興じている最中でした。天上のシャンデリアが大揺れに揺れ、窓ガラスが割れ、近代的な大音楽ホールが、あっけなく崩れ落ちてゆきます。大陸はまず、東端から沈んでゆきました。

午後四時ごろには、大陸は半分ほどになってしまいました。そして、翌朝七時には、朝日がキラキラと青い海原を照らしているだけで、大陸は影も形もなくなってしまったのです。ただ、さまざまな死骸だけが、インド洋上の波間に漂っていただけです。ラムディアの場合はなんとも決定的でした。ラムディア大陸に住んでいた二百五十万人の民は、ひとり残らず海中に消えてしまったのです。善人も、悪人も、まったく関係なく、すべてがなくなってしまったのです。

しかし、文明だけは救われました。なぜならば、ラムディアの人々は、植民地を持っていたからです。植民地の名は、モア大陸。のちの名をムー大陸といいます。

ムーは、太平洋上に浮かぶ大陸でした。その出現自体はラムディア大陸よりも古く、いまから三十七万年前ごろ、海上に姿をあらわしたました。それ以後、大陸の形は、さまざまにかわりましたが、ラムディアの末期ごろには、現在のインドネシアあたりを中心にして、オーストラリアの二倍ぐらいの面積を持つ大陸でした。

このムー大陸にも、何十万年前から人は住んでおりましたが、やや程度は低かったと言えます。大陸の北部の人々は、漁業中心、大陸の南部の人々は、狩猟中心、そして、中西部の人々は、主として農牧を中心とした生活をしておりました。

しかし、ラムディアに高度な文明が栄えたため、やがてムー大陸の人々も、ラムディア民族の侵略を受けます。ラムディアの人々は、大きな帆船の大軍団を組み、いまから二万八千年ぐらい前から、ムー大陸の諸都市を植民地化しはじめました。そして、ムー大陸の一部を奴隷として、ラムディアに連れてきて、単純生産の作業をさせて、自分たちは学芸に酔いしれていたのです。そういう不調和の大きな黒い想念の雲が、ラムディア文明の末期をおおい、やがてはそれに対する巨大な反作用から、大陸が陥没したのだといえます。

植民都市ではあったとはいうものの、ムー大陸にも、ラムディアの文化は浸透してきておりました。そして、ラムディア文明が滅失したあと、静かではありましたが、ムー大陸にも文明のきざしが見えてきました。

いまから、二万年のむかし、このムーの地に、ゾロアスターの前身が出ました。このかたのそのときの名を、エスカレントといいます。現在使われているエクセレントとという英語は、このエスカレントという人名をその淵源(えんげん)にもっており、いずれも、「すばらしい」という意味です。この大聖エスカレントは、太陽の科学的なエネルギーを重視しました。太陽の光のパワーに、二種類の意味づけをしたのです。すなわち、第一は、神の栄光をあらわすものとして、光を「聖なるもの」としました。そして、第二は、光を「有用なるもの」と位置づけました。

第一点に関しては、光を聖なるものとしたわけですから、太陽であれ、月であれ、室内灯であれ、人々は、光源を見ると必ず、両手を前にあわせて、片ひざをつき、おじぎをする。そういうしきたりがありました。この当時の礼儀が、のちの東洋文化の源流となって、人々は、必ずおじぎをするようになったのです。

第二の光を有用なものとしたとは、どういうことでしょうか。エスカレントは、天上界から、クート・フーミー、のちに、アルキメデスやニュートンとして転生した方たちによる指導、また、エンリルの科学的思考の指導を受けて、光パワーの増幅ということに注力しました。

この時代の人々は、太陽の光エネルギーの巨大増幅装置を使って、発電所がわりとし、室内の光としたり、船の原動力、あるいは、ものを加工したりするときのエネルギーとしたのです。すなわち、このころにはじめて、人類は科学的時代の幕開けの準備ができつつあったのです。

都市の中心には、一辺が長さ三十メートルの正三角形でできたピラミッドがあり、それが銀色に輝いています。ここで吸収、増幅された太陽エネルギーが、各町の中心にある一辺長さ十メートルのピラミッドに放射され、そこからさらに、各家庭の屋上にある一辺の長さ一メートルの小ピラミッドに供給されていたのです。

このピラミッド・パワーは、のちのアトランティスにもひきつがれます。この太陽エネルギーの巨大増幅装置は、現在ピラミッド・パワーなどといわれている仕組みにとてもよく似ています。

【大川隆法『太陽の法』第5章「黄金の時代」より抜粋】
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続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
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第7章 七次元の世界
6救いの本質

ここで、少し話を変えて、救いの本質について考えてみましょう。
七次元の世界は愛の世界であると述べました。そして、愛には、家庭内の愛、親子の愛、男女の愛など、さまざまなものがあるという話もしてきました。

それでは、七次元にいる人たちの愛とは、主としてどのような愛なのでしょうか。七次元の愛は、いま述べたような本能的な愛、つまり、親子の愛、男女の愛といったものではないことは、はっきりしているのです。

七次元の菩薩たちが肉体を持って地上にいるとき、彼らの働きの中心は何かといえば、自分と必ずしも関係のない人びとを愛していくことです。すなわち、仏の心を自らの心として、世の人びとを悟らせ、救済していくことが、菩薩たちの地上での人生であり、また、あの世に還ってからの仕事でもあるのです。

他力門では「救い」ということを非常に重視しています。人を救う、あるいは救われるということを重視しています。

では、救いの本質とは何かについて考えていきましょう。

私は先ほど、「霊的な目で地上を見渡してみると、蜃気楼がユラユラと立っているような、熱気にあふれた熱い砂漠の中で、疲れはてた旅人たちが、あそこにもここにも、うごめいていて、水を求め、オアシスを求め、さまよっている姿が見える」と述べました。

三次元の人間たちがそうした人びとであるならば、彼らにとっての救いとは何でしょうか。結局のところ、「救いの本質とは、彼らの喉の渇きを潤すものではないのか。それが救いの本質ではないのか」―こうしたところに考えが落ち着いていくのです。

そうすると、彼らの渇きを潤すための水とは何でしょう。

いまから二千年前の昔、イエス・キリストは、喉が渇いたとき、羊番の娘のところへ行って、一杯の水を乞いました。そして、水をもらいのどを潤したあと、彼は次のように説きました。

「あなたがたは水で喉を潤すことができるけれども、水で潤した喉はまた渇くであろう。しかしながら、私の与えた『生命(いのち)の言葉』によって渇きをいやされた者は、決して渇くことがない」

まさしく、そのとおりです。そして、そこに救いの本質があるのです。

キリストの言った「生命の言葉」とは、結局人間の魂を永遠の生命に導く、真実の教えのことです。すなわち、仏法真理です。仏法真理のために生きる人間は永遠の生命を持っているのであり、そのため、迷うことなく、疲れることなく、渇くことがないのです。

「このように生きなさい」という仏法真理の言葉を与えられて、立ち上がった旅人は数知れません。すなわち、ほんとうの愛とは何か、ほんとうの救いとは何かといえば、その本質にあるものは、人びとを目覚めさせるための仏法真理の言葉であり、人びとを悟らしめるための一喝なのです。

結局、菩薩たちの活動の本質は、仏法真理を宣べ伝えて人の心を渇きから守る、救うということにあるのです。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第4章「七次元の世界」より抜粋】
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『太陽の法』においては、ラムディア文明の末期とムー文明のはじまり時代が今から、二万八千年前ということで、日本に天御祖神が降臨された三万年前に近い時代となりますので、個人的に注目している文明です。ムー文明は、その後の日本文明にも大きな影響を与えていますので、しっかり学んでおきたいところです。ムー文明についてまとめるとこのようになります。

〇ラムディア文明の最期は、とてもあっけない結末。芸術をきわめた彼らは、午後の2時間音楽を楽しむ時間に、大きな地震が起こり、大陸はまず、東端から沈む。地震発生から2時間以内の午後4時ごろには、ラムディア大陸は半分になる。そして、地震発生から18時間ほど経過した翌朝七時には、大陸が海にすべて沈む。ラムディア大陸に住んでいた250万人は、善人も、悪人も、まったく関係なく、ひとり残らず海中に消える。ラムディアは、植民地モア大陸を持っていたので滅亡は免れる。のちの名をムー大陸。

〇ムーは、太平洋上に浮かぶ大陸でした。ムー大陸の出現自体はラムディア大陸よりも古く、いまから37万年前。それ以後、ラムディアの末期ごろには、現在のインドネシアあたりを中心にして、オーストラリアの二倍ぐらいの面積を持つ大陸となる。

〇ムー大陸にも、何十万年前から人は住んでおりましたが、文明の程度はやや低かった。大陸の北部は、漁業中心、大陸の南部は、狩猟中心、そして、中西部は、農牧を中心とした生活。

〇ラムディアに高度な文明が栄えたため、ムー大陸は、ラムディア民族の侵略を受れる。ラムディアの人々は、大きな帆船の大軍団を組み、いまから2万8千年ぐらい前から、ムー大陸の諸都市を植民地化。ムー大陸の一部を奴隷として、ラムディアに連れてきて、単純生産の作業をさせて、自分たちは学芸に酔いしれていた。その不調和の大きな黒い想念の雲が、ラムディア文明の末期をおおい、やがてはそれに対する巨大な反作用から、大陸が陥没。

〇約2万年前、このムーの地に、ゾロアスターの前身・エスカレントが下生。この大聖エスカレントは、太陽の科学的なエネルギーを重視した。太陽の光のパワーに、二種類の意味づけて、第一は、神の栄光をあらわすものとして、光を「聖なるもの」。そして、第二は、光を「有用なるもの」と位置づけた。

〇第一点に関しては、光を聖なるものとしたわけですから、太陽であれ、月であれ、室内灯であれ、人々は、光源を見ると必ず、両手を前にあわせて、片ひざをつき、おじぎをする。そういうしきたりがありました。この当時の礼儀が、のちの東洋文化の源流となって、人々は、必ずおじぎをするようになったのです。【※これに関しては、3万年に日本に天御祖神が降臨しており、お辞儀の習慣もこの時に教えたものとなっています。天御祖神がもたらした日本文明の影響が、ラムディアに渡り、ムーに流れています。『天御祖神の降臨』参照】

〇第二の光を有用なものとしたことに関して、エスカレントは、天上界から、クート・フーミー(アルキメデス・ニュートンとして転生)たちによる指導、また、エンリルの科学的思考の指導を受けて、光パワーの増幅ということに注力。この時代の人々は、太陽の光エネルギーの巨大増幅装置を使って、発電所がわりとし、室内の光としたり、船の原動力、あるいは、ものを加工したりするときのエネルギーとした。このころにはじめて、人類は科学的時代の幕開けの準備ができつつあった。

〇都市の中心には、一辺が長さ三十メートルの正三角形でできた銀色に輝くピラミッドがあり、ここで吸収、増幅された太陽エネルギーが、各町の中心にある一辺長さ十メートルのピラミッドに放射され、そこからさらに、各家庭の屋上にある一辺の長さ一メートルの小ピラミッドに供給されていた。このピラミッド・パワーは、のちのアトランティスにもひきつがれます。この太陽エネルギーの巨大増幅装置は、現在ピラミッド・パワーなどといわれている仕組みにとてもよく似ています。

経典『天御祖神の降臨』では、衝撃の真実が明らかにされています。3万年前に降臨した主エル・カンターレの宇宙神的側面をもつ天御祖神が日本列島に降臨して、造物主として日本文明の基礎を創造し、日本文明の流れが、一度、ラムディア文明とムー文明大きな影響を与えていたことが分かっています。これまで、日本文明は、ムー文明の直系を引くものとして認識していましたが、かつて日本で創造された文明がラムディア→ムー→日本へと還流するかたちで循環していたことが分かっています。正しい地球の歴史認識としてしっかりと認識しておきたい重要な点です。

また、後半の『永遠の法』では、親子や男女の愛を越えた菩薩の愛について学びました。
そして、救いの本質として人の心の渇きをいやすのは仏法真理の言葉であることを学び島た。イエス様の言葉はとても印象的でした。

『「あなたがたは水で喉を潤すことができるけれども、水で潤した喉はまた渇くであろう。しかしながら、私の与えた『生命(いのち)の言葉』によって渇きをいやされた者は、決して渇くことがない」

まさしく、そのとおりです。そして、そこに救いの本質があるのです。

キリストの言った「生命の言葉」とは、結局人間の魂を永遠の生命に導く、真実の教えのことです。すなわち、仏法真理です。仏法真理のために生きる人間は永遠の生命を持っているのであり、そのため、迷うことなく、疲れることなく、渇くことがないのです』

日々の心の探求としての、教学は、自らの心の渇きをいやすと同時に、私たちの隣人を救い助ける知恵と勇気の言葉として、他人の心の渇きをいやしていきます。それゆえに、仏法真理を伝える伝道こそが最大の与える愛であることも理解できました。

主の御教えをしっかりと学び、本日も、主のため、世のため、人のため、隣人を救うために、たとえ小さくとも与える愛の実践を成し遂げてまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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