32 客が来なければ、常に原因を考えよ。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。
基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】
本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】
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第3章 愛の大河
2 愛の存在
人々は、愛について考える機会がたくさんあります。しかし、愛そのものを見たという人は、ひとりもおりません。愛とは、それを手に取ってみることができないし、これが愛ですと取り出して、人に見せることもできないものだからです。
しかし、考えてもごらんなさい。人間は、どれだけ、目に見えず、手に触れることもできない存在を信じているかを。たとえば、風。あなたがたは、風そのものの存在を見て、確かめることができません。とはいえ、木の葉が舞いあがり、木々がざわめくとき、あなたがたは、風の存在を信じます。あなたがたの肌に触れるので、そのやさしさを、その冷たさを、その力強さを、知っています。これが「風」だと表現することはできます。ただし、その風を捉えて、箱のなかに入れて、、そこから取り出して人に見せるわけにはいきません。
愛とは、すなわち、風のようなものです。だれもがその存在を信じ、それが存在するという感覚を共有しながらも、それを客観的に証明して見せるわけにはいかないのです。あなたがたは、愛の存在を証明することはできません。しかし、愛の臨在を感じることはできるのです。これが愛だと取り出して見せることはできなくても、そこに愛があるということを感じ取ることはできるのです。
愛とは、なんと神によく似た存在でしょうか。神について、いままで、多くの人が語り、多くの人が信じてきたにもかかわらず、これが神ですという具合に、それを取り出して見せることは、だれにもできませんでした。かつて、たくさんの偉人たちが神について、宗教、哲学、詩、文学においてあれだけ語りながらも、だれひとりとして、神の存在証明を提示することはできませんでした。
あのイエス・キリストでさえ、人々に、神の姿を見せることができなかった。天なる父を、あの方をごらんなさいと、人々に示すことはできなかたのです。
「私の言葉を聞く者は、私の天なる父の言葉を聞く者である。父が、われに来て、いま、語っておられるからである。私の業(わざ)を見る者は、私の天なる父の御業を見るに同じである。父が、私にこの業をなさしめているからである」
と、イエスは、いつも語っていました。つまり、イエスは、自分が語り、自分が行ったことを通して、神を感じとりなさいと、つねに、教えておられたのです。ですから、人々は、彼の権威ある言葉を聞き、そこに神を感じ、彼に帰依したのです。
人間にとって、いちばん重要なものは、かえって存在証明になじまないものが数多くあるのです。いつの時代においても、そうです。いつの時代でも、一番大切なものは、その存在を証明できないことの方が多いのです。
神―愛―勇気―叡智―善―優しさ―美―調和―進歩―慈悲―真理―真心―無私。
これらはすべて、宇宙に満ち満ちている実在であり、光の世界においては、これらの言葉を知らない方はひとりもおりません。しかし、この地上では、だれひとりとして、そうしたものが、確かなる存在だと証明することができないのです。なぜならば、これらの大切なものは、すべて四次元以降の実在界にある存在だからです。すなわち、三次元的材料をもってしては、証明することができないのです。
現在、私が認識している根本仏(根源神)とは、二十次元以降の超高次元の存在を意味します。ですから、その存在を三次元の基準で証明することは、不可能なのです。だからこそ、「信仰」というものがあるのです。「信仰」という言葉は、「信じて仰ぎ見る」という意味です。信じるとは、感じ取り、受け入れるということです。そして、仰ぎ見るとは、おおいなるものに敬意をはらい、自らをむなしくするということです。
イエスはいいました。「神は愛なり」と。愛とは確かに神の所属のひとつでありますが、イエスはこのときに、それ以上のことを語っていたのだといえます。
「神は、その存在を証明しうるべきものではない。あえて、神に似ているものをあげよというならば、それは、愛である。愛は、その存在を何びとも証明しえないにもかかわらず、人々は愛のすばらしさを知っているではないか。愛のよさを知っているではないか。そして、愛を手に入れんと努力し、その愛の力を信じているではないか。
信仰とは、そうしたものである。愛の存在を信じる者は、神の存在を信じよ。愛の力を信ずる者は、神の力を信ぜよ。なぜならば、神は、愛だからである。見よ、神の子であるわれイエス・キリストは、愛の業をなすなり。これ、われがなすにあらず、我が天なる父、わが神、われに来りて、われにこの業をなさしめるなり、愛を見んとせば、なず、わがなす業を見よ。そこに愛があり、そこに神がある」
右にあげた言葉は、いまから二千年近いむかしに、イエス・キリストが、ナザレの地で語っていた愛の話の復元です。当時は、私が天上界からイエスを指導していたからこそ、私は彼の言葉を知っているのです。
【大川隆法『太陽の法』第三章「愛の大河」幸福の科学出版 より抜粋】
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続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
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第5章 五次元の世界
3魂の喜び
四次元幽界では、「魂の喜び」というものを充分に味わうことは、まだできませんでした。幽界の人びとは、「魂の驚き」―魂であることの驚きや新鮮さというものを体験しています。「霊になると、いろいろと不思議な体験ができるのだな」ということを感じているのです。しかし、五次元善人界では、人びとは魂の喜びを感じていくことができるのです。
これは、四次元幽界では地上生活との区別がまだ十分にはついていないということです。幽界に住んでいる人は、幽体といって、一種の肉体、衣服のようなものをまとっています。しかし、五次元善人界に来るときに、これはを脱ぎ捨ててきているので、五次元ではさらに魂が精妙になってくるのです。
すなわち、五次元においては、魂というものが前面に出てくるのです。魂とは、人間としての意識を持った霊のことです。この魂が喜びを感じ始めるわけです。
それはいかなる喜びでしょうか。いかなる喜びを魂は感じるのでしょうか。魂が喜びを感じるときは、大きく二つあります。
魂が喜びを感じる第一のときは、自分が向上したと感じるときです。自分の向上が感じられたとき、たましいは喜びを感じるのです。
どのようなときに魂は自分の向上を感じるのかといえば、自分が善なる存在であることを確認できたときです。それを確認できるのは、自分が他人の役に立っていると感じたときです。そのときに魂は喜びを感じるのです。
これは地上にいる人間でも同じです。「あなたがいてくれて、よかった」「あなたのおかげで、うまくいった」―こうした言葉をもらうと、非常に喜びを感じます。なぜならば、自分が他の人びとの役に立っているのを知ることは、自分が拡大した時の喜び、自分が向上した時の喜びとなるからです。
単に自分だけの人生を生きているのではなく、「自分という存在があることによって、他の人びとが喜んでいる」と感じると、それは「自分一人の人生」以上の人生を自分が生きていることになります。つまり、自分ひとりの人生の場合の何倍もの生き方をしていることが自己の拡大であり、自己の向上でもあるのです。
このように、魂が喜びを感じる第一のときは、他人に喜ばれ、善きものとしての自分を確認したときです。
それでは、魂が喜びを感じる第二のときとは、いかなるときでしょうか。それは、新たな知識を獲得した時です。他人が喜んだとき、他人の役に立ったときが第一の場合であれば、第二の場合は、新たな知識を獲得したときということになります。
しかも、この新たな知識とは、地上で言うような試験勉強のための知識ではなく、仏が創った世界についての何らかの発見のことです。こうした新たな発見をしたときに、魂は喜びを感じるのです。
魂には、さまざまな性質、さまざまな能力、さまざまな力があります。しかし、五次元善人界の人は、魂の力のすべてについてはまだ知っていません。
五次元には、食事をしているような人もまだいることはいます。食べなくても生きていけることを彼らは十分にしているのですが、食事をすることに生きがいを感じる人もいれば、食べ物をつくることに生きがいを感じる人もいるのです。生前に農業を営んでいて、作物を育てることに生きがいを感じている人は、あの世でも、畑で野良仕事をしたり、田植えをしたりしています。
五次元世界では、こうした人たちが生活をしています。
しかし、彼らは、そうした仕事をしているうちに、「これはほんとうのあり方ではないのだ」と思うようになります。「こうした作物をつくらなくとも、人間は霊的な喜びを感じながら生きていけるのだ」ということが、しだいに分かってくるのです。
たとえば、サツマイモと見えしものが、三次元的な物質のサツマイモではなく、自分の心のなかにできた霊的なサツマイモであること、そして、自分の心が富んでいればいるほど、自分の心が豊かであればあるほど、美しいサツマイモが取れることを知ります。
地上の世界では、水や肥料のやり方について、科学的な方法がいろいろとあるでしょうが、あの世では必ずしもそうではなく、丹精をこめてつくれば、心を込めてつくれば、目に鮮やかなサツマイモが取れるのです。
霊的世界のこうした仕組みを彼らは知ります。「思ったことが実現していく世界である」ということの本質を、しだいに知っていきます。この「知る」ということが、彼らにとって第二の喜びとなるのです。
【大川隆法『永遠の法』第2章「五次元の世界」より抜粋】
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現代科学がいくら発達しても、霊界や天国地獄の存在がないということを証明できたことはありません。一方、世界の歴史上、神仏や存在し、あの世や天国・地獄が存在することを語り伝え要した人々が、時代を超えて数限りなくいます。
経典『地獄の法』はあの世を信じない人に対して、生きているうちに死後苦しまないようにするために説かれた救世の法です。地獄をこえて、天国にいたる門をあける鍵は信仰心であり、世のため、人のために、聖なるものを守るために捧げる利他の念いです。それを伝える教えが『地獄の法』です。これは形を変えた『メシアの法』の続編であると私は考えています。
本日の教えで特に重要なのは以下の言葉ではないかと思います。
『人間にとって、いちばん重要なものは、かえって存在証明になじまないものが数多くあるのです。いつの時代においても、そうです。いつの時代でも、一番大切なものは、その存在を証明できないことの方が多いのです。
神―愛―勇気―叡智―善―優しさ―美―調和―進歩―慈悲―真理―真心―無私。
これらはすべて、宇宙に満ち満ちている実在であり、光の世界においては、これらの言葉を知らない方はひとりもおりません。しかし、この地上では、だれひとりとして、そうしたものが、多しかなる存在だと証明することができないのです。なぜならば、これらの大切なものは、すべて四次元以降の実在界にある存在だからです。すなわち、三次元的材料をもってしては、証明することができないのです。
現在、私が認識している根本仏(根源神)とは、二十次元以降の超高次元の存在を意味します。ですから、その存在を三次元の基準で証明することは、不可能なのです。だからこそ、「信仰」というものがあるのです。「信仰」という言葉は、「信じて仰ぎ見る」という意味です。信じるとは、感じ取り、受け入れるということです。そして、仰ぎ見るとは、おおいなるものに敬意をはらい、自らをむなしくするということです』
「信仰」こそが、この世とあの世の壁を打ち破り天国にいたる道であり、「神様・仏様を信じる」これが天国への道なのですね。これはこの世とあの世を貫く秘密の力の部分です。
この世にある目に見えるものや、聞こえるもの、嗅ぐもの、味わうもの、触れられるもの
、五官で感じるものによって、形あるものによって、形なき仏や神や、天国や、あの世を賞めすることはできないということは重要な真実です。だからこそ、信じることがこの世においてあの世において尊いことであることが分かります。私たちは信仰を通して出なければ、神仏を本当に知ることができないのです。共に本物のエルカンターレ信仰を日々に主への感謝と共に高め、深め、広めてまいりましょう。
また、後半の『永遠の法』では、四次元幽界での魂の驚き―自分の本質が霊であるという驚きをこえて、五次元善人界では、魂の喜びを感じることができる霊的世界であることを学びました。その魂の喜びとは、「他人に喜ばれ、善きものとしての自分を確認したとき」と
「新たな知識を獲得した時」でした。
その新たな知識とは、地上的な知識ではなく、霊的な知識です。つまり「思ったことが実現していく世界である」ということの本質を知るということです。これは霊的人生観の基礎になる部分です。
私たちも地上にいながら、思いが、念いのレベルになると心のなかの現実がやがて物質化することを悟ることができたならば、五次元善人界の悟りに近い心境にあるのではないかと思います。
利他の喜びに気がつくこと、思いの創造性という心の力に気がつくことが五次元世界における魂の喜びであるということを学びました。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史
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