27 駒を取ったり、取られたり。それが将棋道。ほめられたり、叱られたり。それが商人道。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。
基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】
本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】
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第2章 仏法真理は語る
7 心と魂の関係
この項では、心と魂という問題に入ってゆきたいと思います。
私はすでに、意識という言葉、霊という言葉、さらに、魂という言葉を使ってきました。これらの言葉の使い方は、必ずしも厳密なものではありませんが、意識→霊→魂となるにつれて、だんだんに人間的属性が強くなってくると考えていただいてけっこうです。
それでは、魂と心とは同じなのか、ちがうのか。そのことについて、説明していきましょう。
結論からいえば、心とは、魂のなかの中核部分だといえます。人間の身体の中心に心臓があるように、魂という人体に相当する霊のなかには、こころという中心部分があるのです。心は、頭のなかにあるのでもなければ、大脳のヒダや脳細胞のなかにあるわけでもありません。
その証拠に、人間が死んで、あの世に還っても生きていたときの記憶は、少しも失われません。肉体が消滅したら、大脳の組織も当然この地上から姿を消し、焼かれて、大気中の二酸化炭素か何かになってしまうはずです。しかし、大脳が失われても、魂は考えることができるし、感じることも、記憶することもできるのです。つまり、脳というところは、さまざまの情報をファイルしてる整理棚であり、情報コントロール室だということができます。ですから、情報コントロール室である脳が損傷を受けると、人間は合理的な判断、行動ができなくなります。なぜならば、肉体組織の指揮命令系統が混乱におちいるからです。
たとえば、脳の外傷によって精神病になった方がいるとしましょう。その方の身内は、もう本人には何をいってもわからないと考えているかもしれません。しかし、実は、ちがうのです。精神を病んだとはいえ、その方には、家人がいっていることが分かるのです。つまり、心によって、魂の中心部分を通して、すべて理解しているのです。ただ、理解しているということを表現できなくて、暴れているにすぎません。ですから、生きていたときに、身体的な不全によって精神病者となっていても、死んであの世に還れば、健全な人間同様の思考活動をしております。
心が脳にないにしても、では、心は心臓にあるのでしょうか。魂が心を認識するとき、心臓は、確かに位置的感覚としては心に近い部位にあります。しかし本来、心臓とは、体内の血液の循環をつかさどる器官であり、心そのものではありません。たた、昔からよくいわれているように、心が動揺すると心が早鐘のように打ちはじめたり、悲嘆にくれると心臓が圧迫され、胸が苦しくなったり、あるいは、あまりの恐怖に心臓が凍りつくようになったりすることがあります。また、うれしいときに体が熱くなったり、悲しいときに、涙がこみ上げてくるのも、心臓のあたりです。
こうしてみると、心臓は、心そのものではありませんが、心と密接な関係にある、霊的に影響を受けやすい身体の器官だということができます。ですから、もし、魂を人体様の形状をとっているものだと想像するならば、心の部位は、やはり胸のあたりに中心があり、ここで主として、意志、感情、本能の各領域をつかさどっています。そして、心の出先機関である脳の部位にある魂のもうひとつの中枢を通して主として知性・理性が、魂全体に指揮命令をくだしているのです。さらに悟性が、下腹部、心臓、脳を貫いて、霊天上界の魂の兄弟と直結しています。
霊とは、もともとは、形なきエネルギー体なのですが、人体に宿ることによって、魂という人体状の想念帯をつくり、その中心に「心」をすえて、人生修行を行っているのです。
地上で生活しているみなさんは、霊とか、魂とかいうと、頭から否定してかかることが多いようですが、「心」の存在は、なかなか否定できないはずです。心は、大脳の皮質のかなにあるのだと唯物的に考えている人でも、たとえば、悲しいとき、「今自分は悲しむべき状況におかれているから、涙を流すべきである」と思ってから涙を流すわけではないはずです。
悲しいときには、ほんの一瞬のうちに胸から悲しみがこみあげてきて、ワッと涙が出るのが普通でしょう。また、思いがけずなつかしい人にあったら、胸から熱いものが込み上げてきて、思わず抱きついてしまうのではないでしょうか。
つまり、それは、大脳皮質の作用ではなくて、霊的直観に基づく心の作用なのです。ですから、唯脳論なども、姿を変えた唯物論にほかならず、明確に否定すべきものなのです。
この心の神秘について、私は今後、数多く語り続けていくつもりです。
【大川隆法『太陽の法』第二章「仏法真理は語る」より抜粋】
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続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
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第1章 四次元の世界
8永遠の生命
地獄で苦しんでいる霊がいつも決まって言う台詞(せりふ)があります。それは「こんな姿になるくらいなら、ひと思いに殺してくれ」という言葉です。
彼らはときに、仏や神に対して、罵詈讒謗(ばりざんぼう)、悪口の限りを尽くすことがあります。「蛇として生きていくくらいなら、ひと思いに殺してくれればよかった」という人がいますし、「こんな色情地獄で、血の海の中で泳いでいるくらいなら、ひと思いに殺してくれたほうが、まだましだった」という人もいます。
また、無間地獄に堕ち、真っ暗な闇のなか、あるいは砂漠や
無間地獄に堕ち、真っ暗な闇のなか、あるいは砂漠や洞窟のなかに閉じ込められてしまった人は「こんな人生が自分を待っていたのなら、ひと思いに生命をうばってくれればよかったのに・・・」と言っています。
生前は大宗教家と言われて、世間からさまざまな称讃を受けた人が、無間地獄に堕ち、深い深い闇のなかで、深い深い沼のなかでただ一人苦しんでいる姿を私は数多く霊視しています。こうした人は、現在では二代目や三代目が継いでいる宗教の初代教祖のなかにも数多くいます。
こうした教祖たちの疑問は、「何十万、何百万の人たちを指導した私が、なぜこのような世界にいるのか」ということです。そして、「このような世界にいるくらいなら、ひと思いに生命を奪ってほしかった」と口々に言います。それは、自分の将来が分からないからです。その漆黒の闇のなかで、どのくらいの間苦しまねばならないのかが、彼らにはわからないのです。
魂氏というものは永遠です。魂には永遠の生命があるのです。永遠の生命があるということは、調和された生活をして生き、心が美しく、死後は天国に還った人たちにとっては、この上ない福音です。なぜなら、すばらしい世界のなかで、生命を全うしていくことができるからです。
しかし、地獄に堕ちた人たちにとっては、永遠の生命があるということ自体が、一つの罰、懲罰なのです。生命がひと思いになくなってしまえば、地獄で苦しむことはないのですが、生命はなくなりません。このこと自体が彼らを罰しているのです。
人間は、こうした真実の世界の姿を知ったならば、「地上に生きているときに、悪いことを思うことも、悪いことをすることも、本当に割が遭わない」ということが分かるはずです。
「永遠の生命などなく、この世かぎりの人生だ」と思っているからこそ、やりたい放題のことをし、人を傷つけ蹴落としてでも偉くなろうとしているのです。ところが、その結果、地獄に堕ち、永遠の生命どころか、永遠の苦しみのなかで、のたうちまわることになるということを知れば、どれだけ割が遭わないかを知るに至るわけです。
また、生前、ささやかな善意のなかに生きていたことが、あの世での至福の生活、これ以上ない素晴らしい生活へと展開していくならば、「なぜ、地上にいたときに、よいことをもっとしておかなかったのか」と誰もが思うはずです。
この世で一個よいことをすると、あの世で十個よいことをしたくらいの価値があります。この世は非常に難しい世界であり、魂は「目隠し」をされた状態で修行しているのですから、そうした手探り状態のなかで天国的なる生活を展開することには、あの世での修行の五倍十倍の値打ちがあるのです。
数十年間、この世で天国的生活を送った人には、その行いがあの世では十倍にもなって返ってくるのです。この世はそうした価値ある世界でもあります。
しかし、この世で、「このくらいのことはいいだろい」と思って犯してきた悪の数々も、あの世では五倍十倍となって返ってきます。こうした厳しい事態が待っているのです。
したがって、「よいことをすればねほめられるのだから、よいことをせよ」「わるいことはいけないから、してはならない」というのではなく、ほんとうの意味で自分を大切にする人間ならば、悪いことはできなくて、よいことしかできなくなってくるはずです。ほんとうの人生観、ほんとうの世界観を知ったときには、そうせざるをえなくなってくるのです。割の合わないことは誰もしないのです。
ましてや、地獄に行くような人というのは、割の合わないことは非常に嫌いなはずです。かれらは「自分のやっていることが割に合わない」ということを知らないのです。したがって、そのことを彼らに一日も早く気づかせてあげる必要があるわけです。
【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第一章「四次元の世界」より抜粋】
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幸福の科学の本のなかで、意識や霊や魂という言葉がよく使われますが、これらは別々のものではなく、意識→霊→魂となるにつれて、だんだんに人間的属性が強くなっってくると教えていただきました。今後経典を読むときに混乱しないためにも覚えておきたい点です。
魂は、人体と同じ大きさで、目に見えない形で存在しています。心は魂の中核部分です。
本日の学びで特に重要なのは、
『霊とは、もともとは、形なきエネルギー体なのですが、人体に宿ることによって、魂という人体状の想念帯をつくり、その中心に「心」をすえて、人生修行を行っているのです』
と教えていただきました。人間は霊です。霊とは思考するエネルギー体です。外殻である肉体に魂が想念帯をつくり、その中心に心を置いて、私たちは日々、地上での魂修行にはげんでいます。
また、『永遠の法』では、永遠の生命について重要な学びに触れました。
印象的であったのが、邪教団の教祖が死後深い地獄で苦しんでいるという事実と、以下の教えが印象的でした。
『この世で一個よいことをすると、あの世で十個よいことをしたくらいの価値があります。この世は非常に難しい世界であり、魂は「目隠し」をされた状態で修行しているのですから、そうした手探り状態のなかで天国的なる生活を展開することには、あの世での修行の五倍十倍の値打ちがあるのです。
数十年間、この世で天国的生活を送った人には、その行いがあの世では十倍にもなって返ってくるのです。この世はそうした価値ある世界でもあります。
しかし、この世で、「このくらいのことはいいだろい」と思って犯してきた悪の数々も、あの世では五倍十倍となって返ってきます。こうした厳しい事態が待っているのです』
この教えは、経典『地獄の法』においても、第二章「地獄の法」の112ページに「地上での修行の効果は霊界の十倍に値する」と説かれているように、永遠の法と地獄の法とその見解に一切ブレがないことがよくわかります。大切な論点ですのでしっかり学びを深めてまいりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史
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