(9/9-2)252幸福の科学入門32「愛と天使の働き」地獄霊の憑依(ひょうい)の原理―「悟りの挑戦(上巻)」八正道によって苦を滅する―『黄金の法』美しき女神の登場

『仏陀再誕』を読む

27 酒の席やオフの時間帯だからといって、他人は、あなたの言った悪口、悪態、自慢話を決して忘れないものと思え。

28 お店の部屋や、車の中での、上席と末席を心得ておけ。

【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

10/6は幸福の科学の「立宗記念日」です。立宗39周年にあたり、立宗記念式典では、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、「時代の北極星たらん」(楽曲「遥かなる異邦人」)という志を胸に、すべてを捨てて、空手にして立たれ、自分自身の考えと行動以外に何も頼りになるものがない中で、自らの心一つを「てこ」にして垂直の壁を登るようなご精進をなされ、幸福の科学を創り、導いてくださっている奇跡に、心からの感謝を捧げさせていただきます。

10/6(月)~8(水)まで、「立宗記念式典」を開催させていただきます。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちの方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『悟りの挑戦(上巻)』第1章「仏教的精神とは何か」
7 八正道によって苦を滅する

次に「滅」です。その苦しみを滅したらどうなるかを考える、あるいは苦しみを滅しよう、消そうと思う、この思いです。

たとえば、病気が治ったらどうなるかというようなことを考えるわけです。健康になったらどうなるか、経済状態がよくなったらどうなるか、出世したらどうなるか、いろいろありましょう。

あるいは、家族と仲よくなったらどうなるか。「今は妻と喧嘩状態、交戦状態だけれども、これが円満になった場合にはいったいどうなるか」「どうしたら円満になれるのだろうか。そして円満になったらどうなるのだろうか」、そのように家族が円満になったときの状態を想像してみるのです。そして、「ああ、やはり、夫婦が調和して仲が良かったときはよかったな。子供もよろこんでいたし、自分ちも毎日が楽しかったな。やはりあの状態に戻さなければいけないな」と考えます。これは「滅」です。滅を願うことです。

では、「滅」の状態に入るためには、要するにその病気を治してしまうためにはどうするか、その方法があるだろう―これが「道」です。これは道しるべ、進むべき方法です。この「道」というのが有名な「八正道」です。

釈迦の八正道は当会でも説いています。

まず「正見」です。正しく見る、正しい見解を持つことです。間違った見方ではなく、正しいものの見方をすることです。正しいものの見方というのは、単に目で見るだけではなくて、宗教的な目、真理の目、神仏の目、正しい信仰の目でもって、他人や自分の世界を見ていくことです。そういう正見が必要です。

次は「正語」です。これは一般的な八正道の順番とは異なりますが、現代人向けに、言葉の方を先に持ってきているのです。あなたは正しく語ったかということです。言葉による不幸というのは絶えません。会社でもあります。家庭のなかでもあります。家庭の崩壊などは、ほとんど言葉によるものです。言葉ひとつです。旦那さんが家庭をバットで殴って家庭が崩壊した、あるいは奥さんがフライパンを投げて汚したために離婚になったというようなことは、めったにないのです。実際はそうではなくて、たいていの場合、毎日毎日の夫婦の会話において、相手を傷つけるような言葉の応酬をしているために、家庭は崩壊するのです。会社などの仕事環境でも、たいてい言葉のせいで人間関係がおかしくなるのです。人を傷つけたり、悪・
・を言ったり言われたりするようなことで、おかしくなります。ですから、言葉というのは、現代では非常に大事なのです。

次は「正業(しょうぎょう)」、正しい業(わざ)です。昔は正業(しょうごう)といって、「人を殺してはいけない」「姦淫してはいけない」「盗んではいけない」といった行為のことを言ったのですが、これは現代では刑法や民法の分野ですから、いま私は、正業として「正しい仕事」ということを言っています。仕事がきっちりできることです。勤め先で仕事がきっちりできること、また主婦であれば家庭のなかでのやりくりがきっちりできること、それがやはり人間として正しい人生を生きるための中心です。

それから「正命」、正しい生活です。これは、宗教心あふれた生活です。毎日、毎日、感謝の日々を送る。毎日毎日、『正心法語』を読んで、心を調和し、正しい生活をする。規則正しく、自らに戒めを課しながら、常に向上をめざした立派な生活をすることが、この正命、正しい生活ということになるでしょう。

正見、正語、正業、正命、このへんまでは、みなさんも簡単にできる反省です。

そのあとに「正思」というものがあります。正思、正しい思いというのは、心のなかのあり方を考えていくことです。これは、真理、宗教的真理を学ばないと、やはりなかなか分からないのです。昔の道徳かなにかぐらいに思って、ばかにする人がたくさんいるのですが、宗教の世界を知って初めて、心のなかが問題だということがわかるのです。普通の人は分からないのです。外に表わして、行為として出て、初めて分かります。悪口を言って初めて、心のなかが問題だということがわかるのです。普通の人は分からないのです。外に表わして、行為として出て、初めてわかります。悪口を言って初めて、「それはいけないのではないか」などというようにわかるのです。たとえば、人を殴って、「その暴力はいけないよ」と言われるの・
・そうです。宗教人たるものは、「外に出る前の心のなかだって大事ですよ」ということです。これが正思です。

正思のなかにも、いろいろなことがありますが、根本的には「貪・瞋・癡」という「心の三毒」―貪(むさぼ)りの欲、怒りの思い、そして無明、愚かさ、中心はこういうものを去ることにあります。こういう正思があります。

それから「正進」です。「正精進」ともいいます。これは、毎日修行をしていく、毎日毎日、善の種を播き、善の種を育てていこうとすること、要するに、神仏の心に適った種播きをして、それを育てていこうとすることです。

また、逆のこともあります。「悪の種を播くまい。将来カルマになるような、自分に悪い業をつくるようなことはするまい」ということです。そういう悪いことはしてはいけません。あるいは、人に対して悪いことを言ったり、悪い行動をしたり、いろいろな悪い行為が過去にあったならば、それが育ってくる前に摘んでしまいましょう。悪い種が伸びないようにしなければいけません。押しとどめなければなりません。

そして、善の種、よい種を毎日播くことです。例えば、人に対する「愛語」があります。正しい、優しい言葉を言ったり、親切な行動をしたり、真理を教えてあげたり、伝道したり、また、それを育てていくことです。こういうことを中心にしながら、自己の精神的向上をはかることが正進(しょうじん)(正進・しょうしん)です。

そして、「正念」があります。正念というのは正しい念、念いのことです。念いを集中することによって、人生というのは、どんどん展開していくものなのです。念の集中というのは、非常に大事なことです。

また、念の集中というのは、別の言葉で言うと、真理意外に、あるいは仏道以外に、正法の道以外のところに気を散らさないようにすることです。これも正念です。他のことにいろいろと気が散っていたら何もなりませんから、やはり、仏道修行、悟りへの道、地上ユートピア建設への道に心を絞りこむこと、これを常に念じていること、これが正念です。これ以外のことに、気を散らしてしまってはいけない。この世的なことに気が散ってしまってはいけない。常にこれを忘れないようにして覚えておくこと、常に自分を修行のなかにおくこと、他人との調和のなかにおこうと注意していること、これも正念です。

さらには、念の力によって自己実現していく念いも、このなかからは出てきます。正しい理想像を描いて、「その方向に向かって、今日も進んでいくぞ、明日も進んでいくぞ」と思っていること、このように念いの方向性を定めていくこと、これが正念です。

それから、「正定」といって、正しく定に入るということがあります。これは反省行です。反省、瞑想、あるいは、場合によっては祈りもここに入れてもいいかもしれません。祈りには正念に当たるものもあると思いますが、正式な作法のもとにやるのであれば、正定に入れてもいいかもれしません。

この正定のなかでは、精神統一そのものを、行として、修法として、行ってみることです。反省しようと思っても、日常生活のなかに紛れていたら、やはりなかなかできるものではないのです。『正心法語』をきちんと読んで、そして今日一日に自分が思ったことや行なったことを、じっと振り返ってみるのです。「ああ、主人に対して、きついことを言ったな。『あなたのボーナスが少ない』とか、悪いことを言ってしまった。足ることを知らなければいけない」などと振り返りながら、やはりきちんと反省しなければいけません。

それから、悪いことを言った、思ったということだけではなく、逆に、よいこと、積極的なことを何かしたか、今日は神様がほめてくれるような一日だったか、ガラス箱のなかに入っているような隠しようのない自分のあり方を、自分の守護霊が見ていてよろこんでもらえるだろうか、そういうことをふり返って見てみる、それがこの正定です。これにも、みなさんの修行段階に合わせた段階がたくさんあります。

【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第1章「仏教的精神とは何か」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第4章 太陽の昇る国
2美しき女神の登場

紀元前七六五年、現在の大分県のあたりに伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が生まれました。彼は、二十四歳のときに、伊邪那美命(いざなみのみこと)と知り合い、結婚をします。そして、この二人の正常な夫婦の営みの結果生まれたのが、後に天照大神(あまてらすおおみかみ)とよばれる女性です。その二歳下の弟として生まれたのが、須佐之男命(すさのおのみこと)です。天照大神は、母の伊邪那美によく似て、とても穏やかで、おとなしい性格でしたが、それに反して、須佐之男命は、たいへん荒々しい性格を持っていました。【※その後の霊査で、伊邪那岐命は、現代に大川家の次女として転生しており、伊邪那美命は現代にK氏として転生している。須佐之男命は当会幹部に転生しています。『伊邪那岐・伊邪那美の秘密に・
・・る』等参照】

天照大神は、日本神道系では、最高神、あるいは、主宰神のように言われております。というは、天照大神は、女性でありながらも、初めての女帝の地位、すなわち、高千穂の国の女王となったことに起因しているのです。天御中主命から数えて五代目ぐらいの国王にあたります。【※その後の霊査で天照大神は、現代に大川家長女の転生しており、その他の転生に堯(中国)・ヤショーダラー・大日孁貴・推古天皇・光明皇后・ヤン・フス(チェコ)・吉田松陰がいることが明らかにされています】

天照大神が初めて女王となったのは、高天原、すなわち、八次元如来界から天御中主命の神示が下ったからです。「我が国を、美しく、麗しき国となすために、女性に統治させるときがきた。伊邪那岐命という高徳の人がおられるから探し出せ。その娘が、我が国を取り仕切る方である」と命令されました。

このように、神代の時代は、天上界からの神事を受けて、次期政権担当者が選ばれたのです。しかも、国王の地位も終身制ではなく、その人の心に邪心や欲心が出てきた場合には、天上界から神示が下って交代させられました。祭政一致とよく言いますが、当時は、霊能者の数も多く、また、人々から大変な尊敬を受けていたのです。普通は、最高の霊能者が統治者となり、神示を仰ぎつつ、国政を取り仕切っていました。

高級霊からの神示は的確で、だれひとりとして異論をはさめず、そのため、政治に秩序があったと言えます。その時代にくらべると、現代の政治家たちは、知名度によって選出され、数の力で支配しており、やはり無秩序の感を免れません。真理に対して盲目の人々、権勢欲のみに目が眩んでいる人々による衆愚政治の観があります。一日も早く、徳治政治への切り換えが、また、人徳のある人の出現による政治の向上が望まれます。

さて、天照大神は、決して王族ではなく、一豪族、伊邪那岐命の娘だったにすぎませんが、神示によって、女王に迎え入れられます。彼女は、非常に気品のあるおおらかな女性で、物腰もやわらかで、それでいて、人々を畏怖させるような神々しい威厳がありました。在位は二十年ぐらいでしたが、その間に、国威は上がり、朝貢してくる人が跡を絶たなかったようです。

その弟の須佐之男命は、先述したように、姉と対照的で、たいへん荒々しい武人でした。政治的には姉と意見が合わず、彼女をよく困らせたりもしました。天照大神は、徳治主義によって、周りの国々を恭順させることを主眼においていたのですが、須佐之男命は、そんなことでは手ぬるいとばかりに、自ら馬にまたがり、何百人もの武人を引き連れて、九州の各国や中国地方へ攻め上りました。

天照大神たちが活躍した時代は、インドで釈迦が活躍した頃から、ちょうど百年前のことです。神話のベールに包まれているとはいえ、実在界の歴史から言えば、そう古いわけでもないので、かなりことがはっきりと分かります。【※ここで注目したいのが、天照大神の魂の兄弟に、ゴーダマ・シッダールタの妻であるヤショーダラーが存在する点です。天照大神の時代とヤショーダラーの時代がかなり近く、天照大神の転生の経験は仏陀時代のヤショーダラーにかなり影響を与えたのではないかと考えられます】

たとえば、天照大神が即位して三年目、須佐之男命は、約千名の武人を連れて、中国地方は出雲の国へと出征したことがありました。出雲には当時、有力な豪族がいたからです。豪族たちは、須佐之男命の軍勢との闘いを避けようとして、一計を案じます。すなわち、和睦に異論はないが、その代わり、一つの条件があるとしたのです。条件とは、当時、出雲の国の簸川(ひのかわ)の上流に、八岐大蛇(やまたのおろち)という怪物がいたので、これを退治してほしい、そして、これを退治してくれれば、和睦の証拠に、奇稲田姫(くしなだひめ)を差し上げるというものでした。【※古事記の伝承と異なる事実である点注目です】

ここで、八岐大蛇(やまたのおろち)の伝説について、お話ししておきましょう。現代では、ほとんど見られなくなりましたが、当時の日本には、まだ、巨大な爬虫類がいたのです。八岐大蛇という怪物は、伝説上は、頭尾が各々八つに分かれており、まるで山のような大きさで、その鱗(うろこ)には木が生えていたと言われております。そこで、今から二千六百数十年前に時間を合わせて霊視してみましょう。

確かに、簸川(ひのかわ)の上流に大蛇がいて、村人たちが食べられてしまうということで、大変なパニックになっているのが見えます。そして、生けにえの村娘を、毎年、大蛇のいる洞穴まで籠に入れて連れて行っている。洞穴に着くなり、村人たちは、一目散に逃げて行く。その様子は、まるで脱兎のようです。

洞穴のなかには、確かに、全長十三メートルぐらいもある大蛇が、とぐろを巻いています。この大蛇はニシキ蛇とボアを合わせたような蛇ですが、胴回りは、ゆうに一メートルを超えています。頭と尾は八つに分かれていませんが、頭が三つあり、尾も三つあります。一卵性双生児のように、三尾がくっついていまれたのでしょう。しかし、爛々(らんらん)とした目が六つもあるのは不気味です。

その霊体を霊視してみると、どうも蛇の霊ではありません。霊能力を持った仙人たちが、どうやら何体かの邪霊を、この大蛇のなかに封じ込めているようです。そして、腹のなかには、すでに何人もの人々を吞み込んでいるようです。退治に来た武人をも合わせて呑み込んだらしく、剣がきらきら光っているのが霊視できます。

須佐之男命は、霊能者だったようで、洞穴の前に祭壇を設け、まず、天上界の八大竜王に調伏の祈願をしています。そして、その邪霊を八大竜王に金縛りにさせておいてから、大蛇の退治をしたのです。大蛇の体のなかから出てきた剣を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といい、これを須佐之男命は、天照大神に献じました。

この頃、天照大神は、須佐之男命の乱行の鎮まりを祈願して、天之岩戸に隠れていたのですが、このとき、八十日ぶりに岩戸から出て、弟といったんは和解しております。しかし、やがて、須佐之男命は新羅(朝鮮)まで遠征し、これを機に、高千穂国(たかちほのくに)から追放されるのです。

【大川隆法『黄金の法』第4章「太陽の昇る国」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探究」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2011年に発刊されました主の著書である、経典『真実への目覚め』を引用しながら、幸福の科学の教義をお伝えいたします。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
〇他の人への嫉妬心は地獄霊を呼び寄せる

地獄霊という世界は、たいへん厳しく苦しい所です。そして暗いところです。決して、楽しく明るい世界ではないのです。

地獄霊たちは、少しでも、その苦しみから逃れて楽をするために、この地上界に出てきて、自分たちと同じような傾向を持っている人間、同じような憎悪や怒り、嫉妬の心などを持っている人間に取り憑きます。そうしているあいだ、彼らは、人間として生きているような気持を味わうことができるのです。それが目的で彼らは地上に出てきて、地上の人間に憑依し、人々を狂わせていくのです。

みなさんのなかにも、他の人の不幸を見て喜ぶ気持ちが多少はあるでしょう。まったくとは言わせません。他の人々の不幸や失敗を見て、それを喜ぶ気持ち、ほっとする気持ちが必ずあるはずです。それが実は地獄霊との接点なのです。この「他の人々の不幸や失敗を見て喜ぶ気持ち」のところに縄梯子を掛け、地獄から這い上がってくるものがいるのです。

そういうものが取り憑くと、あるときには、さまざまな病気を引き起こし、あるときには、人間関係を不調和にし、あるときには、会社の事業などを破壊的な状態に落とし込み、あるときには、詐欺師のような人間を信じさせて、身の破滅を招かせるようになります。また、家庭のなかに悪霊が入り込むと、家庭内で不和が起きてくるようになるのです。

その出発点は、他の人に対する嫉妬心や、他の人の失敗を見て喜び、少しでも自分の不幸が減ったように感じる心です。こういう情けない心が、実は地獄霊を呼び込んでいるのです。

【大川隆法『真実への目覚め』第二章 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続きまして、英文要点読解3『真実への目覚め』の主に日本語訳部分を抜粋いたします。本日からは、ブラジル海外御巡錫での信者さんとの質疑応答をご紹介します。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
〇Chapter6-Q&A with Master Okawa
―質問⑥―〇死刑制度をどう考えるか―About Capital Punishment

「犯罪犯の半数近くが出所後に再び犯罪を犯している」という統計があります。そして、「人間の生命は永遠である」とも教えていただいていますので、「凶悪犯には、いったんこの世からお引き取りを願い、再び出直してもらってもよいのではないか」という考えもありうるのではないでしょうか。そうすれば、ほかの人の人生計画を中断させることが減り、多数の人の幸福につながると思います。ただ、この考え方には、非常に危険な面もあります。そこで、死刑制度に関して、先生のお考えをお聞きしたいと思います。

答え
・死刑制度に関しては、反対論を説く宗教が比較的多いのではないでしょうか。宗教家の立場からは、そのように言いたくなるのが普通かもしれません。ただ、霊的な視野も含めて総合的に判断すると、やはり、程度の問題があるのです。

・どうしても避けることができないような事情のなかで犯罪を犯してしまったときなど、同情の余地がある状況で犯罪を重ねたような人に、死刑を適用するのは度が過ぎているので、その場合には、死刑を避けるべきかと思います。

・また、イスラム教国では、「イスラム法に反する」ということで、簡単に死刑にしてしまうようなところがありますが、「行ったこと」と「受ける刑」とのバランスが、あまりにも取れていない場合には、度がすぎた死刑制度だと言えます。

・真理を知らないために犯罪を犯す人もかなりいると思います。そういう人たちは、「自分は、悪い環境に育ったために、こういう不幸な目に遭っている。世間が悪い」と思っているでしょう。真理をおしえることによって、そういう人を悟らせることはできるだろうと思うのです。

・本当は、彼らに真理をきちんと教え、「それは悪の行為である。そういうことをすると、地獄で何百年も苦しむことにあるのだ」ということを教えたいのですが、真理が浸透するまでのあいだ、その世において地獄の領域を広げることは、望ましくないと言えます。また、「善良に生きている人たちが、その生活を奪われる」ということも、望ましくありません。

・その国の文化や生活レベル、道徳の問題とも連動してくるとは思いますが、現時点では、「犯罪が多発している国においては、まだ死刑制度を単純に廃止すべきではない。善良な市民を護るために、死刑制度は残しておいたほうがよい」と私は思います。

もちろん、裁判の過程で情状酌量をしても構わないでしょうが、「何人も殺しても絶対に死刑にならない」と思うと、本当に人を殺す者も出てくることは事実なので、その状態では、一般の人たちを護るためにも、まだ死刑を完全にはなくせないのではないかと思っています。

・もう一つ、死刑を霊的な視点でとらえることも必要です。この世で犯罪行為によって人殺しをした場合には、死後、地獄界に行くとになると思いますが、死刑になることによって、いわば借金の一部が払われた状態になることもあります。「犯罪者であっても、この世で罪の代償を支払うことによって、来世での罪が多少なりとも軽くなる」という現実があるのです。

・昔、戦争の時代に、多くの人を殺した英雄であっても、最後には自分自身が殺されていく場合がよくあります。そういう人たちの霊は、「最後に殺されることによって、やはり罪が軽くなるのだ」と言っています。因果応報というか、同じ目に自分が遭うことによって、そのカルマが軽くなる面もあるのです。

・ただ、こういうことは、軍隊で正義の名のもとに戦った兵士たちには適用されません。仏法真理の観点から見ると、責任を取るのは国王や大統領などの政治家です。それは指導者の責任なのです。また、人を殺しても、法律に基づいて適正に行った行為については、基本的に責任はないとことになっています。例えば、警察官が、その職務において犯罪者と打ち合って人を死なせることがあっても、それが理由で、その警察官が地獄に堕ちることはありません。

・総合的に述べると、「凶悪犯罪が少なくなっていない国においては、まだ死刑制度を残しておいた方が犯罪予防のためによいのではないか」という気持ちを私は持っています。ただ、将来的には、真理が浸透していくことによって、それが犯罪の抑止力となり、事前の予防効果が強くなることや、刑務所内でも真理が浸透することによって、再犯率が下がっていくことを望んでいます。

・そういう平和で安全な世界になっていくほうが望ましいのです。なるべく、そういう平和な状態になりたいものです。要するに、自分が人からされたくないことを人に対してしないことです。逆に言えば、自分が人からしてほしいことを人に対してすることです。それが宗教におけるゴールデンルール(黄金律)です。

・すなわち、「自分が人に殺されたくないなら、人を殺すかなれ」「自分が人に盗まれたくなかったら、人の物を盗むなかれ」ということです。これがゴールデンルールであり、基本なのです。そうした基本的なことが、日常生活のなかで、当たり前の道徳として実践されるようにしなければいけません。

・最終的に、私は、この地上に平和的な天国的社会をつくりたいのですが、現実的には、やはり、犯罪を少なくしていく努力をしなくてはいけなのです。そのためには、犯罪者の温床である貧困層を減らしていかなくてはなりません。

・貧困を減らしていくためには、政治・経済的な面での努力が必要でしょうし、それと同時に、宗教的には、やはり、「真理を広げていく」という精神運動を行わなくてはなりません。

【大川隆法 英文要点読解3『真実への目覚め』Chapter6-Q&A with Master Okawa より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
他人への嫉妬心に、地獄霊が呼び寄せられるということでした。似たものは引き寄せられるという波長同通の法則についての学びでございました。

私たちの身の回りには、目に見えるものだけがあるのではなく、目に見えなくても確かに存在するものがあります。それが「霊」の存在です。私たち自身も、肉体や衣服のように目にすることができるものが、私たちの本質ではなく、私たちが今考えていること、そして繰り返し考え続けていることが私たち人間の本質です。私たちは「肉体」を通して考えているのではなく、「霊」を通して何かを思い、考えています。

この目に見えない自分の霊体を通して、考えている内容が、同様に、眼に見えない他の霊存在を引き寄せています。ですから、心で何を思っているか、その内容がとても大切であるといえます。これはとても大切なポイントです。

本日の教えでは、
『地獄霊たちは、少しでも、その苦しみから逃れて楽をするために、この地上界に出てきて、自分たちと同じような傾向を持っている人間、同じような憎悪や怒り、嫉妬の心などを持っている人間に取り憑きます。そうしているあいだ、彼らは、人間として生きているような気持を味わうことができるのです。それが目的で彼らは地上に出てきて、地上の人間に憑依し、人々を狂わせていくのです』

とありますが、悪魔が人間に取り憑く理由を教えていただきました。
本日引用した、質疑応答のお答えでも、最終的には真理を世に広げることが、人間から愛の反対である嫉妬心をなくし、貧困をなくし、犯罪自体をなくすことにつながっていきます。
人々が愛し合い、睦み合い、信じあえる世界を創るために、主の説かれる仏法真理が世界中に広がることが望まれています。

嫉妬は、愛を広げる活動を必ず妨げます。私たちは心の力で、嫉妬する心を諫め、その力のベクトルを祝福に向けることが大切です。隣人を嫉妬して、他人の不幸を祈るのではなく、隣人の幸運を祝福して、他人の幸福を祈る私たちでありたいと考えます。それは、自らを幸福にするためにも必要な心がけです。

主のみ教えを私たちがまず学び、その力で多くの人を救い助けなければなりません。映画事業は救済運動です。私たちの隣人を助けるために、一人でも多くの方に映画を観ていただき、信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■2025年「立宗記念式典」開催概要
○10/6(月)~8(水)まで、「立宗記念式典」を開催させていただきます。
✧日 時  10/6(月)~8(水)
✧場 所  全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)
✧対 象  信者および一般
✧奉 納  式典のみの場合は、感謝奉納。

【趣 旨】
○立宗記念式典では、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、「時代の北極星たらん」(楽曲「遥かなる異邦人」)という志を胸に、すべてを捨てて、空手にして立たれ、自分自身の考えと行動以外に何も頼りになるものがない中で、自らの心一つを「てこ」にして垂直の壁を登るようなご精進をなされ、幸福の科学を創り、導いてくださっている奇跡に、心からの感謝を捧げさせていただきます。

○原曲「ただ一人往く」の「自分一人が自分を鍛え、鍛え、鍛え続ける」「ただ粘り強く不撓不屈の精神で生き抜くしかない」という、立宗から現在に到るまでの主の御姿に学び、私たちもその主の御姿につき従っていく決意を新たにさせて頂きます。

○そして、「夜明けに向かって進むしかない。そうだ、必ず、日は昇る。」(原曲「ただ一人往く」)と詩われているように、主がご復活され、人類の夜明けがやってくる希望の未来を確信し、立宗記念式典版「復活の祈り」を捧げさせて頂きます。また、立宗記念発刊予定の『菩薩に向けての第一歩』の学びを通して、主のご使命をお支えできる菩薩としての使命を果たすために、不撓不屈の精神で、ただひたすら精進を重ねていく決意を固めさせて頂きます。

・式典では、はじめに、楽曲「遥かなる異邦人」を奉納させていただき、時代の北極星たらんとして、「愛」や「正しさ」を人々に伝えんとされる主の御心に思いを馳せさせて頂きます。式典映像の中では、語り下ろし音声「非凡なる愛の高みへ」(経典『若き日のエル・カンターレ』)などの御法話を抜粋拝聴させて頂きます。そして、大川隆法精神(スピリッツ)ソングの原曲「ただ一人往く」を特別に拝聴させて頂き、すべてを捨てて空手にて立たれ、立宗以来、全人類への愛のために断崖絶壁を登るような不撓不屈のご努力を重ねてこられた主の御姿を心に刻み、主への感謝を深めさせていただきます。その後、主の立宗の御心と主のご復活への念いを深める映像を上映し、主のご復活を心から願い、立宗記念式典版「復活の祈り」を
執り行わせていただきます。

・立宗記念式典版「復活の祈り」では、『異次元パワーを得るための祈り―本体霊「アルファ意識」特別霊指導―』を全員で唱和し(本会場参加者限定で経文を配布致します。※衛星会場はモニターに経文を表示させて頂きます)、主が、天においても地においても無敵であられ、「エル・カンターレ信仰」のもと、あらゆる既成の常識が打ち破られることを確信し、祈りの力を強めてまいります。そして、純粋な信仰心を結集し、主のご復活を心から祈念し、『新復活祈願―オフェアリス神特別霊指導―』を唱和します。そして、導師及び持参者一同で半袈裟を着用してケリューケイオンの杖を振り、そののち、修法「エル・カンターレ 
ファイト」を行じます。最後に、主と共にある希望の未来が実現していくことを願い、『未来成功祈願―ヘルメス神特別霊指導―』を全員で唱和します。

【祈願について】
・『幸福な人生のための祈り』(奉納目安:3万円、学生1万円)については、全国・全世界の精舎で、10/1(水)~8(水)の期間、承ります。
・『精進必達祈願』(奉納目安:3万円、学生1万円)については、全国・全世界の支部(HSU・学園含む)の式典第二部で、10/6(月)~8(水)ならびに12(日)限定で、承ります。

■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史 

タイトルとURLをコピーしました