91 【前回88~90までの論点をふまえて】
こうして「妖狐」や「狸」「蛇神」「稲荷大明神」などの霊力が増して来たのではないかと思う。妖怪世界では、思いで姿を変えられるので、そうした練習の成果により、憑依された村人が騙されたり、修行者や旅の僧が変化身を霊視するようになったのではないか。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
13 血の池地獄に往かぬためには、『白骨観』をするとよい。相手が白骨となっても、あなたはその魂を愛せるか。
12 血の池地獄は今も存在する。動物的本能が勝って、自制心や、本物の愛が破れた場合に往くのだ。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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【正念】「待ちの間」の蓄積
〇自己否定的な思いを止め、「明るい心」を持てば道は開ける
したがって、繰り返しで出くる自分の念いのなかに、「自己否定的なものがないか」「自己処罰的なものがないか」「他人を悪人視するような見方がないか」「他人を害したい気持ちがないか」というようなことを、まずチェックしてください。
「明るい心」を持っていなければ、絶対に道は開けないのです。「自分は駄目な人間だ」「自分は本当に頭が悪い」「自分は過去に悪いことばかりしてきた」「自分は本当に失敗ばかりする」「自分は見てくれも悪い。頭も悪い。何もかも悪い。もうどうしようもない」などと思っているのであれば、幸福になどなるはずもありません。やはり、そういう思いを止めて、もっと明るいものを入れていくべきです。
「自分も神様に愛されているんだ。これほど幸福の科学で勉強しているのに、不幸になるはずがない。もうちょっとの辛抱だ。頑張ってみよう」と思うことができれば、必ず、道は開けていくわけです。個々の頑張りどころが大事です。
心のなかに入っているもの、詰まっているものを、「明るい心」に入れ替えていかなければなりません。
また、他人を憎んで幸福になることは、絶対にありません。他人を憎んだり、悔しく思ったり、妬(ねた)んだり、嫉(そね)んだりして、幸福になることは絶対にないので、これは努力して捨てることです。
【大川隆法『真説・八正道』第八章「正念」281pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。
今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、この世へ執着と煩悩を断つ方法として『漏尽通力』を共に学びます。経典をお持ちでない方は、ぜひお求めください。【1700円税抜】
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第七章 信仰と仏国土建設への道
○和合僧破壊の罪
特に、道に入りて修行せし者を迷わせ、無混乱せしめる罪は重い。
これを和合僧破壊の罪という。
仏法真理の下に集い、そして共に精進し、
信仰を共にして生きている人のなかに入って、彼らの信仰を奪い、
彼らに疑念をはさませ、彼らを攪乱(かくらん)する罪を犯したる者は、
これ和合僧破壊の罪となす。
この罪より逃るるは難(かた)し。
この罪、ひじょうに大きな罪にて、
たとい殺人、強盗、暴力を犯すとも、これほどの罪にはならず、
殺人を犯しても、
これは地上の人間の魂を、肉体から遊離させるにすぎず、
暴行もまた、
地上の人間に、肉体の痛みを起こさせる程度にしかすぎない。
しかし、道に精進し、心正しく生きている者を惑わす者は、
これは、他人の心を苦しめ、他人の魂を腐らせ、迷わせる罪となる。
この罪は重い。
人の信仰を奪い、そして迷わせる者は、
永らく地獄のなかにおいて、反省の時を待つこととなるであろう。
そのようなことは、決してしてはならないことであるのだ。
○謙虚に道を求めよ
さて、信仰ということを数多く説いてきた。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
現代においては、
このような信仰を陳腐なものだと思うであろうか。
時代遅れのものだと思うであろうか。
しかし、私はあなたがたに言っておく。
仏法真理において時代はない。
仏法真理は時代を超える。
仏法真理は時代を超えて、燦然(さんぜん)と輝くものである。
仏法真理のなかにおいて、最も大切なるものは、
いつの時代も同じであり、これを踏みにじることはできない。
これを蔑(ないがし)ろにすることはできない。
仏陀の時代において真実であったことは、
イエスの時代においても真実である。
そして、現代においてもまた真実である。
ということを知らなければならない。
仏の思想の根本は変わらないのだ。
したがって、あなたがたは、
まだまだ自らが小さきものであることを知らねばならない。
まだまだ自らが未熟なものであることを知らねばならない。
まだまだ、自らが、
謙虚に道を求めてゆかねばならないということを
知らなくてはならない。
ゆめゆめ慢心するなかれ。
慢心は修行者にとって、いちばん恐ろしい敵だ。
あらゆる修行も、慢心という一つの敵と出会ったときに、
これを打ち砕くことができなければ、
一夜にしてその修行は水泡(すいほう)に帰してしまうのだ。
修行者よ、よって慢心というものをいちばん恐れよ。
慢心というものを、いちばん警戒せよ。
慢心というものを、最大の敵だと思え。
慢心というのは、自分を甘やかす心だ。
自分をかわいがる心だ。
自分の思い通りにしてやりたいと思う心だ。
自分がこうありたいと思う心だ。
自分が都合のいいように、このようにありたいと思うと、
悪魔がそこに来りて、あなたがたに都合のよいことを囁(ささや)いてゆく。
そして、それを信ずるようになると、
次第に真実の法というものから遠ざかるようになってくるのだ。
あなたがたは、慢心してはならない。
あなたがたは、自らに厳しくなくてはならない。
自分に厳しくなくてはならない。
また、常に謙虚でなくてはならない。
驕り高ぶってはならない。
高慢になってはならない。
師への帰依を忘れてはならない。
師への尊崇を忘れてはならない。
そして、謙虚に確実に一歩一歩、歩みを進めてゆかねばならない。
それが、信仰ある修行者の道であるということだ。
【大川隆法『仏陀再誕』第七章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第五章 仏法真理と学習
6 人生の大目標
さて、本章を閉じるにあたって、「人生の大目標」ということに関して述べておきたいと思います。
人間を分けるのに二通りの見方があろうかと思います。それは、「大目標を持っている人」と、「持っていない人」ということです。
小さな目標というのは、どんな人間でも持っています。それは、「明日の暮らしをどうするか」というようなことであったり、「今月のわが家の家計をどうするか」というようなことであったり、「車を買いたい」といようなことであったり、「来月、進学がある」というようなことであったりします。
ただ、こうした小さな目標でとどまっているというのは、その人が平凡であることの証明になることが多いのです。そうした小さな目標を持って生きているうちに、いつの間にか大人物になったという方も世の中にはいますが、たいていの場合、九割以上はそうではないといえると思います。
やはり、大人物の大人物たるゆえんは、大目標を持っていたということなのです。しかし、大人物になる可能性を秘めた大目標を持っている若者であっても、子供たちであっても、いつしか、その大目標を忘れていくということが現実ではなかろうかとおもいます。
では、どうして、そういう現実があるのでしょうか。なぜ、大目標を忘れていくのでしょうか。それは、「志を長く引き止めておくだけの材料がない」ということではないでしょうか。「そこに人生の志を長く引き止めていられない」ということではないでしょうか。「現実に蹉跌(さてつ・物事がうまく進まず、しくじること。挫折。失敗。)し、転んでしまう」ということではないでしょうか。あるいは、その大目標そのものが、自分自身のエゴのために出た大目標ではなかったでしょうか。そうした反省基準があると思うのです。
こうしてみると、人生の大目標を立てるときに、その基準が幾つかあると思います。その基準としては、やはり「何が神近き方向、仏近き方向であるかということを、仏法真理を学ぶことによって設定し、認識している」ということが大事です。この世的に大成功しても、あの世に還ったらそれが地獄界での生活を意味しているならば、そうした大成功はまったく不毛です。「まったく意味がない」と言ってもよいでしょう。
そうではなくて、「この世での大成功が、あの世での大成功につながっていく」からこそ、この世も意味が出てくるのではないでしょうか。結局、大成功の目標、大目標としての成功目標を立てるときに、いちばん大切なことは、そうした神仏の心に沿わない目標を排除しておくということではないかと思います。
では、神仏の目標に合致しない、神仏の心に合致しないような人生の目標とは、いったい何でしょうか。それは、一言で言うならば、「その人の霊性の進化につながらないような目標」だということが言えるでしょう。
では、さらに個別具体的に、「霊性の進化につながるとはどういうことか、つながらないとはどういうことか」ということを考えてみたいと思います。
まず、何が霊性の進化につながらないものでしょうか。それは、「物質がすべてである」という唯物思想、唯物論です。こうした思想をいくら突き詰めても、本当の意味での人生の大目標ともならないし、神仏の心に適った生き方ともなりません。単なる唯物思想、物質万能思想というものは、断断乎(だんだんこ)として排除すべきです。こうした思想を声高に叫び、人生を生きてきた人たちは、死後、あの世で厳しい試練が待っていることが多いのです。魂の真実に目覚めなければいけません。「物がすべてである」という考え方に毒された人たちは、何らかのかたちで、あの世に還って反省を余儀なくされるのです。これは警告しておきたいと思います。
では、霊性の進化につながるものとは、いったい何でしょうか。それは、結局のところ、「愛の実践」ということであろうと思います。愛とは、人と人との間にあって、人と人とを結びつける力です。人を育む力、人を向上させる力です。人間と人間とを結びつけ合ってお互いの力を二倍にも三倍にもしていくことです。より幸福感を高めていく力です。これが愛です。結局、こうした愛への貢献、愛の発展ということを伴わない人生の大目標は、虚しいということです。なぜならば、神仏とは愛そのものであるからです。こうした、「愛の向上」というものを内包しているような大目標であってほしいと思います。
また、もう一つの観点はいったい何かというと、それは結局のところ、「多くの人々によい影響を与えうる目標であるかどうか」ということだと思います。「できるだけ多くの人たちに、できるだけよい影響を与えるということ。最大多数の人に最大の幸福を与えるということ。最大の感化を与えるということ」といったことなくして、本当の大目標とは言えません。「最大多数の最大幸福」であるということ、その幸福が仏法真理に合致した「この世とあの世を貫く幸福」であるということが大切なのです。
そのようなわけで、霊的な進化に奉仕するような大目標というのはどのようなものかというと、まず、「唯物思想ではない。物がすべてであるというような、この世的なる成功ではない」ということです。これが消極要件としてあるわけです。
それ以外に、積極要件としては、「愛の発展に寄与する」ということ、また、「大多数の人によい影響力、感化力を与えられる」ということがあると思います。
さて、それを前提として、さらに、「人生の大目標とはいったい何か」ということを考えてみたいと思います。結局、それは、「神仏近き人間になっていくこと」だと思います。この一言に尽きるのではないでしょうか。
「どれだけ神仏近き人間になるか。わずか数十年、あるいは、百年の与えられた人生において、いったいどれだけ神近き人格を築いていくか。そうした人間になっていくか」ということです。これが、「人生の大目標」と言いうるものだろうと思います。
では、みなさんは、どのように生きれば、神近き存在、仏近き存在になれるのでしょうか。そのような、自分にとっての人生の大目標を、自分自身の育った環境、教育、思想、習慣と照らし合わせ、あるいは、自分自身の性格や特性といったものと照らし合わせて発見していくことこそ、本当の意味での人間の生き方だと私は思います。
こうした本当に神仏近き自分、あるいは、神仏近き存在としての自分を発見するためにも、「仏法真理と学習」というテーマが必要なのではないでしょうか。そうしたことを特に注意して、今後とも大いに精進していきたいものだと考えています。
【大川隆法 『漏尽通力』第5章「仏法真理と学習」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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