(9/19-2)81『仏陀再誕』を読む―信仰と仏国土建設への道―百パーセントの信仰―高級霊への関心

『仏陀再誕』を読む

90 それが狐の霊の場合もあるが、救われたくて集まっている霊体であることもあるだろう。何百人もの祈願や感謝の念を受け取った存在は、霊力を増し、それが一種の妖力を増したのだと思う。それはここ三千年は続いている。【※前回の論点の続き】

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

15 血の池地獄で試されているのは、「お前の本質は、人間か、それとも動物か。」ということである。

14 血の池地獄は、初級者の地獄である。ここから出られない人は、性犯罪者として悪質な者である。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
【正念】「待ちの間」の蓄積
〇腰を落ち着けて「基礎知識」と「経験」を蓄える

これは、幸福の科学の発足自体についても同じようなことが言えるでしょう。私はその間、五年、六年待ちました。発足までにそれだけの時間がかかった分、遅れたようにも見えますが、私自身のいろいろな勉強や経験の期間が必要だったということです。

ただ、そのような間は、「道は示さているのに、どうしてできないのか」ということで、非常にイライラしたり、焦ったりするものです。レールは敷かれているものの、まだ新幹線の速度では走れず、鈍行で走っているようなつらさがあるわけです。「必ず前へ進んでいく」というのは分かっていても、つらいものです。

しかし、ここが、この正念場における、いちばんの「正念場」なのです。ここがこらえどころであり、腰を落ち着けてじっくりと前進していく、蓄えをしていくという姿勢が大事なのではないかと思います。

その間に、蓄積をもとにいろいろな構想を立てていくと、もっと早くなっていき、取り返しができるようになっていきます。

やはり、基礎というのは非常に大事です。物事の判断でも何でもそうですが、「基礎知識」と「経験」がなければ、なかなか見えてこないところが多いのです。反対に、そういう材料があれば、非常に素晴らしい展開となっていくことになります。

【大川隆法『真説・八正道』第8章「正念」280pより抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、この世へ執着と煩悩を断つ方法として『漏尽通力』を共に学びます。経典をお持ちでない方は、ぜひお求めください。【1700円税抜】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第七章 信仰と仏国土建設への道 
○百パーセントの信仰

このように、地上に降りたる仏陀への帰依の姿勢があってこそ、
はじめて法というものは説かれてくるのだ。
仏陀への帰依の姿勢なくば、真実の法は説かれない。
疑いのなかで真実の法は説かれない。
疑いのなかに広がるものは悪魔の領域である。
悪魔はいつの時代も、人びとの疑いのなかに入り込み、
人びとの疑いのなかに入って、お互いの意見を合わせなくする。
お互いにわけのわからないことを言わせ、仲たがいをさせ、
そして、引き裂いてゆく。
信仰を引き裂こうとする。
信ずるものの心をかき乱そうとしてゆく。
しかし、人びとよ。決して迷ってはならない。
決して迷ってはならない。
自分の小さな頭で何がわかるか。
自分の小さな頭で、理解したところで、いったい何がわかるか。
小賢(こざか)しい知恵で何がわかるか。
なにゆえに、そのような小さな頭で、
なにゆえに、そのような小さな知恵で、
仏陀の叡智をはかることができるか。
仏陀を送りたもうた人格大霊の意図を見抜くことができるか。
自らの小ささをあざ笑うがよい。
自らの小ささを卑下(ひげ)するがよい。
そのような立場に、今、自分がないということを知るがよい。
疑いは、これは悪魔の心。
猜疑(さいぎ)もまた悪魔の心。
恐怖もまた悪魔の心。
このような心をもって探求とは言わない。
仏法真理を学ぶ者には、探求の姿勢が大事だ。
探求の姿勢とは、猜疑の姿勢ではない。
探求心とは、猜疑心ではなく、疑念の心でもない。
そのような心が起きた時、
もはや修行の途上にはないと言わざるをえない。
そのような時、その者はもはや修行者とは言われない。

修行者たちよ。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
もし、そなたがたのなかに、信仰にて迷いがあるならば、
静かに群れを離れて、心穏やかになるを待て、
その時を待て。
決して、何も批判を口にしてはならない。
静かに自らの心を平らかにして、過去の人生をふり返れ。
そして、自分がどれほど多くの光を、多くの愛を、
与えられてきたかということを感謝せよ。
そのことを感謝せずして、みだりに疑いをはさみ、
みだりに人の心を迷わせてはならない。
そのような心と行為は、
最も地獄に近いところにあるということを知らなければならない。
もし、四十年間仏陀に仕え、
その法をよく護持し、人びとを導くとも、
最後の一年において、仏陀のほうを疑い、これを攪乱し、
そして人々の心を迷わしたとするならば、
その者、必ずや地獄に堕ちん。
そのようなものである。
信仰とは、百パーセントの信仰にして、
九十九パーセントの信仰はありえないのだ。
九十九パーセントの信仰はゼロに等しい。
信仰は、百パーセントを求める。
それは、仏はすべてであるからだ。
仏はすべてであるからこそ、百パーセント信じなければ、
すべてを得ることはできない。
たとえ、九十九年の人生を信仰に生きても、
最後の一年において、間違いたる唯物論者となって生きたならば、
その者、必ずやまた地獄に堕ちん。
かくのごとき厳しきものがあるということを、知らねばならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第七章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第五章 仏法真理と学習
5 高級霊への関心

この「仏法真理と学習」という本章の課題の一つとして、私は、「高級霊への関心」ということを挙げておきたいと思います。

本章以外でも、さまざまな書物で、私は高級霊の言葉を伝えてきました。それをあるときは「霊言」と呼び、あるときは「霊訓」と呼び、あるときは「霊示」と呼んでいますが、本質は同じです。高級霊からの通信を明らかにしているわけです。

では、なぜ、そういうことをしているのでしょうか。この点について、話をしておきたいと思います。

「イエス・キリストが出た」とか、「モーセが出た」とか、いろいろな者が出たということで通信を公にしていますが、これらは決して、私が「自分が偉い」ということを示さんがためにやっているのではないのです。そうしたことは、結局、多くの読者の皆さんに「高級霊の本質とはいったい何か」ということを知ってもらいたいためにやっているのです。なぜ、高級霊の本質とは何かを知っていただきたいかというと、それはそこに、みなさんの「人生の理想」というものがあるからです。これが大事なのです。

人間は、手本となるべき人が欲しいのです。先生となるべき人が欲しいのです。この世の人間には、やはり限界があります。この世には完全無欠な人はいません。完全無欠な人格の人もいません。また、完全に生き切った人間もいません。しかし、あの世の世界のなかには、限りなく神や仏に近い人たちがいることは事実です。それも、この世的なる誘惑や欲望を断ち切って魂としてキラキラとした光を放っている高級神霊たちが数多くいるのは事実です。

われらが三次元にあって、この地上世界にあって目標とするものも、結局、「肉体の束縛、物質の束縛のなかにいて、そうした高級諸霊にどのように近づいていくのか」ということであろうと思います。これが、結局のところ、人生を向上させる秘訣であるし、幸福の源泉でもあろうと思うのです。

私が数多く高級霊の言葉を紹介している理由も、彼らが幸福そのものであるからです。高級霊たちは幸福そのものなのです。自分の個性のままに生きて、幸福そのもので生きているのです。この事実が、非常に大きな手本となるであろうと思います。「高級霊であって不幸である」というような人はいないのです。

高級霊が高級霊である理由は、結局、「神近き幸福、仏近き幸福を享受している」ということであろうと思います。そして、その幸福の源泉は「悟り」という名の幸福であると思うのです。「悟っている」ということが、彼らの幸福の源であるわけです。

このように、高級霊への関心を増すということは、人間の幸福の源泉でもあろうかと思います。結局、仏法真理を学習するといっても、高級霊たちの考え方、神仏そのものの考えは私たちには分からないかもしれませんが、「神近き人たち、仏近き人たちの考え方を学ぶことによって、どれだけそうした人たちに近づいていくか、どれだけ神仏に近づいていくか」ということが大事なのではないかと思います。

したがって、霊言集などの学習の目標も、単に知力を磨くということではなく、そうした偉大な魂たち、魂の持ち主たちの考え方を学ぶということなのです。「どのように考え方を学んでいくか。どのように理解していくか。それによって、どれだけ自分の魂の糧にしていくか」ということが大事だろうと思います。人間は、生まれつき持っている知識というものがありますが、やはり、先生というもの、教師というものがいて、そこから学ぶことによって啓発されるのです。

独習というもの、独学というものがあります。それによって、学問を修めた方は立派でしょう。あるいは、立志伝中の人物かもしれません。ただ、立志伝中の人物が敬われるのは、まれなケースであるからです。

たいていの場合、八割、九割の人にとっては、正しい導き手、正しい先生がいることによって学習というものは進んでいくのです。もし、学校というものがなく、教師というものがいなくて、生まれ落ちた赤ん坊は自らすべての知識を得なければいけないとなると、これは大変なことです。ほとんど不可能に近いでしょう。やはり、教師というものがいて手短に教えてくれるからこそ、多くの人たちはその知識を吸収し、人類の遺産を受け継いでいけるのではないでしょうか。

そうであるならば、高級霊たちがすでに叡智として持っている思想や心情、考え方を私たちは吸収し、血とし肉とし骨とすることによって、より大いなる「魂の進化」がありえるのではないでしょうか。彼らの学んだことに、さらに一歩付け加えることができるのではないでしょうか。

このように、「仏法真理と学習」というテーマを取ってみると、「高級霊への関心ということは非常に重要なテーマだし、そうした関心を持てば持つほど、それは自分の向上を意味し、自分の幸福感の増大を意味する」ということが言えると思います。

【大川隆法 『漏尽通力』第5章「仏法真理と学習」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史 

タイトルとURLをコピーしました